スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第二話「雪明」

「雪明」(13)

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 病院内……

 ジュズの閃光がひと撫でした支柱は、なかばから溶け崩れて床にばらけた。

 暗闇を照らしてエマを襲う未知の熱線、熱線、熱線。こんなものを生身に浴びればひとたまりもない。直感だけで前転して攻撃をかわすと、エマは流れるようにマシンガンを撃ち返している。

 百人収容の待合室の壁を背にして、エマは荒い吐息を繰り返した。その頬はすでにススだらけだ。押さえた脇腹の掠り傷は、ワイシャツに浅く血を滲ませている。

 廊下の先は漆黒に閉ざされ、ひどく見通しが悪い。ただ、その深奥でときおり自動小銃のフラッシュライトを反射するのは、不気味な眼球の輝きだ。診察室から診察室へ往復するジュズどもの足音は、人気のない院内にこだまして何重にも聞こえる。

「遊んでるつもり?」

 エマの小声とともに、空の弾倉はひび割れた床を叩いた。

 残りの弾倉は、あとひとつだ。これを使い果たすまでに、なんとしても怪物の包囲網を突破して生存者を救出せねばならない。無謀すぎるのは重々承知している。

 額に汗を浮かべつつ、エマは新たな弾倉をマシンガンに差した。差した途端、背後の壁を突き破って生えたのは巨大な腕だ。

「!?」

 絶句とともに、エマは頭上めがけて引き金を絞った。撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ……

 火花の滝を散らし、やがて銃声は途絶えた。弾切れだ。地球外の強化装甲に遮られて変形した銃弾が、同じ数だけエマの足もとに吐き戻される。

 エマを羽交い締めに捕らえるのは、球体どうしを芸術的に連結した手だった。必死にもがきながらエマが仰いだ先では、コンクリートを盛り上がらせて無感情な玉状の顔が現れている。絶体絶命だ。ずいぶん呆気なかった。

「生き物ってやつは、どいつもこいつも狭いなにかに隠れるのが大好きだ」

 雄大な景色でも眺めるように、しみじみと語る声があった。

「そうだろ、お巡りさん?」

 いつからいたのだろう?

 裂けて綿の飛び出したベンチの残骸に、診察を待つ人影が座っていた。一人、二人、三人、四人……多い。だが、ここへの来院者といえば、埃っぽい風と昆虫ばかりになって久しいはずだ。

 包帯の切れ端をなびかせ、人影は続けた。

「揺り籠、家族、学校、会社、刑務所、そして棺桶……世間の腐った空気に驚いて産声をあげた瞬間から、最後におさまる世界の寸法は決まってる。俺もそうだし、お巡りさんもそうだ」

 独白する暗黒のそこに、赤い光点がともった。ジュズの束縛を押し返そうと身じろぎするエマの鼻先、流れてきたのは品のよい葉巻の紫煙だ。

「……!」

 それまでは索敵に没入するばかりだったが、エマはふと我に返って空気を嗅いだ。どんな高級な葉巻の薫りだろうと、この臭いの凄まじさには勝てない。このむせ返るような鉄錆びた悪臭はなんだろう?

 声の主……スコーピオンは、ベンチにふんぞり返ってエマへつぶやいた。

「そう、俺たちゃ魚さ。犯罪の海でしか生きられない、かわいそうなお魚だ」

 囚われのまま、エマはうなった。

「スコーピオン……あんたには今度こそ、処刑台の整理券を贈るわ」

 エマの気迫に感動し、スコーピオンは小さく口笛を吹いた。足を組んでベンチにくつろぐスコーピオンへ、押し殺した口調でたずねたのはエマだ。

「どこ、人質は?」

「人質ィ? ああ、ね。警察に知らせたら命はないぞ、ってもう遅いか♪」

 大きく開いたスコーピオンの両手は、すでに血と脳漿でどろどろだった。

「人質なんか、最初から取るつもりはねえ」

「!?」

 広い待合室を駆け抜けた光に、エマは思わず目を細めた。院内の窓という窓から、いっせいにカーテンが引かれたではないか。

 カーテン?

 違う。いままで窓辺をさえぎっていたのは、すべてジュズの丸い巨躯だったのだ。正気の外をさ迷う眼球、眼球、眼球。数えきれない。

 一方、うっとりした舌使いでささやいたのはスコーピオンだった。

「みんなここにいるよ♪」

 鮮血のような夕陽が明るみにした光景に、エマの瞳孔は広がった。

 端から端までずらりとベンチを席巻するのは、スコーピオンと接触した組織ファイアの戦闘員たちに他ならない。しかし揃って彼らの身長が低いのはなぜか。それもそのはずだ。ちょうど鼻のあたりで水平に分割された頭部からは、白いアイスクリーム状のものが窺える。

 床に転がるドリルやチェーンソーの数々は、存分に活躍して血まみれだった。

 一個小隊からなる政府の精鋭部隊に、もはや生き残りはいない。

「…………」

 衝撃のあまり俯いて、エマは小刻みに肩を揺らしていた。いたずらを発見された悪ガキみたいに、唇をおさえたのはスコーピオンだ。

「あわわ、泣かしちゃった? 俺知~らねぇっと」

 ジュズに拘束されたまま、エマは顔をあげて言い放った。

「笑ってるのよ」

 前髪の間から、エマは強く目を瞠った。その奥底で燃える怒気に、スコーピオンともあろう者が生唾を飲んでいる。

「あんたに無残に殺されていった罪なき人々が、あたしにこう耳打ちするわ。スコーピオン。骨のひと欠片も残さず、あんたを焼き尽くす炎が見える。火種の名前は、地獄よ」

「地獄ねェ。ずいぶん昔、ピクニックに寄った覚えがある。よく見りゃこの街だったが」

 スコーピオンは指を鳴らした。片膝をついたジュズが捧げる物体は、まだ記憶に新しい。

 戦いのきっかけとなった、あの裏路地のアタッシュケースだ。

 中身の呼称はたしか〝ダリオン〟……

 歌うようにスコーピオンは口ずさんだ。

「もう晩御飯は食べた? お巡りさんだけの取っておきのデザートだよ♪」

 蜘蛛のうごめきを思わせるスコーピオンの指先は、アタッシュケース表面のパネルに複雑な暗証番号を打ち込んだ。桁の数はあきれるほど多い。

 続いて、パネル横のスリットに専用のカードキーを走らせると、ケースにともったランプの色は緑から赤へ変わった。次に、それぞれ形状の異なる物理鍵をケース左右の挿入口に突っ込み、三カウントで同時に回す。

「こいつがまたよく出来た代物でさ。簡単に言うと、そうだな。こいつは、寄生した動物の体の中で育つ」

 スコーピオンは必死に笑いをこらえた。動揺の稲妻を走らせたのは、所狭しと二人を取り囲むジュズたちだ。

 まさか、気か?

 アタッシュケースをがちゃがちゃ弄り回しながら、スコーピオンはささやいた。

「初恋と似てないかい? じぶんの中で、予想外のなにかが物凄いスピードで成長してくんだ。最後は繭か蛹代わりにした宿主の体を内側からぶち破って、はい、一丁上がりね」

 冷気とともに口を開けたケースは、スコーピオンの表情を青白く隈取った。

 音や気配に反応したようだ。死んだ標本でもなんでもない。頑丈な耐衝撃カプセルに満たされた溶液に漂う〝ダリオン〟は、早くもいびつな根っこをよじった。こいつは確かに生きている。

 防護カプセルそのものにも膨大な数の認証過程があることに、すでに不思議はない。それだけで金庫破りを営めるレベルの多彩な鍵を使って、より物々しい手順をスコーピオンはせっせとクリアしていった。

「さっきのお魚の話の続きだが……ダリオンにゃ、狭い世界を自力でどうにかする根性がある。氷河期の雪の下で仮死状態になって冬眠してたかと思えば、獲物が通ったら飛び起きるのはすぐだ。取り憑いた獲物の存在意義を養分にしながら、ダリオンはマグマの底だろうが宇宙空間だろうがあっという間に適応して産まれてくるのさ。いわゆる完全生物ってやつだな。脱帽しちゃうよ」

 スコーピオンは色っぽく手招きした。

 がんじがらめにしたエマの背中を、ジュズが押したではないか。四つん這いに手をついたエマの眼前、ああ。悪魔の爪じみた固定を外されたカプセルは、糸ほどの蓋の隙間から内部の粘ついた汁を滴らせている。

「い……いや」

 鳥肌をたてて、エマは首を振った。しだいに抵抗は大きくなる。だが手足をジュズどもに抑えられているため、逃げることはできない。

 気泡をかわして激しく花弁をうねらせ、ダリオンはとっくにカプセルの出口へ待機していた。全身の棘を削岩機のように回転させる行き先には、涙に濡れたエマの顔がある。待ちに待った寄生の相手が見つかったのだ。

「お、なついてやがるじゃん。ウブな純真ボーイだとばかり思ってたが、こいつめ。意外と風上に置けないな」

 スコーピオンの面持ちは、とろんと恍惚したままだった。下卑た弛緩を見せる唇の端には、卑猥な涎さえ光っている。ダリオンを封じる容器は、いま完全に開き……

 背徳の光景を楽しげに見守りながら、スコーピオンは笑った。

「泣き虫は治るかな、お巡りさん♪」

 大気を切り裂いたのは、最新鋭戦闘機のエンジンに似た加速音だった。

「はい?」

 包帯の手を一直線にかすめた灼熱の槍は、そのまま床を砕いて猛烈な勢いで燃えている。

 中身のダリオンごと黒焦げになったカプセルを見て、首をかしげたのはスコーピオンだ。

「熱っちい」

 苦悶したスコーピオンの包帯を、導火線のごとく炎は這い上がった。

 火を払おうと奇妙な踊りを披露するスコーピオンを、ぽかんと眺めるのはエマだ。

 超高温の荷電粒子砲……こんな離れ業ができる人物は、ひとりしか思いつかない。

 廃病院の屋上、吹き抜けの窓は割れた。

 ガラス片をまとって飛び出しのは、四体のジュズだ。はるか高みを落下しつつ、切れ味鋭い光線を撃つ、撃つ、撃ちまくる。反対に、ジュズたちの中央、レーザーの軌跡を縦横無尽に弾き返す音、音、音。

 炎の流星は乱れ舞った。腹部を手刀に射抜かれたジュズが爆発したときには、真っ赤な回し蹴りに胴を両断された別の二体は側壁に激突して炎上している。

 顔面を鷲掴みにされた最後のジュズは、地響きをあげて床へ叩きつけられた。一同の真っ只中に着地した人影の周囲に、きらめく破片と火の粉が降り注ぐ。負けたジュズが頭部を始点に燃え上がったのは、男がネクタイをひるがえして反転したのと同時だった。

 ジェイスだ。

「~~~ッッ!?」

 残ったジュズの軍勢は、目を剥いて一気に殺気立った。

 煙を漂わせる両腕を、万歳の体勢に広げて叫んだのはスコーピオンだ。

「ようこそ! 人間ミサイル!」

 装甲の巨人どもが動くより、ジェイスの姿が掻き消えるのは刹那だけ速い。背中合わせにジュズたちの後方に現れたのは、灼けた手刀を振り切った人型の業火だ。ジェイスの駆け抜けた足跡にそって、幾筋もの赤い線はめらめらと床を揺れている。

 続けざまにジュズの機体は横ずれし、地面に落ちて発火した。

 とはいえ、球状の死神の頭数はまだ多い。

「熱ッ!」

 軽く悲鳴をあげたのはエマだった。

 腰を抜かして後退った背中が、なにかにぶつかったのだ。ジェイスの脚ではないか。だがその重みは、文字どおり鋼鉄のように心強い。またボロボロに炭化した袖と裾は、依然として濃いかげろうで空間をゆがめている。

 なんどもジェイスの無表情を見返して、エマはようやく安堵に胸を撫で下ろした。こちらも急に熱くなってきた瞼を拭きつつ、ぐすりながら問う。

「まったくもう……死体を運ぶのはタクシーじゃない。霊柩車なんでしょ?」

「…………」

 遠くの非常口で前後する扉を、ジェイスは凍えた眼差しで見据えた。

 その奥の階段を、全速力で逃げる笑い声がある。スコーピオンだ。

 感情のない声色で、ジェイスは告げた。

「客だ」

「え?」

 エマは目を丸くした。

 応急処置された傷も開いたらしい。いまやジェイスの肩や脇腹は、ワイシャツ越しにも朱に染まりつつある。それでいてなお、うながすジェイスの声は冷徹だ。

「逃がすな」

「たったひとりで、この数の化け物を相手にするつもり? 頭がどうかしてるわ。やっぱりあなた本当に……」

 抱きつきざまに、エマは弾丸のごとくジェイスと唇を重ねた。

「本当に、白馬の王子様かもね!」

 拳銃を掲げ、エマは非常扉を蹴り開けた。

 その音を合図に、ジュズの群れはいっせいに跳躍している。ジェイスめがけて迸ったのは熱線の雨だ。

「…………」

 口をぬぐったジェイスの手は、轟と燃えた。
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