スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第二話「雪明」

「雪明」(11)

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 高速道路を埋め尽くす渋滞は、相変わらず解消されないままだった。

 大規模なテロ事案の発生と銘打ち、現場検証の間、政府がほぼ完全に往来を封鎖してしまったためだ。足止めされた運転手たちの苛立ちを代弁して、一般車たちのクラクションは鳴り止まない。

「オーライオーライ」

 特殊装備の隊員が誘導灯を振る先、トラックの荷台からバックしてきたのは黄色のタクシーだった。修復の済んだジェイスの愛車だ。

 タクシーのサイドミラーに、ジェイスの姿は反射した。応急手当の完了した胸もとをワイシャツで隠し、几帳面にネクタイを締め直す。血や焦げ跡でボロボロだったスーツは着替え終わり、いまや新品だ。

 それを横目にしながら、つぶやいたのはエマだった。

「特殊情報捜査執行局……ファイア。名付け親のネーミングセンスを疑うわ。名前の由来は、ジェイス。あなたたち政府の闇に奪われた命の灯火や、鉄砲の火花、燃やしてきた建物の炎とかのこと?」

「…………」

 身だしなみを整えるばかりで、ジェイスは無言だった。

 破壊された防護壁の向こうを見よ。大量の水滴を降らすのは、クレーン車が海から引き上げるスコーピオンのワゴンだ。水面への衝突が生半可ではなかった証拠に、その車体は粘土細工のようにひしゃげている。全身を強打して溺れた運転手……すでに包帯ぐるぐる巻きで準備のいいテロリストの水死体が発見されるまで、そう長くはかかるまい。

 廃車が道路に下ろされるのを、エマは静かに目で追った。組織ファイアの救急車両がテント代わりに展開した側壁の陰で、ため息混じりに続ける。

「シェルター都市の一歩外はひどい吹雪なのに、その秘密の火の粉はまだ燃え尽きずにいる。ファイア……時間切れ間近のこの世界には、ぴったりの組織名ね」

 エマの耳にふと、かすかな忍び笑いが聞こえた。

「くくく……」

 中性的なボーイソプラノの声だった。

 思わず辺りを見回したエマだが、隣には白衣の医者しか座っていない。エマが前に伸ばした細腕の切り傷を、医者はどこか機械じみた丁寧さで治療している。着けたその抗菌マスク越しに、きゅうっと三日月型に微笑む医者の瞳にも気づかず、エマはジェイスへ切り出した。

「ありとあらゆる職業に擬態カモフラージュした政府の殺し屋が、あちこちから街を見張ってるって噂は警察署内でも有名だわ、ジェイス?」

「……副業だ」

「どっちがよ? 運転手のほう? 潜入捜査官エージェントのほう? 身も蓋もない人ね?」

 疲れがちに微苦笑したエマの視線に、ジェイスの手首の腕時計は輝いた。

 盗聴という名の鎖でつながれた猟犬の首輪だ。事件の一部始終を傍受した組織の戦闘員たちは、いまごろ涎を垂らしてテロリストの砦に突入しているだろう。

「お大事に」

 医者に問題なしの太鼓判を押されると、エマは黄色のタクシーに歩み寄った。車を挟んでジェイスと背中合わせになったまま、質問する。

「いったいなにと戦ってるの、あなたたちは? そんな魔法じみた改造を我が身に仕込んでまで?」

「さあ」

「どこから訪れた客?」

「遠くからだ」

「そ。長旅ね」

 海辺で現場検証にいそしむ鑑識係のたちの頭上、カモメの群れは青空を旋回しながら鳴いていた。どこか切ない声色だ。もしかしたら、これから女刑事を襲う運命を哀れんでいるのかもしれない。真実を知りすぎた部外者には、地獄めいた記憶消去の処置が待ち受けている。

 そんなこともつゆ知らず、エマはそっとジェイスに片手を差し出した。

「追うのを諦めるしかない真相も沢山あるけど、とにかくスコーピオンを止めることはできた。ありがとう、ジェイス。あなたのタクシーを選んで正解だったわ」

「…………」

 握手に応じる代わりに、ジェイスは金色のきらめきをエマへ渡した。ナイフの傷跡も生々しい警察のバッジだ。

 目を丸くして、エマは舌を出した。

「あ、そっか。あのサービスエリアでついうっかり……どれだけ深い傷を負っても追いかけてくるのね、このバッジも、あなたも。もう未練はないわ」

 エマの指先が警察手帳に触れるのと、ジェイスの腕時計が笑い出すのは同時だった。

〈ぎゃーははは! おはよう! 諸君!〉

 聞き覚えのあるテロリストの声に、エマの表情は凍った。

 組織の通信機は、意味のない録音など流さない。

 スコーピオンはまだ生きている。たしかに海へ転落した車から、どうやって脱出を?

〈そろそろ教えてやろうか! 俺が競泳選手を辞めたわけを!〉

 なんの音だろう、銀時計の向こうから聞こえてくるこれは?

 犬科の野獣を連想させるスコーピオンの息遣いを縫って、なにか鋭いものが高速で回転している。工業用のドリルらしい。

〈人体の不思議ッ! おでこに開けられた穴は、第三の目になるんだって! その気持ちいいのなんのって、天にも昇る心地よさ〝らしい〟! 連れてきなさい!〉

 スコーピオンは雄叫びをあげた。

 時計内蔵のスピーカーから響いたのは、どんとイスが軋む音だ。地面をこすって引きずられてきた何かが、無理矢理そこに座らされたと考えられる。

 イスに縛りつけた人間の耳もとで、スコーピオンはやかましく喚いた。

〈好きだろ!? な!? そうしよう!?〉

〈~~~ッッ!!〉

 映りの悪いテレビのようにスコーピオンが前後に揺さぶるのにも、獲物の人物は必死に耐えている様子だった。

 そう。スコーピオンの本拠地へ踏み込むや否や、組織の戦闘員である彼は逆に捕らえられてしまったのだ。だがさすがは、政府の諜報機関ごようたしの強襲部隊の名には恥じない。恐怖や雑念を無にする術を心得ている。

〈ふへへ……そーかいそーかい♪〉

 スコーピオンが舌なめずりするのを、エマは固唾を呑んで聞いた。

 火花を散らすドリルの先端を病的に震わせつつ、犠牲者の眼球へ接近させるスコーピオンの図はたやすく想像できる。腕時計の音声にかすかに混じったのは、囚われの隊員のこんな囁きだ。

〈い……〉

〈い?〉

〈い……い、い〉

〈うらやましーなーッ! 組織のワンコちゃん!〉

〈い……い、いいいやだああ! たすけてええ!〉

〈わかりました〉

 スコーピオンの口調は、急に冷静になった。興味を失ったかのごとく、ドリルの唸りもぴたりとやむ。小声で嘆願したのはエマだ。

「やめて」

 スコーピオンは絶叫した。

〈虫歯発見~~ッッ!〉

〈ああわうわあれわ!〉

 すさまじいドリルの回転音にあわせて、隊員の悲鳴も振動した。

 肉をえぐる響きが、硬いカルシウム部分を掘削し始めるまでに時間はかからない。

 再度やわらかい物質をかき混ぜたのを最後に、こだましたのは戦闘員の体が横倒しになる音だ。かん高いスコーピオンの哄笑があとを追う。

〈あちゃー!? 死んだ! ぎゃはははは!〉

「!?」

 エマの顔は引きつった。

 こんどの笑い声は、通信機だけに留まらない。すぐ近くからだ。

 スコーピオンの車に分け入った鑑識係のピンセットは、小刻みに震えている。

 おお。水浸しのシートで馬鹿笑いを放つのは、こぶし大の丸い生首ではないか。まんべんなく包帯に封じられた顔を抽象化デフォルメしたその玩具は、瞳に浮かんだ数字を高速で減らし続けている。五、四、三、二……

 スコーピオンお手製の爆弾だった。

〈ぎゃーはははは!〉

 煙をあげて急スピンしたタクシーの車内へ、素早くエマを引き込む手があった。

 ジェイスだ。

「掴まれ」

 カウントダウン終了……

 閃光とともに、道路の底は抜けた。
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