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三話
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「なんかスゲーって感じ。Domの命令って、効くんだなって」
我ながら語彙力が無くて、恥ずかしい。ヤベーって言わなかっただけ、自分の中ではまだマシだと思ったが本好きの静弥からしたら呆れられたかもしれない。
「ああ……そうですか」
静弥の顔から笑顔が消えて、仏頂面に逆戻りした。
(え、なんで?)
静弥が奥側のソファーに腰を下ろしたので、晄も手前のソファーに腰を下ろす。
「篠塚君。抑制剤とか、飲んでらっしゃいます?」
「あーハイ。なんか、長い名前の……」
急に言われても、パッと薬の名称が出てこない。
晄はボディーバッグからお薬手帳を出して、広げて見せた。
「結構、重ための飲んでらっしゃるんですね」
「そう……ですね。ちょっと事情あって、定期的なプレイ出来ないんで」
「ああ。配信者さんですものね」
「知ってんのか!?」
自分で言うのもだが『トリニティ』は、ダンス系の配信者の中なら人気はかなりある方だと思う。
しかし現代社会でトレンドは細分化されており、その界隈に居ない人間からしたら知らないも同然なのだ。
晄がハンドメイド界隈のインフルエンサーや読書系配信者の有名人を知らないように、静弥も知らないだろう。と、思っていた。
「有名ですから。山南村から出た、最初の有名人だって」
「はは……」
山南村のWikipediaは、びっくりするくらい内容がない。
カーナビで見た村の地図も国道くらいしか書き込みがなく、子供ながらに過疎っぷりに気付いていた。
「話を戻しますが、薬の副作用を感じたことは?」
「あります。身体が重い感じとか、頭働かない感じとか……」
静弥は「これだけ重たいのを飲んでたら、そうでしょうね」と短く頷いた。
抑制剤の言葉通り、ダイナミクスが持つ「欲」を抑え付けて制御する薬だ。薬の説明用紙にも、そう書いてある。欲を減らすことはつまり、思考力を低下させることでもある。
プレイをしにくい晄にとっては、自身の欲を減らす為に抑制剤を飲むしかないのだ。
「多分蓄積された『Sub』の欲求からの、身体の不調があるかと思います。定期的にここへ通院するのをお勧めしますが、一週間後来れそうですか?」
「ああ……うん。今日みたいな時間なら」
毎週火曜日は大学の授業がニ限までしかないので、都合が良いのだ。
「良かった。お手数ですが、受付で予約して貰えますか?」
「……はい」
スマホで時間を確認すると、受付時間から二十五分が経過していた。
一人あたり三十分。その時間は余りに、短い。
何か、何か話さないと。沼黒 静弥の心に、ちょっとでも残りたい。
向こうからしたら仕事でしかないと分かっているけれど、今日の再会を偶然から運命に一歩でも近付けたい。なんて、烏滸がましいことを晄は考えた。
「今日は、ありがとう。会えて、嬉しかった……」
静弥は目を瞬いて、細い首を傾げた。
なんで、そんなことを言うんだろう? そんな純粋な疑問の眼差しを、向けられている気がする。
(恥ずっ……! やっぱり沼黒君は、俺のことなんとも思ってないんだ!)
そう思った瞬間に、晄はたちまち惨めな気分になった。
小学校の頃に算数の計算を間違えて答えた時の、クラス中の突き刺さるような視線を思い出した。
「篠塚君は」
「うえ、はい」
「症状が落ち着いたら、やってみたいことはありますか?」
「え、あ、ほ、本、読んだり?」
って言うのは、建前だった。静弥の心に、少しでも近づく為の。
慢性的な体調不良の所為で、諦めていることは沢山ある。
映画を梯子して観てみたり、サイクリングに出掛けることや、キャンプとか。小さなことも含めたら、もっとあるだろう。
「良いですね」
そう言いながら、静弥は自前のリングノートのページを一枚千切って何か書き始めた。
熱心に、丁寧に、静弥は文字を綴っていく。
「僕のおすすめの本のリストです。参考になれば」
罫線内にピッタリと収められた、教科書のフォントのような字。余りに精密すぎて、晄は本当に同じ人間がこの文字を書いたのかと信じられなかった。
「あ、ありがとう……」
お礼を短くも明るい声で言って、メモを晄は受け取った。
静弥の手を無意識に見ると、細長い指に赤線のようにひび割れがいくつも走っている。
(沼黒君、皮膚弱いんか?)
こんなことを知れたくらいには、今日一日で進展した気がする。今までは、他人でしかなかったのに。
晄は丁寧にリングノートの端と端が重なるように折り、財布の中へ入れた。
この紙は、絶対に無くさないようにしよう。
静弥と自分を繋ぐ、唯一無二のものだから。
*
駅前のスーパーで買い物を済ませてから、スーパー内にある本屋に晄は向かっている。
普段来ないスーパーは、ちょっとした冒険気分でワクワクする。小学校の頃の遠足みたいで、ただの日用品の買い足しなのに晄はウキウキした。
そのウキウキの理由は、少なからず体調が良いこともあるだろう。
今日は良い気分で、ご飯が食べられそう! と、奮発して冷凍食品の蟹クリームパスタと、冷凍食品のフライドポテトと、缶酎ハイのレモンサワーと、食後のデザートにプリンも買った。
一日の食費をオーバーしているが、今日くらいは贅沢しても良いだろう。
エレベーターの窓から覗く景色ですら、輝いて見えた。
高揚した気分のままエレベーターから降りて、本屋へ向かおうと足を踏み出した丁度その時だった。
エレベーター前ホールに、待ち構えるように携帯ショップの男性店員が籠を肘に持ちながら立っていて、視線が合うなり笑顔で近付いて来た。
(ポケモントレーナーか、お前は)
男性店員は早口で「お得な」とか「安く」を強調しながら、スマートフォン乗り換えキャンペーンの説明をし始める。
晄は適当に首を横に振りながら、ポケットティッシュだけ貰い、ボディーバッグに仕舞った。
男性店員は「いつでも来店、お待ちしてます~!」と、それこそ一昔前のゲームのキャラのCGのような笑顔で晄に手を振った。
この一方通行なコミュニケーションも、ゲームのNPCっぽい。
白い通路をしばらく進むと、本屋が見えて来た。
本屋の入り口にはクリスマスツリーが飾られていて、顔の塗装が剥げたサンタクロースの人形とか鼻の飾りが千切れたトナカイのぬいぐるみが吊るされている。
スーパーのBGMは慌てん坊のサンタクロースが流れていたのに、本屋に入った瞬間にスタジオジブリのオルゴールアレンジが流れている。
このウキウキするBGMと言い、本屋って言う空間が好きだ。
晄はニコニコしながら、本屋に足を踏み入れた。まるで、ダンスのステップを踏むように。
静弥がおすすめしてくれた小説の中で、一つ気になるものがあった。
今年の春に実写映画化された、短編ミステリー。
短編集ならば読みやすいし、この本の感想動画をアップロードしたらそれなりの再生数も期待出来る。
乗るならば映画が上映していた春に動画を撮るべきだったのだが、その時は本を読む気分じゃなかったのだ。
(また沼黒君と会った時に、話す話題も欲しいし……)
目当ての本を探す為にぶらぶらと店内を歩いていると、艶のある闇夜のような髪の男が目についた。
すらりと細い身体に、ラインが整った横顔、頭の形に沿った漆のような髪。
小さな顔を半分ほど覆うようにつけた不織布マスクのせいで気付くのが遅れたが、間違いない。
(え、ぬ、沼黒君!?)
さっきの今で再会とは、急展開過ぎる。
時刻は夕方五時半過ぎだから、定時退社した後くらいか。
晄が声を掛けるかどうか逡巡しながら、静弥の様子を観察する。
静弥は新刊の文芸コーナーの前に居て、平積みされた本に手を伸ばすのと引っ込めるのを繰り返していた。
買うか買うまいか、悩んでいるのだろうか。
今時ハードカバーの小説は二千円超えが当たり前で、その金額を払って面白くなかったら晄は大分とショックを受ける。
買う! と即決出来ないのは、すごく気持ちが分かる。
(ん……?)
静弥の手には、透明なビニール手袋がつけられている。
晄のアルバイト先で使っているような、使い捨ての薄い手袋だ。
まだそこまで寒くないのに、手袋を……? いや寒いなら、もっとちゃんとした手袋を使うだろう。
(どういうこと?)
なんとなく不気味に感じてしまって、晄は自分の目当ての小説を探そうと新刊コーナーから立ち去ろうとしたその時だった。
「ねえ、見て。また来てるよ、あの人」
「あー。あの潔癖症の? そんなに、綺麗好きなら、本屋なんか来んなつーの」
商品の陳列と補充をしている、大学生くらいの女性二人が嘲笑っている。
二人の言葉から察するに、静弥はここの常連なのだろう。
毎回こんな様子なのも、想像出来た。
店員二人の話し声が聞こえたのか、静弥は逃げるように本屋を去って行く。
その背中は、彼の人生の悲壮感を示していた。
ずっと一人で、哀しみの海を当てもなく揺蕩っているように見えた。
「……あれ」
床にICカードタイプの定期券が、落ちている。
刻印されている駅名は「ダイナミクス保健所」の最寄り駅と、ここから五つほど離れたベッドタウンにあたる町の駅名だった。
期間は半年分で、先週更新したばかりのものだった。
これを落とすのは、かなり痛いだろう。約五万円をドブに、落とすようなものだ。
刻印された名前は、沼黒 静弥。
先程慌てて逃げ去った時に、落としたのだろう。
晄は定期券を拾い上げようとするも、定期券に触れる寸前で手を止めた。
(店員が、潔癖症って言ってたよな……。触らない方が良いよな……)
ボディーバッグのファスナーを開き、先程携帯ショップの店員から貰ったポケットティッシュを二枚取り出す。
ティッシュの一枚は定期券に被せるように床に置き、もう一枚は広げて被せたティッシュごと定期券を包んだ。
そのまま定期券を持ち上げて、晄は駅へ向かって走り出した。
ただの偶然かも、しれない。必然なんて思うのは、自意識過剰だとも思う。
だけどここで届けないと、静弥とは何も進展しないだろう。
(俺が放置して、あの意地悪な店員の手から受け取らせるのも可哀想だし……)
こんなに、軽い足取りで走れたのはいつぶりだろうか?
野山を駆け巡っていた、小学生以来かもしれない。
靴の中に大量の砂を入れ、背中にたくさんの葉っぱをつけては母親に叱られた遠い少年の日のあの時ぶりだ。
あの時みたいな、ワクワクした気持ちで晄は走っている。
覚えたてのタップダンスのステップを、踏むかのように。
*
案の定、静弥は駅で立ち往生していた。
丁度帰宅ラッシュの時間と言うこともあり、駅のコンコースは混雑している。
大都市と言うほどの市ではないが、有名飲料メーカーの本社があったり、老舗弁当屋の工場や、街の外れにショッピングモールもあるので、社会人の出入りが多い町だと思う。
そんな人混みの中でも、静弥は一際目立っている。
(やっぱ、キレイなんだよな……)
この場に居る女性の大半以上が晄と同じことを思っているのか、彼女達の視線が静弥一点に集中している。
当の静弥は本人は定期券を落としたパニックから、職場やさっきの本屋に落ちてないか問い合わせるも「落ちてない」と言う回答を得て落胆し切っている。
ビニール手袋は捨てたようで、切符を買うにも券売機のボタンを押すのは抵抗があるようだった。
「ぬ、沼黒君っ……!」
晄は声を張り上げて、静弥を呼ぶ。
静弥は肩を跳ね上がらせながらも、こちらを振り返り晄の顔と手の先にあるティッシュを凝視した。
「篠塚君。どうしたの?」
「ほ、本屋に、定期券落ちてたから! と、届けに! 俺! さ、触ってないから!」
我ながら、酷く吃っていて恥ずかしい。挙動不審とは、こういうことを言うのだろう。
いきなり自己弁護したのも、相手に失礼かもしれない。
「え……」
静弥の声音は震えていて、これから母親に叱られることを察知した子供のようだった。
「地べたに落ちてたから、嫌ならアルコールしてくれても、良いし!」
自分で言いながら、まるで責めたてるような言い方をしてしまった。と、反省した。
まるでお前が普通の人が気にしないことを気にするから、わざわざこんな手間を取っているんだぞ。と、言わんばかりの言葉選びだ。
その証拠に静弥は俯き、晄と目を合わせようともしない。
「怒ってないし、面倒臭いとも、キモいとも思ってない、から」
絞り出すようにそう言ったものの、静弥は顔を上げない。
「ごめんね、気を遣わせて」
静弥はそれだけ言ってティッシュに包まれた定期券を受け取り、逃げるように改札を通って行った。
「え……」
折角拾ってやったんだから、もっと感謝しろよ! とかそこまでの厚かましいことは、思わない。
だけど、あの本屋の店員達の言葉を聞いた時のように、逃げられたのはショックだった。
特別な相手と思っているのは自分だけで、静弥からしたら本屋の店員達と同列なのかもしれない。
(そうだよな。俺がごっこ遊びに誘ったから、村であんな扱い受けたんだ。さっきはああ言ったけど、恨んでるに決まってるよな……)
どうしたら、この十字架を償えるのだろうか? 晄は雑踏をぼんやりと眺め、みんなそれぞれの人生の中で俺みたいな罪を背負っている人間はどれくらい居るのだろうか? なんて、思考の渦潮に呑まれてしまった。
我ながら語彙力が無くて、恥ずかしい。ヤベーって言わなかっただけ、自分の中ではまだマシだと思ったが本好きの静弥からしたら呆れられたかもしれない。
「ああ……そうですか」
静弥の顔から笑顔が消えて、仏頂面に逆戻りした。
(え、なんで?)
静弥が奥側のソファーに腰を下ろしたので、晄も手前のソファーに腰を下ろす。
「篠塚君。抑制剤とか、飲んでらっしゃいます?」
「あーハイ。なんか、長い名前の……」
急に言われても、パッと薬の名称が出てこない。
晄はボディーバッグからお薬手帳を出して、広げて見せた。
「結構、重ための飲んでらっしゃるんですね」
「そう……ですね。ちょっと事情あって、定期的なプレイ出来ないんで」
「ああ。配信者さんですものね」
「知ってんのか!?」
自分で言うのもだが『トリニティ』は、ダンス系の配信者の中なら人気はかなりある方だと思う。
しかし現代社会でトレンドは細分化されており、その界隈に居ない人間からしたら知らないも同然なのだ。
晄がハンドメイド界隈のインフルエンサーや読書系配信者の有名人を知らないように、静弥も知らないだろう。と、思っていた。
「有名ですから。山南村から出た、最初の有名人だって」
「はは……」
山南村のWikipediaは、びっくりするくらい内容がない。
カーナビで見た村の地図も国道くらいしか書き込みがなく、子供ながらに過疎っぷりに気付いていた。
「話を戻しますが、薬の副作用を感じたことは?」
「あります。身体が重い感じとか、頭働かない感じとか……」
静弥は「これだけ重たいのを飲んでたら、そうでしょうね」と短く頷いた。
抑制剤の言葉通り、ダイナミクスが持つ「欲」を抑え付けて制御する薬だ。薬の説明用紙にも、そう書いてある。欲を減らすことはつまり、思考力を低下させることでもある。
プレイをしにくい晄にとっては、自身の欲を減らす為に抑制剤を飲むしかないのだ。
「多分蓄積された『Sub』の欲求からの、身体の不調があるかと思います。定期的にここへ通院するのをお勧めしますが、一週間後来れそうですか?」
「ああ……うん。今日みたいな時間なら」
毎週火曜日は大学の授業がニ限までしかないので、都合が良いのだ。
「良かった。お手数ですが、受付で予約して貰えますか?」
「……はい」
スマホで時間を確認すると、受付時間から二十五分が経過していた。
一人あたり三十分。その時間は余りに、短い。
何か、何か話さないと。沼黒 静弥の心に、ちょっとでも残りたい。
向こうからしたら仕事でしかないと分かっているけれど、今日の再会を偶然から運命に一歩でも近付けたい。なんて、烏滸がましいことを晄は考えた。
「今日は、ありがとう。会えて、嬉しかった……」
静弥は目を瞬いて、細い首を傾げた。
なんで、そんなことを言うんだろう? そんな純粋な疑問の眼差しを、向けられている気がする。
(恥ずっ……! やっぱり沼黒君は、俺のことなんとも思ってないんだ!)
そう思った瞬間に、晄はたちまち惨めな気分になった。
小学校の頃に算数の計算を間違えて答えた時の、クラス中の突き刺さるような視線を思い出した。
「篠塚君は」
「うえ、はい」
「症状が落ち着いたら、やってみたいことはありますか?」
「え、あ、ほ、本、読んだり?」
って言うのは、建前だった。静弥の心に、少しでも近づく為の。
慢性的な体調不良の所為で、諦めていることは沢山ある。
映画を梯子して観てみたり、サイクリングに出掛けることや、キャンプとか。小さなことも含めたら、もっとあるだろう。
「良いですね」
そう言いながら、静弥は自前のリングノートのページを一枚千切って何か書き始めた。
熱心に、丁寧に、静弥は文字を綴っていく。
「僕のおすすめの本のリストです。参考になれば」
罫線内にピッタリと収められた、教科書のフォントのような字。余りに精密すぎて、晄は本当に同じ人間がこの文字を書いたのかと信じられなかった。
「あ、ありがとう……」
お礼を短くも明るい声で言って、メモを晄は受け取った。
静弥の手を無意識に見ると、細長い指に赤線のようにひび割れがいくつも走っている。
(沼黒君、皮膚弱いんか?)
こんなことを知れたくらいには、今日一日で進展した気がする。今までは、他人でしかなかったのに。
晄は丁寧にリングノートの端と端が重なるように折り、財布の中へ入れた。
この紙は、絶対に無くさないようにしよう。
静弥と自分を繋ぐ、唯一無二のものだから。
*
駅前のスーパーで買い物を済ませてから、スーパー内にある本屋に晄は向かっている。
普段来ないスーパーは、ちょっとした冒険気分でワクワクする。小学校の頃の遠足みたいで、ただの日用品の買い足しなのに晄はウキウキした。
そのウキウキの理由は、少なからず体調が良いこともあるだろう。
今日は良い気分で、ご飯が食べられそう! と、奮発して冷凍食品の蟹クリームパスタと、冷凍食品のフライドポテトと、缶酎ハイのレモンサワーと、食後のデザートにプリンも買った。
一日の食費をオーバーしているが、今日くらいは贅沢しても良いだろう。
エレベーターの窓から覗く景色ですら、輝いて見えた。
高揚した気分のままエレベーターから降りて、本屋へ向かおうと足を踏み出した丁度その時だった。
エレベーター前ホールに、待ち構えるように携帯ショップの男性店員が籠を肘に持ちながら立っていて、視線が合うなり笑顔で近付いて来た。
(ポケモントレーナーか、お前は)
男性店員は早口で「お得な」とか「安く」を強調しながら、スマートフォン乗り換えキャンペーンの説明をし始める。
晄は適当に首を横に振りながら、ポケットティッシュだけ貰い、ボディーバッグに仕舞った。
男性店員は「いつでも来店、お待ちしてます~!」と、それこそ一昔前のゲームのキャラのCGのような笑顔で晄に手を振った。
この一方通行なコミュニケーションも、ゲームのNPCっぽい。
白い通路をしばらく進むと、本屋が見えて来た。
本屋の入り口にはクリスマスツリーが飾られていて、顔の塗装が剥げたサンタクロースの人形とか鼻の飾りが千切れたトナカイのぬいぐるみが吊るされている。
スーパーのBGMは慌てん坊のサンタクロースが流れていたのに、本屋に入った瞬間にスタジオジブリのオルゴールアレンジが流れている。
このウキウキするBGMと言い、本屋って言う空間が好きだ。
晄はニコニコしながら、本屋に足を踏み入れた。まるで、ダンスのステップを踏むように。
静弥がおすすめしてくれた小説の中で、一つ気になるものがあった。
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乗るならば映画が上映していた春に動画を撮るべきだったのだが、その時は本を読む気分じゃなかったのだ。
(また沼黒君と会った時に、話す話題も欲しいし……)
目当ての本を探す為にぶらぶらと店内を歩いていると、艶のある闇夜のような髪の男が目についた。
すらりと細い身体に、ラインが整った横顔、頭の形に沿った漆のような髪。
小さな顔を半分ほど覆うようにつけた不織布マスクのせいで気付くのが遅れたが、間違いない。
(え、ぬ、沼黒君!?)
さっきの今で再会とは、急展開過ぎる。
時刻は夕方五時半過ぎだから、定時退社した後くらいか。
晄が声を掛けるかどうか逡巡しながら、静弥の様子を観察する。
静弥は新刊の文芸コーナーの前に居て、平積みされた本に手を伸ばすのと引っ込めるのを繰り返していた。
買うか買うまいか、悩んでいるのだろうか。
今時ハードカバーの小説は二千円超えが当たり前で、その金額を払って面白くなかったら晄は大分とショックを受ける。
買う! と即決出来ないのは、すごく気持ちが分かる。
(ん……?)
静弥の手には、透明なビニール手袋がつけられている。
晄のアルバイト先で使っているような、使い捨ての薄い手袋だ。
まだそこまで寒くないのに、手袋を……? いや寒いなら、もっとちゃんとした手袋を使うだろう。
(どういうこと?)
なんとなく不気味に感じてしまって、晄は自分の目当ての小説を探そうと新刊コーナーから立ち去ろうとしたその時だった。
「ねえ、見て。また来てるよ、あの人」
「あー。あの潔癖症の? そんなに、綺麗好きなら、本屋なんか来んなつーの」
商品の陳列と補充をしている、大学生くらいの女性二人が嘲笑っている。
二人の言葉から察するに、静弥はここの常連なのだろう。
毎回こんな様子なのも、想像出来た。
店員二人の話し声が聞こえたのか、静弥は逃げるように本屋を去って行く。
その背中は、彼の人生の悲壮感を示していた。
ずっと一人で、哀しみの海を当てもなく揺蕩っているように見えた。
「……あれ」
床にICカードタイプの定期券が、落ちている。
刻印されている駅名は「ダイナミクス保健所」の最寄り駅と、ここから五つほど離れたベッドタウンにあたる町の駅名だった。
期間は半年分で、先週更新したばかりのものだった。
これを落とすのは、かなり痛いだろう。約五万円をドブに、落とすようなものだ。
刻印された名前は、沼黒 静弥。
先程慌てて逃げ去った時に、落としたのだろう。
晄は定期券を拾い上げようとするも、定期券に触れる寸前で手を止めた。
(店員が、潔癖症って言ってたよな……。触らない方が良いよな……)
ボディーバッグのファスナーを開き、先程携帯ショップの店員から貰ったポケットティッシュを二枚取り出す。
ティッシュの一枚は定期券に被せるように床に置き、もう一枚は広げて被せたティッシュごと定期券を包んだ。
そのまま定期券を持ち上げて、晄は駅へ向かって走り出した。
ただの偶然かも、しれない。必然なんて思うのは、自意識過剰だとも思う。
だけどここで届けないと、静弥とは何も進展しないだろう。
(俺が放置して、あの意地悪な店員の手から受け取らせるのも可哀想だし……)
こんなに、軽い足取りで走れたのはいつぶりだろうか?
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あの時みたいな、ワクワクした気持ちで晄は走っている。
覚えたてのタップダンスのステップを、踏むかのように。
*
案の定、静弥は駅で立ち往生していた。
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大都市と言うほどの市ではないが、有名飲料メーカーの本社があったり、老舗弁当屋の工場や、街の外れにショッピングモールもあるので、社会人の出入りが多い町だと思う。
そんな人混みの中でも、静弥は一際目立っている。
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当の静弥は本人は定期券を落としたパニックから、職場やさっきの本屋に落ちてないか問い合わせるも「落ちてない」と言う回答を得て落胆し切っている。
ビニール手袋は捨てたようで、切符を買うにも券売機のボタンを押すのは抵抗があるようだった。
「ぬ、沼黒君っ……!」
晄は声を張り上げて、静弥を呼ぶ。
静弥は肩を跳ね上がらせながらも、こちらを振り返り晄の顔と手の先にあるティッシュを凝視した。
「篠塚君。どうしたの?」
「ほ、本屋に、定期券落ちてたから! と、届けに! 俺! さ、触ってないから!」
我ながら、酷く吃っていて恥ずかしい。挙動不審とは、こういうことを言うのだろう。
いきなり自己弁護したのも、相手に失礼かもしれない。
「え……」
静弥の声音は震えていて、これから母親に叱られることを察知した子供のようだった。
「地べたに落ちてたから、嫌ならアルコールしてくれても、良いし!」
自分で言いながら、まるで責めたてるような言い方をしてしまった。と、反省した。
まるでお前が普通の人が気にしないことを気にするから、わざわざこんな手間を取っているんだぞ。と、言わんばかりの言葉選びだ。
その証拠に静弥は俯き、晄と目を合わせようともしない。
「怒ってないし、面倒臭いとも、キモいとも思ってない、から」
絞り出すようにそう言ったものの、静弥は顔を上げない。
「ごめんね、気を遣わせて」
静弥はそれだけ言ってティッシュに包まれた定期券を受け取り、逃げるように改札を通って行った。
「え……」
折角拾ってやったんだから、もっと感謝しろよ! とかそこまでの厚かましいことは、思わない。
だけど、あの本屋の店員達の言葉を聞いた時のように、逃げられたのはショックだった。
特別な相手と思っているのは自分だけで、静弥からしたら本屋の店員達と同列なのかもしれない。
(そうだよな。俺がごっこ遊びに誘ったから、村であんな扱い受けたんだ。さっきはああ言ったけど、恨んでるに決まってるよな……)
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