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2巻
2-10
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経験則から言って、この方がこういう顔をしている時は、私にとっては大抵ろくなことになりませんからね。ああ、動かせないこの身が恨めしい。
「最後の……一発は……ちゃん、と……残しておいて……くださ、いね……」
必死に絞り出した言葉とともに、私の意識は真っ暗な闇に沈んでいきました。
「――ここは……?」
目を覚ますと、私は一人、ネグリジェ姿で真っ白な空間に立っておりました。
「私は、確か……」
加護の使いすぎで倒れて、気を失って──
「夢の中……? でも、ここはまるで――」
神話に出てくる天国のようだと思いました。
天国――それは死んだあとにすべての命が送られるという、魂の安息地。神々が暮らす神界と私達人間が生きる地上の間に存在すると言われている、死者の国です。
どの宗教の聖典にも同じように記述されており、その場所は見渡す限りの白い霧に包まれていると言われております。
はい。イメージにぴったりですね、ここ。
足元もなんだかふわふわとして、雲の上にいるみたいです。
「もしかして、私は死んでしまったのでしょうか」
まるで実感がありません。いつものように、加護を使った身体が休息を取るため眠りについただけかと思っておりましたが……もしかすると、自分が思っていたよりも深刻な状態だったのでしょうか。
『──君はまだ死んでいないよ』
その時、穏やかな殿方の声が私の頭の中に直接響いてきました。
「どなた……?」
問い返すと、私の声に答えるように、ポロロンとハープの優しい音色が聞こえてまいります。
どこから聞こえてくるのでしょう。そう思い耳を傾けると、音色が聞こえてくる方向の霧が段々と薄くなり、道が開けていきました。
「誘われているのかしら……」
死者の国で、行き場のわからない私を誘う怪しいお声。
正直、不穏な気配を感じずにはいられません。ですが、もしこれがなにかの罠だとしても、まだ私が死んでいないというのであれば、一縷の望みをかけて飛び込んでみましょう。
「……行きましょうか」
決意も新たに音の鳴るほうへと足を進めて行きますと、ハープの音に交じって、時計が時を刻む音が聞こえてまいりました。
気がつけば周囲には、大小様々な形をした時計が浮いています。
柱時計や懐中時計、掛け時計にからくり時計。はたまた、見たこともないような構造の時計も存在していました。
お兄様へのお土産に、ひとつ持っていったら喜ぶかしら。ちょうど新しい時計が欲しいとおっしゃっていましたし。
そんなことを思案しながら、さらに奥へと足を進めると、そこには十メートルはありそうな巨大な砂時計が立っておりました。
その砂時計の前には、黄金の椅子に座り、優雅にハープを爪弾く長い金髪の殿方が。
純白の長い布を一枚纏っただけという簡素な服装ですが、その殿方の全身からは強烈なオーラがほとばしっており、人間の域を超えた存在であることを表しております。
「貴方が、私をここに呼んだのですか……?」
問いかけると、殿方はゆっくりと私にお顔を向けて微笑まれました。
この世のものとは思えないほど芸術的な美貌、と表現すればよいのでしょうか。
そのお顔は男性か女性かすらも定かではなく、まさに神が作り出したとしか思えない完璧な造形です。
「時空神の世界へようこそ、人の子よ」
キラリと真っ白な歯を光らせて微笑んだそのお方は、歌うような口調で言いました。
「──我が名はクロノワ。時と永遠を司る神なり。久しぶりだね、スカーレット。……と言っても私が君に祝福を与えたのは、まだ君が胎児の頃だったから、覚えているはずもないが」
時空神クロノワ――創造神に次いで大きな力を持つと言われている、三大神の一柱です。
「えっと、その節は大変お世話になりました……?」
一応お辞儀をしながら言うと、クロノワ様は微笑みを絶やさずにうなずかれます。
「思っていたよりもずっと礼儀正しい子のようだね。たまに地上の様子を見ると、君はいつも暴れていたから、さぞやお転婆な子なのだろうと思っていたのだが」
ここでもそんな評価がなされているのですか。私は世のため人のため、仕方なく暴力を振るっているだけですのに。
「それで、そのクロノワ様が一体私になんのご用でしょうか」
私が問うと、クロノワ様はハープを爪弾く手を止め、わずかに目を細めて言いました。
「実は君に頼みごとがあってね」
頼みごと? 神様が私に?
困惑する私に、クロノワ様は穏やかに微笑みます。
「パルミアに奪われた聖女ディアナの加護を、取り戻してもらいたいんだ」
パルミアに、奪われた? ディアナ様の加護が?
「……一年前にディアナ様が加護の力を失ったのは、女神パルミアが奪ったからなのですか?」
クロノワ様は私の問いにうなずくと、静かに語り始めました。
「そもそもの発端はというと……私がパルミアに愛されているということにある。彼女はとても嫉妬深い女神でね。私が人間に祝福を与えていることが許せないらしい。とはいえ祝福は上書きできるものでもないから、代わりに加護の力を奪ったのだそうだ。まったく困ったものだね」
クロノワ様が人間に祝福を与えていることに嫉妬して……?
ちょっと待ってください。ディアナ様の加護によって生み出される結界は、緑色のシールドのような見た目をしています。その力が奪われていたとすると、テレネッツァさんを殴った際に出現したあれは、もしかしなくても……
そもそもクロノワ様の話が本当だとするならば、あの女神は――
「もしやディアナ様の加護に限ったことではなく……パルミア様は、パルミア教を使ってパリスタン王国を内部から崩壊させようとしているのですか? 私やディアナ様といったクロノワ様の祝福を受けた人間が気にくわないから?」
「だろうね。僕達神が地上に直接関与することは難しいから、自分を信仰する教徒達を利用して、国の内部から切り崩す手段を選んだのだろう。彼女らしいやり方さ」
なんということでしょう。まさか現在進行形で繰り広げられているパルミア教の暴走が、ただのくだらない嫉妬心によって引き起こされたものだったなんて。
巻き込まれたこちら側としては、たまったものではありません。
「クロノワ様のお力でどうにかできないのですか? お言葉ですが、もとはといえば貴方達、神様同士のいざこざでしょう?」
「うん。そうしたいのは山々なのだけれどね……神の間では直接争ってはいけないというルールがあるんだ。そんなことをしたら、天界が滅茶苦茶になってしまうからね。だから私が直接彼女に手出しすることはできない。できるのは忠告ぐらいだが、言っても聞く性格ではないからね」
苦笑するクロノワ様からは、どこか他人事のような無責任さを感じました。自分達が原因で起こったことなのに、神様にとっては私達人間のことなど、所詮その程度の問題なのでしょうね。
気にかけてくれているだけ、クロノワ様はまだ幾分かマシというわけですか。
「加護を取り戻す、とおっしゃっていましたが、それをディアナ様が再び使えるようにする手段はあるのですか? いえ、そのおつもりはあるのですか?」
「もちろん。あの加護はもう、彼女達歴代のディアナにとってなくてはならないものだ。それが他人の手に渡っている状況を正したいというだけだからね。もし取り返すことができたなら、私が責任をもって、当代のディアナが再び加護を使えるように助力すると誓おう」
そう告げて、穏やかな笑みを浮かべているクロノワ様。その言葉には、なにひとつ嘘偽りはないように感じました。
神様がわざわざこんなことで人間を騙す必要もないでしょうし、本当のことだと信じてよさそうです。
「……わかりました。もともとディアナ様のお力に関しては、ずっとなんとかして差し上げたいと思っていましたし、喜んでお引き受けしましょう」
「そう言ってくれると助かるよ。私としても、自分が祝福を与えた愛し子が悲しんでいる姿を見るのは、忍びないからね」
そう言うと、クロノワ様は懐からひとつの懐中時計を取り出しました。
「これは〝時空神の懐中時計〟という……まあなんのひねりもない名前の魔道具だ。これを私の加護を不正に所持している人間――パルミアの巫女の前でかざせば、力を取り戻すことができるだろう」
「パルミアの巫女? それは一体どなたのことですか?」
「君がもう何度も会っている人間さ。確か名前は――」
◆ ◆ ◆
夜の暗闇の中。私――ジュリアスは、領主の館のベッドで眠り続けるスカーレットの姿を見つめていた。
スノーウィンドの街に着いてから、三日が経つ。
捕縛した領主と兵士達は、街の近くにある駐屯所から兵を派遣してもらい、すでに王都へ移送した。
トラブルがあったとはいえ、予定通りならもうここでの浄化の儀は終えて、次の街に向かっている頃合いだ。
「……さて、どうしたものかな」
聖地巡礼の指揮はレオに任せているとはいえ、全体の方針を決めるのは私の役目だ。
日程は余裕を持って組んであるが、それでもあまり長くこの地に留まっていては、王都の議会に出ている連中から、なにをしているのだと文句を言われるだろう。
スカーレットが意識を取り戻さないことには巡礼を再開することもできないのだが、彼女が真の聖女であると知らない議会側からしてみれば、私がただサボっているようにしか見えない。面倒なことだ。
「ジュリアス様……」
背後からかけられた控えめな声に振り向くと、寝巻き姿のディアナが立っていた。
巡礼中に顔を隠していた布はなく、あどけない素顔を晒している。
「お姉様は……?」
「まだ起きない」
加護の過剰使用による眠りは深い。とはいえ、そろそろ目を覚ますはずなのだが……
「私のせいで、お姉様は……」
「そうだな。スカーレットがこうなったのはディアナ――お前が私達を裏切ったせいだ」
私がそう断言すると、ディアナは驚きに目を見開いた。
そして表情を隠すように顔を伏せると、かすれた声でつぶやく。
「……いつから気づいてたのよ。私がパルミア教に情報を流してるって」
そう、聖女ディアナは、パルミア教とつながっていたのだ。
うつむいて黙り込んだディアナに、私が考えていたことを静かに語っていく。
私が彼女たちがスパイであると知ったのは、聖地巡礼の前、王都で空砲騒ぎがあった時のことだった。
騒ぎを引き起こした犯人達を尋問した結果、ディアナがパルミア教に情報を流していると判明したのだ。
まさかと思い、王宮秘密調査室を動かして調査を開始。するとあっという間に、ディオスを伴ったディアナが、パルミア教徒と密会している現場を押さえてしまった。
本来ならすぐにでも拘束して、事情を聞き出さなければならない。だが、私はそれを自らの責任のもとで保留にした。
情けをかけたわけではない。
二人がなにを目的として動いているのか、その詳細が知りたかったのだ。
もしかしたら、パルミア教の地位を失墜させるような、決定的ななにかを押さえることができるかもしれないしな。
だから私は、二人を泳がせることにした。
その結果がこのザマだ。スパイである二人の手によって私達の情報はすべてパルミア教側に筒抜けになり……その負担はすべてスカーレットが負うことになった。
自慢の銀髪が一部黒くなったままだと言って、ずっと気にしていたスカーレット。そんな彼女に、これ以上悲しい顔をさせまいと思っていたのにな。裏目に出るのもいいところだ。
「……じゃあ、もう私を泳がせる必要はないわよね。どうするの? 捕まえる?」
顔を上げたディアナはなかばヤケになっているのか、いびつな笑みを浮かべて言った。
「捕まえて、それで終わりなら楽だったのだがな。残念ながら事はそう単純ではない。救国の聖女を捕まえたなど、一体国民にどう説明すればいいと言うのだ? それができたとして、与える罰はどうすればいい?」
「う……」
指さしながら矢継ぎ早に問うと、ディアナはなにも言えずに口ごもる。
「わかるか? 聖女に関わるものには、政治的判断が必要なのだ。それをこれっぽっちも考えずに、捕まえるだと? そんなこと、よくも軽々しく言えたものだな。この愚か者め」
「あうっ」
ベシッと額にデコピンをしてやった。
「お前がもし男だったら、ブン殴っているところだ。この程度ですんだことを感謝するのだな」
「うう……痛い……」
自業自得だ、バカめ。まあ、多少は溜飲が下がったし、とりあえず説教はこれくらいにしてやろう。
「お前は捕まえない。というより、捕まえられん。メリットより、そのあとに起こりうる事態を収拾する手間や影響があまりにも大きすぎるからな。よって裏切りの件に関しては不問に付す」
「……そっか。私、捕まらないんだ……」
安堵と自責。その両方を内包した複雑な表情を浮かべて、ディアナが壁によりかかる。
私はため息をつきながら彼女に歩み寄ると、その頭にポンと手をのせながら言った。
「説明してもらうぞ。なぜ情報を流していた。ディアナ聖教の聖女であるお前が、パルミア教に与していた理由はなんだ?」
「…………それは――」
ディアナが意を決したようになにかを言いかけた、その時。
ドォオオオオオン! と、遠くから凄まじい轟音が鳴り響いてきた。
まるで天の怒りが地上に炸裂したかのような衝撃に、グラグラと大地が揺れる。
「きゃっ!?」
よろめいたディアナを抱きとめながら、窓の外に視線を向ける。
「なんだ、あれは……?」
街の外に広がる森の奥――ちょうど北の浄化の大聖石があるあたりに、雲を割って、黄金に輝く巨大な柱が立っていた。
「光の……柱?」
透明な柱の内部では、大小様々なものが巻き上げられているのが見える。それは地上から舞い上げられた土塊か、それとも――
「様子を見てくる。お前はここで待機していろ」
「う、うん……」
チラチラと柱のほうを見ながら、心ここにあらずといった様子でうなずくディアナ。そんな彼女を部屋に残して、私はすぐさま館を出た。
街は騒然としていて、住人はみな不安げな表情で光の柱を見上げている。
光の柱はまるで太陽のように輝き、夜の街を照らし出す。やがてその柱は、中心に向かって収束するように小さくなり、輝きを失って消滅した。
「ジュリアス様!」
馬に乗ったレオが、聖女守護騎士団を連れて私のもとに駆けてくる。
どうやら先んじて状況を確認してきたらしい。
「なにがあった? あの光の柱は一体――」
馬を降りたレオは私の耳元に顔を寄せると、周囲に聞こえないような小さな声で言った。
「……国境に常駐している駐屯兵によると、先ほどの光の柱のせいか、大聖石は跡形もなく消滅。それに伴い結界にほころびができ、スノーウィンドに向かって魔物が多数接近中とのことです。あと一時間もしないうちに、スノーウィンドへ到達すると思われます。早急に避難の指示を」
「……柱の中で舞い上がっていたのは、砕けた大聖石だったか」
目を閉じ、即座に思考を巡らせた私は、声を潜めてレオに問い返した。
「魔物の数は?」
「正確には確認できておりませんが、百や二百ではきかないかと」
……おかしい。
結界の付近には魔物が集まりやすい傾向にある。とはいえ、群れを作らない魔物がそろって同じ行動をとるなど、明らかに異常だ。
大聖石を破壊した何者かがおびき寄せたのか?
しかしどうやって、なんのために……?
「駐屯兵たちはいまどうしている?」
「魔物の侵攻を食い止めるべく出動しております。街の住民の避難が終わるまで、なるべく時間を稼ぐそうです。ですが、あれだけの数が相手では、どれだけ持ちこたえられるか……」
駐屯兵の数はそう多くない。そもそも彼らが国境付近に待機しているのは、戦うためではなく、他国の動きをいち早く察知するため。
故に兵の練度も高くなければ、士気も低い。もちろん、魔物と戦ったことのある兵などいるはずもない。
「守護騎士団を指揮して、住民を一ヶ所に集めてから避難させろ。誘導はお前に一任する。任せていいな?」
「承知いたしました。聖女守護騎士団、集合せよ!」
レオが大声で号令を出すと、街の各地に散っていた守護騎士団の面々が一斉に集まってくる。
全員が集まったのを確認すると、レオは少しだけ考える素振りを見せたあと口を開いた。
「国境付近で原因不明の大規模火災が発生! スノーウィンドの住民を一時的に街の外へ避難させる! 地域を分担して街の端から声をかけ、住民全員を中央広場に誘導せよ!」
「はっ!」
うまいやり方だ。大聖石が壊されて、魔物が襲ってくるなどと聞けば、街の住民はまたたく間にパニックになるだろうからな。
「さっきの光の柱が原因か? 一体なにが起こったっていうんだい」
問うてくる老婆に、レオが簡潔に事情を説明する。
「駐屯兵が現在原因を究明中です。火災が街まで到達することはないと思われますが、また同じような現象が起こらないとも限りません。よって念のため、みなさんには一時的に近隣の街へ避難していただきます」
「大聖石のほうでなにか起こったようだが、大丈夫なのか?」
「それも併せて調査中です。さあ、早く」
不安そうな表情を浮かべながらも、人々は広場に集まってくる。
あとは私がいなくても問題あるまい。
馬に乗り、出立の準備を整えていると、パラガス団長が声をかけてきた。
「ジュリアス様、どちらへ?」
「砕けた大聖石の状態を確認してくる」
その言葉に、パラガスは目を見開いて声を張り上げた。
「なりません! すでにあの場は戦場ですぞ!」
そんなことは百も承知だ。確かに危険もあるだろう。だが――
「私はこの国の第一王子として、国を――民を守る大聖石の状態を確認する義務がある。なに、私とて命は惜しい。遠目で確認したらすぐに戻るつもりだ」
「それは貴方のすべきことではない! なにとぞ、お考え直しを――ジュリアス様!?」
パラガスの横を突っ切って馬で走り抜ける。悪いが問答をしている時間はない。
「避難が終わったら、私を待たずに次の聖地に向かえ! 私もあとから追う!」
背後から響いてくるパラガスと守護騎士団の悲鳴を聞き流しながら、私はある場所へと馬を走らせた。実は王都を遅れて出発した際、乗ってきた特別なものがあるのだ。馬よりはるかに速いそれに乗れば、状況把握もすぐにすむ。
本当に北の大聖石が何者かの手によって破壊されたのならば、それは大聖石が穢れを溜めてもろくなっていたからに違いない。
強力な破魔の力を宿した大聖石は、めったなことで壊せるものではないのだ。
逆に言えば、浄化の儀さえ終えてしまえば、大聖石を壊すことは不可能になると言っていい。西と南の大聖石を速やかに浄化する必要があるだろう。
だが、それでもまだ不安要素が多すぎる。
あの光の柱――遠くから見ただけだが、あの柱の破壊力は計り知れない。私にはあれが、神の怒りを具現化したかのような、そんな光に見えた。
少なくとも人間にできる所業ではあるまい。
となれば、あれを引き起こしたのはおそらく――
その時、暗闇の中になにか人影のようなものが見えた。
「……現れたか」
大聖石の場所まではまだかなり遠い。駐屯兵が戦っているのも、もう少し先のあたりだろう。
では一体誰が、こんな危険な場所に?
そんなもの決まっている――この事態を引き起こした張本人。すべての黒幕だ。
「……っ!?」
突然、グラリと足元が揺れた。いや、足だけではない。
頭がグラグラとして、まるで酩酊しているかのように目の焦点が定まらなくなる。これは、まさか――
「あはっ! まんまと引っかかったわ! 飛んで火に入る夏の虫とはこのことね!」
聞き覚えのある甲高い声が耳に届いた時、私は姿勢を維持していられず、馬から転がり落ちてしまった。
「ぐはっ……う、ぐ……」
意識が混濁していく。これが――魅了の加護か。
「なるほど……本気を出したと……いうわけか。確かに、この感覚は……抗い難い」
以前領主の館の前で使われた時とは、比べ物にもならない強力さだ。
「やれやれ、これでは……スカーレットに笑われてしまう、な……」
駆け寄ってくるピンクブロンドの女の姿を視界の端に捉えながら、私の意識は泥沼のような闇の中に沈んでいった。
第五章 私も好きですよ。
パリスタン王国の小さな農村で生まれた私は、母にディアナと名づけられた。
私が七歳になって少ししたある日のこと。私は不思議な夢を見た。
その夢の中では、よく母が読んでくれる絵本に出てきた聖女様が、ニコニコと微笑みながら立っていた。
聖女様は私に向かって緑色に光る球を差し出すと、穏やかな声でこう言ったの。
「聖女の力はいま、貴女に引き継がれました。これより貴女が聖女ディアナです。この国をよろしくお願いしますね」
目が覚めると、私の中にこれまで感じたことのない神様の祝福を、はっきりと自覚できた。ううん、それだけじゃない。
見たことも聞いたこともなかった、聖女が持っている力の使い方や、その役割についての記憶すべてが私の中にあった。
――これが〝副聖女〟としての私の力。
試しに恐る恐る手を突き出して〝しりぞけ〟と唱えると、目の前に私の身長ほどの高さの透明な緑の壁が現れる。
これが、時空神クロノワ様の結界。聖女ディアナとしての、私の力。
「すごい……すごいすごいすごいすごーーーい!」
ベッドから飛び起きた私は、全速力で家族がいる居間に飛び込んだ。
だって、昨日まで畑の手伝いをしていた農民の子供の私が、起きたら聖女様になっていたのよ? こんなの、自慢しないでいられるわけがないじゃない!
「ねえみんな! 私、聖女様になったみたい!」
しかし、興奮しながらそうまくし立てる私を、信用する家族は誰もいなかった。
なんでよ!? 特にお母さんがそんな目で私を見るのおかしくない!?
聖女様のようになれますようにって、私の名前をディアナにしたくせに!
「最後の……一発は……ちゃん、と……残しておいて……くださ、いね……」
必死に絞り出した言葉とともに、私の意識は真っ暗な闇に沈んでいきました。
「――ここは……?」
目を覚ますと、私は一人、ネグリジェ姿で真っ白な空間に立っておりました。
「私は、確か……」
加護の使いすぎで倒れて、気を失って──
「夢の中……? でも、ここはまるで――」
神話に出てくる天国のようだと思いました。
天国――それは死んだあとにすべての命が送られるという、魂の安息地。神々が暮らす神界と私達人間が生きる地上の間に存在すると言われている、死者の国です。
どの宗教の聖典にも同じように記述されており、その場所は見渡す限りの白い霧に包まれていると言われております。
はい。イメージにぴったりですね、ここ。
足元もなんだかふわふわとして、雲の上にいるみたいです。
「もしかして、私は死んでしまったのでしょうか」
まるで実感がありません。いつものように、加護を使った身体が休息を取るため眠りについただけかと思っておりましたが……もしかすると、自分が思っていたよりも深刻な状態だったのでしょうか。
『──君はまだ死んでいないよ』
その時、穏やかな殿方の声が私の頭の中に直接響いてきました。
「どなた……?」
問い返すと、私の声に答えるように、ポロロンとハープの優しい音色が聞こえてまいります。
どこから聞こえてくるのでしょう。そう思い耳を傾けると、音色が聞こえてくる方向の霧が段々と薄くなり、道が開けていきました。
「誘われているのかしら……」
死者の国で、行き場のわからない私を誘う怪しいお声。
正直、不穏な気配を感じずにはいられません。ですが、もしこれがなにかの罠だとしても、まだ私が死んでいないというのであれば、一縷の望みをかけて飛び込んでみましょう。
「……行きましょうか」
決意も新たに音の鳴るほうへと足を進めて行きますと、ハープの音に交じって、時計が時を刻む音が聞こえてまいりました。
気がつけば周囲には、大小様々な形をした時計が浮いています。
柱時計や懐中時計、掛け時計にからくり時計。はたまた、見たこともないような構造の時計も存在していました。
お兄様へのお土産に、ひとつ持っていったら喜ぶかしら。ちょうど新しい時計が欲しいとおっしゃっていましたし。
そんなことを思案しながら、さらに奥へと足を進めると、そこには十メートルはありそうな巨大な砂時計が立っておりました。
その砂時計の前には、黄金の椅子に座り、優雅にハープを爪弾く長い金髪の殿方が。
純白の長い布を一枚纏っただけという簡素な服装ですが、その殿方の全身からは強烈なオーラがほとばしっており、人間の域を超えた存在であることを表しております。
「貴方が、私をここに呼んだのですか……?」
問いかけると、殿方はゆっくりと私にお顔を向けて微笑まれました。
この世のものとは思えないほど芸術的な美貌、と表現すればよいのでしょうか。
そのお顔は男性か女性かすらも定かではなく、まさに神が作り出したとしか思えない完璧な造形です。
「時空神の世界へようこそ、人の子よ」
キラリと真っ白な歯を光らせて微笑んだそのお方は、歌うような口調で言いました。
「──我が名はクロノワ。時と永遠を司る神なり。久しぶりだね、スカーレット。……と言っても私が君に祝福を与えたのは、まだ君が胎児の頃だったから、覚えているはずもないが」
時空神クロノワ――創造神に次いで大きな力を持つと言われている、三大神の一柱です。
「えっと、その節は大変お世話になりました……?」
一応お辞儀をしながら言うと、クロノワ様は微笑みを絶やさずにうなずかれます。
「思っていたよりもずっと礼儀正しい子のようだね。たまに地上の様子を見ると、君はいつも暴れていたから、さぞやお転婆な子なのだろうと思っていたのだが」
ここでもそんな評価がなされているのですか。私は世のため人のため、仕方なく暴力を振るっているだけですのに。
「それで、そのクロノワ様が一体私になんのご用でしょうか」
私が問うと、クロノワ様はハープを爪弾く手を止め、わずかに目を細めて言いました。
「実は君に頼みごとがあってね」
頼みごと? 神様が私に?
困惑する私に、クロノワ様は穏やかに微笑みます。
「パルミアに奪われた聖女ディアナの加護を、取り戻してもらいたいんだ」
パルミアに、奪われた? ディアナ様の加護が?
「……一年前にディアナ様が加護の力を失ったのは、女神パルミアが奪ったからなのですか?」
クロノワ様は私の問いにうなずくと、静かに語り始めました。
「そもそもの発端はというと……私がパルミアに愛されているということにある。彼女はとても嫉妬深い女神でね。私が人間に祝福を与えていることが許せないらしい。とはいえ祝福は上書きできるものでもないから、代わりに加護の力を奪ったのだそうだ。まったく困ったものだね」
クロノワ様が人間に祝福を与えていることに嫉妬して……?
ちょっと待ってください。ディアナ様の加護によって生み出される結界は、緑色のシールドのような見た目をしています。その力が奪われていたとすると、テレネッツァさんを殴った際に出現したあれは、もしかしなくても……
そもそもクロノワ様の話が本当だとするならば、あの女神は――
「もしやディアナ様の加護に限ったことではなく……パルミア様は、パルミア教を使ってパリスタン王国を内部から崩壊させようとしているのですか? 私やディアナ様といったクロノワ様の祝福を受けた人間が気にくわないから?」
「だろうね。僕達神が地上に直接関与することは難しいから、自分を信仰する教徒達を利用して、国の内部から切り崩す手段を選んだのだろう。彼女らしいやり方さ」
なんということでしょう。まさか現在進行形で繰り広げられているパルミア教の暴走が、ただのくだらない嫉妬心によって引き起こされたものだったなんて。
巻き込まれたこちら側としては、たまったものではありません。
「クロノワ様のお力でどうにかできないのですか? お言葉ですが、もとはといえば貴方達、神様同士のいざこざでしょう?」
「うん。そうしたいのは山々なのだけれどね……神の間では直接争ってはいけないというルールがあるんだ。そんなことをしたら、天界が滅茶苦茶になってしまうからね。だから私が直接彼女に手出しすることはできない。できるのは忠告ぐらいだが、言っても聞く性格ではないからね」
苦笑するクロノワ様からは、どこか他人事のような無責任さを感じました。自分達が原因で起こったことなのに、神様にとっては私達人間のことなど、所詮その程度の問題なのでしょうね。
気にかけてくれているだけ、クロノワ様はまだ幾分かマシというわけですか。
「加護を取り戻す、とおっしゃっていましたが、それをディアナ様が再び使えるようにする手段はあるのですか? いえ、そのおつもりはあるのですか?」
「もちろん。あの加護はもう、彼女達歴代のディアナにとってなくてはならないものだ。それが他人の手に渡っている状況を正したいというだけだからね。もし取り返すことができたなら、私が責任をもって、当代のディアナが再び加護を使えるように助力すると誓おう」
そう告げて、穏やかな笑みを浮かべているクロノワ様。その言葉には、なにひとつ嘘偽りはないように感じました。
神様がわざわざこんなことで人間を騙す必要もないでしょうし、本当のことだと信じてよさそうです。
「……わかりました。もともとディアナ様のお力に関しては、ずっとなんとかして差し上げたいと思っていましたし、喜んでお引き受けしましょう」
「そう言ってくれると助かるよ。私としても、自分が祝福を与えた愛し子が悲しんでいる姿を見るのは、忍びないからね」
そう言うと、クロノワ様は懐からひとつの懐中時計を取り出しました。
「これは〝時空神の懐中時計〟という……まあなんのひねりもない名前の魔道具だ。これを私の加護を不正に所持している人間――パルミアの巫女の前でかざせば、力を取り戻すことができるだろう」
「パルミアの巫女? それは一体どなたのことですか?」
「君がもう何度も会っている人間さ。確か名前は――」
◆ ◆ ◆
夜の暗闇の中。私――ジュリアスは、領主の館のベッドで眠り続けるスカーレットの姿を見つめていた。
スノーウィンドの街に着いてから、三日が経つ。
捕縛した領主と兵士達は、街の近くにある駐屯所から兵を派遣してもらい、すでに王都へ移送した。
トラブルがあったとはいえ、予定通りならもうここでの浄化の儀は終えて、次の街に向かっている頃合いだ。
「……さて、どうしたものかな」
聖地巡礼の指揮はレオに任せているとはいえ、全体の方針を決めるのは私の役目だ。
日程は余裕を持って組んであるが、それでもあまり長くこの地に留まっていては、王都の議会に出ている連中から、なにをしているのだと文句を言われるだろう。
スカーレットが意識を取り戻さないことには巡礼を再開することもできないのだが、彼女が真の聖女であると知らない議会側からしてみれば、私がただサボっているようにしか見えない。面倒なことだ。
「ジュリアス様……」
背後からかけられた控えめな声に振り向くと、寝巻き姿のディアナが立っていた。
巡礼中に顔を隠していた布はなく、あどけない素顔を晒している。
「お姉様は……?」
「まだ起きない」
加護の過剰使用による眠りは深い。とはいえ、そろそろ目を覚ますはずなのだが……
「私のせいで、お姉様は……」
「そうだな。スカーレットがこうなったのはディアナ――お前が私達を裏切ったせいだ」
私がそう断言すると、ディアナは驚きに目を見開いた。
そして表情を隠すように顔を伏せると、かすれた声でつぶやく。
「……いつから気づいてたのよ。私がパルミア教に情報を流してるって」
そう、聖女ディアナは、パルミア教とつながっていたのだ。
うつむいて黙り込んだディアナに、私が考えていたことを静かに語っていく。
私が彼女たちがスパイであると知ったのは、聖地巡礼の前、王都で空砲騒ぎがあった時のことだった。
騒ぎを引き起こした犯人達を尋問した結果、ディアナがパルミア教に情報を流していると判明したのだ。
まさかと思い、王宮秘密調査室を動かして調査を開始。するとあっという間に、ディオスを伴ったディアナが、パルミア教徒と密会している現場を押さえてしまった。
本来ならすぐにでも拘束して、事情を聞き出さなければならない。だが、私はそれを自らの責任のもとで保留にした。
情けをかけたわけではない。
二人がなにを目的として動いているのか、その詳細が知りたかったのだ。
もしかしたら、パルミア教の地位を失墜させるような、決定的ななにかを押さえることができるかもしれないしな。
だから私は、二人を泳がせることにした。
その結果がこのザマだ。スパイである二人の手によって私達の情報はすべてパルミア教側に筒抜けになり……その負担はすべてスカーレットが負うことになった。
自慢の銀髪が一部黒くなったままだと言って、ずっと気にしていたスカーレット。そんな彼女に、これ以上悲しい顔をさせまいと思っていたのにな。裏目に出るのもいいところだ。
「……じゃあ、もう私を泳がせる必要はないわよね。どうするの? 捕まえる?」
顔を上げたディアナはなかばヤケになっているのか、いびつな笑みを浮かべて言った。
「捕まえて、それで終わりなら楽だったのだがな。残念ながら事はそう単純ではない。救国の聖女を捕まえたなど、一体国民にどう説明すればいいと言うのだ? それができたとして、与える罰はどうすればいい?」
「う……」
指さしながら矢継ぎ早に問うと、ディアナはなにも言えずに口ごもる。
「わかるか? 聖女に関わるものには、政治的判断が必要なのだ。それをこれっぽっちも考えずに、捕まえるだと? そんなこと、よくも軽々しく言えたものだな。この愚か者め」
「あうっ」
ベシッと額にデコピンをしてやった。
「お前がもし男だったら、ブン殴っているところだ。この程度ですんだことを感謝するのだな」
「うう……痛い……」
自業自得だ、バカめ。まあ、多少は溜飲が下がったし、とりあえず説教はこれくらいにしてやろう。
「お前は捕まえない。というより、捕まえられん。メリットより、そのあとに起こりうる事態を収拾する手間や影響があまりにも大きすぎるからな。よって裏切りの件に関しては不問に付す」
「……そっか。私、捕まらないんだ……」
安堵と自責。その両方を内包した複雑な表情を浮かべて、ディアナが壁によりかかる。
私はため息をつきながら彼女に歩み寄ると、その頭にポンと手をのせながら言った。
「説明してもらうぞ。なぜ情報を流していた。ディアナ聖教の聖女であるお前が、パルミア教に与していた理由はなんだ?」
「…………それは――」
ディアナが意を決したようになにかを言いかけた、その時。
ドォオオオオオン! と、遠くから凄まじい轟音が鳴り響いてきた。
まるで天の怒りが地上に炸裂したかのような衝撃に、グラグラと大地が揺れる。
「きゃっ!?」
よろめいたディアナを抱きとめながら、窓の外に視線を向ける。
「なんだ、あれは……?」
街の外に広がる森の奥――ちょうど北の浄化の大聖石があるあたりに、雲を割って、黄金に輝く巨大な柱が立っていた。
「光の……柱?」
透明な柱の内部では、大小様々なものが巻き上げられているのが見える。それは地上から舞い上げられた土塊か、それとも――
「様子を見てくる。お前はここで待機していろ」
「う、うん……」
チラチラと柱のほうを見ながら、心ここにあらずといった様子でうなずくディアナ。そんな彼女を部屋に残して、私はすぐさま館を出た。
街は騒然としていて、住人はみな不安げな表情で光の柱を見上げている。
光の柱はまるで太陽のように輝き、夜の街を照らし出す。やがてその柱は、中心に向かって収束するように小さくなり、輝きを失って消滅した。
「ジュリアス様!」
馬に乗ったレオが、聖女守護騎士団を連れて私のもとに駆けてくる。
どうやら先んじて状況を確認してきたらしい。
「なにがあった? あの光の柱は一体――」
馬を降りたレオは私の耳元に顔を寄せると、周囲に聞こえないような小さな声で言った。
「……国境に常駐している駐屯兵によると、先ほどの光の柱のせいか、大聖石は跡形もなく消滅。それに伴い結界にほころびができ、スノーウィンドに向かって魔物が多数接近中とのことです。あと一時間もしないうちに、スノーウィンドへ到達すると思われます。早急に避難の指示を」
「……柱の中で舞い上がっていたのは、砕けた大聖石だったか」
目を閉じ、即座に思考を巡らせた私は、声を潜めてレオに問い返した。
「魔物の数は?」
「正確には確認できておりませんが、百や二百ではきかないかと」
……おかしい。
結界の付近には魔物が集まりやすい傾向にある。とはいえ、群れを作らない魔物がそろって同じ行動をとるなど、明らかに異常だ。
大聖石を破壊した何者かがおびき寄せたのか?
しかしどうやって、なんのために……?
「駐屯兵たちはいまどうしている?」
「魔物の侵攻を食い止めるべく出動しております。街の住民の避難が終わるまで、なるべく時間を稼ぐそうです。ですが、あれだけの数が相手では、どれだけ持ちこたえられるか……」
駐屯兵の数はそう多くない。そもそも彼らが国境付近に待機しているのは、戦うためではなく、他国の動きをいち早く察知するため。
故に兵の練度も高くなければ、士気も低い。もちろん、魔物と戦ったことのある兵などいるはずもない。
「守護騎士団を指揮して、住民を一ヶ所に集めてから避難させろ。誘導はお前に一任する。任せていいな?」
「承知いたしました。聖女守護騎士団、集合せよ!」
レオが大声で号令を出すと、街の各地に散っていた守護騎士団の面々が一斉に集まってくる。
全員が集まったのを確認すると、レオは少しだけ考える素振りを見せたあと口を開いた。
「国境付近で原因不明の大規模火災が発生! スノーウィンドの住民を一時的に街の外へ避難させる! 地域を分担して街の端から声をかけ、住民全員を中央広場に誘導せよ!」
「はっ!」
うまいやり方だ。大聖石が壊されて、魔物が襲ってくるなどと聞けば、街の住民はまたたく間にパニックになるだろうからな。
「さっきの光の柱が原因か? 一体なにが起こったっていうんだい」
問うてくる老婆に、レオが簡潔に事情を説明する。
「駐屯兵が現在原因を究明中です。火災が街まで到達することはないと思われますが、また同じような現象が起こらないとも限りません。よって念のため、みなさんには一時的に近隣の街へ避難していただきます」
「大聖石のほうでなにか起こったようだが、大丈夫なのか?」
「それも併せて調査中です。さあ、早く」
不安そうな表情を浮かべながらも、人々は広場に集まってくる。
あとは私がいなくても問題あるまい。
馬に乗り、出立の準備を整えていると、パラガス団長が声をかけてきた。
「ジュリアス様、どちらへ?」
「砕けた大聖石の状態を確認してくる」
その言葉に、パラガスは目を見開いて声を張り上げた。
「なりません! すでにあの場は戦場ですぞ!」
そんなことは百も承知だ。確かに危険もあるだろう。だが――
「私はこの国の第一王子として、国を――民を守る大聖石の状態を確認する義務がある。なに、私とて命は惜しい。遠目で確認したらすぐに戻るつもりだ」
「それは貴方のすべきことではない! なにとぞ、お考え直しを――ジュリアス様!?」
パラガスの横を突っ切って馬で走り抜ける。悪いが問答をしている時間はない。
「避難が終わったら、私を待たずに次の聖地に向かえ! 私もあとから追う!」
背後から響いてくるパラガスと守護騎士団の悲鳴を聞き流しながら、私はある場所へと馬を走らせた。実は王都を遅れて出発した際、乗ってきた特別なものがあるのだ。馬よりはるかに速いそれに乗れば、状況把握もすぐにすむ。
本当に北の大聖石が何者かの手によって破壊されたのならば、それは大聖石が穢れを溜めてもろくなっていたからに違いない。
強力な破魔の力を宿した大聖石は、めったなことで壊せるものではないのだ。
逆に言えば、浄化の儀さえ終えてしまえば、大聖石を壊すことは不可能になると言っていい。西と南の大聖石を速やかに浄化する必要があるだろう。
だが、それでもまだ不安要素が多すぎる。
あの光の柱――遠くから見ただけだが、あの柱の破壊力は計り知れない。私にはあれが、神の怒りを具現化したかのような、そんな光に見えた。
少なくとも人間にできる所業ではあるまい。
となれば、あれを引き起こしたのはおそらく――
その時、暗闇の中になにか人影のようなものが見えた。
「……現れたか」
大聖石の場所まではまだかなり遠い。駐屯兵が戦っているのも、もう少し先のあたりだろう。
では一体誰が、こんな危険な場所に?
そんなもの決まっている――この事態を引き起こした張本人。すべての黒幕だ。
「……っ!?」
突然、グラリと足元が揺れた。いや、足だけではない。
頭がグラグラとして、まるで酩酊しているかのように目の焦点が定まらなくなる。これは、まさか――
「あはっ! まんまと引っかかったわ! 飛んで火に入る夏の虫とはこのことね!」
聞き覚えのある甲高い声が耳に届いた時、私は姿勢を維持していられず、馬から転がり落ちてしまった。
「ぐはっ……う、ぐ……」
意識が混濁していく。これが――魅了の加護か。
「なるほど……本気を出したと……いうわけか。確かに、この感覚は……抗い難い」
以前領主の館の前で使われた時とは、比べ物にもならない強力さだ。
「やれやれ、これでは……スカーレットに笑われてしまう、な……」
駆け寄ってくるピンクブロンドの女の姿を視界の端に捉えながら、私の意識は泥沼のような闇の中に沈んでいった。
第五章 私も好きですよ。
パリスタン王国の小さな農村で生まれた私は、母にディアナと名づけられた。
私が七歳になって少ししたある日のこと。私は不思議な夢を見た。
その夢の中では、よく母が読んでくれる絵本に出てきた聖女様が、ニコニコと微笑みながら立っていた。
聖女様は私に向かって緑色に光る球を差し出すと、穏やかな声でこう言ったの。
「聖女の力はいま、貴女に引き継がれました。これより貴女が聖女ディアナです。この国をよろしくお願いしますね」
目が覚めると、私の中にこれまで感じたことのない神様の祝福を、はっきりと自覚できた。ううん、それだけじゃない。
見たことも聞いたこともなかった、聖女が持っている力の使い方や、その役割についての記憶すべてが私の中にあった。
――これが〝副聖女〟としての私の力。
試しに恐る恐る手を突き出して〝しりぞけ〟と唱えると、目の前に私の身長ほどの高さの透明な緑の壁が現れる。
これが、時空神クロノワ様の結界。聖女ディアナとしての、私の力。
「すごい……すごいすごいすごいすごーーーい!」
ベッドから飛び起きた私は、全速力で家族がいる居間に飛び込んだ。
だって、昨日まで畑の手伝いをしていた農民の子供の私が、起きたら聖女様になっていたのよ? こんなの、自慢しないでいられるわけがないじゃない!
「ねえみんな! 私、聖女様になったみたい!」
しかし、興奮しながらそうまくし立てる私を、信用する家族は誰もいなかった。
なんでよ!? 特にお母さんがそんな目で私を見るのおかしくない!?
聖女様のようになれますようにって、私の名前をディアナにしたくせに!
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