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第二話「雪明」
「雪明」(14)
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巨人の倒れたような地震は、廃病院を揺らした。
「ワオ!」
天井からぱらつく破片に、興奮したのはスコーピオンだった。配線だけでぶら下がった頭上の蛍光灯も、静かに振り子を描いている。手駒のジュズと強化人間の捜査官は、いまもまだ階下で激しい攻防を繰り広げているのだ。
新たな葉巻を八重歯にくわえながら、スコーピオンは急いで階段を昇った。いそがしく耳と肩の間に挟んだ携帯電話の表面では、戯画化された可愛い毒サソリの紋章が明滅している。
携帯電話の向こうへ、スコーピオンは喋りかけた。
「うん、燃えちゃってね。お祭りなの」
懐から抜いたシガーカッターを、スコーピオンはカニみたいに開けては閉じた。上等な葉巻の先端に刃をあてがいつつ、続ける。
「ちょっと助けに来てくれないかな、愛しのマタドール。え、機体の調整中? 今日はダメな日かァ~。じゃ、ダニエルは? あの〝インヴィディア〟の能力ならジェイスといい勝負を……嘘ん、裏切った? 大事な大事なホーリーちゃんまでさらって? 死ね。死ねばいいのに」
銃声……
木端微塵になった葉巻の尻を、スコーピオンは二度見して感心した。
「ちょうどいいや」
轟音とともにスコーピオンの手から弾かれたのは、こんどは口もとで点火しかけたジッポライターだ。いまいましげに葉巻を横へ吐き捨て、スコーピオンはたずねた。
「こいつぁまた、鉄砲の使い方がえらく家庭的だな。俺の嫁になるか?」
階下の踊り場から拳銃を構えたまま、エマはささやいた。
「悪党と警察は、いつだって恋愛関係よ。もうこれ以上、銃弾を外す自信はないわ」
「大した狙撃の腕だと思ったら、そういうことか」
「とりあえず手でも上げたらどう?」
言われもしないのに後頭部で手を組むと、スコーピオンは壁のほうを向いた。逮捕され慣れているのか、よく洗練された動きだ。小馬鹿にした態度で、エマへ催促する。
「もっと歌えよ。こうだ。〝おまえには黙秘権がある。法廷での証言は……」
足裏を襲ったエマの蹴りに屈し、スコーピオンは綺麗に両膝をついた。後頭部に銃口を突きつけられても、包帯まみれの唇はまだにやついている。
「気分はどうだい、女王様?」
「最高ね。あんたみたいな変態を背中から狙い撃つのが、警察の仕事よ。辞めるなんてもったいないわね、あんたも」
エマが音をたてて掴んだのは、腰に吊るした手錠だ。
スコーピオンは思いきり破顔した。
「楽しいぜい♪ 悪党以外を撃ち殺すのも♪」
スイッチの鳴る音に気づいたときには、もう遅い。
ときならぬ爆音は、エマの鼓膜をつんざいた。非常階段の吹き抜けを、凄まじい火柱と衝撃が駆け昇る。
「!?」
爆風に運ばれ、エマは壁際を跳ね返った。
その間際に見えたのは、ふたたび屋上へ疾走する包帯の切れ端だ。スコーピオンが逃げた跡には、起爆装置のリモコンが放り捨てられている。テロリストはすでに、院内じゅうのそこかしこに強力な爆弾を仕掛けていたのだ。まさか手下ごと邪魔者を爆破してのけるとは……すると、ジェイスまでもが?
シーソーみたいに揺れる視界を叩き直し、エマは怒鳴った。
「なんで!? なんでみんな殺しちゃうの!?」
遅れて屋上へ転がり込むや、エマはすかさず正面に銃口を向けた。
憎っくき罪人の姿は見当たらない。左、右、と矢継ぎ早に照準を移しながら、叫ぶ。
「年貢の納め時って言葉、知ってる!?」
強い風が吹いていた。
着陸線の擦り切れたヘリポートから望めるのは、紫色に暮れるシェルター都市の風景だ。
注意深く屋上を進むエマの視界の端に、白い影がはためいた。すかさず銃を旋回。うつむいたまま沈黙を守る照明灯に、包帯が引っかかってなびいている。
エマの背後、狂った眼球が暗闇に浮かび上がったのはそのときだった。
「!」
とっさに身を投げ出しておらねば、エマの体は蜂の巣と化していたはずだ。糸より細い光の交錯に射抜かれた床は、溶解して同じ本数の煙をあげている。
エマは目撃した。夜空をひとりでに飛び回る無数の輝きを。流線型のこの飛翔体が、いまの熱線を放ったらしい。異星の技術によって生み出されたそれは、なぜかド派手な黄金色だ。
着地の地響きに、コンクリートの破片は舞った。枯れた貯水槽の陰から、巨大な人影が降り立ったのだ。
地面に転がったまま、エマは拳銃を跳ね上げた。撃つ撃つ撃つ。
だが案の定、弾丸は奥の操縦者までは届かない。銃撃は金色の球体装甲に阻まれ、むなしく跳弾して彼方へ飛び去る。
ジュズだった。
しかし形状こそ似通っているものの、そのジュズはエマはもちろんのこと、組織が現在まで確認したどのタイプとも異なる。外骨格の頭頂から爪先を、すみずみまで覆うのは豪奢なゴールドの塗装だ。天を向いたジュズの丸い人差し指の先、コバエのごとく宙を旋回する十機の自律攻撃兵器もまた、黄金に輝いている。
複式殲滅型ジュズ〝ラクシリア〟……
〈ミュージック・チェンジ!〉
合理主義がモットーの異星人は、こんな節操のない大声は漏らさない。両足を肩幅より広げ、片腕を高々と掲げたその姿勢こそは……スコーピオンの決めポーズではないか。
ジュズはやはり、スコーピオンの声を張り上げた。
〈い~い眺めだ! 愛と正義と復讐のために立ち上がった、美貌の女刑事ってか!〉
「あんたが動かしてるのね! スコーピオン!」
パワードスーツの拡声器にも劣らぬエマの怒号に、ジュズはのけぞった。
〈ちゅ、ちゅちゅ駐禁っすか!? 勘弁してくださいッ!〉
わざとらしく土下座したジュズの背後から、いっせいにドローンは散開した。
飛び退って回避したエマだが、手遅れだ。数えきれぬドローンの先端が発光したときには、全身を極細の軌道に切り裂かれてエマは宙を舞っている。
「~~~ッッ!!」
きりもみ回転して石畳に叩きつけられ、エマはかすれた苦鳴をこぼした。太ももを押さえた指の間から、噴水のごとく鮮血はほとばしっている。光線が動脈を傷つけたらしい。
ずたずたのエマの眼前に、黄金の球体は迫った。
〈ぎゃーははは! お人形さんみたい! じゃ、どこからもぐ? 手? 足、臓物? 頭は痛いから最後ね♪〉
長大な球の指は、倒れたエマの瞳を翳らせた。
〈そろそろ教えてやろうか、俺が地球人を辞めたわけを?〉
声を低めて、ジュズはエマの肩を掴んだ。
その巨腕と、ゆるやかに上がったエマの拳銃がすれ違う。大量の失血に、銃身はかたかたと痙攣していた。これを自分自身の頭に向けるのは、右腕がちぎり取られる直前ぐらいでいい。
もて遊ぶように、ジュズはゆっくり語り始めた。
〈九月の真ん中あたりだったかな。俺にもまだ、助手席に乗せる女房がいたころだ。夜中の十二時過ぎ、旅行先から家に帰る途中……〉
エマは叫んだ。
「おしまい!」
銃声……
同時に、巨人は冗談のような炎に包まれた。撃ったエマ本人も刮目している。
「へ?」
コンクリートの地面を真下から貫いた荷電粒子ビームが、ジュズを直撃したのだ。
それだけに留まらない。一発、二発、三発……床越しに連射された太い煉獄の矢は、回避するジュズを追い、またたく間にヘリポートへ燃える円を描いた。
狂喜したのはジュズだ。
〈びっくりするほど正確な狙いだな! だが! こんどは俺も〝正装〟だ! バズーカの反動だってへっちゃらなんだぜ! 出てこい! エージェント・ジェイス!〉
スコーピオンが呼ぶのに応じ、ヘリポートは下から爆発した。
ぶち破った建物の破片をまとい、夜空に跳躍した人影がある。
全身のブースターから火を噴くジェイスだ。
片膝をついて着地したジェイスの周囲に、大きく熱波は吹き荒れた。そばで呆然とするエマには振り返りもしない。代わりに、右腕を強く後ろへ引き絞って身構える。発射の準備は完了だ。
ジェイスの鋭い視線の先、ジュズは高笑いした。
〈タクシーのご到着だ! さあ、どこへ連れてってくれるんだい!?〉
オーケストラの指揮者のごとく、ジュズは両手を振った。
それを合図に機敏に配置を変え、ジェイスを大量のドローンが包囲する。いっせいに牙を剥いた光の糸は、縦横斜めからジェイスを射抜いた。いや、そこにあったのはジェイスの形をした炎の残像だけだ。
どこへ?
なんという超スピードだろう。
炎の尾を流しつつ、ジュズの背後でジェイスは答えた。
「地獄だ」
稲妻の走る響きをあげ、ジュズは輝いた。
おお、見よ。輪になって集合したドローンたちが、ジュズの正面に障壁のごとく光の網を張り、ジェイスの必殺の手刀を受け止めているではないか。超光学のバリアだ。
かかとのブースターを全開にして、ジェイスは反転した。強烈な回し蹴りだ。だがこれも、角度を整えたドローンの盾に防がれて届かない。瞬時にバリアが消えるや、ドローンの先端は的確にジェイスを照準している。
閃光とともに、血の霧をまいてジェイスは吹っ飛んだ。昇降口の壁に激突したジェイスを逃さず、ドローンは熱線を乱れ撃つ。撃つ。撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。
「ジェイス!」
張り裂けるような悲鳴は、エマのそれだった。見事に切断された壁は、パズルのように解体して瓦礫の山と化している。
吹きつけた砂塵の中、嘲笑したのはジュズだった。
〈地獄はここだって言ってんだろ、ジェイス! おまえごときのハンドルさばきじゃ、俺を案内することはできなかったな……天国へ!〉
ジュズの指招きに従い、ドローンの群れは本体の近くへ戻った。
戻ろうとした刹那、ジェイスの消えた残骸は爆発している。高速で飛ぶドローンたちのど真ん中を突破し、さらに素早く疾走したのは一陣の火風だ。バリアを張り巡らせる暇もない。最大加速で放たれたジェイスの右ストレートは、ジュズの顔面を渾身の力で打ち抜いた。攻めと守りが両立できない好事例といえる。
装甲の破片を撒き散らし、ジュズは屋上の縁まで転がって止まった。
拳を振り下ろした体勢のまま、さしものジェイスもやや呼吸を乱している。その額から流れるのは、おびただしい量の鮮血だ。光線に焼き切られた手足の裂傷も、点々と地面に赤いまだらを生んでいる。
〈ぎゃはッ!〉
愉悦の笑いは、だれのものかわかりやすい。
深い亀裂の走った眉間から漏電と白煙をこぼしつつ、黄金のジュズが身を起こしたではないか。
〈ぎゃーははは! 一瞬ッ! 一瞬だけ宇宙の星々が見えたよ! さすが!〉
軽々と巨体をしならせ、ジュズは素早く立ち上がった。
このテロリストは不死身なのか。あてもなく虚空をさ迷うしかなかった無数のドローンも、まるで水を得た魚みたいに規律正しい陣形を取り戻している。
ドローンの数々は、ふたたびジュズの眼前に集結した。金色の牙どもは、極限まで凝縮した花模様を形成する。のみならず、その狙いは今度こそすべて前方のジェイスを照準した。おまけに、ドローンそれぞれに溜まり始めた光源の熱量は尋常ではない。
エネルギーを充填して、こっちも威力は最大だ。絶対に避けられない。
「…………」
ジェイスは黙ったままだった。ただ、静かに構えただけだ。
体内に貯蓄した荷電粒子の残量が、あとわずかなのは知っている。だから、ふたたび引きつけた右腕に、ジェイスは残った全部のエネルギーを集中させた。それまで薄く漂うばかりだった煙に代わり、ブースターの展開した右肩が、右肘が、握り拳が、凄まじい火炎を吐き始める。
巻き起こされた地鳴りとともに廃病院そのものは震え、コンクリートの破片は夜空へ逆流した。暗闇に浮かぶ屋上の二点で、光と光はみるみる輝度を強めていく。
這いずって射程範囲から脱するエマをよそに、スコーピオンは獅子吼した。
〈チキンレースだ! タクシー野郎! 乗るよな!?〉
「…………」
ドローンが光るのと、ジェイスが地を蹴るのはほぼ同時だった。
夜空のずっと遠く……政府の戦闘輸送ヘリの中で目を剥いたのは〝ファイア〟課長のネイ・メドーヤだ。
廃病院の屋上から空へ、光の柱が駆け抜けたではないか。
ところかわって、黄金のジュズの視界内では……
広域にわたって溶けた蒸気をくすぶらせる屋上跡に、もはやジェイスの姿はない。超高熱の鉄槌をまともに浴びて、文字どおり消し飛んだのだ。
いや、違う。
高集束レーザーの射線を外れた唯一の死角、ジュズの頭上まで高々とジェイスは宙返りしていた。荷電粒子のほとんどの余力を〝かわすこと〟に使ったのだ。
空中からジュズの頭に掌を当てると、ジェイスは返事した。
「乗らん」
火の玉と化して、ジェイスは急加速した。
轟音とともに地面をぶち破るなり、ジュズの背中は一階層下の床へ激突している。なおもジェイスは止まらない。真っ赤に燃える右手でジュズの顔を掴んだまま、天井を突き抜けてさらに下の階へ。下へ、下へ、下へ。連続する途方もない落下の衝撃が、容赦なくジュズの全身を打ち据える。
大爆発……
とうとう一階まで到達したジュズの体が、床に突き刺さったのだ。
業火と濃煙の中、ジュズは最後にひとつ痙攣し、くたりと大の字に伸びている。完全に握り潰したその頭部から手を放すと、ジェイスはひとこと告げた。
「千六百フールだ」
きびすを返したジェイスのうしろで、ジュズは鮮やかに炎上した。
「ワオ!」
天井からぱらつく破片に、興奮したのはスコーピオンだった。配線だけでぶら下がった頭上の蛍光灯も、静かに振り子を描いている。手駒のジュズと強化人間の捜査官は、いまもまだ階下で激しい攻防を繰り広げているのだ。
新たな葉巻を八重歯にくわえながら、スコーピオンは急いで階段を昇った。いそがしく耳と肩の間に挟んだ携帯電話の表面では、戯画化された可愛い毒サソリの紋章が明滅している。
携帯電話の向こうへ、スコーピオンは喋りかけた。
「うん、燃えちゃってね。お祭りなの」
懐から抜いたシガーカッターを、スコーピオンはカニみたいに開けては閉じた。上等な葉巻の先端に刃をあてがいつつ、続ける。
「ちょっと助けに来てくれないかな、愛しのマタドール。え、機体の調整中? 今日はダメな日かァ~。じゃ、ダニエルは? あの〝インヴィディア〟の能力ならジェイスといい勝負を……嘘ん、裏切った? 大事な大事なホーリーちゃんまでさらって? 死ね。死ねばいいのに」
銃声……
木端微塵になった葉巻の尻を、スコーピオンは二度見して感心した。
「ちょうどいいや」
轟音とともにスコーピオンの手から弾かれたのは、こんどは口もとで点火しかけたジッポライターだ。いまいましげに葉巻を横へ吐き捨て、スコーピオンはたずねた。
「こいつぁまた、鉄砲の使い方がえらく家庭的だな。俺の嫁になるか?」
階下の踊り場から拳銃を構えたまま、エマはささやいた。
「悪党と警察は、いつだって恋愛関係よ。もうこれ以上、銃弾を外す自信はないわ」
「大した狙撃の腕だと思ったら、そういうことか」
「とりあえず手でも上げたらどう?」
言われもしないのに後頭部で手を組むと、スコーピオンは壁のほうを向いた。逮捕され慣れているのか、よく洗練された動きだ。小馬鹿にした態度で、エマへ催促する。
「もっと歌えよ。こうだ。〝おまえには黙秘権がある。法廷での証言は……」
足裏を襲ったエマの蹴りに屈し、スコーピオンは綺麗に両膝をついた。後頭部に銃口を突きつけられても、包帯まみれの唇はまだにやついている。
「気分はどうだい、女王様?」
「最高ね。あんたみたいな変態を背中から狙い撃つのが、警察の仕事よ。辞めるなんてもったいないわね、あんたも」
エマが音をたてて掴んだのは、腰に吊るした手錠だ。
スコーピオンは思いきり破顔した。
「楽しいぜい♪ 悪党以外を撃ち殺すのも♪」
スイッチの鳴る音に気づいたときには、もう遅い。
ときならぬ爆音は、エマの鼓膜をつんざいた。非常階段の吹き抜けを、凄まじい火柱と衝撃が駆け昇る。
「!?」
爆風に運ばれ、エマは壁際を跳ね返った。
その間際に見えたのは、ふたたび屋上へ疾走する包帯の切れ端だ。スコーピオンが逃げた跡には、起爆装置のリモコンが放り捨てられている。テロリストはすでに、院内じゅうのそこかしこに強力な爆弾を仕掛けていたのだ。まさか手下ごと邪魔者を爆破してのけるとは……すると、ジェイスまでもが?
シーソーみたいに揺れる視界を叩き直し、エマは怒鳴った。
「なんで!? なんでみんな殺しちゃうの!?」
遅れて屋上へ転がり込むや、エマはすかさず正面に銃口を向けた。
憎っくき罪人の姿は見当たらない。左、右、と矢継ぎ早に照準を移しながら、叫ぶ。
「年貢の納め時って言葉、知ってる!?」
強い風が吹いていた。
着陸線の擦り切れたヘリポートから望めるのは、紫色に暮れるシェルター都市の風景だ。
注意深く屋上を進むエマの視界の端に、白い影がはためいた。すかさず銃を旋回。うつむいたまま沈黙を守る照明灯に、包帯が引っかかってなびいている。
エマの背後、狂った眼球が暗闇に浮かび上がったのはそのときだった。
「!」
とっさに身を投げ出しておらねば、エマの体は蜂の巣と化していたはずだ。糸より細い光の交錯に射抜かれた床は、溶解して同じ本数の煙をあげている。
エマは目撃した。夜空をひとりでに飛び回る無数の輝きを。流線型のこの飛翔体が、いまの熱線を放ったらしい。異星の技術によって生み出されたそれは、なぜかド派手な黄金色だ。
着地の地響きに、コンクリートの破片は舞った。枯れた貯水槽の陰から、巨大な人影が降り立ったのだ。
地面に転がったまま、エマは拳銃を跳ね上げた。撃つ撃つ撃つ。
だが案の定、弾丸は奥の操縦者までは届かない。銃撃は金色の球体装甲に阻まれ、むなしく跳弾して彼方へ飛び去る。
ジュズだった。
しかし形状こそ似通っているものの、そのジュズはエマはもちろんのこと、組織が現在まで確認したどのタイプとも異なる。外骨格の頭頂から爪先を、すみずみまで覆うのは豪奢なゴールドの塗装だ。天を向いたジュズの丸い人差し指の先、コバエのごとく宙を旋回する十機の自律攻撃兵器もまた、黄金に輝いている。
複式殲滅型ジュズ〝ラクシリア〟……
〈ミュージック・チェンジ!〉
合理主義がモットーの異星人は、こんな節操のない大声は漏らさない。両足を肩幅より広げ、片腕を高々と掲げたその姿勢こそは……スコーピオンの決めポーズではないか。
ジュズはやはり、スコーピオンの声を張り上げた。
〈い~い眺めだ! 愛と正義と復讐のために立ち上がった、美貌の女刑事ってか!〉
「あんたが動かしてるのね! スコーピオン!」
パワードスーツの拡声器にも劣らぬエマの怒号に、ジュズはのけぞった。
〈ちゅ、ちゅちゅ駐禁っすか!? 勘弁してくださいッ!〉
わざとらしく土下座したジュズの背後から、いっせいにドローンは散開した。
飛び退って回避したエマだが、手遅れだ。数えきれぬドローンの先端が発光したときには、全身を極細の軌道に切り裂かれてエマは宙を舞っている。
「~~~ッッ!!」
きりもみ回転して石畳に叩きつけられ、エマはかすれた苦鳴をこぼした。太ももを押さえた指の間から、噴水のごとく鮮血はほとばしっている。光線が動脈を傷つけたらしい。
ずたずたのエマの眼前に、黄金の球体は迫った。
〈ぎゃーははは! お人形さんみたい! じゃ、どこからもぐ? 手? 足、臓物? 頭は痛いから最後ね♪〉
長大な球の指は、倒れたエマの瞳を翳らせた。
〈そろそろ教えてやろうか、俺が地球人を辞めたわけを?〉
声を低めて、ジュズはエマの肩を掴んだ。
その巨腕と、ゆるやかに上がったエマの拳銃がすれ違う。大量の失血に、銃身はかたかたと痙攣していた。これを自分自身の頭に向けるのは、右腕がちぎり取られる直前ぐらいでいい。
もて遊ぶように、ジュズはゆっくり語り始めた。
〈九月の真ん中あたりだったかな。俺にもまだ、助手席に乗せる女房がいたころだ。夜中の十二時過ぎ、旅行先から家に帰る途中……〉
エマは叫んだ。
「おしまい!」
銃声……
同時に、巨人は冗談のような炎に包まれた。撃ったエマ本人も刮目している。
「へ?」
コンクリートの地面を真下から貫いた荷電粒子ビームが、ジュズを直撃したのだ。
それだけに留まらない。一発、二発、三発……床越しに連射された太い煉獄の矢は、回避するジュズを追い、またたく間にヘリポートへ燃える円を描いた。
狂喜したのはジュズだ。
〈びっくりするほど正確な狙いだな! だが! こんどは俺も〝正装〟だ! バズーカの反動だってへっちゃらなんだぜ! 出てこい! エージェント・ジェイス!〉
スコーピオンが呼ぶのに応じ、ヘリポートは下から爆発した。
ぶち破った建物の破片をまとい、夜空に跳躍した人影がある。
全身のブースターから火を噴くジェイスだ。
片膝をついて着地したジェイスの周囲に、大きく熱波は吹き荒れた。そばで呆然とするエマには振り返りもしない。代わりに、右腕を強く後ろへ引き絞って身構える。発射の準備は完了だ。
ジェイスの鋭い視線の先、ジュズは高笑いした。
〈タクシーのご到着だ! さあ、どこへ連れてってくれるんだい!?〉
オーケストラの指揮者のごとく、ジュズは両手を振った。
それを合図に機敏に配置を変え、ジェイスを大量のドローンが包囲する。いっせいに牙を剥いた光の糸は、縦横斜めからジェイスを射抜いた。いや、そこにあったのはジェイスの形をした炎の残像だけだ。
どこへ?
なんという超スピードだろう。
炎の尾を流しつつ、ジュズの背後でジェイスは答えた。
「地獄だ」
稲妻の走る響きをあげ、ジュズは輝いた。
おお、見よ。輪になって集合したドローンたちが、ジュズの正面に障壁のごとく光の網を張り、ジェイスの必殺の手刀を受け止めているではないか。超光学のバリアだ。
かかとのブースターを全開にして、ジェイスは反転した。強烈な回し蹴りだ。だがこれも、角度を整えたドローンの盾に防がれて届かない。瞬時にバリアが消えるや、ドローンの先端は的確にジェイスを照準している。
閃光とともに、血の霧をまいてジェイスは吹っ飛んだ。昇降口の壁に激突したジェイスを逃さず、ドローンは熱線を乱れ撃つ。撃つ。撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。
「ジェイス!」
張り裂けるような悲鳴は、エマのそれだった。見事に切断された壁は、パズルのように解体して瓦礫の山と化している。
吹きつけた砂塵の中、嘲笑したのはジュズだった。
〈地獄はここだって言ってんだろ、ジェイス! おまえごときのハンドルさばきじゃ、俺を案内することはできなかったな……天国へ!〉
ジュズの指招きに従い、ドローンの群れは本体の近くへ戻った。
戻ろうとした刹那、ジェイスの消えた残骸は爆発している。高速で飛ぶドローンたちのど真ん中を突破し、さらに素早く疾走したのは一陣の火風だ。バリアを張り巡らせる暇もない。最大加速で放たれたジェイスの右ストレートは、ジュズの顔面を渾身の力で打ち抜いた。攻めと守りが両立できない好事例といえる。
装甲の破片を撒き散らし、ジュズは屋上の縁まで転がって止まった。
拳を振り下ろした体勢のまま、さしものジェイスもやや呼吸を乱している。その額から流れるのは、おびただしい量の鮮血だ。光線に焼き切られた手足の裂傷も、点々と地面に赤いまだらを生んでいる。
〈ぎゃはッ!〉
愉悦の笑いは、だれのものかわかりやすい。
深い亀裂の走った眉間から漏電と白煙をこぼしつつ、黄金のジュズが身を起こしたではないか。
〈ぎゃーははは! 一瞬ッ! 一瞬だけ宇宙の星々が見えたよ! さすが!〉
軽々と巨体をしならせ、ジュズは素早く立ち上がった。
このテロリストは不死身なのか。あてもなく虚空をさ迷うしかなかった無数のドローンも、まるで水を得た魚みたいに規律正しい陣形を取り戻している。
ドローンの数々は、ふたたびジュズの眼前に集結した。金色の牙どもは、極限まで凝縮した花模様を形成する。のみならず、その狙いは今度こそすべて前方のジェイスを照準した。おまけに、ドローンそれぞれに溜まり始めた光源の熱量は尋常ではない。
エネルギーを充填して、こっちも威力は最大だ。絶対に避けられない。
「…………」
ジェイスは黙ったままだった。ただ、静かに構えただけだ。
体内に貯蓄した荷電粒子の残量が、あとわずかなのは知っている。だから、ふたたび引きつけた右腕に、ジェイスは残った全部のエネルギーを集中させた。それまで薄く漂うばかりだった煙に代わり、ブースターの展開した右肩が、右肘が、握り拳が、凄まじい火炎を吐き始める。
巻き起こされた地鳴りとともに廃病院そのものは震え、コンクリートの破片は夜空へ逆流した。暗闇に浮かぶ屋上の二点で、光と光はみるみる輝度を強めていく。
這いずって射程範囲から脱するエマをよそに、スコーピオンは獅子吼した。
〈チキンレースだ! タクシー野郎! 乗るよな!?〉
「…………」
ドローンが光るのと、ジェイスが地を蹴るのはほぼ同時だった。
夜空のずっと遠く……政府の戦闘輸送ヘリの中で目を剥いたのは〝ファイア〟課長のネイ・メドーヤだ。
廃病院の屋上から空へ、光の柱が駆け抜けたではないか。
ところかわって、黄金のジュズの視界内では……
広域にわたって溶けた蒸気をくすぶらせる屋上跡に、もはやジェイスの姿はない。超高熱の鉄槌をまともに浴びて、文字どおり消し飛んだのだ。
いや、違う。
高集束レーザーの射線を外れた唯一の死角、ジュズの頭上まで高々とジェイスは宙返りしていた。荷電粒子のほとんどの余力を〝かわすこと〟に使ったのだ。
空中からジュズの頭に掌を当てると、ジェイスは返事した。
「乗らん」
火の玉と化して、ジェイスは急加速した。
轟音とともに地面をぶち破るなり、ジュズの背中は一階層下の床へ激突している。なおもジェイスは止まらない。真っ赤に燃える右手でジュズの顔を掴んだまま、天井を突き抜けてさらに下の階へ。下へ、下へ、下へ。連続する途方もない落下の衝撃が、容赦なくジュズの全身を打ち据える。
大爆発……
とうとう一階まで到達したジュズの体が、床に突き刺さったのだ。
業火と濃煙の中、ジュズは最後にひとつ痙攣し、くたりと大の字に伸びている。完全に握り潰したその頭部から手を放すと、ジェイスはひとこと告げた。
「千六百フールだ」
きびすを返したジェイスのうしろで、ジュズは鮮やかに炎上した。
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