泥中の光

RRMR

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六話

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 翌日。軽自動車で、蓮が迎えに来てくれた。
 朝の八時が過ぎたばかりで、相変わらず鶯が気楽に鳴いてやがる。
 シルバーの車体は朝日に照らされて、煌々と輝いている。
 まだ五月の頭だって言うのに、夏並みに暑い。
 昨日の大雨が、嘘のようだ。
 右肘にアライブの袋をかけて、診療所のエレベーターのボタンを押して一階へと行く。
 一階の景色は、俺が小学生の時に来た頃から大して変わっていない。
 待合室のブラウン菅テレビが、液晶テレビに変わったくらいじゃないだろうか。
 塗装が剥げたマガジンラックも、綿が溢れてるスリッパも、トイレのドアに貼られたイルカのプレートも、なんにも変わっていない。
「お大事に~」
 受付のおばちゃんの義務的な労いの言葉に、ペコりと頭を下げて岸田診療所を後にした。
 東京の町医者に毛が生えたような診療所なのだが、このあたりで入院設備のある病院はここくらいしかない。
 蓮は「歩ける?」と俺に声を掛け、背中を支えてくれた。
 俺は松葉杖をパカパカと鳴らしながら、片足のケンケン歩きで軽自動車へ向かって前進する。
 蓮のパーマがかったグレーアッシュにネオンブルーのインナーカラーが入った髪の毛が、俺の頭のてっぺんに当たってくすぐったい。
 蓮の服装は無地の白い半袖Tシャツに、ペラペラのグレーのジャージ、靴は黒のストラップサンダル。
 俺のコンビニへ出かける服装と、瓜二つで笑ってしまった。
 蓮の顔つきは雰囲気が柔らかくて、自堕落な若者に見える。
 それこそテレビが老害の視聴率を稼ごうと、最近の若者の新常識!? びっくり行動! みたいな特集に組まれそうな、見た目をしている。
「朝早くから、ごめんな。ありがとう」
「いいよ。暇してたし」
 蓮は、俺と違って頭が良い。学年始まりに俺のお下がりの教科書を読むだけで、内容が理解出来た。蓮にとって授業は退屈だったようで、沼黒と沢井に今習っている勉強を教えて貰う方が楽しかったらしい。
 大学は有名私大の法学部に合格するも、一ヵ月足らずで辞めた。
 理由は思ってたんと、違ったかららしい。
 定職に就かずブラブラとしているから親父に勘当され(働いてるだけ無職より、偉いだろ!)今は天谷市の北隣にある瀬良(せら)市にあるバーで働いてる。
 バーで働く前は、キャバクラのボーイをしていた。
 このあたりでキャバクラなんて、一店舗しかない。
 あの場末のキャバ嬢崩れみたいな、ブスしか居ない店か……。宣材写真すら盛れてないとか、実物はどんだけブスなんだよ。俺はそう思ったのだが、母親は
「キャバ嬢って、みんな綺麗なのねぇ。蓮、誰かと付き合ったりしてるの?」なんて聞いていた。
 付き合ってたら、全力で止めるわ。
 あいつら、性格と倫理観と価値観終わってるもん。沼黒の次に。
 蓮が助手席の扉を開けてくれたので、小さく礼を言って車に乗り込む。
 片足でちょっとした段差に、登るのは想像以上にしんどい。
 配信者らしく「ダンスやってるんで! 鍛えてるから、苦じゃないっス!」って笑顔すら、作れない。
 ドアを閉め、脚の間に松葉杖を挟み、シートベルトをかける。
 アライブの袋はテディベアを抱えるように、大事に膝の上に置いた。
 相変わらず沼黒からメッセージの連撃が来ているが、気持ち悪いのでシカトする。
 蓮も運転席に座り、シートベルトをカチャリとかけた。
 そのままハンドルを切り、車はゆるやかに前進する。
「兄貴の怪我って、沼黒君の所為?」
「え、や、違うけど」
 咄嗟に、否定してしまった。自分でも、何故だか分からない。
 ここでありのままのことを話すと、村中に話が広まり沼黒が村の全て人間からイジメられるかもしれない。
 そんな最悪な想像が、頭をよぎったのだ。
 人間は叩いて良い理由を見つければ、どこまでも残酷になれる。
 知り合いのゲーム配信者の不倫が、晒された時のネットの荒れ方は凄まじかった。
 ファン同士の擁護をする者と、凶弾する者の対立。
 貢げば貢いだ分だけ、憎しみに変わる。まさに、可愛さ余って憎さが百倍。
 ファンでもなんでもない、炎上で初めて知った全くの無関係の人間は、知り合いの顔を見て
「やりそうな顔してんじゃん。こんなブスに大金投げるなんて、豚丼女さん大丈夫そ? 配信者って、福祉の仕事だよね~。弱女から、散々毟った禊だよね」とか言っていた。
 そのゲーム配信者は一時期活動を自粛していたが、今は普通に配信している。
 どんだけ面の皮が厚いんだよ。ジャンルは違えど、同じ配信者のフィールドに居るからこそそう思った。
「沼黒に薪割るの手伝って。って言われて斧使ってたら、手すべらせてさ」
 未だに山南村では、薪風呂の家が多い。
 自動湯はり機能がない風呂なんて、うちの大学の友達に
「なにそれ!? 戦前の話!?」とか、言われかねない。
 アパートに越して来た当日は、本当に自動で湯を沸かしてくれるのか何回もユニットバスに確認に行ったのは良い思い出だ。
 蓮は「ふーん。じゃあ、口裏合わせとく」と前を見据えたまま、流水のようにさらりとそう言った。
 大通りの信号は黄色から赤に変わり、車が停車する。
 信号が変わったとて、横断歩道を渡る人間は一人も居ない。
「沼黒君さ。一時期沢井君と付き合って落ち着いてたんだけど、最近また悪い波来てそうなんだよね」
「……は? あいつ、沢井と付き合ってたの?」
 蓮が意外そうに、目を白黒させた。当然俺の耳にも、入っているだろう。と、思っていたみたいだ。
「俺が高ニの時だから、三年くらい前かな? 年末から、三ヵ月くらいだけ付き合ったみたい。沢井君がすごく落ち込んでて、可哀想で見てられなかったよ」
「どうせ沼黒が、メンヘラヒス起こしたんだろ」
 沼黒よ。お前には、勿体なさすぎる優良物件だぞ。なに逃してんだよ。
「原因は噂によく聞く癇癪とか、サイコじみた言動じゃないらしいよ。沼黒君、自殺未遂したらしくてさ」
「…………は?」
 蓮は仰々しく「しまった」と言わんばかりに、口を右手の掌で覆った。
 神はタイミングを見計らったかのように、信号を赤から黄色へ切り替え黄色から青に切り替えた。
 それ以降、蓮は何も喋らなかった。
 なんだよ。いつもオオサンショウウオだとか、ペンギンだとか、花とかのしょうもない話をベラベラ話すのに。



 *



 帰宅するなり、母親が家系ラーメンの店主みたいに腕を組んで待ち構えていた。
 リビングの座布団に、座ることを促される。
 俺、脚怪我してる言ってんじゃん。思いやりねえな。
 言われるがままに尻を座布団につけて、脚を八の字に開いて座る。
「まず、おかえり。大きな怪我じゃなくて、良かったわ。今言うべきか悩んだんだけど、顔を見て言うべきだと思って」
 母親は大事そうに、腹を摩りながら言う。
 はいはい。赤ん坊が、出来たんだろ。知ってるよ。
「また貴方に、弟が出来るのよ。それで、最近物価高で大変でしょう? 今時産むだけなのに、すごくお金がかかるの」
 産む『だけ』って、なんだよ。産んでからが、スタートだろ。子供が大学出るくらいまでは、子供を見守るのが親の責務じゃねないのか?
 俺の頭の片隅に、昨日のパキたんの質問箱の呟きが浮かぶ。
 やめろ、やめろ、出てくるな、それは遠い人の話だ、俺の母親じゃない。
「だから、大学辞めてほしくて。弟達のことを、考えてさ。ね、お兄ちゃん」
 母親の顔がマジックでぐしゃぐしゃに塗り潰したように、見えなくなった。
 何も与えない癖にお兄ちゃんを要求するなよ、どうしよう 母親のパーフェクト判定の言葉ってナニ、なにかしなきゃ、なんとかしなきゃ、笑わなきゃ、わかったようち大変だもんね、笑顔、笑顔……。
 どうやって、今まで笑ってたっけ?
 おかあさんのかおこわい、おこってる、ごめんなさい、おれがいないほうがいいんだ、ドコかとおくへいかなきゃ、こんなおれをひつようとしてくれるひと、こんなオレがいていいばしょへ。
 行かなきゃ。
 真凜がアライブの袋を開けて、矯正箸をいじっている。
 だれがくれたかしらないそれは、オレのものだ。なんにもない、オレだけのものだ。
「返せよ! 他人のもん、勝手に触んな!」
 俺が言うや否や、母親から平手打ちが飛んで来た。
 金剛力士のような顔つきで「母親」として、息子の過ちを咎めるのだ。
「真凜に当たること、ないでしょ! 今更、箸の持ち方を矯正したって遅いわよ!」
「うるせぇ! 自分の経済状況を考えず、無責任に中出しセックスしてるお前に言われたかねえよ!」
 腐った肉塊がメカを開発する手を止めて、獣のような大声をあげて俺にのしかかった。
 0.1tの重みは、まるで内臓まで圧迫するかのようだった。
 蓮が出すものを出しただけの奴を羽交い締めするも、肉塊の張り手で襖へと突き飛ばされてしまった。
 襖は鈍い音を鳴らして、真っ二つに割れた。
 インド映画の安いCGみたいだな。なんてぼんやり思っていたら、玄関の引き戸からものすごい音が鳴っている。
 ヴィィィーン! バイクのエンジンみたいな、音。
 なんだよ、こんな時に。
 長女の奈々が「はーい!!!」と威嚇するように大声で、返事をして引き戸を開けた。
 そこには、チェーンソーを構えた沼黒が居た。
 どの面下げて、うちの敷居跨いでんだよ。脳みそと、心臓に毛が生えてるんじゃねえの。絶対、ボーボーの剛毛だろ。
 相変わらず目に光はなく、心なしか目の下のクマが濃い。
 昨日と変わらない黒のタートルネックに、グレーのスラックスを履いている。
 このクソ暑いのに、イカれてんのかよ。
「な、なによ。アンタ、うちの息子を、怪我させておいて」
 沼黒には、俺の母親の声なんて聞こえてない。
 まるで結婚式のバージンロードを歩くかのように、背筋を張って気高く俺へ向かって来る。
 こいつ、やっぱりイカれてんな……。
 悪魔でも、魔王でも、閻魔大王でもいいや。
 俺は、こいつに縋るしかないのだから。
 俺の救世主は、沼黒しか居ない。
 悪魔に、魂を売ろう。
 夜職女に絶大な人気を誇る、漫画のヒロインが言っていた。
「幸福は麻薬だ」と。一度幸福を手にしたならば、同じ物では満足出来なくなる。
 俺は、幸福を知らない。沼黒だって、知らないだろう。
 このクソったれな人生の負債を返すには、腹を括らないといけない。
 幸せになりたいまで、言わない。普通に、なりたい。
 俺は力を振り絞って立ち上がり、沼黒の首に腕を回した。
 沼黒の薄い唇に、自分のそれを重ね合わせる。
 ファーストキスをこんなイカれ野郎に捧げるなんて、俺もイカレてるのかもしれない。
 沼黒は折れそうなくらいに、俺を強く抱きしめた。
 温かい。沼黒の心臓の鼓動は早くて、こいつも人間なんだと思い知る。
 沼黒の平たく冷たい手は俺の顎を掴み、沼黒の方へ向き直させられる。
 沼黒の方から啄むように口付けられたと思ったら、歯列をなぞられて口を無理矢理こじ開けられる。軟体動物のような沼黒の舌が、俺の舌と絡まった。
 数十秒後。唇を離され、沼黒は長い舌で自分の唇をぺろりと舐めた。
「待っててね。ひかる君、すぐ終わらせるから」
 そう言って微笑む沼黒の顔は、屈託のない果実を見つけた少女のような笑顔だった。
 なんだよ、普通に笑えるじゃん。アレ、普通ってなんだっけ……?
 沼黒はまるで子供が野原を駆け回るように、思うがままにチェーンソーを振りかざしてありとあらゆる家具を切り刻んでいく。
 ローテーブル、真凜が好きなアニメのDVD、腐った肉塊の作りかけのメカ、襖、箪笥、洗濯籠……。
 家族は言葉を失い呆気に取られて、死体みたいに膠着している。
 チェーンソー振りかざす狂人に立ち向かう、勇気がある人間は居ないらしい。
 蓮だけは沼黒に小学校の頃体育祭で歌った応援歌を歌い、鼓舞している。
 沼黒の動きが、ぴたりと止まった。
 チェーンソーの充電が、切れたらしい。
 あ、ヤバい。チェーンソーと言う装備を失った沼黒の戦闘力は、一みたいなもんだ。
 俺は矯正箸をズボンのポケットに突っ込み、沼黒の手を取った。 
 逃げよう。二人で。ここではない、何処かへ。
 誰の邪魔も、入らない場所へ。
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