泥中の光

麻田麻尋

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五話

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 目覚めると、俺の視界全域に白色が広がっていた。
 均等に並ぶ、蛍光灯にベッド。ベッドを仕切る、薄黄色のカーテン。
 鼻腔をくすぐる、リネンの匂い。
 俺の身に纏われた、ライトブルーの病衣。
 俺のベッドは窓側で、横を向くと雨で窓の外側がべちょべちょに濡れている。
 雨は勢いを増していて、この様子だと鷹戸川が氾濫するかもしれない。
 首を元の位置に戻して、また天井を見上げる。
「知らない天井だ……」
 ここが、何処なのかは知っている。
 だけどお約束なので、言っておくことにした。
 沼黒が、救急車を呼んでくれたに違いない。だからこそ、分からない。俺を殺す気だった癖に、なんで……?
 テレビ台に置かれたスマホで時間を見ると、夜の十一時前。
 沼黒の家に着いたのが十五時くらいだから、六時間近く寝てたのか。
 あんだけの血を流したからと考えるたら、不思議ではない。
 今頃、宝桜は宴会が開かれているのだろう。
 今から行ってもチェックイン出来ないだろうし、この時間でこの天気でこの怪我だ。大人しくするしかない。
 それに普通の顔して、勝本達と飯食えないもん。
 起きたことを、先生に知らせないとな。俺は上体を起こして、立ちあがろうとした。
 が。
 脚に鈍く重い疼痛が走り、起き上がることなくベッドに倒れ込んでしまった。
「マジかよ……」
 病衣のズボンを下にズラして、左太腿を見ると包帯がギチギチに巻かれていた。
 真っ白な包帯に血が滲んでいて、嫌でも自分が怪我人だと思い知らされる。
 スマホのバイブレーションが、公立中学校の机並みにガタガタと鳴った。
 メッセージアプリに、沼黒からメッセージが来たらしい。
 俺、お前を友達登録してないんですけど。怖……。
 目を閉じながら、メッセージ画面を開くと、一言
『ごめん』
だけ来ていた。
 謝って済むなら、警察要らねえんだよ。どアホ!
 ムカつくから、ブロックしてやろうか。いや、それは流石に可哀想か……?
 沼黒のアイコンは初期設定のままで、あいつらしいと思う。
 スマホを握りしめながらそんなことを逡巡していると、テレビ台の横のフックにかけられたスーパー「アライブ」のでかめのレジ袋が置かれていることに気が付いた。
 アライブがあるってことは、やっぱりここは天谷(あまたに)市だ。人口五万五千人。山南村の約十倍だ。山南村の西隣にあり、山南村の人間にとって、一番身近な都会だ。山南村が縦長に対して、天谷市は横長。天谷市と東京と形が似ているので、社会の授業で都道府県のシルエットを見て県を答える問題で勝本が「天谷市!」って元気良く回答してクラスの笑いをとっていた。
 アライブは県内だけのスーパーだったが、業績を伸ばしてこちらの地域全域に店舗を増やし、最近は東京にも一号店を出したばかりだ。
 子供の頃は、月に一回のアライブのお出かけが楽しみだった。
 アライブ天谷店は四階建てのスーパーマーケットで、小豆色みたいなピンクのコンクリート製の建物だ。
 遠目に見ても、あのピンク色を見るだけで「アライブだな」と地元民は分かる。 
 食料品売り場に、フードコートに、衣料品売り場に、玩具売り場に、文房具屋に、本屋に、ゲームセンターに、小さなレストラン街があって日用品はアライブに行けば大概のものは揃う。
 山南村にはない店がアライブには沢山あって、まさにテーマパークだったのだ。
 チョコレートを砕いたら恐竜が、出てくるお菓子。七色に光る、変身ヒーローの剣の玩具のサンプル。本屋に置いてあった、TVアニメ化して社会現象になった巨人を倒す漫画の主人公の声が聞こえる等身大のパネル。
 大人になってアライブより広いショッピングモールに行った時は「デカい」こそは思ったものの、アライブに行った時のワクワクは感じなかった。
 あのワクワクは、ドコへ消えたんだろうか。
 大人になって使える金も出来ることも増えた筈なのに、あの気持ちだけは戻って来ない。
 レジ袋を持ち上げ、中身を見る。
 お袋が、置いて行ったのか?
 ココア、一日分の鉄分が摂れるプルーンヨーグルト、豆乳、鉄分グミ。
 生理中の女子の食い物かよ! ツッコミながら、レジ袋の物色を続ける。
 鉄分アイテムの他には、焼き鮭や卵焼きや唐揚げが入った弁当に、メロンパンに、ミックスサンド、焼きそばパンに、プリンにゼリーにヨーグルトが入っている。
 俺の好みが分からないから、とりあえず手当たり次第に食い物買って来ました。って、感じだな。
 物色していると、手に硬いものがあたった。
 隠すように、一番レジ袋の奥底に固く細長いものが入っている。
「は……?」
 それは大人用の矯正箸だった。
 中指と人差し指を補助するようの、シリコン部がついた便利なやつだ。
 今更お袋が、こんなものを贈る訳がない。
 一体、誰が……? 沼黒の顔が頭に浮かんだが、ないない。と、考えを一蹴した。
 あいつが、そんな優しさを持っている訳がない。沢井あたりだろう。
 そんなことを考えていると、手の中のスマホがまた振動する。
 沼黒から、またメッセージが来た。
『怒ってるよね?』
『僕のこと、嫌いになったよね』
『嫌いにならないで』
『気が済むなら、僕のこと殴って』
『僕のこと、笑ってるの?』
『勝本くん達と、話してるんでしょ』
 言葉通り、間髪入れずに連続でメッセージが来る。絵文字もスタンプも無くって、メッセージだけが来る。
 botかよ……キモいし、怖い。
 呆気にとられてスマホを手放し、テレビ台に戻してる間にも通知のバイブレーションは振動している。
 恐る恐るスマホを手元に戻して、またメッセージアプリを開く。
『沢井くんと、話してるの?』
 なんで、沢井が出てくるんだよ。昼間に俺が勝本に嫌悪感を示していたから、勝本の線が消されたのは分かる。
 小中と沢井とはグループ違ったし、沼黒の方が絡みあった筈だ。
『沢井くんと、僕の家に来ようとしたんだよね。付き合ってるの?』
 何がどうして、そうなるんだよ。国民的推理漫画の眠りの探偵も、びっくりな推理にすらなってない妄想をぶつけて来んな。
 違う。って、否定するべきなのは分かる。返事したらしたで、じゃあなんで一緒に僕の家に来ようとしたの? って、質問が返って来るに違いない。
『沢井くんのこと、好きなの?』
 お前よりは、好きだよ。
 篠塚 晄の中のランク付けは、最下層が勝本達と親父とバイト先の常連クレーマー棺桶待ち老害ジジイ。下から二番目が、沼黒と母親。真ん中は、山南村の同級生、先生、バ先の人間。上から二番目は、兄弟。一番上はトリニティの二人。
 まだまだ沼黒のメッセージ連撃は、続く。
『沢井くんと、どんな話をするの?』
 どうせすぐ、東京に帰るんだ。ブロックしても、良いだろ。
 画面左上の沼黒 静弥のユーザー名を、右手の人差し指でタップした。
 沼黒のプロフィールページのヘッダーは、小学校の修学旅行の俺と沼黒のツーショットの写真だった。
 ガチで、俺のこと好きなの? いや。好きな相手を、斧で襲わないだろ……。
 分からない。あいつのことが、本気で分からない。
 何度目かの、沼黒からのメッセージが来る。
『ねぇ、なんでもいいから返事してよ』
 なんでも、良くない癖に。欲しい言葉を欲しいタイミングで言わないと、パーフェクトとグレート判定出さない癖に。
『うるせぇ クソして寝ろ』
 数秒後。沼黒から、返事が来た。
『返信、ありがとう。お手洗い行って、寝るね』
 女ヲタクの取引ツイートの返信かよ。
『黙って寝ろ。アホ。おやすみ』
 スマホを雑にテレビ台に置いて、俺はナースコールを押した。






 


 先生から容体と、今後の説明を受けた。
 今日は時間が時間なので泊まって行くとして、明日の朝一で自宅へ帰れ! だ、そうだ。
 バスケ漫画の「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という台詞で有名な監督そっくりの先生は「山南村で、成人式でもしてたの?」と笑っていた。
 自分が思ってるより、身体にダメージは負ってるんだから! 絶対に安静にして下さいね! と、五十メートル先に居る人間に話しかけるような大声で五回も同じことを言われた。
 普段ジジババばかり診療するから、対ジジババ用の声量なのだろう。
 東京のアパートに戻るのは、断固反対されてしまった。
 しばらくご実家で、過ごしなさい。東京の医者なんか、親身になってくれないよ? あいつら死にかけの脚もげてる患者にも、かすり傷ですよ~。とか、言うからね。と、毒付いていた。
 都会の人間が田舎者を馬鹿にするように、田舎者は田舎者で都会の人間を下に見てるらしい。
 お前らの文明なんて、昭和時代で止まってる癖によ。
 出迎えは、年子の弟の蓮(れん)がしてくれるらしい。
 篠塚家のグループチャットは五十件溜まっていて、俺はサラッと流し見した。
 新幹線のチケット代、無駄になっちまうな。一万六千円したのに。
 普通の家なら息子が不慮の事故でアパートに帰れなくなったならば、新幹線のチケット代くらい親が払ってくれるだろう。
 うち、普通じゃないもん。父親は働かない癖に無責任に嫁を孕ませるし、母親は父親の言いなりだし。
 暴力を振るわれる訳じゃない。暴言を浴びせられる訳じゃない。飯が用意されない訳じゃない。教育に五月蝿い訳じゃない。金をたかられる訳じゃない。
 人は自分の身に他人から聞いた不幸が落ちて来ないと、苦しみを分からない。
 俺の苦しみは、俺にしか分からない。
 沼黒の苦しみは、沼黒にしか分からない。
 人間が鈍くできてるおかげで、社会は回ってると思う。
 俺はバイト先のシフトアプリに、脚を怪我した為シフトが入れなくなった連絡を入れる。
 一番近いシフトだと、大型連休明けの月曜日だ。交代者募集もシフトアプリで流して、グループチャットでも交代者を募る。
 五月一杯はこっちに居ることになったし、大学にも連絡しないとな。
 トリニティの二人には、新しい動画の為のレッスンの穴を開けることはサクッと連絡するか。
 俺の気持ちに反比例して、やることは沢山だ。
 スマホをテレビ台に戻して、俺は瞼を閉じた。
 約三十分後。
 寝ないといけないと頭では分かっているけど、睡魔が襲って来ない。
 中途半端な時間に、六時間も寝たから当たり前か……。
 寝れない夜は、底辺を見るに限る。
 テレビ台に手を伸ばして、スマホを手に取る。
 パスコードを入力して、青い鳥ランドを開く。
 コウのアカウントから、誰にも教えていない非公開アカウントの愚痴垢に切り替えた。
 アイコンとヘッダーは真っ黒で、ユーザーIDは初期のまま。ユーザー名は、.だけ。
 非公開のリストから、ネカマ女衒アカウントパキたんのアカウントを見に行く。
 今日はどんな底辺が、パキたんの質問箱に質問投げてるのかな。
 ウキウキでパキたんの、時には毒舌だけど真理を言う呟きは見ていて気持ちがいい。
 おっさんが呟いてるのに、パキたんは女の子の味方だゅ。とか盲信している、弱女を見るのが一番楽しい。
 パキたんの最新ツイートを、見る。
 パキたんはいつも通りの辛口で
『今居る長男さんの学費すら払えないのになんで新しく子供作ってんだゅ?ごめんだけどこの家に絶対生まれたくないゅ。奥さんそれは多産DVだから目を覚ました方がいいゅ』とぴえんと聞こえて来そうな絵文字を多用して、回答していた。
 多産DVってことは、大家族ってことか。大家族故に、長男の学費に悩んでるような質問だろうか?
 身に覚えがあるので、心臓がギュッと痛くなった。 
 この質問箱は、開けてはいけない気がする。そう、浦島太郎の玉手箱のような存在。
 それなのに、俺は怖いものみたさで、質問箱の画像をタップしてリンクを開いてしまった。
『41歳女です。私は、七人の子供の母親です。今お腹には、赤ちゃんが居ます。年齢的に最後の子供になるでしょうし、絶対に産みたいです。物価高で家計が苦しいし、赤ちゃんにかかる費用のために長男に大学を辞めて欲しいです。前期分の学費はまだ納めてなくて、いつか長男の耳に入ります。長男は口が悪くて、すぐ私に反抗して来ます。どう言ったら、長男を納得させられますか?』
 七人兄弟も、母親の年齢もうちと一緒だ。
 いやいや、まさかな。うちの筈が、ない。たまたま似た境遇の馬鹿女が、パキたんの質問箱にメッセージを送ったんだ。
 そうだよ。いくらなんでも、ここまでクズじゃないよな。
 子供の学校の学費すら払わず、希望も聞かずに辞めさせようと、顔も名前も知らないインターネットのネカマに質問投げる馬鹿じゃない。
 小学生の頃。苦手な漢字テストで百点をとったら、当時ハマってた忍者漫画の食玩を買ってくれた。中学生の頃。バスケ部に入ったから、新しいバッシュを買ってくれた。高校の頃。新型ウイルスに罹患してる俺に、優しくしてくれた。
 大丈夫。大丈夫。俺のことじゃない。遠くの知らない人のことだ。
 そう祈るように言い聞かせて、俺は瞼を閉じた。
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