紅湖に浮かぶ月

紅雪

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紅湖に浮かぶ月1 -這生-

終章 天秤と憐憫の先

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「予想以上に大きい。」
私の前に聳える巨大な門。人の大きさから考えれば本当に聳えると言う感じだ。
高さ十メートル程、幅五メートル程の木製で重厚そうな扉が観音開きで存在し
ている。
私はそれを少しばかり、ぼーっと見上げていた。

あれから三日、ベイオスの件に関しては特に何も思い出さなかった。ザイラン
から何度か文書通信が来て、何か思い出してないか聞かれたがのが鬱陶しかっ
たが、警察局がベイオスを確保したことで、ハクリオル商会にからまれたって
話はざまみろと思った、
私は食事以外は特に外にも出ず、今日の準備をしていた。食事のついでに駅前
のアンパリス・ラ・メーベで毎回シュークリームを買ってしまうのは、しょう
がないよね。

フレームレス眼鏡、髪はいつものテールアップ、ホワイトのブラウスにコバル
トブルーのジャケット、ベージュのテーパードパンツ、そしてパンプスはいつ
もの鉄鋼入りだけど。
ブラックのショルダーバッグを左肩に下げ、会社員風のコーディネートにして
みた私は、グラドリア王城の城門前に居た。一応、手土産としてアンパリス・
ラ・メーベのシュークリームが入った紙袋を下げて。
私どんだけ好きなんだ。
朝から並んで買ったけど、本店は人が凄かった。
途中でぐちゃぐちゃになるかもしれないけど。
もったいないから食べるけど。
紅月はいつもの腰の後ろ、ジャケットで隠れて丁度見えない。雪華は腰に下げ
られないので、肩から下げ固定する小銃用に作られた革製の鞘に入れている。
左脇腹あたりに。ショルダーバッグの中はもちろん、事務書類などではなく薬
莢やら皮手袋やら入っている。
別に営業に来たわけでもなく、まあ殴り込みと言ったら聞こえが悪いけど、そ
んなところだろうか。とりあえず、あの爽やか青年の皮を被った腹黒リンハイ
アに文句を言ってやらなければ気がすまない。
と、言うより私が前に進むためなのだけど。
ベイオスにやられた肋骨はもうくっついたと思うけど、無茶したらまたいっち
ゃいそうな気がする。出来れば穏便に、なんて思ってないけど、なるべく静か
に済ませたい。そう思うがしっかり臨戦態勢で来た。その為に昨日、一昨日と
薬莢への呪紋式記述に時間かけたのだもの。
とりあえず城門前に居る門兵を吹っ飛ばそうか。
一瞬思ったが違う。そんなつもりで来たわけではなかった。そもそもあの城門
は、私の力や呪紋式でどうにかなりそうな代物じゃない。それに門兵が立って
いるのは横にある通用口だろうか、その扉を監視しているようだ。
入るならばあそこからだろうけど、さてどうしたものか。
まず、人間的に会話から試みてみよう。

私は門兵に近づいていく。二人の門兵はこちらに気付いたらしく、警戒心も露
わに注視してくる。
「何か用か?」
一人の門兵が、私が声を掛ける前に聞いて来た。先制は取れなかった。いや、
先制もなにもないのだけど、ただの会話に。何となく、先制取りたかった気
分なだけで。
「ええと、リンハイアに会いたいんだけど。」
何時もの口調で言ってしまう。それこそ友達の家に遊びに行って、家族の人
に友達に会いに来たと言うように。
あぁ、そう言えば王城だったわ。
案の定、一瞬、もう刹那、門兵二人が凶悪な面になる。
「貴様、無礼にも程があるぞ。」
「面会予定があるならこっちではない。」
「面会予定なんぞないだろう、ここでこんな事言ってるようじゃ。」
「執政統括を友達か恋人かあたりと勘違いしているのではないか?」
「あれか、頭が春か?」
「たまに現れるよな、こういうの。」
「執政統括に憧れるあまり、恋人妄想が表に出たか?」
「あれか、頭があれか。つまり病気か。」
「精神科は無いぞ、王城だからな。」
「うむ、病院に行べっ!」
一人、殴って黙らせる。
随分と好き勝手言いたい放題してくれたわね。私は拳を握ったまま、もう一人
の門兵を睨みつける。
「ま、待て。落ち着け。」
伸びた門兵を横目に、狼狽えるもう一人。
「私は落ち着いてますよ。それはそれは、波紋すらない湖面のように。」
薄ら笑いを浮かべる。
「嘘だ。獲物を見つけた猛獣のようだぞ。」
「誰の所為だと思ってるのよ。」
私の所為では無い事にしておく。門兵のレベルはこんなものか。国の中枢であ
る王城を護る門兵が。その辺にいるチンピラと変わらないじゃない。
「いや、すまん。ただ、流石に執政統括ともなると、先程も申したように面会
予定があるなら受付窓口のある門へ行って頂きたい。」
「無いわよ。」
まあ、そうだろうね。会社も同じだし、アポ無しで重役が会ってくれるなんて
あるわけないよね。ただ、ここで引き下がるわけにも行かない。
「では、出直すしかない。」
「いや、ミリアが来たから時間取れって伝えてよ。」
もの凄い我儘を言う。判ってはいるんだけどね。私は乗り込むつもりで来てる
から、通じないならこの門兵黙らせて、勝手にそこの通用口から入るだけ。入
ったらその辺の奴に道聞けばいいし。
あ、留守だったらどうしよう。考えてなかった。
そんなことを考えてると、門兵はいつの間にか小型端末で音声通信をしていて
真面目な顔になっている。もしかして、本当に掛け合ってるとか?いやいや、
きっと増援要請だな。だとすると面倒くさくなる前に、こいつ黙らせて突入す
るか。
私は拳をぐっと握ると門兵へ近づく。
「待て待て、ミリア様と言いましたね?」
殺気を感じたのか慌てて私を止めようとするが、こっちも急いでるの。え?ミ
リア様ってなんだ?しかも、門兵の態度が変わっている。
「そうだけど、なに?」
私は怪訝な顔をして聞き返す。
「いや、そういう女性が訪ねて来たら無条件で通すよう、執政統括からお達し
が出ていまして、自信が無かったので受付に名前の確認をしておりました。」
どういうこと。リンハイアは私が来るのを判っていたと?
「念のため、名前を全て答えて頂けますか?」
「アクライル・フー・ミリアだけど。」
門兵が小型端末でまた何を喋っている。おそらく受付なのだろう、さっさの話
からすれば。
確認が取れたのか、端末での通信をやめて門兵が私に向き直る。
「ミリア様、失礼な態度を取りお許しください。」
「え、いや。」
なんだこの掌返し。こんな気持ち悪い扱いをされる謂れはないんだけど。
「少々お待ちください、執政統括の秘書がお迎えに来るそうです。」
はぁ、ご丁寧に秘書が。前に私の所に来ていた護衛達だろうか?

十分程待っていたら秘書が現れた。その秘書は見た事の無い女性だったが、黒
のパンツスーツが良く似合うすらっとした美人だった。
今日の私の恰好が残念に見えてしまうではないか。という程に。
「お待たせ致しました、ご案内致しますので着いて来てください。」
通用口から、その女性は私に来るように促す。
私と同じ紅い瞳だ、珍しい。
私は通用口に向かって歩き出す。待っている間に私に殴れらた門兵は起きたの
だが、その門兵が恨みがましい目でずっとこちらを見ていたのは痛かったので、
やっと解放される。いや、殴ったのは私だけど。あそこまで言われればやるよ
ね、普通。
なんて思いながら通用口を潜ると、秘書は扉を閉める。
「初めまして、私は執政統括秘書のアリータと申します。」
「あ、どうも、ミリアです。」
取引先に仕事に来たわけではないので、いつも通りの態度でいいかと思ってい
たけど、相手の態度に思わず恐縮してしまった。
「では、こちらへ。」
アリータは私を促すと、先導するように歩き始める。首の後ろで束ねた髪が腰
まであり歩くたびに左右に揺れていた。艶やかで綺麗な黒髪は、私から見ても
羨ましいと思わせる程だった。
「リンハイア様からお話は伺っております。」
アリータはこちらを見ることもなく、突然そんなことを言ってきた。
「どうせろくな事言ってないでしょ。」
まぁ、相手を卑下するような事を言う奴じゃないってのはわかるけど、ただあ
の腹黒の事だから遠回しに貶められそうだ。
「いえ、面白い方だとくらいしか。」
はぁ、そんなもんだろうね。女性の見た目的な話は出ないだろうな、こんな美
人秘書が付いていれば。
「面白さなんて出したつもりは無いのだけど、感性がわからないわ。」
「私はお会いするのが初めてなので、面白さの判断がつきませんが、確かにリ
ンハイア様は独特な部分があるとは思います。」
独特っていうか、変人だね。

そんな会話をぽつぽつしながら、十分程歩いた。というか、王城って広過ぎで
しょう。
「少々お待ちを。」
辿り着いた行き止まりには、重厚そうな木製の扉があった。材質はわからない。
でも高そうだ。
その扉にアリータはコンコンとノックをして、「お連れしました。」と声を掛
けた。
「どうぞ。」
中からリンハイアの声が応答する。
「では、どうぞ。」
扉を開けて、中に入るよう促される。
「どうも。」
なんかこの人、アリータには恐縮してしまうな。苦手なんだろうか。よく判ら
ないけど。
「お久しぶり、と言うほどでもないですか。ご足労頂き感謝しております。」
私の部屋何個分だ、この執政統括室は。あぁ、いかにもこう、王室?って感じ
がする。いや、私の勝手なイメージだけど。部屋の両脇にある収納棚は木製の
くせに輝いてるし、その上には高そうな陶器やら、彫刻やら、よく判らないも
のが並んでいる。
部屋の中央にはやはり立派そうなテーブルがあり、こちらも木製だが上面は鏡
面のように磨かれている。淵や足には細かい彫刻が綺麗に浮かび上がっている。
両側には革のソファーが置いてあり、四人か五人くらい掛けられそうだ。応接
用だろう。
その更に奥、執政統括と書かれたプレートの乗る机があり、その向こう側にリ
ンハイアが座っていた。リンハイアは私が部屋に入るなり、立ち上がってそう
声を掛けてきた。
「いや、呼ばれても無いし、勝手に来ただけだから。」
何がご足労感謝よ。人が来るの見越してこの皮肉か。
「お礼はしたいと思ってたのですが。」
「いらない。」
腹立つ。リンハイアはいつもの微笑のままだが、いつの間にかリンハイアの右、
私から見て左側だが、に移動していたアリータはやや不愉快な表情をしている。
「とりあえず、お掛け下さい。」
リンハイアは私にソファーに座るよう促す。
「その前に、これお土産ね。」
私はリンハイアの方に向かい、応接テーブルに紙袋を置くと、通り過ぎてリン
ハイアの机の前まで移動する。椅子から立って移動しようとしていたリンハイ
アが止まった。表情は変わらないが。
その瞬間、私の右手が放った<六華式拳闘術・朔破閃>がリンハイアの机半分
を粉砕する。
同時に、私の首の薄皮に短刀が食い込んで斬られている。その短刀は押し付け
られたままだ。
短刀を押し付けているのは秘書のアリータだが、私にはいつ動いたのかわから
なかった。この女性もハイリと同様の化け物だな。
アリータの表情は穏やかだったが、目は憤怒の色を宿している。
「リンハイア様から、殺してはいけないと命を受けていなければ、首を落とし
ているところですが。」
静かな口調で恐ろしいことを言ってくる。まぁ、確かに、アリータの腕ならば
私が机壊すことも出来なかっただろう。とりあえず、アリータはどうでもいい
ので無視してリンハイアを睨むとジャケットの内側に手を伸ばし、雪華を抜く。
「中身、わかる?小さいけど、あんたが私に依頼した薬莢。」
アリータはどうしたらいいかわからないままだが、向けられる怒りは強さを増
している気がした。だが、リンハイアは涼しい顔して微笑を浮かべている。
「今引き金を引いたら、部屋の中どうなるかわかるでしょう?」
私の問いに、それでもリンハイアの態度は変わらなかった。
こいつは本当に、もう。
私は雪華を仕舞いながら、睨んだ眼に力を込めて言う。
「次、私にこんなことしたら、机じゃなくあんたを殺す。」
首に当てられた短刀に、さらに力が込められた。アリータの反応は判りやすい
のに、リンハイアは暖簾に腕押しだ、私の負けだし諦めるしかないか。そう思
ったとき、それを察したようにリンハイアが口を開く。
「アリータ、お茶を用意してください。三人分。」
こいつは・・・。
「え?・・・しかし・・・」
短刀はぴくりとも動かなかったが、アリータは困惑の表情を浮かべる。
「せっかく滅多に食べられないシュークリームを頂いたんだ、お茶が必要だろ
う。」
「か、畏まりました。」
アリータは私から短刀を離すと、背中の方にさっと戻す。どんな風に仕舞って
いるのか気になるが、歩いている時には気が付かなかった。
「とりあえず、ソファーに座りませんか?」
「じゃ、遠慮なく。」
私はソファーに移動すると、リンハイアも移動した。しかし、今のひと悶着に
すら表情を変えないし、態度も変わらない。
「私があんたを殺さないって、わかってたんでしょ。」
「そうですね。判ってたではなく、そうだろうなって予想ですが。」
お互いソファーに座りながら会話する。アリータは部屋の隅でお茶の準備をし
ていた。リンハイアはソファーに座ると同時に続けて口を開く。
「あなたは、こんな無茶はするが賢い女性だ。そして、人が傷つく事を極端に
嫌悪する。故に、私と国を天秤に掛けてしまう。と、予想ですね。」
「予想と言ってるけど、断定してるよね。そうでなければ、殺すななんて言え
ないでしょう。」
リンハイアは聞いてるのか聞いてないのかわからないが、アンパリス・ラ・メ
ーベの袋を引き寄せると、ひとつ取り出す。
「私も好きでね。頂きます。」
私に取った一つを掲げて言った。
「どうぞ。」
私も袋に手を入れて一つ取る。
「あくまで予想なんですよ、それに対して自分が判断しているに過ぎない。間
違っていたらそれまでのこと。それは、国を動かすことに対しても同じで、自
分の命で釣り合わないだろうが、せめてそれくらい覚悟はないと決断はできま
せん。」
そりゃそうか。リンハイアの決断はリンハイアだけの問題でない、どころかこ
の国に関わることの方が多いのだろう。しかし、私の私事にまで命を賭けるだ
ろうか?
「で、今日は忠告に来られたと?」
あ、そうだった。というかもう終わったけどね。机壊したし、忠告もしたし。
「そう。で、さっきので終わり。」
「うーん、殺されるような事とは、いったい。」
「惚けるの?」
私は睨みつける。
「お待たせ致しました。」
そこへアリータがお茶を運んでくる。いい香りだ、オーソドックスなダージリ
ンな気がするが、とても爽やかで透き通った香りがする。やはり高い茶葉を使
っているのだろうか。
「では、アリータもどうぞ。」
リンハイアがシュークリームを渡す。
「いえ、私は・・・はい、頂きます。」
少し躊躇したが受け取るアリータ、逆らっても無駄だと知っているのだろう。
ついでにソファーに座るように促され、渋っていたが諦めて恐縮そうにリンハ
イアの隣に腰掛けた。
一連の動きを待ってから私は口を開く。
「あんたが私に会いに来る前、つまり私の存在を確認した時から今の今まで、
私はあんたの手の上だったんでしょ。」
「私は神ではないので、そんなことは出来ませんよ。」
リンハイアは苦笑する。
「式伝継承を知っていたあんたは、カマルハーの下に私を引き込みたかった、
そうでしょう。」
「まぁ、それは認めます。」
この話は、前にされたのでそうだろうと予想が付く。私はシュークリームの二
つ目を手に取って続ける。
「ここで丁度良かったのがラウマカーラ教国との戦争ね。カマルハーを別件で
不在にさせ、私が記述せざるを得ない状況を作ってから私の元を訪れた。これ
は後に、カマルハーに承認させるための材料でもあった。」
リンハイアの表情はまったく変わらない。微笑のままだったり、シュークリー
ムを美味しそうに食べたり。
「なかなか、面白い推察ですね。」
まぁ、推察の域を出ないから、そう言われてもしょうがないけど。でも、可能
性は高いはず。
「私に直接会いに来たのは、私の人間性を見るためもあった。結果としては技
術は使い物になるかもしれないが、カマルハーの下には来ないとわかった。」
アリータはお茶を飲みながら、空になった包み紙を弄んでいる。リンハイアは
興味深そうにこちらを見ているので、私は袋からシュークリームを取り出して
アリータに放り投げる。
「え?」
「食べてよ、せっかく買ってきたんだから。いっぱいあるし。」
「あ、ありがとうございます。」
さっき短刀を私の首に当ててたとは思えない程、なんか女子っぽい。
「私も頂こう。」
リンハイアも二つ目を取って、包装紙を外しだす。
「で、戦争の報道中継、やらせたのあんたでしょ?」
ここに来てリンハイアの表情が少し驚いたように見えた。
「まさか、報道機関は民間事業ですよ。」
「灼帝が司法裁院のトップなのよ、関わりがないってのは説得力ないわよ。」
「ああ、これは藪蛇でした。」
いつもの表情に戻った。これが私を試してるのか、遊んでるのかわからないが、
迂闊でないのはわかる。相変わらずむかつく奴。
「で、さっきの発言でほぼ確信だなと思ったの。そしてそれを見た私がどうな
ることかも想像ついてたわけでしょ。」
「さっきの発言?」
「私のこと『人が傷つく事を極端に嫌悪する』と言った、つまり私を弄んだん
だろうって聞いてるの!」
苛ついて声が大きくなる。
リンハイアの顔が苦笑っぽく変化した。
「確かに、言いましたが弄んでるつもりはありません。」
殴りたい。が、我慢する。
「私がカマルハーの下に入らないのなら、司法裁院の仕事を抜けにくくしよう
と考えた。私が自分の葛藤でそうなるだろうと踏んで。」
「ん~、自意識過剰というか、私があなたを、しかも普通の一個人だ。それを
そんな計略まで使ってどうこうしようというメリットは?」
ん?何言ってんだこいつ。
「それがスタート地点でしょう?」
「と、言うと?」
まだ惚けるのか。
「式伝継承。つまり、私の事はどうでもいいが、必要なのは私の脳に刻み込ま
れている呪紋式。」
「鋭い方だと思ってましたが、驚きです。」
そんなことはどうでもいい。
「だから、次私で遊んだら殺す。今回は私自身の未熟さが原因でもあるから忠
告に来ただけ。」
「わかりました。今回の非礼お詫びいたします。」
リンハイアが真面目な顔をして頭を下げてきた。いや、リンハイアの太々しさ
を考えれば、今の態度は気持ち悪い。
「やはり、ここで働く気はありませんか?」
いつもの微笑に戻って、リンハイアが聞いてくる。
「い・や・だ。」
私はそう言うと席を立つ。もう帰る。疲れた。
「仕事は、たまにお願いしてもいいでしょう?」
「関わりたくない。」
本当に勘弁して欲しい、これ以上。関わった所為でどうなったと思ってんのよ
まったく。それが判っていて聞いてくるところがまた腹立たしい。
「今回のような依頼はもうしませんので。」
「いや。」
まだ働かせようとうするリンハイアの言葉を私はきっぱり断って、部屋の出口
に向かう。
「すっかり嫌われてしまったようだ。」
自業自得だ。と、思うが政の事はよく判らないし、国にとって必要だからやっ
た事なのだろう。別にそれに文句は無いが、私の知らないところでやって欲し
い。
「アリータ、出口まで。」
「はっ。」
後ろからそんなやりとりが聞こえた。アリータは返事をすると、私を追い抜き
部屋の扉を開けた。
「出口までお送りします。」
「お願い。多分迷子になる。」
ここは素直に従っておく。迷子になって変な疑い掛けられても困るし。

城内を案内され、来た時に通った道を逆に戻る。道程の中程だろうか、円形状
の広場があった。そこは天井が擦りガラスではあったが、ガラスであるため陽
射しが入り、柔らかな光を降らせていた。花壇等もあり、平穏な空気が流れて
いる場所で、休憩したら気持ちよさそうだなと思える場所だった。
が、帰り道その広場の中央に平穏とはかけ離れている人物が立っていた。
「げっ。」
と、言葉を漏らしながらアリータに付いて広場まで進む。
「これはハイリ様、お疲れ様です。」
アリータがハイリに挨拶をした。
「うむ。」
ハイリは頷いて続ける。
「アリータ、すまぬがその娘と少し話をさせてくれ。」
「はっ、畏まりました。」
「私は嫌なんだけど。」
アリータの速答と同じくして、私は後ろから直ぐ様断る。ハイリは特に嫌な顔
もせずに私を見据えて笑った。
「相変わらずよのう。少しだけだ、付き合え。」
何この拒否権無しの言い方。かと言って、この二人化け物だしな。相手にした
ところで無駄か。
「手短にね。」
諦めた私は仕方なく、そういって腕を組むとハイリに目を向ける。
「お主見込みがあるからな、儂の所に来い。」
「嫌よ。」
私はそう言ってそっぽを向く。どいつもこいつも、私の事は放っておいて欲し
いのだけど。
「そうか。」
特に残念でもなさそうに、ハイリはそれだけ言った。
「前にも言ったけど、別に強くなりたいわけじゃないし。六華式拳闘術だって
ジジイが生きてる時に無理矢理叩き込まれただけよ。」
「だが、それが生きている糧を生んでいるわけだろう。」
「そりゃ、あるものは利用するに決まってるでしょ。」
今更だ。本当は使わなくてもいい生活だってあったかもしれない。ただ、もう
今の世界に浸かってしまっているのだ。だから、利用するのが当たり前でしょ
う。物心ついた時には、そんな生活だったんだもの。
「ふむ、無理強いはせん。気が向いたら来い。」
ハイリはそれだけ言うと、私たちが来た方へと歩き始めた。
「向かないと思うけど。」
通り過ぎたハイリの背中に、私はその言葉を投げたが、聞こえていないように
足を止めるでもなくその場から去って行った。
「では、参りましょう。」
アリータに促され、私は出口に向かって再び歩き出す。アリータは特に何事も
無かったように私を先導する。
「ハイリ様とも知り合いだったのですね。」
「私のジジイは知り合いだったらしいけど、子供の頃のことはあまり憶えてな
いし、それにこの前一方的に殴られただけよ。」
あのむかつく出来事を思い出してしまった。機会があったら絶対仕返ししてや
る。
「そうでしたか。」

それ以後、出口までは特に会話もなかった。入って来た時と同じ通用口に案内
され、アリータが扉を開けてくれた。私としては、別の出入り口に案内して欲
しかったのだけど。門兵に会いたくないし。嫌がらせ?
「お気をつけて。」
そう言ってアリータは軽く頭を下げた。
「どうも。あと、案内とかありがとう。」
何故か、アリータには恐縮してしまうというか、嫌いにはなれなかった。そう
いえば、恐縮感はあんまり無くなった気がする、短刀突き付けられたあたりか
ら。なんでか判らないけど。
「いえ。」
アリータの言葉を聞くと、私は門を潜り場外に出る。
「それと、ごちそうさまでした。」
後ろから声が聞こえたが、振り向かずに軽く手を振る。そして通用口の閉まる
音。出てきた私を睨む一人の門兵。
うっ。
しつこいと嫌われるわよ。まったく。

空は陽が傾き始め、陽光は白から橙に変わろうとしていた。私はその空を少し
見ると、グラドリア城を後にした。
(さて、忙しくなるな。)



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