泥中の光

RRMR

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十四話

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「なあに? これ」
 静弥ちゃんが、細い首を傾げた。
「漢字ドリルだよ」
 漢字ドリルは学校の教科書に該当するから、取次供給所でしか買えないらしい。
 取次供給所と言うのは学校に直接供給する本屋のことで、このあたりだと一番近いのは瀬良市の本屋だ。
 アタシは瀬良市まで車をカッ飛ばして、一年生用の漢字ドリルを買って来た。
 どうせ暇してるんだ。小学校一年生くらいの漢字なら、アタシにだって教えられるだろう。
 そう思って、静弥ちゃんに買い与えたんだっけ。
「ありがとう」
 静弥ちゃんは、感動の余り随喜の涙を流した。
「よしなよ。感謝されるようなことは、してないよ!」
 この頃くらいから、静弥ちゃん幼稚園の送り迎えは母親に押し付けられていたように思う。
 あの女が何をしていたのかは、未だによく知らない。
 村では「旦那以外の男と、関係を持っている」だの「夜職の女だから、昼夜逆転生活をしているならず者」なんて、囁かれていた。
 静弥ちゃんはコタツに漢字ドリルを広げて、ブラウン菅テレビの上に置かれたペン立てから鉛筆と消しゴムを持って来て漢字ドリルで書き取り練習を始めた。
「どうだい、難しいだろ」
 そう言って静弥ちゃんの様子を見たが、アタシの声なんて耳に入っていない。
 まるで微弱の電流みたいな集中力が、伝わって来る。
 漢字を初めて書くだろうに、みるみるうちに自分のものにしていく。
 とめ・はね・はらいなど文字の終わりまでお手本通りに写していて、驚きの余りひっくり返ったっけ。
「この子は、神童だねぇ……」
 こんな檻に囲まれたような村で、彼の性質はどんだけ残酷か。
 凡人だけど年の功だけはあるから、その時から静弥ちゃんの人生は波乱万丈な予感はしていた。
 そう言う勘だけは、昔からよく当たるのさ。
 男を、見極められなかった癖にね。皮肉なこったね。
 季節は巡って静弥ちゃんは小学校に上がり、毎日暗い顔をして帰って来た。
 クラスの子と、上手く馴染めないらしい。
 シノヅカ ヒカルという子とサワイ ソウマって子は優しくしてくれるようで、アタシは少しだけ安心した。
「トラおばあさん」
「おばちゃんって呼びな。なんだい」
 静弥ちゃんは台所のダイニングテーブルに、宿題を算数ドリルやひらがなのドリルを広げている。
 アタシは、夕飯の仕込みをしていた。
「結婚以外で、好きな人とずっと一緒に居れる方法って何があるかな?」
「いった!」
 人参を包丁で切っていたが、手をすべらせて指を切ってしまった。
「大丈夫? 絆創膏……」
 そう言って静弥ちゃんは、居間にある救急車 箱を開けて絆創膏を一枚持って来てくれた。
「ありがとう」
 去年の春に、父親が出て行ったからだろう。
 結婚なんて、紙切れ一枚の契約でしかない。心まで一緒になれないと、この年で知っているのだ。
「ずっと一緒に居たい子が、居るの」
「良いじゃないかい。好きだって伝えたら」
「駄目だよ、困らせるもの」
 この年で、どう思われるかのかどう見られるのかを気にするのか……。
 アタシなんて、毎日の給食と夕飯のことしか考えていなかったのに。
 静弥ちゃんの「ずっと一緒に居たい人」がまさか男だとは思わなかったけど、アタシはその子の顔を見て安心した。
 馬鹿そうではあるけれど、人間的に悪い子じゃなさそう。ってね。






 夜七時半過ぎ。あとは風呂に入って、寝るだけだ。
 老人の朝は早く、夜の活動終了時間も早い。
 静弥ちゃん家の玄関の扉をノックすると、しばらくしてから静弥ちゃんが出迎えてくれた。
 顔色は暗く、ピリピリしたオーラを放っている。
「はい、コレ。お裾分けの、おから煮。なんだい、あの坊主とケンカでもしたのかい」
「違う」
「それで、あの坊主は? 家に帰ったのかい?」
「知らない」
 ぶっきらぼうに、不機嫌丸出しで短く返事をする静弥ちゃん。
 おーおーおーおー。生意気な返事をしやがって。
 静弥ちゃんにアメフト選手みたいに、タックルをかました。
 静弥ちゃんは、土間に倒れ込む。
 若いのに、貧弱過ぎだろ。筋肉をつけな、筋肉を。
「痛ッ!」
「謝って来なよ」
「嫌だ。僕、悪くないもの。あんなこと言う、ひかる君が悪いんだ」
 この子、何か隠してるね……。女の第六感が、ビビッと反応している。
「アンタ、何したんだい」
 静弥ちゃんの細い腕を掴み、起き上がらせる。
「別に、何も……」
 彼は心底鬱陶しそうに返事をするけど、こんなもんで怯むアタシじゃない。
「嘘吐くんじゃないよ!」
 静弥ちゃん一点を見据えて、睨みつける。
 きっと般若のような顔を、しているのだろう。
「く、蔵に、閉じ込めた。酷いこと言って来たから、反省して貰おうと思って……」
 静弥ちゃんの声は、震えていた。
 反省していると言うよりは、アタシに詰め寄らている恐怖心から来るものだった。
「へえ」
 アタシは低い声で短く返事をして、彼の頬に一発平手打ちを入れた。
「アライブで恵美さんに置き去りにされて、ソフトクリームを服に垂らしながらビービー泣いていた、あの静弥ちゃんがねぇ……。えらい立派になったねえ」
 静弥ちゃんは頬を手で押さえながら、呆然と立ち尽くしている。
「どうしようどうしようどうしよう……ッ! 僕、なんてことを! ひかる君、きっと傷付いて、怖がってる。許されないこと、しちゃった。あの人と一緒のこと、ヤダヤダヤダヤダッ! 違う違う違う違うんだ、僕はあの人じゃないッ! ひかる君、きっと僕を嫌いになる。嫌われたら、生きていけない」
 支離滅裂な言葉を、呪詛のように吐く静弥ちゃん。
 訳が分からず、アタシは「五月蝿い! 黙りな!」と、一喝した。
「今すぐに、謝りに行って来な! アンタに出来るのは、それだけだよ」
 静弥ちゃんの背中を蹴飛ばして、アタシは静弥ちゃんの家を後にした。







 「あ゛ーー」
 叫び過ぎて声は枯れるわ、アナルビーズは抜けるわ最悪だ。
 いやアナルビーズは抜けて、良かっただろうがよ。
 蔵にぶち込まれてから、どれくらい経ったんだろうか。
 二時間くらいか? そんなに経ってないか? 一時間半くらい?
 暇を持て余した俺は床に乳首や男性器を擦り付けてみたりしたけど、余りの痛さに秒でやめた。
 一番痛いのは、心だけどな……。
 あいつ、本当に意味が分からねえ。あいつの行動で一喜一憂してるのが、馬鹿らしく思えて来た。
 同じ場所に居て同じことを経験しても、心は通じ合わないのかな? それって遠くに離れてるより、しんどくないか?
 今回のあいつの地雷スイッチは
・俺が勝本たちを、気にしたこと
・静弥に、頭がおかしいと言ったこと
・お前がそんなんだから、イジメられんだよと言いかけたこと
 下二つは自分でも、してはいけない発言だと思う。俺なりに、反省した。
 勝本たちが暴れた件は、気になるだろ。
 あの優しい勝本は居ないと、見切りをつけた方がいい。
 過去に縛られず、今を生きた方がいい。
 こんな時が止まっているような閉塞した村に生まれたから、勘違いしちゃうんだよ。
 永遠が、あるんじゃないかって。
 きっと、静弥もそうだ。
 ガキの頃の俺のまま、永遠に変わって欲しくない。って、思っている。
 無垢で無知で無限大の可能性があったあの頃の俺を、求めているんだ。
 過去になんか、戻れやしないのに。
 ギィ……。重苦しい男が鳴り、蔵の扉が開いた。
 蔵の扉の前に昼間に買った、HUの紙袋を持った静弥が居る。
「ひかる君、ごめんね。僕、酷いこと、した」
 こちらに近寄って来て、屈んで俺の頭を撫でる静弥。
 静弥の顔面は蒼白で、ガタガタと震えている。
 まるで死体でも見つけたかのような、リアクションだ。
「お前俺のこと、どうしたいの? 斧で襲ったり、あんなショーツ与えたり、蔵に押し込めたり。次はチェーンソーで、俺の首を斬り落としたりすんの?」
「うえっ、あっ……今の篠塚 晄を殺したら、昔のやさしいひかる君が出て来てくれると思って」
「…………ハ?」
 人を殺したら、当然死ぬ。小学生でも、分かるだろう。
 何言ってんだ、コイツ? 
 アレか? ゲームみたいに重傷を負っても回復薬で傷が治って、戦闘不能になっても復活薬で戦えるようになるとか思ってんのか?
 ゲーム脳って、やつか? 老害が喜びそうな、若者のヤバい思考のネタかよ。
「今の篠塚 晄君も小指の先くらいは好きで、分からなくなっちゃって」
「割合少なっ! 分からないのは、俺の方だよ! 昔の俺も、今の俺も俺だよ!!」
 つまりこいつに今の俺を好きになって貰わないと、死亡ルート確定ってことか?
 人生って運任せだわ、やり直しがきかないクソゲーだと思っていた。
 神様は、なんて非情なんだろう。こんな、ミッションを追加するなんて。
 沼黒 静弥君に今の俺を愛して貰わないと、殺されちゃうルート(仮)入るなんて……。
 ハードモード過ぎんだろ……。
 スマホゲームで言うなら、超高難易度コンテンツだろう。
 課金勢が限定ガチャの☆5キャラで暴れさせて、攻略出来る難易度のアレだ。
「ヒカル君には、分からないよッ……!」
 そう言って国民的アニメ映画のキャラクターみたいに、大粒の涙を流す静弥。
 泣きたいのは、こっちだよ! 馬鹿野郎!
「次やったら、本当に別れるから」
「はい」
「本当だからな! もう流されないから! フリじゃないから!」
 静弥が鋏で手首の結束バンドを切り、次は足首のガムテープを切る。
 ジョキジョキジョキ。鋏の切断音が、響く。
 無事に足の拘束も解かれて、立ち上がり、服を着ようとHUの紙袋に手を伸ばした時だった。
「おンぇッ!? エっ!?」
 聞き覚えのある低い声が、蔵に響く。
 扉の前には智顕が居て、智顕の後ろには歩夢が居る。
 歩夢は腕を前に回して「お前はバブちゃんだから、見ちゃダメだ」と言って、己の掌で智顕の目を隠した。
 全裸姿の俺。あんな発言をした静弥。床に転がったアナルビーズに、結束バンドとロープとガムテープの残骸。
 俺が歩夢の立場でも、そう思う。
「誤解! 誤解だから! 違うから! そんな趣味ないから!」
「大丈夫だって……リスナーに、バレさえしなけりゃ。下手な風俗嬢と繋がるより、マシだし……うん。良いと思うよ」
 悟りを開いた、歩夢の目。もう諦めの境地に、入っている。
「俺の話、聞けよ!」
 静弥が俺の名前を呼んだので「なに?」と、振り返る。
「お友達が来てるんだから、お洋服着ましょうね」
 静弥の細い指が、俺の脇腹を撫でる。指は徐々に上に上がって行き、このままじゃ二人の前で乳首責めを公開してしまうッ!
「誰の所為だと思ってんだよ! あと俺、怪我人なの!! 無茶苦茶しやがって!」
 静弥の背中にパンチを入れると入れると「あっ……」と、上擦った声を上げた。
 歩夢はいつもからは想像のつかないモゴモゴとした籠った声で「お楽しみ中のところ悪いんだけど」と、割り込んで来た。
「本当に、ごめん。帰れなくなっちゃって、一晩泊めてくれない?」
「なんだよ。ガス欠でも、起こしたのか?」
「こんなに街灯がないって思わなくって、引き返したんだよ。急カーブ多いし、事故る訳にはいかないだろ」
 昼間は明るくて、気にも留めてなかった。
 歩夢は息を吐きながら、そう言った。
 身内が田舎あるあるをやらかしていて、面白い。
 服を着ながら、ゲラゲラと声をあげて笑ってしまった。
 これは本当にあるあるで、夏場とか特に多い。
 キャンプや川遊びにやって来た若者が日が暮れてからいそいそと帰り支度を始め、車を運転して数十分経ってからやっと気付くのだ。
「なんか、街灯……少なくね?」
 と。
 しかもこの山道だ。歩夢が言うように急カーブで単純に車を走らせにくいし、何より木々で視界が悪い。
 静弥が「良いですよ」と、短く言う。
 てっきり嫌がるかと、思っていた。
「都会の人が、夜間に運転出来る道じゃないし。千人(せんじん)滝の犠牲者を、増やしたくありませんし」
 千人滝は、名前通りの深い滝だ。滝壺の深さは約十メートルあるとされ、数年に一回は車道のカーブを曲がり切れなかった人間が落ちている。
 千人の命を吸い込んだから、千人滝なんて名前がついたらしい。
「本当に、ありがとう。今度、お礼する! 何でも、言って」
 人のいい笑顔を浮かべて、静弥の手を握る歩夢。
 こいつに「何でも、言って」とか、言うもんじゃないぞ。何を要求されるか……。
 歩夢の手から解放された智顕は、屈み込んでアナルビーズを凝視している。
「コレ、なんのおもちゃ? 流行ってるの?」
 なにこの、ベタな展開。BL漫画の、鈍感受けかよ。
「お前、わざと言ってんのかよ! 分かれよ!」
 あああッ……。己の口から出た言葉は言葉で、BL漫画くさい。
「分かんない。ムチ?」
 智顕はアナルビーズを思い切り、俺の腕に叩き付けた。
 寝巻き代わりにトレーナーを着てるとは言え、痛いもんは痛い。
「新品の服を、大腸菌で汚すな!! 殺すぞ!!」
「どヒーッ!! ンッフフフ!」
 歩夢よ。腐女子みたいな笑い声を、あげんな。
 歩夢の笑い声を掻き消すように、獣のような老婆の雄叫びを風が運んで来た。
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