泥中の光

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幕間 静弥side三弾

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 久々に父親と会ったのに、なんの感動もなかった。
 こんなに年を取ってたっけ? そんな疑問が沸いたり、白髪が増えたな。なんて感想も抱かなかった。
 予想通りの姿だったと、言う訳でもない。
 父親の姿を見て、父親か。と、すぐ納得が出来たのだ。
 そんな父親は横で紫煙を吹かしながら、ハンドルを回している。
 スピードは速いし、車はガタガタ揺れるし、曲がる時にウインカーを出さない。
 相変わらずの、雑な運転。
 車内のラジオはラッパーがMCを務める番組が流れていて、出されたお題をテーマにみんなしてラップを披露している。
 父親は「即座に思いつくの凄いよなあ。地頭が良いんだろうな」とか、感動していた。
 地頭が良いって、何の特技もない人を褒める言葉でしょう。
 何も考えずにその場のノリだけで、発言する人種たち。
 苦手だ。ずっと、苦しめられて来た。
「俺ん家、来るか?」
 そう言いながら父親は、左手で僕の髪の毛をわしゃわしゃと撫でた。
「別になんでも」
「お前、本当可愛げないよなー。行きたいって、言えよ」
 だって貴方に、微塵も興味がないんだもの。
 それなのに、どこかで繋がるものがあるかもしれない。なんて、期待してしまう。
 もう誰にも、期待しない方が楽になれるのに。
 この人が、僕に愛情をくれる訳がないのに。
 車内で父親と何を話したかすら、覚えていない。







  父親が借りてるマンションは、三階建ての白い建物だった。
 駐車場はなく駐輪場だけあり、月極駐車場から歩いて五分くらいの距離にマンションはあった。 
 天谷駅からは、徒歩十分くらいだろうか。
 月極駐車場の近くには、床屋さんと自販機と一軒家がポツポツとあった。
 自販機は有名メーカーので、それだけで天谷市は都会だと思えた。
 マンションの入り口にはアーチ門があって、アーチ門の上には「アース ホームズ アマタニ」と、書かれた銀色の看板がついていた。
 父親の借りている部屋は一階にあるようで、マンションの細長いコンクリートの通路を進んで行く。
「言っとくけど男の一人暮らしだから、期待すんなよ」
 一○四とナンバープレートが貼られた部屋の扉の前で、父親が念を押して来た。
 自分の父親ながら、本当に笑える。
 部屋の電気は点いていて、なんとなく嫌な予感が働いた。
 僕の人生で良い予感がしたことはないに等しく、悪い予感しかない人生だけどほぼ全部的中しているのだ。
 部屋のドアを開けて最初に目についたのは、下駄箱の上に置かれた五十センチメートルくらいの水槽だった。
 水槽は水草や流木や石で彩られていて、苔など生えてないから定期的に掃除をしているのだろう。
 この水の世界を、素直に綺麗だと思えた。
 小さな水槽を自在に泳ぐ、たくさんの熱帯魚たち。
 熱帯魚は全て同じ品種で、透明な身体に蛍光ブルーと蛍光赤の横線が走っている。
 一匹一匹違うのだろうが精密な間違い探しのようで、見ているだけで不安に駆られてしまう。 
「ネオンテトラ」
「そう。綺麗だろう」
 父親はそう言って、水槽の横に置かれた筒形の小型熱帯魚用の人工餌を僕に渡して来た。
「え、」
「餌、あげてくれよ」
「わ、分からないよ」
 熱帯魚、飼ったことないし。そう付け加えると「そんなもん、適当でいいって」と、言われてしまった。
 父親は靴を脱いで、廊下を真っ直ぐに歩き奥の部屋へ進んで行く。
 小さくても、命だ。この小さな命は、父親に委ねられているんだ。
 水槽に入れる餌の量が少ないと、ご飯にありつけない子が居るかもしれない。
 逆に入れる量が多いと、ネオンテトラ達が肥満になって病気をしてしまうかもしれない。
 適量を調べようとクラッチバッグを開けて、スマートフォンを持って来ていないことに気が付く。
 餌の蓋を開けて、粉薬くらいの量を蓋に流し入れた。
 蓋に盛り付けられた餌を、水槽に流し入れる。
 餌を元の位置に戻して、初めて気が付いたのだ。
 玄関に脱ぎ散らかされた、踵が踏み潰された薄い桃色のパンプスに。
 まるでタイミングを見計らったかのように、奥の部屋から言い争う声が聞こえる。
 僕は靴を脱いで端の方へ揃えて置き、喧騒の部屋の様子を伺うことにした。
「来るなら、一言連絡してよ」
「誠君だって、勝手に来るじゃん!」
「今日は、本当に無理だから! 帰ってよ」
「リナ酔ってるんだよ!? 一人で帰すの、酷くない!?」
 リナさんの声はすごく若くて、僕と同世代かもしれない。
 奥の部屋の真ん中にガラスが埋め込まれた茶色い扉が勢い良く開いて、リナさんが大股でこちらへやって来る。
 明るい茶色のロングヘアーの、僕と同世代の女の人だ。
 リナさんは薄い桃色の生地に苺の模様が散りばめられたワンピース型の寝巻きを着ていて、真新しいことから相当楽しみにしていたのだと思う。
「誠君、この人、誰!? 会社の人?」
「あー、ウン」
 父親が視線で、話を合わせろ。と、圧をかけて来る。
 本当にその場その場でしか、言葉を選ばないんだ。
 目の前に居る人を満足させたら、それで良いって? ラッパーと、一緒じゃないか。
 親子関係を否定される、僕の気持ちなんて考えないんだね。
「誠さんと、似てる~! 仕事出来るんだろうな」
 だって、親子だもの。腹立たしいことに、血が繋がってるんだもの。
「リナちゃん、そんなことないよ~。こいつコンサルの癖に口下手で、成績悪いの! だから、俺がずっと面倒見てあげてんの」
 よくもまあ、こんなに嘘をペラペラと話せるよね。呆れてしまう。
 嘘だから僕のことをなんとも思ってないから、舌が回るのだろうか。
「若いのに結婚相談所のコンサルタントなんて、すごーい」
 リナさんは玉のように輝いた瞳で、僕を見て来た。
 思わず、吹き出してしまう。
 まともな結婚生活を送ってない癖に、どんな感情で働いてるの? これだけ他人の気持ちを慮れないのに、どうやってお客さんと話しているの?   自分の息子と同じくらいの年齢の女の人と、恋愛してて虚しくならないの?
「え、てか。かっこいい~。名前、なんて言うんですか~?」
 そう言って、リナさんは僕の手を握って来た。
 小さくて柔らかい手。男の僕とは、大きさも、柔らかさも、温度も、何もかも違う。
 爪のラメが入ったマニキュアが、照明に反射して眩しい。
「……や」
「え?」
「沼黒 静弥。そっちの人の息子」
 ひかる君の名前を騙るなんて、烏滸がましくて出来ない。雲雀丘君は癪だし、沢井君は僕には勿体なさすぎる名前だ。
 父親は、露骨に狼狽えている。
「は!? 誠君、既婚者だったの!? サイテー!!」
 頭のネジが外れてそうなのに、意外とまともな貞操感あるんだ。この人……。
 父親の村を焼いた人間でも見るかのような、視線が突き刺さる。
 僕は逃げるように、その場から去った。







  マンションから歩いて数分のところに古びたインターネットカフェがあり、そこに泊まったのだ。
 時間は、深夜の二時を過ぎていた。
 インターネットカフェの存在は知っていたけど、利用するのは初めてだった。
 そのインターネットカフェはお洒落とは程遠くて、鍵がなく中国のトイレみたいに薄い板で仕切られているだけの施設だった。
 たった一つしかないシャワールームは清掃中の看板が立てられていて、髪を刈り上げて髭を生やした店員さんに「いつ頃、清掃終わりますか?」と聞いたら、
「あー。大便と嘔吐物が漏らされてたんで、消毒するんで、結構時間かかります」と、返されてしまった。
 この人に聞いても埒が明かそうなので、僕は受付カウンターへ向かうことにした。
 インターネットカフェの広場にはテレビで見たソフトクリームマシンは無く、ドリンクバーからは生温いドリンクしか出てこない。
 置いてある漫画のラインナップも平成時代に流行った僕でも知ってる作品ばかりで、時代に取り残されたようだ。
 受付カウンターの大学生くらいの男女の店員さんは、楽しそうに談笑している。
 今聞いたら、会話が止まってしまうな。
 僕は自分の指定された場所に戻り、リクライニングチェアに腰を下ろす。
 右側の方からはカップルがセックスしているのか、女の人のわざとらしい喘ぎ声が聞こえる。
 左側の真横のスペースからは、おじさんの声が響いている。
 おじさんはインターネットで無料のアダルトビデオでも見ているのか、アダルトビデオに合わせて野太い声で
「中に出すよ、あいみ!」と、叫んでいる。
 腰を上下に、動かしているのだろう。
 ドスドスとリクライニングチェアが、音を奏でている。
 神様はどうしても僕を、憂鬱な気分にさせてはくれないらしい。
 どいつもこいつも性の悦びを知っちゃって、浮かれて、はしゃいで、馬鹿じゃないの。
「うるせえ! お手洗いで、大便して、寝ろ!!」
 僕の人生で、一番大きな声を出したかもしれない。
 左側の衝立にはクラッチバッグを、右側の衝立には財布を投げつける。
 叩きつけられたクラッチバッグと財布は床に散り、また物悲しくなってしまった。
 僕だって、ひかる君としたい。愛したいし、愛されたい。受け入れたいし、受け入れられたい。
 この感情はみんな同じ筈なのに、どうして僕はみんなの中へ入れないんだろう。







  朝九時に目が覚めた。眠ったと言うよりは、浅いまどろみを繰り越しただけのように思う。
 太陽は雲に隠されていて、何処かで雨が降り出しそうだ。
 今からアルバイト先へ行っても、完全に遅刻だな。
 行かないよりマシかな? と、駅に向かおうとしたら、父親がインターネットカフェの前の電柱に背を預けて僕を待ち構えていた。
 わざわざ待ち伏せしていたのか……。
 インターネットカフェの店員さんと仲が良いらしく、僕が泊まっているか聞いたらしい。
「静弥~。さっきは、ごめんて」
 わざとらしく顔の前で、手を合わせてみせる父親。
 僕は父親を一瞥して、父親の前を通り過ぎる。
「だから、機嫌直してって。誕生日プレゼント、買ってあげるからさ」
 どうしてこの人は、こんなにも人の心を土足で踏み荒らせるのだろう。
 誕生日プレゼントに欲しい物なんて、決まっている。
 ひかる君が、欲しい。心も体も、欲しい。
 ひかる君がなんで怒ったのかは、正直分からない。
 僕がまた間違えてしまったことだけは、分かった。
 ひかる君の気持ちが分からなくて、ごめんなさい。僕がもっと普通だったならば、君の気持ちが分かったのに。
 だけどひかる君が、あんなに強い感情をくれたのは初めてだったから、嬉しい自分も居る。
 父親に小さな喫茶店に連れて行かれた後、瀬良市のショッピングモールにまで連れて行かれた。
 父親に何度も「アルバイト先に電話したいから、スマートフォンを貸して」と言っても、聞き入れて貰えなかった。
 全然好みじゃない若者向けのストリート系ファッションの店で服を試着させられて、試着した洋服を買われてしまった。
 挙句そのまま着るからタグを切って下さい。なんて父親が言い出して、似合ってもないストリート系の蛍光グリーンのパーカーに灰色のシャカシャカなるズボンに着替えさせられたのだ。
 試着室の姿見に映った自分は、お洒落に目覚めたそれこそラップバトルをWeeTubeで見ている中学生みたいだった。
 鼻の穴に牛のようにイヤリングを通している店員さんは「よくお似合いですよ~」と言っていて、目玉と脳みそがついてないのかと心配になる。
 昼食はショッピングモールのレストラン街が混んでいたから、郊外の国道沿いのビルの地下にあるお店まで連れて行かれたのだ。
 昼は洋食のレストランで、夜はバーに変わるらしい。
 狭いコンクリートの階段を降りて、重たい鉄の扉を開けると瀟洒な店内が広がっていた。
 高い天井は解放感があり、天井から垂れ下がっているアンバー色のペンダントライトが落とす陰すらもお洒落だ。
 壁一面を埋め尽くすように並べられた棚には、ワインボトルや造花が並べられている。
 こんな場所に居て、場違いじゃないかと言う不安に襲われた。 
 店にはなんの偶然か、蓮君がご飯を食べに来ていた。
 蓮君と話すことによって、僕はいつも通りの呼吸を思い出したのだった。
 呼吸が乱れたきっかけは、父親の何気ない発言からだった。
「静弥。お前、料理上手いな」
 カウンター席の右隣に座った父親が、ボロネーゼをフォークに巻きながらそう言った。
「え、なんのこと」
「またとぼけちゃって。この間、カレー作ってただろ? アレ、美味かったよ」
 この間と言うと、子供の日のことかな。
「それ、ひかる君だよ」
「え!? あのストーカー!? お前さ、マジで目覚せって」
「違う! ひかる君は、そんなんじゃない。僕の恋人だもん! あんなこと、遊びでしない!」
 父親の顔はみるみる青くなり、左隣に座った蓮君は飲んでいたレモネードを吹き出した。
「え、ちょっと待って。それって、ゲイってこと? 嘘でしょ……。偏見ないつもりだけど、自分の息子となると、話は違うって言うか」
 父親の脳みそでは、自身の感情を言語化出来ないようだった。
 僕は、追い討ちをかける。
「年少さんの頃から、好きってお父さんにも言ってたよ!」
「そんなの本気だって、思わないだろ。勘弁してよ……」
 なんでだよ。今までずっと僕のことを放置した癖に、そんなところだけ口出すんだ。
「ひかる君に、蹴ったこと謝って! 僕のこと、いくらでも蹴ったら良いから」
「え? いや、意味分かんないんだけど……」
 父親は、愛が分からない。言葉が、通じない。
 別に今に、始まったことじゃない。
 お父さんなら、分かってくれるかもしれない。なんて、期待した自分が悪い。
「ご馳走様」
 それだけ言って僕は席を立った。滴る涙を拭かずに、店を飛び出す。
「や~い。負け犬~。お前、そんなんだから底辺なんだよ」
 父親の言葉なんて、聞かないし、聞こえない。  
 いつの間にか、雨が降り始めていた。
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