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麻田麻尋

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0章

2夜 魔獣襲来

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「貴方達、仮にも勇者でしょう? 市民の手本となり、心の支えとなるような行動をとって下さい。自分らが出したゴミくらい、掃除しましょうね」
 初等学校の教師のように、キースは優しく穏やかに勇者達に言う。
 嫌悪感や不快感や憤怒は、剥き出しにして。
「「「「「ごめんなさい」」」」」
 その場に居る五人の勇者が、五重奏した。







 天裂の槍カエルム ハスタは、王国の黎明記から続く、老舗の勇者ギルドだ。
 人魔戦争終結から、約十年後。天を蹂躙する龍型の魔獣が現れた。
 彼奴の鼻息は竜巻となり人間達の家を吹き飛ばし、彼奴の涙は畑や山を流す大雨となり、彼奴が怒れば台風が生まれて人間の生活は踏み躙られた。
 民衆の人魔戦争の傷が癒えて、平和になった時に奴は現れたのだ。
 この魔獣の討伐は、六勇者達では行われなかった。
 その頃には、もう六勇者達は居なくなっていたのである。
 オーリム(現、王都マリアーク)の町民達が、魔獣退治に買って出たのだ。
 中でもどんな魔獣の身体をも貫いた、伝説の槍の使い手ーーアカメの活躍により、魔獣は討伐された。
 彼が一度槍を握れば、ただならぬ覇気でどんな魔獣も石のように動かなくなったという。
 神の加護かレンソイン ウェイノンの加護かーーアカメの目が爛々と赫く煌ったらしい。
 彼が龍型の魔獣を討伐すると、覆われた空がようやく見えたという。
 そして、人々はまた太陽の下で暮らせるようになったのだ。
 天裂の槍カエルム ハスタは、そんな歴史上の大英雄から拝借した名である。
 そんな素晴らしい御名を珍獣達によって貶められたのが、キースは我慢ならない。
 ここは、歴史あるすごいギルドだって言うのに……
 勇者の一人が、掃除をしながら口を開いた。
「今日も、客は来てないぞ」
「あれ? さっきの観光客は?」
勇者の御旗ブレイヴ フラッグとの勘違いだったよ」
「やっぱりなー!」
 天裂の槍カエルム ハスタは、今日も、閑古鳥が鳴いている。
 勇者の御旗ブレイヴ フラッグは、括りとしては天裂の槍カエルム ハスタと同じ勇者ギルドである。
 世界各地に支部を構え、数多の人々の安心安全を護っているのだ。
 アルストレンジ三大ギルドの中に入り、知名度から天裂の槍カエルム ハスタとは違う。
 そして彼らは、マナーが徹底されている。
 綺麗な言葉で話し、所作は丁寧。
 何よりお客様を、立てることを知っているのだ。
 王都の貴族様達が、そちらに足が向くのは言うまでもない。
 庶民は庶民で値段がさほど変わらないなら、質が良い勇者の御旗ブレイヴ フラッグに行く訳である。
 ここのギルドの人間は、時代に適応出来ない搾り滓のような存在の集まりなのだ。




 


 約一時間後。皆で手分けして、やっと掃除が終わった。
 掃除する前と今では、見違えるように違う。空気も、澄んでいる。
 勇者達は、尊敬の眼差しをキースに送って来た。
「お前、こんなすごいことをしてたんだな」
「いい嫁さんに、なれるぜ」
「掃除って、大変なんだな……」
「女房に叱られない為にも、家でもやるわ」
「礼に、飯奢る。ありがとう」
 口々に、好きなように話す勇者達。
 キースの耳は二つ、口は一つしかないので愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。
 ズシンと地面が縦に揺れる。
「地震か!?」
 ギルドメンバー達は、たちまちパニックに陥った。
ソファーにティーカップを重ねる者や、窓の桟を指で弾く者や、仮装パーティ用のウィッグを被り踊り狂う者まで。
 窓の外が、何やら異様に騒がしい。人々の恐怖に塗れた悲鳴や、家屋が破壊される音が聞こえる。
 バキバキと爽快な音を鳴らして、倒れていく建物を見てキースは絶句した。
 遥か遠方に見える中央区画のあの塔は、昨年貴族向けに作られた娯楽施設だ。
 王都を一望出来る、観光名称にはピッタリの建物である。高いところから、他人を見下す貴族には大変受けが良い。
「魔獣が出たってよー! 避難所行けって! 一番近いダリア通りの私立学校行くぞー」
天烈の槍カエルム ハスタでも一番槍の腕が立つ勇者が、応接間に駆け込んで来た。
 背中にはリュックサックを背負い、いつでも逃げる準備は万端のようだ。
「魔獣避け結界があるのに!?」
 キースの疑問は、尤もである。
 数年前に魔獣避け結界が設置されてから、王都に魔獣が姿を現したことはない。
「故障……したとか?」
 熊のような大男が、眠たげに眼を擦りながら言う。
 この状況でも、目が覚めないのは尊敬に値する。
 ヴェノムが一歩遅れて、応接間に入って来た。
 煙草を口から離し、言葉を紡ぐ。
「いんや、結界が切られたんだろ。中央区画の避難所は、お貴族様で埋まってるってよ。パン屋の女将さんが、追い返されたって。東区画の避難所は一つしかないし、一般市民で埋まってるだろうな」
 ヴェノムは非常時だと言うのに、慌てる素振りを一つも見せていない。怒りや悲しみの感情を表さず、現状の報告をしている。
 普段は軽快にお喋りする彼の、極めて冷静沈着な声音だ。
 軍人の将校が敵国への進軍の配置を考えるかのような話し方で、キースの胸はドクンと脈打つ。
 事態の深刻さが、嫌でも分かる話し方だ。
 ギルドメンバー達は、言葉を失っている。
 同じ命だと言うのに、何故こんな優劣があるのだろう?
 みんな、そう思っているのだろう。
 そして気が荒いこの面子のことだ、碌でもないことを言い出す未来が見える。
「つまり避難所に居る貴族をみんな川に沈めたら、空きが出来る訳だ」
「山に埋めるのも、ありだな」
「いいねぇ! 奴らがくたばれば、税金の負担が減るしなぁ!」
「やるからには、徹底的にしようぜ! 今まで甚振った市民の人数分、杭を打ちつけるんだよ!」
「人の心、ないんですか!?」
 キースは、思わず噎せ返った。避難所から、貴族を追い出そうぜ! くらいは言い出すだろうと思っていたが、想像の倍をいく非情さである。
 ヴェノムが、ひらひらと手を振った。
「やめとけやめとけ。法律は、お貴族様優位に作られてる。お前らが、断頭台行きだよ。どう見ても、事故にしか見えないやり方にしとけ」
 はっはっは。下手なジョークを言う役者のように、寒い笑顔をヴェノムは向けて来た。
 彼は煙草にまた口付け、息を大きく吐く。
 ヴェノムの心にある感情は決して楽しい物ではなく、ドス黒い宿怨に違いない。
 まさしく、煙に巻かれた訳だ。
 みんな思案に、余ったのだろう。
 ぐったりとその場に座り込もうとしたが、ヴェノムによって応接間を追い出された。
 彼は応接間のソファーとテーブルを動かし、絨毯を捲り上げる。
 床に刻まれた魔法陣が、姿を現した。







 魔法陣は刀か槍でも掘ったのか、深みがある。約10cm足らずの溝だ。
 魔法陣に刻まれている記号のような文字は、古代デアーテル語だとは言うことは判る。
 古代デアーテル語は、戦争により滅んだメルメリィ国の古の言語だ。
 王国や帝国の古語は解明が進み、現代語訳が出来ない単語はないとされている。
 私立学校では、古語の授業が必修科目に入るところも多い。
 古代デアーテル語は、解らないのだ。単語も、文法も、何もかもが。
 世界有数の専門家が、生涯を費やしても解明出来ない文字。
 冒険小説では仲間の一人が、メルメリィ国の生き残りでパッと読み上げるシーンだが……そんな訳がなく、みんなして首を捻っている。
「ジャスティス物語なら、聖水を垂らしたら魔法陣が発動するんですよね」
 キースが思いついたように、口を開いた。
 ジャスティス物語は、アッシュ フォトンにより執筆されている世界的ジュブナイルである。
 一言で表すならば、勇者ジャスティスの世直し物語だ。勧善懲悪物で、ジャスティスはどんな強敵でも必ず勝つのだ。
 キースが言っているのは、シリーズ三冊目「吸血鬼は、夜歩く」の話だ。
 ジャスティスが、吸血鬼に襲われている教会を救う。
 しかし吸血鬼は、死ぬ間際に自身の魂を犠牲に暗黒の魔術を発動させてしまう。
 その魔術は嵐を引き起こし、町を破壊していくのだ。
 勇者ジャスティスが、教会からお礼に貰った聖水を町の広場に描かれた魔法陣に垂らし、大結界を発動して難を逃れるというものだ。
「キース! それは、物語だって! フィクションだから!」
 笑い出す猛獣勇者達。
 対照的にヴェノムは真面目な顔付きで、自身の指をナイフで刺した。
 魔法陣に彼の血が、とくとくと垂れていく。
 この溝を満たす出血量を計算してみたが、致死量ほどあるのではないか。
 ヴェノムは神妙な面持ちで、キースに微笑みかけた。
 指をパチンと鳴らし、虚空から瓶をヴェノムは取り出す。
「この瓶の中身を、満遍なく魔法陣に垂らしてくれるか? そうしたら、魔術は発動して結界が生成されるから」
 キースは拒否したが、ヴェノムは首を横に振り瓶を押し付けて来た。
 瓶の中身は、宇宙のような紫色から濃紺のグラデーションをしている。
 手に持つだけでも、解る。
 これは「人が持つべきではない代物」だ。
(結界が上手く作れなかったら? その所為で、みんな死んでしまったら?)
 キースの心臓は、警鐘の如くドクンドクンと鳴り響く。
 キースの悪い癖の一つに、物事が悪い方に転がったら……を考えることがある。
 今まで成功したことを褒められた経験が少なく、逆に失敗したことを叱られて来たからだ。
 ヴェノムは「大丈夫だから」と、キースの頭をぽんぽんと撫でた。
 ヴェノムの手は大きく広く、子供の頃泣きじゃくる自分の背中をさすってくれた母親のような安心感がある。
 彼は「頼んだぞ」と、キースに告げて応接間を後にした。
 キースは、嫌な予感が止まらなかった。
 ヴェノムと二度と会えなくなるようなーーそんな予感。
 それなのに、言われた通りに瓶の液体を魔法陣の溝に垂らしているのだ。
 指揮者の指揮の通りに、音楽を奏でるオーケストラ団員達のように。
 彼の言葉には逆らえない「力」がある。
 まるで、魔法のようだ。
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