光彩濁りて愛となる

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十九話

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「静弥のお名前ね、最初は隼人にしようって思ってたの。お母さんの初恋の人でね、すごく明るくて優しくて自然と人が集まる人だったのよ。だけどお父さんが嫉妬しちゃって、静弥って名前にしたの。お誕生日おめでとう」
 四歳の誕生日に母親の女の部分を見て、心底「気持ち悪い」と思ったのをよく覚えている。
 隼人君みたいに明るくなくて、ごめんなさい。隼人君みたいな優しさを持ってなくて、ごめんなさい。隼人君みたいに、みんなと仲良く出来なくてごめんなさい。
 母親への嫌悪感と同時に罪悪感も生まれて、僕は泣きじゃくりながらお布団の中でダンゴムシのように丸まった。
「えーっ。静弥、どうしたの? お母さん、静弥のこと大好きよ」
「こんなことで泣いてたら、幼稚園でイジメられるぞ~」
 お布団の外から聞こえる声は、吹雪の日に頬を濡らす雪のように冷たくて痛かった。
 僕の心は、沢山の壁に阻まれる。他人、現実、常識。
 幼稚園の先生に自分の名前の由来を話して「ハヤトくんじゃなくって、つらい……」って言うと先生は「お母さん、見た目通り可愛いんだね。大丈夫だよ。静弥君のお母さんは、静弥君のこと愛してるからね」と、綿毛のような笑顔を向けながら言ったのだ。
 誰かが「そんなことないよ」と言えば、痛みはお片付けされる。
 世の中、そういうものなのかも? とわかって来た頃に、また新たな常識を知った。
 躑躅森さんが涙を流せば、お友達も先生も勝本君達も味方をする。
 みんな痛みに、共感してくれる。
 なんて楽な、人生なんだろう。誰よりも加害性があるのに、涙一つで誰かの心に残れるのだから。






 仕事が終わるや否や、僕は宇宙人の家に向かった。
 晄君のスマホに仕込んでいる位置情報共有アプリで晄君が今何処に居るのかも分かるし、過去に行った場所のメモも手帳に全て帰路している。
 手帳に書いた住所のメモを地図アプリに打ち込むと、豪勢なタワーマンションの写真が出て来たのだ。
 晄君が言っていた「ぼんチ。のぼんは、ボンボンのボン」の意味が漸く分かった。
 山南村にマンションはないけれど、この自動扉から中に入るのだろう。
 スーパーの自動扉みたいに扉の前に立ってみたんだけれど、扉が開かない。
 手動にしては、ドアノブがない。
 辺りを観察をしてみると、自動ドアの横にテンキーのついた暗証番号を入力する装置がついていた。
 一列あたり数字が三つ並んだ、四列のテンキー。右下のEは、EnterのEと言うことだろう。
 晄君のスマホに仕込んだ盗撮アプリを僕のスマートフォンと連携させてるから、日付を遡ればお泊まり回の様子も見れる筈。
 僕の身体の中で、じわじわと蛇が這っているような感じがする。
 宇宙人への憎しみ。晄君への憐憫。まるで僕達の愛を試すかのように、現れた暗証番号。
 晄君に言われた言葉を、反芻する度に消えたくなるけれど大丈夫。
 僕の愛は、こんな数字に負けやしない。
 通勤用の鞄からスマートフォンを取り出して、アプリを開く。
 一定期間動画で保存されてるから、日付と時間を検索したら出て来るだろう。
 晄君観察用のスケジュール帳に、晄君の一日の行動を全て記入しているので、大体の時間も分かる。
 アプリにお泊まり回の日付と時間を入れて検索してみると、丁度晄君達がマンションの前に立っているシーンが出て来た。
 画面を拡大して、宇宙人の指の動きを観察する。
  まず最初に、一番左上を押している。宇宙人の指の動きは下から二列目の真ん中、上から二列目の右、一番下の列の真ん中と続き、最後に一番下の列の右のEを押していた。
 1 8 6 0で、Eか。
 そう入力すると、呆気ないほど簡単に開錠された。
 熱された身体を清めるように、エアコンの冷たい風が当たる。
 まるで炉の中に居るような暑さを感じていたら、すごく気持ちが良い。
 エアコンの風が吹く方を向くと、検温装置のようなスタンドが端に置いてある。
 装置の前に立つと
『声帯認証を、行います。お住まいのお部屋番号を、仰って下さい』と、駅のアナウンスやスーパーのタイムセールのお知らせで聞く自動音声のような声が風に流れた。
 声帯認証を行う機械の奥に、また新たな自動扉がある。
 つまり声帯認証に合格出来ないと、マンションの中へ入れない……。
 折角ここまで来たのに、こんなことってない。宇宙人に意見を言う権利があるのに、なんで、なんでっ……。
「ねえ、何してるの? 住居不法シン入だよ」
 さっき聞いた自動音声のような声が、後ろからした。
 振り返るとソフトクリームを舐めながら、眠そうな目で突っ立っている宇宙人が居た。
 美術館に展示されている彫刻みたいに、憎たらしいくらいに美しい。




 


「学校で、他人のお家へ勝手に入っちゃダメ。って習わなかった?」
 言葉って、不思議だ。晄君の学部の荻原君が言ったら「怒らせる為に、わざと言っているんだな。挑発に乗らないようにしよう」って思う言葉なのに、宇宙人は僕が本当に知らないていで聞いている。
「知ってるに、決まってるだろ」
「じゃあ、守らないとじゃん。小学生でも、入って来ないよ」
「小学生は、暗証番号解けないから」
「あのさ。このマンション、家賃高いの。その家賃を払うことで、住民は強トウとか悪い人から身を守れる安全を保証されてるの。その前提をコワされたら、困るんだけど」
「生きていたら、なんなり危険はあると思う。突然通り魔に刺されたり、事故に遭ったり」
「アンタが、その通りまって言ってんだよ!」
 何故この人間までも、僕をこう言う目で見るのだろう? 躑躅森さんや、勝本君達や、山南村の人々みたいな敵意に満ち溢れた目。
 晄君が言っていたことを、思い出す。
「智顕? アイツはダンスの才能に、極振りしたギフテッド。ガチで、赤ちゃん。他人の評価とか、やって欲しいこととか、悪意とか、分かんねえんの。良くも悪くもピュアなんだよ」
 晄君はそう言っていたけれど、聞いていた印象と僕には全然違って見える。
 悪意がわからないイコール、悪意がない訳ではないんだ……。
 あ、まずい。思考が、働かない。ぐるぐるするかも。何がぐるぐるするんだろう? 脳? 視界? 胃? それすら、分かってない。
「あのさ。他人の家におしかけたり、やってることストーカーと変わらないよ。そういうことしたら、ヒカルもそういう目で見られるんだよ」
「晄君は、嫌だって言ってない……」
「それは、ヒカルがやさしいから。ごめん。はっきり、言って良い? アンタ、痛いよ」
 痛い? 何が? 確かに、宇宙人と話しているストレスでか胃はキリキリしている。だけど、多分そう言う意味じゃないよね。
 多分違うんだろうと予想は立てられるけど、答えには辿り着けない。
 ダメだ。自分で頭が働いてないのが、分かる。宇宙人に、果物を握り潰すかのように脳を鷲掴みにされてるような気分。
「え? ぬま……、ぬま、なにくんだっけ? セイヤ君、大丈夫?」
 その声はまるで遠い惑星からの、知らない言葉のようだった。
 友好的な挨拶なのか、宣戦布告の言葉なのかすら僕には分からない。







「……あ。起きた」
 目が覚めて一番に晄君の顔を見られるなんて、幸せだ。
 晄君はベッドの前で脚を開いて座ってたようだけど、すっと立ち上がり僕の顔を覗き込んで来た。
 見慣れない、小洒落た部屋。
 確か宇宙人の家に来て、口論になった気がする。それから、僕が倒れたと言うことだろう。
「体調、大丈夫か?」
 晄君にそう尋ねられて、小さく頷く。
 晄君の「大丈夫か?」って言葉は、魔法だ。
 終盤までものすごく面白かったのに、結末で全てを台無しにされたいやミス。
 若者に人気があると聞いて買ったのに、中学生の頃の自分が書いた小説より酷いクオリティーの短編集。 
 最初から最後まで何を言いたいのか分からず、作者の性欲の強さだけは分かった恋愛小説。
 物語を楽しめなかった辛さとか、他人からの「何を言っているんだろう?」って言う別の惑星の生き物を見るような視線とか、道端に落ちていた薄汚れた赤ちゃんの靴の悄然さとか。
 誰かが僕の「悲しみ」をお片付けするように、自分の「悲しみ」に蓋が出来てしまう。
「静弥、ごめんな。俺の嫌なタイミングが積み重なったってだけなのに、全部を一緒に考えてしまって静弥に当たってしまって。酷いこと言ったよな、ごめん」
 どうして晄君は、僕と違ってちゃんと謝罪が出来るのだろうか。
 僕は謝っても、許されなかったのに。
 今回みたいなことは、初めてじゃない。
 学校でも、職場でも、雲雀丘君にも、僕の謝罪は受け入れられなかった。
「静弥の『ごめん』って気持ちとか、他人の様子が分かりにくいところとか、分かってやれなくてごめんな」
 どうして、晄君がそんなところまで謝るんだろうか。
 謝った方が、事が上手く運ぶから? 僕のことを、面倒くさい人間だと思っているから? 僕のことを、恐れているから?
「静弥……?」
 晄君は、困惑していた。まるで普通は、しないことをする人間を見る目で僕を見ている。
 露出狂とか、美術館の彫像に手を触れようとする人とかを見るような目。みんなと、同じような目。
 ああ、そうか。僕が「いいよ」って、すぐに言わなかったからだ。
 晄君は謝ったら許して貰える前提の人だから、そうじゃない僕のことはそういう風に見てしまうんだ。
「……っ。僕の顔、見たくないって言った癖に。僕のことなんか、好きじゃーーむぐ」
 僕の言葉が武器となる前に、晄君は唇を重ねて来た。歯列をなぞられ、お互いの舌の輪郭を確かめ合うように深く口付けられる。
 恋愛小説でよく書かれている溺れる程のキスとは、これか。と作り物のフレーズが、僕の物になった気がする。
「静弥のこと、ちゃんと好きだよ」
 ちゃんと、って何。僕が晄君に対して抱いてる「好き」は、間違えた「好き」なんだろうか。
 宇宙人が言っていることが、正しいってことなの?
 見慣れない宇宙人の部屋に居るからか、余計に不安や苛々が募る。
 晄君への謝罪を、要求するのすっかり忘れていたな。
 だけど僕達が仲直りしたみたいに、宇宙人と晄君が仲直りするのは嫌だ。
 だってあいつは、僕のことを痛いって言った。宇宙人の理屈で言うなら、僕が痛ければ晄君も痛いと言うことになる。
 晄君の何処が、痛いのだろうか?
 そもそもの疑問なんだけど、恋人を想う気持ちの何が痛いのだろう? アイツに、人の心なんてない。
 だって晄君のことを大切に思っているなら、あんな酷いこと言わないもの。
 晄君を見下しているから、お金を払ってまで晄君のダンスを見たくないでしょう? とかも、言えるんだ。
 それに配慮があるならば、負担がかかるセンターなんてやらせない。
 僕なら、晄君にそんな酷いこと言わないし、させない。
 そうだ。宇宙人こそ、間違っているんだ。
 僕達の恋愛は、間違えていない。
「僕も、大好き。僕達、ずっとこうしていられるよね?」
 なんだろう。確かめてる時点で、いつ壊れてもおかしくない吊り橋を渡っているような関係の気がする。
「当たり前だろ」
 晄君は画面の中のコウ君みたいな笑顔で、そう微笑んだ。
 この違和感に、気付かないんだ……。やっぱり彼は、そっち側の人なんだ。






 宇宙人の家を後にして、僕達は帰路についた。
 何にもなかったかのように話せていたのに家に着くなり、晄くんはリビングのダイニングテーブル前に正座を促して来たのだ。
「静弥」
「はい」
「あのさ。俺のスマホに、GPS系のアプリ仕込んでるだろ。やめて。今すぐに」
「……え」
 なんで、そんなことを言うんだろう? 僕は晄君のことを、全部知りたいだけなのに。
「え? じゃねえよ。今までは俺の交友関係って特殊だから、不安になるのは分かるし、黙ってた。だけど他人の家押しかけたりするなら、話は別って言うか……」
 例えば俺のファンが、このマンション特定してやって来たら怖いだろ? 静弥が智顕にしたのは、それと一緒なんだよ。
 晄君はまるで幼子に、赤信号を渡ったらダメな理由を説くように僕にそう言ったのだ。
「ち、違うよ! 僕は晄君のこと、なんでも知りたいだけで……」
「気持ちは、嬉しいよ。だけど人間誰しも、触れられたくない部分ってあるじゃん」
「嬉しかったら、宇宙人に味方するようなこと言わないよ!」
 晄君の眉がぴくりと動き、まるで宇宙人みたいな目で僕を見て来た。
 なんで、どうして、晄君まで、また、そんな目をするの。
 そんな化け物を見るような目でーーそうだ。同窓会の日に、僕の家へ来たひかる君と一緒の目だ。
 僕の人生は、こう言う風に出来ている。ちょっとでも良いことがあれば、まるで負債を返すように嫌なことが起きる。
 晄君と恋人になったから、引き戻しをされたのだ。
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