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麻田麻尋

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3夜 魔術の意味

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 キースが液体を垂らすと魔法陣が光り、結界が生成された。
 それも、かなり広大な結界だ。
 正方体なのだが、一辺2kmくらいの長さはある。
 東区画の避難所近くまで、結界は伸びているではないか。
 魔獣が結界内に入ろうと体当たりや突進をしているが、結界はびくともしていない。
 これならば、かなりの市民の身の安全が保証される筈だ。
 魔術を発動する為の対価ーー液体が何で作られているのかは判らないが、ヴェノムが言っていた言葉を思い出す。
「キースの旦那。魔術ってのは、魔の術なんだよ。等価交換なんて成立してないし、人間の倫理や道理を踏み躙った術さ。魔術を使う人間は、人間から踏み外れた存在って思っとけ」
 ヴェノムは天裂の槍カエルム ハスタで、唯一魔術が使える人間だ。
 今になって彼が言っていた、言葉の意味が分かった気がする。
 キースが魔力を宿している人間だから、ヴェノムはそう言ったのだろう。
 自分やミッズガルズや冒険小説で、魔術師への道を目指さないように。
 それでも人間は、摩訶不思議に惹かれる生き物である。
 絶対絶滅の窮地を救ったヴェノムが、やけに格好よく見えた。
 勇気ある行動をとれるーー勇者だ。
 熊のような大男トーマスが、口を切る。
「俺らも、ヴェノムの後に続く」
「え、なんで? この中に居たら、安心だろ」
「街、怪我人で一杯だ。貴族は嫌いだけど、そうじゃない奴は好き」
 トーマスの言葉に、みんながハッと我に返った。
 そうだ。自分達は、勇者なのだ。魔獣を倒したり、悪人をやっつけたり、冒険するだけが仕事じゃない。
 怪我人を病院に運ぶことや、逃げ遅れた人を救出ことや、迷子の親を探すこと……やることは、他にもたくさんある。
 勇霧が晴れた後のような空のような、澄明な顔付きで勇者達は街へと繰り出した。







 マリアークの街は、ヴェノムの想像以上の阿鼻叫喚であった。
 避難所に入れて貰えなかった人々が、道路にまで溢れている。
 倒壊した家の窓ガラスや屋根の煉瓦で、怪我をしている者もたくさん居る。
 血の匂い、土の匂い、行商人の布や煙草や香水等々……の数多の商品の匂い、様々な人間の体臭が、曇天に押し潰されている。
 泣き喚く子供に、不満不平を言う老人達、家の損害保険は下りるのかと役所の人間に聞く中年夫婦……誰一人として、落ち着いている人間は居ない。
(まさに、地獄絵図ってか……)
 無理もない。魔獣避け結界が三年前に設置されてから、王都は魔獣の襲撃を受けなかったのだから。
 その所為で、天裂の槍カエルム ハスタへの依頼はめっきり減ったのである。
 王立魔獣研究所の研究員達が、魔獣が嫌がる周波数を発見した。人間の耳では、おおよそ聞き取れない超音波を発する機械ーー魔獣避け結界を生み出したのだ。
 この発明は、国内外から絶大な評価を受けた。
 しかし、所詮は人が作りし物。完璧な道具など、存在しない。
 いつかは壊れるか、不具合が起きるものだ。
「あ、あんた……天裂の槍カエルム ハスタの」
 数年前までは常連だった、老夫がヴェノムに詰め寄る。
 顔面は蒼白で、手はブルブルと震えていた。
 逃げる際に落としてしまったのが、眼鏡のレンズはバキバキに割れてしまっている。
「オリバーの爺さん、久しぶり。大変なことになったな」
「な、何が起きてるんじゃ? 魔獣避け結界があれば、魔獣は現れないんじゃろ?」
 噂によると、アレを設置しておけば五年は魔獣は来ないと聞いたぞ! 機械の癖に、なんで壊れるんじゃ! 老夫オリバーは、そうつけ加える。
 ヴェノムは、うーんと首を捻った。
「俺の予想ですけど。多分王都に魔獣避け結界が設置されたことで、王都を襲う筈だった魔獣達は近隣の街を襲いまくってたんじゃないですかね。魔獣は人間を食べれば食べる程、力を蓄えますし。力を蓄えた魔獣は、魔獣避け結界を切れる程に強くなったと」
 最近だと王都の西隣の街デュシスが、魔獣の襲撃で壊滅状態に陥ったという。
 デュシスは、商人の街と呼ばれている。物流の中心地かつ、交通の要地なのだ。
 デュシスから東側に王都まで伸びる、ヴァレリア街道。デュシスから北上すると、王国の北部の都セプテントリオに続くヤツデ山脈がある。南は南でブルメリア平原を抜けると、王国最大の港町ポルトゥスに着くのだ。
 そんなデュシスの街が受けた魔獣襲撃により、王国の経済は大打撃を受けた。
 庶民が創立祭に批判的な声を挙げているのは、政治家の耳には入っている。
「創立祭なんてやめて、その金をデュシスの復興支援に回せ」
 その意見は人間が持つ道徳心の観点からは、
ヴェノムは尤もだと思う。
 しかし十数年単位で準備した、創立祭を中止出来るか? その答えは、Noだ。
 王国内外問わず、たくさんの利権が絡んでいるのだから。
 王国の一存だけで「中止」なんて、出来やしない。
 デュシスの壊滅による経済的打撃を、創立祭で回復させる見込みであったのに……魔獣襲撃とは、不運にも程がある。
「なんと……魔獣退治部隊兵は尻尾巻いて逃げ出すし、どうしたもんかのう」
「ハァッ!?」
 余りの出来事にヴェノムの声は、裏返った。
 ここでいう『魔獣退治部隊兵』は、世界保安団という組織の部隊名である。
 世界保安団とは、例え世界の裏側でも平和を守り抜く保安組織だ。
 勇者の御旗ブレイヴ フラッグと同様、世界中に支部を構えて運営している。
 勇者の御旗ブレイヴ フラッグと違うのは、世界的に信仰される「讃神魔神レンソイン教」の教えを、広げる役割があるのだ。
 その為各地の支部は教会となっており、咳一つ憚られる厳かな印象を受ける。
 天裂の槍カエルム ハスタとは、正反対の組織だ。
 魔獣退治部隊はレンソイン ウェイノンが作った、対魔獣武器の魔装武器を所有している集団である。
 その武器を所有する権利を持っている人間達であり、大きな力を使うことの責任も背負う人間達なのだ。
 そんな選ばれし人間達が、逃げ出すとは……頭が痛い。
 ヴェノムの算段では魔獣退治部隊兵が戦っている間、自分が生成した結界で市民を護るつもりだったのだ。
 世界保安団兵が市民を護るのは、当然の責務である。彼らのプロ性を信じていたのに、この有様……ヴェノムは、溜息しか出なかった。
「魔獣避け結界が設置されてから、魔獣が出なかったからのう。魔獣戦の演習とかしてなかったらしいんじゃよ」
「天下の世界保安団兵様が、聞いて呆れるな」
「あの人らは中級メディウムじゃから、自分の命を張ってでも下級デースペルの人間を守りたくないんじゃろ。世界保安団兵という肩書きが、欲しいだけだのう」
 オリバーは、何か言いたげにヴェノムを見詰めた。
 たった数パーセントの、希望に縋る顔付きだ。その希望は極悪非道な物で、とても口には出せないのだろう。
 オリバーの皺だらけの顔は、苦慮に満ちている。
 彼が何を言い澱んででいるのかーー推理するまでもない。
「悪いけど。俺にあんな魔獣を倒す力なんて、ありゃしませんぜ」
「そ、そうじゃな。専門家に任せるのが、一番さね」
「オリバーの爺さん、ボケたのか? その専門家様が逃げ出したんだろ」
「うむ。あの税金泥棒共め。税金払ってやらんぞい」
 ハハハハハ! 二人して歯を見せて笑うが、全くもって笑える状況ではない。
 初等学校ニ年生くらいの男児がヴェノムの裾を引いた。
 両親とはぐれて、しまったのだろう。顔付きから、不安が伺える。
「お兄ちゃん勇者なのに、まじゅうたおせないの?」
「いい質問だな、坊主。教えてやろう」
 ヴェノムは、リュックサックからスケッチブックを取り出す。
 それには頭身が低い可愛いらしい、三人の人間の絵が描かれている。
 女子が好みそうな、ファンシーな作品だ。
「武芸の心得がなく、装備も持っていない人間の戦闘力を一として」
 ヴェノムは武具類の装備をしていない、スケッチぶっくの左端に描かれた人間を指差した。
「武芸の心得があり、剣と盾を構えた人間の戦闘力をニとする」
 次いで、彼は剣と盾の装備を構えている勇者の絵を指差すヴェノム。
 彼の説明に、男児はうんうんと頷く。ここまでは、理解出来ているらしい。
 右端に居る、ローブを着た魔術師のイラストをヴェノムはトントンと指を差す。
「さて、問題です。魔術師の戦闘力は、いくつでしょうか」
「わかった! 答えは三!」
「ぶー。正解は、五でーす」
 ヴェノムはスケッチブックの頁を捲り、新しい頁を二人に見せる。
 その頁には猫型の魔獣が描かれていて、戦闘力十と横に記されている。
 男児は「えー! なんでー!?」と、疑問符を飛ばして来た。当然の反応である。
「坊主。キャンプしたこと、あるか?」
「あるよ! 勇者の御旗ブレイヴ フラッグのサマーキャンプにさん加したんだ」
 勇者の御旗ブレイヴ フラッグのサマーキャンプは、勇者付き添いで山を冒険したり、みんなでレクリエーションをしたり、飯盒炊爨で夕食を作ったりする。
 子供達の協調性や自主性を育み、非常に評判が高い。
 男児は楽しかった思い出に、浸っているようだ。
勇者の御旗ブレイヴ フラッグのキャンプは、楽しいもんなぁ。火起こしって、したか?」
「したよ! 板の上でぼうを回てんさせたんだけど、なかなか火は点かなかったんだ。半刻くらいかかったよ」
「そうだな。簡単そうに見えて、意外と難しいんだよなぁ」
 ヴェノムは、首肯する。
 火の発見が文明の始まりだとも言われている程に、人類史にとって火は重要な存在だ。
 火山の噴火や落雷で火という存在を知り、徐々に調理や灯や暖房に利用したのである。迫り来る、猛獣の防御にも使っていた。
火を発見していなかったら、人類はとっくに絶滅していたという一説もあるくらいだ。
 ヴェノムは、魔力変換器マギ コンバーターを取り出し、蓋を開きタイピングを始める。
 懐中時計によく似ている、黒い機械。大きさは、ヴェノムの掌二つ分で収まるくらい。
 カバーを外した内部の中心部には、魔力の源である魔核と術式を刻む為のキーボードが埋め込まれている。
 魔核は魔力を抽出して造り上げる、魔力変換器のエンジンとなる部品だ。
 魔術師はこの魔核に同調シンクロして、術式を刻み魔術を使う。
 この魔力変換器を使って発動する魔術は、現代魔術と言う。
 魔核に術式と言う指示を与えることで、自動的に魔力から魔術エネルギーへと変換して魔術が発動されるのだ。
 ヴェノムが先程生成した結界は、魔力変換器を介してないので古典魔術にあたる。
点火アッケンデーレ魔術!」
 自然ナトゥーラ系統の火属性の初歩中の初歩にあたる魔術を、ヴェノムはものの数秒で発動してみせた。
 老夫オリバーと男児は、ひどく驚愕した。
 自分にはない「力」を持った人間が、その「力」を振るったのだ。嫌疑的な視線を投げ付けて来ないだけ、寛仁だと思う。
 「これは、何の攻撃性もない『ただ火を点けるだけ』の魔術でさぁ。初級魔術でも火の球を産み出す物や、上級魔術になると火の海にするのもある。魔獣は魔力に飲まれて、化け物になった存在だ。当然、魔術師以上の魔力を持ってるんだ」
 ヴェノムの説明で、老夫と男児は魔術師と魔獣の見方が変わったのだろう。
 戦闘力がいきなり跳ね上がったことも、悟ったようだ。
「なんじゃ、アレは」
 老夫が見据える先は、炎に飲まれた魔獣が居た。
 たった一瞬にして業火を発生させ、魔獣を焼き尽くした存在が居るのだ。
「おー。よく燃えたなぁ。流石だな、グランデスタ。ありがとう」
 この絶望的な状況を照らす燦燦とした太陽のようなーーだけれど、落ち着いた声が風に流れた。
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