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幕間 静弥side
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※十話まで読まれてから、お読みになられるのを推奨しております。
物心がついた時から、僕の世界は薄暗かった。
僕の名前通り深い深い沼底に、縛りつけられているかのような気がしていた。
沼底は真っ暗で、水は濁っていて、腐ったような匂いがする。
みんなが居る陸に上がろうにも、僕が動けば動く程沈んでいくのだ。
底なし沼に落ちたら、最後。這い上がれない。
出て行った父親は、よく言っていた。
「静弥~。勉強は、しとけよ。勉強出来ないと、底辺になっちゃうからな。お父さんみたいに、勝ち組になるんだぞ」
そう言う父親の職業は、アルバイトの塾講師だった。
父親が十九歳の時、僕が生まれた。お母さんは、十六歳で僕を産んだ。
父親が働いてる塾の生徒だった母親は、高校受験の逃避の為か父親と付き合い出した。
そうして、僕が生まれたらしい。
母親は県内でもトップクラスに偏差値が低い女子高を辞めて、お母さんになったらしい。
「私、思うの。勉強だけが、全てじゃないって。生きていく上で、一番必要なのは愛よ」
このフレーズが、母親の口癖だった。
夫婦揃って、馬鹿だな。呆れを通り越して、笑えてしまう。
馬鹿に一つだけ、良いところがある。
現実を、美化出来る力だ。
どんなに人生が積んでても、馬鹿は気付かない。他人を怒らせても、反省する為の脳のリソースがないから他人の所為にする。語彙力がないから、はいしか返事を出来ない。
思考放棄。それが出来るなら、僕だってしたい。
*
「せいやー。オレおとなになったら、ノアとケッコンするんだ」
おなじチューリップぐみ(ようちえんはひとクラスしかないので、ねんちゅうさんをチューリップぐみってよぶんだ)のカツモトくんがニタニタっわらいながら、ぼくにそうせんげんした。
みんながゆうぐであそんでるなか、ぼくはひとりですなばでドロダンゴをつくっていた。
カツモトくんは、いつもそうだ。ぼくのジャマをするように、はなしかけてくる。
「ノアちゃんは、ボクとケッコンするの!」
カツモトくんのうしろでベッショくんが、じだんだをふむ。
イワサキくんも、オレとケッコンするの! と、いっている。
「せいやは、だれとケッコンしたい?」
カツモトくんが、ボクのかたにうでをまわしてきた。
ぼくがちいさいときから、おとうさんとおかあさんはよくケンカをしていた。
すきだから、ケッコンしたんじゃないの? ケンカしないで、なかよくごはんをたべようよ……。
カツモトくんのおとうさんとおかあさんは、ぼくのいえとはちがうんだろうな。
わからないよ。ぼく、たのしいいえじゃないもの。
だまりこくるぼくをみて、カツモトくんは「あー」っていいながらボクをみるのをやめた。
こまらせちゃったかな。
ぼくがなにかをはなしたり、はなさなくてもおともだちはよくこうなってしまう。
「すきなコは、だれ~?」
「……ひかるくん」
えっ!? カツモトくんたちは、おおごえをあげてゲラゲラとわらう。
「ひかるは、おとこだぞ」
「ひかるは、ケッコンできないぜ」
「ひかるも、ノアちゃんすきっていってた!」
くちぐちにそういう、カツモトくんたち。
ウソだ。ひかるくんは、ツツジモリさんのことすきじゃないよ。
カツモトくんたちが、ボクにむけるめをツツジモリさんにしてるもの。
「ひかる~!」
カツモトくんが、ひとりであしをあしをうごかしているひかるくんをよんだ。
「セイヤが、おまえのことすきだって!」
イワサキくんとベッショくんは、カツモトくんはわらいころげた。
「……うん。オレも、セイヤくんのことすき。あそぶのたのしい」
ひかるくんのことばに、さんにんはまたおおごえをあげていじわるくわらう。
ひかるくんは、やさしい。ぼくのスキが、わかってる。わかってるけど、イヤだっていわないんだ。
カツモトくんたちが、ほしくないコトバだったんだろう。
さんにんはすべりだいに、はしっていった。
ひかるくんが、ほしい。ケッコンじゃ、ダメ。もっとココロも、いっしょになれることをしとをしないと。
ひかるくんは、ボクのってハンコをおしたい。おなまえシールじゃ、ダメだ。すぐはがれちゃうから。
ぜったいにはがれないし、はずせないものがいい。
*
良く言えば早熟した子供で、悪く言えば可愛げのない子供だった。
僕が年長さんに上がる頃には両親の関係は冷め切っていて、離婚までのカウントダウンがせまってきたな。と、思っていた。
「静弥~。誕生日おめでとう~。ほら、プレゼントだぞ」
夕飯を食べ終えてお母さんがお皿を下げ、栗色の髪を揺らしながらバースデーケーキを運んで来てくれた。
絵に描いたようなたっぷりとスポンジケーキにクリームを塗りたくり、苺が円状に並んでいるホールのショートケーキ。
父親が手を叩きながらハッピーバースデーの歌を歌い、母親はケーキを切り分けている。
父親の動きに合わせて、緑の黒髪が揺れた。
ハッピーバースデーの歌を歌い終わったタイミングで、父親はアライブの大きなレジ袋を僕に手渡す。
五月十五日。大型連休が明けて、みんなが五月病に罹っている時期が僕の誕生日だ。
父親がプレゼントしてくれたのは、変身ヒーローの光る剣だった。
母親は般若のような顔付きで、父親を睨みつけた。
「貴方って本当に、何も把握してないわね! 静弥は観てないわよ!」
虎婆さんの家にまで響き渡りそうな声で、怒声をあげる母親。
「ええっ! じゃあ、静弥は何が好きなんだ?」
父親は細い肩をびくりと跳ね上がらせて、大袈裟に驚いた。
「絵本! いつも読んでるでしょ!」
「絵本なんか、分かんないよ~。大きなカブとかで良い? 恵美(えみ)はどれが良いと思う?」
母親の顔が、また歪む。
「小学校一年生の教科書に、載ってるでしょ!? 自分で調べたら!? 釣り用品調べられるし、出来るでしょ!? 職場でも、同じこと言うの!?」
母親はヒステリックに叫ぶと父親の眉毛が吊り上がり、チッと大きく舌を打った。
「馬鹿中卒底辺の癖に! 俺に逆らうなよ! 碌に働いたことない、専業主婦の癖に!」
お父さんだって、最終学歴高卒だろ。頭がいい人と結婚したいなら教え子なんかに手を出さずに、お金を貯めて大学にでも行けば良かったじゃないか。
お母さんも、お母さんだ。そんなにお父さんのことが嫌いなら、さっさと離婚でも別居でもすればいいのに。
「貴方が、こんなにクズだって思わなかった!」
顔を覆って、泣き叫ぶ母親。そんな母親に、大きな溜め息を吐く父親。
僕はケーキが盛られたお皿を手に持ち、ダイニングテーブルから立ち上がった。
「静弥、ドコ行くの?」
「虎お婆ちゃんの家」
「アンタ、うちが嫌だって言うの!? そんなにうちが嫌なら、出て行って!! お父さんもアンタも、私に対する感謝が本当にないわ!! 私がどんな思いで、毎日ご飯を作ってるか!!」
父親は「専業主婦だから、当たり前でーす。なんか、意見ありますか~?」と、変身ヒーローの光る剣の玩具の取り扱い説明書を読みながら鼻で笑った。
「ご飯作らないと、ネグレストになるんじゃないのかな。児童相談所とかに、通報されたら困るのお母さんだよ」
年長にして僕は、小学生レベルの漢字が読めた。
虎婆さんが楽しそうに絵本を読む僕を見て、漢字ドリルを買ってくれたのだ。
小学校一年生くらいの子が読む児童書が読めるようになったら、僕の読書がもっと楽しくなるだろう。くらいの考えだったらしい。
漢字を次々と覚えていく僕を見て、虎婆さんは「神童だねぇ……」と、言っていた。
両親は、怖かったのだろう。自分より、頭がいい息子が。
知能が唯一のステータスだと思っている父親には、特に効いたらしい。
「お前はなんでもかんでも、分かったような顔しやがって。狐憑きかよ」
父親はそう吐き捨て車の鍵と財布と煙草とフィーチャーフォンを持って、家を出て行った。
母親は「あの人嫌なことがあったら、すぐに麻雀に行くんだから」と漏らしながら、僕をギュッと抱きしめた。
「お誕生日、おめでとう。ごめんね、嫌な思いをさせて。静弥は、私の味方だよね?」
味方も何も、お父さんもう帰って来ないよ。
僕の予感は、的中した。
お母さんは村中に聞き込みをしたけど、お父さんの行方を掴めなかった。警察に行っても、徒労に終わった。
瀬良市の探偵事務所に無料相談に行ったけど、母親が泣き叫んだ挙句、言葉を上手く纏められず無料相談の時間が終わった。
有料相談のお金を払えず、探偵事務所から僕達は追い出されたのだ。
母親は「困っている人を助けないなんて、最低!」と探偵を罵っていた。
相手は、プロの探偵だ。切迫詰まった人間をたくさん見ているだろうし、向こうが聞きたい質問を母親にしていた。
質問の意味が理解出来ず「辛い」とか「悲しい」とか「私、まだ誠くんのことが好き」と、母親の感情だけを言葉にしていた。
あれからあの人が何処で、何してるのかを知らない。
生きているのか、死んでいるのかすらも知らない。
父親が家を出て行ったのに、僕は涙の一つも流さなかった。
母親が自殺した時も、涙を流さなかった。
僕の心こそ、沼みたいだ。
嬉しかったこと、楽しかったこと、不快だったこと、辛かったこと、寂しさ、憐憫、憎しみをたたえた沼。
世間一般的なネガティブな感情という名の泥に、ポジティブな感情も混ざって濁った色になっているんだ。
そんな底なし沼に、差し込んだ一筋の光ーーひかる君。
まるで地獄に垂らされた、蜘蛛の糸のようだ。
どうして僕の前に、また姿を現したの。
どうして、諦めさせてくれないの。
どうして、昔と違う笑顔で笑うの。
どうして、優しいところは変わってないの。
どうして、僕を否定してくれないの。
僕はまともな両親も、友達も、優しい心も、運動神経も、なんにも持っていない。
今更アメリカのミュージカルのヒロインのように誰かの養子になりたいとか、趣味の合う友達を見つけてみようとか、ジムに行って身体を鍛えようとか思わない。
自分に何が出来るのかなんて、分かっている。何も出来やしないって、一番分かっている。
なんにも持っていない僕が、唯一近くに居る存在。
好き、好き、大好き。僕を、見て。僕だけを見て欲しい。
物心がついた時から、僕の世界は薄暗かった。
僕の名前通り深い深い沼底に、縛りつけられているかのような気がしていた。
沼底は真っ暗で、水は濁っていて、腐ったような匂いがする。
みんなが居る陸に上がろうにも、僕が動けば動く程沈んでいくのだ。
底なし沼に落ちたら、最後。這い上がれない。
出て行った父親は、よく言っていた。
「静弥~。勉強は、しとけよ。勉強出来ないと、底辺になっちゃうからな。お父さんみたいに、勝ち組になるんだぞ」
そう言う父親の職業は、アルバイトの塾講師だった。
父親が十九歳の時、僕が生まれた。お母さんは、十六歳で僕を産んだ。
父親が働いてる塾の生徒だった母親は、高校受験の逃避の為か父親と付き合い出した。
そうして、僕が生まれたらしい。
母親は県内でもトップクラスに偏差値が低い女子高を辞めて、お母さんになったらしい。
「私、思うの。勉強だけが、全てじゃないって。生きていく上で、一番必要なのは愛よ」
このフレーズが、母親の口癖だった。
夫婦揃って、馬鹿だな。呆れを通り越して、笑えてしまう。
馬鹿に一つだけ、良いところがある。
現実を、美化出来る力だ。
どんなに人生が積んでても、馬鹿は気付かない。他人を怒らせても、反省する為の脳のリソースがないから他人の所為にする。語彙力がないから、はいしか返事を出来ない。
思考放棄。それが出来るなら、僕だってしたい。
*
「せいやー。オレおとなになったら、ノアとケッコンするんだ」
おなじチューリップぐみ(ようちえんはひとクラスしかないので、ねんちゅうさんをチューリップぐみってよぶんだ)のカツモトくんがニタニタっわらいながら、ぼくにそうせんげんした。
みんながゆうぐであそんでるなか、ぼくはひとりですなばでドロダンゴをつくっていた。
カツモトくんは、いつもそうだ。ぼくのジャマをするように、はなしかけてくる。
「ノアちゃんは、ボクとケッコンするの!」
カツモトくんのうしろでベッショくんが、じだんだをふむ。
イワサキくんも、オレとケッコンするの! と、いっている。
「せいやは、だれとケッコンしたい?」
カツモトくんが、ボクのかたにうでをまわしてきた。
ぼくがちいさいときから、おとうさんとおかあさんはよくケンカをしていた。
すきだから、ケッコンしたんじゃないの? ケンカしないで、なかよくごはんをたべようよ……。
カツモトくんのおとうさんとおかあさんは、ぼくのいえとはちがうんだろうな。
わからないよ。ぼく、たのしいいえじゃないもの。
だまりこくるぼくをみて、カツモトくんは「あー」っていいながらボクをみるのをやめた。
こまらせちゃったかな。
ぼくがなにかをはなしたり、はなさなくてもおともだちはよくこうなってしまう。
「すきなコは、だれ~?」
「……ひかるくん」
えっ!? カツモトくんたちは、おおごえをあげてゲラゲラとわらう。
「ひかるは、おとこだぞ」
「ひかるは、ケッコンできないぜ」
「ひかるも、ノアちゃんすきっていってた!」
くちぐちにそういう、カツモトくんたち。
ウソだ。ひかるくんは、ツツジモリさんのことすきじゃないよ。
カツモトくんたちが、ボクにむけるめをツツジモリさんにしてるもの。
「ひかる~!」
カツモトくんが、ひとりであしをあしをうごかしているひかるくんをよんだ。
「セイヤが、おまえのことすきだって!」
イワサキくんとベッショくんは、カツモトくんはわらいころげた。
「……うん。オレも、セイヤくんのことすき。あそぶのたのしい」
ひかるくんのことばに、さんにんはまたおおごえをあげていじわるくわらう。
ひかるくんは、やさしい。ぼくのスキが、わかってる。わかってるけど、イヤだっていわないんだ。
カツモトくんたちが、ほしくないコトバだったんだろう。
さんにんはすべりだいに、はしっていった。
ひかるくんが、ほしい。ケッコンじゃ、ダメ。もっとココロも、いっしょになれることをしとをしないと。
ひかるくんは、ボクのってハンコをおしたい。おなまえシールじゃ、ダメだ。すぐはがれちゃうから。
ぜったいにはがれないし、はずせないものがいい。
*
良く言えば早熟した子供で、悪く言えば可愛げのない子供だった。
僕が年長さんに上がる頃には両親の関係は冷め切っていて、離婚までのカウントダウンがせまってきたな。と、思っていた。
「静弥~。誕生日おめでとう~。ほら、プレゼントだぞ」
夕飯を食べ終えてお母さんがお皿を下げ、栗色の髪を揺らしながらバースデーケーキを運んで来てくれた。
絵に描いたようなたっぷりとスポンジケーキにクリームを塗りたくり、苺が円状に並んでいるホールのショートケーキ。
父親が手を叩きながらハッピーバースデーの歌を歌い、母親はケーキを切り分けている。
父親の動きに合わせて、緑の黒髪が揺れた。
ハッピーバースデーの歌を歌い終わったタイミングで、父親はアライブの大きなレジ袋を僕に手渡す。
五月十五日。大型連休が明けて、みんなが五月病に罹っている時期が僕の誕生日だ。
父親がプレゼントしてくれたのは、変身ヒーローの光る剣だった。
母親は般若のような顔付きで、父親を睨みつけた。
「貴方って本当に、何も把握してないわね! 静弥は観てないわよ!」
虎婆さんの家にまで響き渡りそうな声で、怒声をあげる母親。
「ええっ! じゃあ、静弥は何が好きなんだ?」
父親は細い肩をびくりと跳ね上がらせて、大袈裟に驚いた。
「絵本! いつも読んでるでしょ!」
「絵本なんか、分かんないよ~。大きなカブとかで良い? 恵美(えみ)はどれが良いと思う?」
母親の顔が、また歪む。
「小学校一年生の教科書に、載ってるでしょ!? 自分で調べたら!? 釣り用品調べられるし、出来るでしょ!? 職場でも、同じこと言うの!?」
母親はヒステリックに叫ぶと父親の眉毛が吊り上がり、チッと大きく舌を打った。
「馬鹿中卒底辺の癖に! 俺に逆らうなよ! 碌に働いたことない、専業主婦の癖に!」
お父さんだって、最終学歴高卒だろ。頭がいい人と結婚したいなら教え子なんかに手を出さずに、お金を貯めて大学にでも行けば良かったじゃないか。
お母さんも、お母さんだ。そんなにお父さんのことが嫌いなら、さっさと離婚でも別居でもすればいいのに。
「貴方が、こんなにクズだって思わなかった!」
顔を覆って、泣き叫ぶ母親。そんな母親に、大きな溜め息を吐く父親。
僕はケーキが盛られたお皿を手に持ち、ダイニングテーブルから立ち上がった。
「静弥、ドコ行くの?」
「虎お婆ちゃんの家」
「アンタ、うちが嫌だって言うの!? そんなにうちが嫌なら、出て行って!! お父さんもアンタも、私に対する感謝が本当にないわ!! 私がどんな思いで、毎日ご飯を作ってるか!!」
父親は「専業主婦だから、当たり前でーす。なんか、意見ありますか~?」と、変身ヒーローの光る剣の玩具の取り扱い説明書を読みながら鼻で笑った。
「ご飯作らないと、ネグレストになるんじゃないのかな。児童相談所とかに、通報されたら困るのお母さんだよ」
年長にして僕は、小学生レベルの漢字が読めた。
虎婆さんが楽しそうに絵本を読む僕を見て、漢字ドリルを買ってくれたのだ。
小学校一年生くらいの子が読む児童書が読めるようになったら、僕の読書がもっと楽しくなるだろう。くらいの考えだったらしい。
漢字を次々と覚えていく僕を見て、虎婆さんは「神童だねぇ……」と、言っていた。
両親は、怖かったのだろう。自分より、頭がいい息子が。
知能が唯一のステータスだと思っている父親には、特に効いたらしい。
「お前はなんでもかんでも、分かったような顔しやがって。狐憑きかよ」
父親はそう吐き捨て車の鍵と財布と煙草とフィーチャーフォンを持って、家を出て行った。
母親は「あの人嫌なことがあったら、すぐに麻雀に行くんだから」と漏らしながら、僕をギュッと抱きしめた。
「お誕生日、おめでとう。ごめんね、嫌な思いをさせて。静弥は、私の味方だよね?」
味方も何も、お父さんもう帰って来ないよ。
僕の予感は、的中した。
お母さんは村中に聞き込みをしたけど、お父さんの行方を掴めなかった。警察に行っても、徒労に終わった。
瀬良市の探偵事務所に無料相談に行ったけど、母親が泣き叫んだ挙句、言葉を上手く纏められず無料相談の時間が終わった。
有料相談のお金を払えず、探偵事務所から僕達は追い出されたのだ。
母親は「困っている人を助けないなんて、最低!」と探偵を罵っていた。
相手は、プロの探偵だ。切迫詰まった人間をたくさん見ているだろうし、向こうが聞きたい質問を母親にしていた。
質問の意味が理解出来ず「辛い」とか「悲しい」とか「私、まだ誠くんのことが好き」と、母親の感情だけを言葉にしていた。
あれからあの人が何処で、何してるのかを知らない。
生きているのか、死んでいるのかすらも知らない。
父親が家を出て行ったのに、僕は涙の一つも流さなかった。
母親が自殺した時も、涙を流さなかった。
僕の心こそ、沼みたいだ。
嬉しかったこと、楽しかったこと、不快だったこと、辛かったこと、寂しさ、憐憫、憎しみをたたえた沼。
世間一般的なネガティブな感情という名の泥に、ポジティブな感情も混ざって濁った色になっているんだ。
そんな底なし沼に、差し込んだ一筋の光ーーひかる君。
まるで地獄に垂らされた、蜘蛛の糸のようだ。
どうして僕の前に、また姿を現したの。
どうして、諦めさせてくれないの。
どうして、昔と違う笑顔で笑うの。
どうして、優しいところは変わってないの。
どうして、僕を否定してくれないの。
僕はまともな両親も、友達も、優しい心も、運動神経も、なんにも持っていない。
今更アメリカのミュージカルのヒロインのように誰かの養子になりたいとか、趣味の合う友達を見つけてみようとか、ジムに行って身体を鍛えようとか思わない。
自分に何が出来るのかなんて、分かっている。何も出来やしないって、一番分かっている。
なんにも持っていない僕が、唯一近くに居る存在。
好き、好き、大好き。僕を、見て。僕だけを見て欲しい。
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