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第二話「雪明」

「雪明」(14)

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 巨人の倒れたような地震は、廃病院を揺らした。

「ワオ!」

 天井からぱらつく破片に、興奮したのはスコーピオンだった。配線だけでぶら下がった頭上の蛍光灯も、静かに振り子を描いている。手駒のジュズと強化人間の捜査官エージェントは、いまもまだ階下で激しい攻防を繰り広げているのだ。

 新たな葉巻を八重歯にくわえながら、スコーピオンは急いで階段を昇った。いそがしく耳と肩の間に挟んだ携帯電話の表面では、戯画ミニチュア化された可愛い毒サソリの紋章が明滅している。

 携帯電話の向こうへ、スコーピオンは喋りかけた。

「うん、燃えちゃってね。お祭りなの」

 懐から抜いたシガーカッターを、スコーピオンはカニみたいに開けては閉じた。上等な葉巻の先端に刃をあてがいつつ、続ける。

「ちょっと助けに来てくれないかな、愛しのマタドール。え、機体の調整中? 今日はダメな日かァ~。じゃ、ダニエルは? あの〝インヴィディア〟の能力ならジェイスといい勝負を……嘘ん、裏切った? 大事な大事なホーリーちゃんまでさらって? 死ね。死ねばいいのに」

 銃声……

 木端微塵になった葉巻の尻を、スコーピオンは二度見して感心した。

「ちょうどいいや」

 轟音とともにスコーピオンの手から弾かれたのは、こんどは口もとで点火しかけたジッポライターだ。いまいましげに葉巻を横へ吐き捨て、スコーピオンはたずねた。

「こいつぁまた、鉄砲の使い方がえらく家庭的だな。俺の嫁になるか?」

 階下の踊り場から拳銃を構えたまま、エマはささやいた。

「悪党と警察は、いつだって恋愛関係よ。もうこれ以上、銃弾を外す自信はないわ」

「大した狙撃の腕だと思ったら、そういうことか」

「とりあえず手でも上げたらどう?」

 言われもしないのに後頭部で手を組むと、スコーピオンは壁のほうを向いた。逮捕され慣れているのか、よく洗練された動きだ。小馬鹿にした態度で、エマへ催促する。

「もっと歌えよ。こうだ。〝おまえには黙秘権がある。法廷での証言は……」

 足裏を襲ったエマの蹴りに屈し、スコーピオンは綺麗に両膝をついた。後頭部に銃口を突きつけられても、包帯まみれの唇はまだにやついている。

「気分はどうだい、女王様?」

「最高ね。あんたみたいな変態を背中から狙い撃つのが、警察の仕事よ。辞めるなんてもったいないわね、あんたも」

 エマが音をたてて掴んだのは、腰に吊るした手錠だ。

 スコーピオンは思いきり破顔した。

「楽しいぜい♪ 悪党以外を撃ち殺すのも♪」

 スイッチの鳴る音に気づいたときには、もう遅い。

 ときならぬ爆音は、エマの鼓膜をつんざいた。非常階段の吹き抜けを、凄まじい火柱と衝撃が駆け昇る。

「!?」

 爆風に運ばれ、エマは壁際を跳ね返った。

 その間際に見えたのは、ふたたび屋上へ疾走する包帯の切れ端だ。スコーピオンが逃げた跡には、起爆装置のリモコンが放り捨てられている。テロリストはすでに、院内じゅうのそこかしこに強力な爆弾を仕掛けていたのだ。まさか手下ごと邪魔者を爆破してのけるとは……すると、ジェイスまでもが?

 シーソーみたいに揺れる視界を叩き直し、エマは怒鳴った。

「なんで!? なんでみんな殺しちゃうの!?」

 遅れて屋上へ転がり込むや、エマはすかさず正面に銃口を向けた。

 憎っくき罪人の姿は見当たらない。左、右、と矢継ぎ早に照準を移しながら、叫ぶ。

「年貢の納め時って言葉、知ってる!?」

 強い風が吹いていた。

 着陸線の擦り切れたヘリポートから望めるのは、紫色に暮れるシェルター都市の風景だ。

 注意深く屋上を進むエマの視界の端に、白い影がはためいた。すかさず銃を旋回。うつむいたまま沈黙を守る照明灯に、包帯が引っかかってなびいている。

 エマの背後、狂った眼球が暗闇に浮かび上がったのはそのときだった。

「!」

 とっさに身を投げ出しておらねば、エマの体は蜂の巣と化していたはずだ。糸より細い光の交錯に射抜かれた床は、溶解して同じ本数の煙をあげている。

 エマは目撃した。夜空をひとりでに飛び回る無数の輝きを。流線型のこの飛翔体が、いまの熱線を放ったらしい。異星の技術によって生み出されたそれは、なぜかド派手な黄金色だ。

 着地の地響きに、コンクリートの破片は舞った。枯れた貯水槽の陰から、巨大な人影が降り立ったのだ。

 地面に転がったまま、エマは拳銃を跳ね上げた。撃つ撃つ撃つ。

 だが案の定、弾丸は奥の操縦者までは届かない。銃撃は金色の球体装甲に阻まれ、むなしく跳弾して彼方へ飛び去る。

 ジュズだった。

 しかし形状こそ似通っているものの、そのジュズはエマはもちろんのこと、組織ファイアが現在まで確認したどのタイプとも異なる。外骨格の頭頂から爪先を、すみずみまで覆うのは豪奢なゴールドの塗装だ。天を向いたジュズの丸い人差し指の先、コバエのごとく宙を旋回する十機の自律攻撃兵器ドローンもまた、黄金に輝いている。

 複式殲滅型ジュズ〝ラクシリア〟……

〈ミュージック・チェンジ!〉

 合理主義がモットーの異星人アーモンドアイは、こんな節操のない大声は漏らさない。両足を肩幅より広げ、片腕を高々と掲げたその姿勢こそは……スコーピオンの決めポーズではないか。

 ジュズはやはり、スコーピオンの声を張り上げた。

〈い~い眺めだ! 愛と正義と復讐のために立ち上がった、美貌の女刑事ってか!〉

「あんたが動かしてるのね! スコーピオン!」

 パワードスーツの拡声器にも劣らぬエマの怒号に、ジュズはのけぞった。

〈ちゅ、ちゅちゅ駐禁っすか!? 勘弁してくださいッ!〉

 わざとらしく土下座したジュズの背後から、いっせいにドローンは散開した。

 飛び退って回避したエマだが、手遅れだ。数えきれぬドローンの先端が発光したときには、全身を極細の軌道に切り裂かれてエマは宙を舞っている。

「~~~ッッ!!」

 きりもみ回転して石畳に叩きつけられ、エマはかすれた苦鳴をこぼした。太ももを押さえた指の間から、噴水のごとく鮮血はほとばしっている。光線が動脈を傷つけたらしい。

 ずたずたのエマの眼前に、黄金の球体は迫った。

〈ぎゃーははは! お人形さんみたい! じゃ、どこから? 手? 足、臓物? 頭は痛いから最後ね♪〉

 長大な球の指は、倒れたエマの瞳を翳らせた。

〈そろそろ教えてやろうか、俺が地球人を辞めたわけを?〉

 声を低めて、ジュズはエマの肩を掴んだ。

 その巨腕と、ゆるやかに上がったエマの拳銃がすれ違う。大量の失血に、銃身はかたかたと痙攣していた。これを自分自身の頭に向けるのは、右腕がちぎり取られる直前ぐらいでいい。

 もて遊ぶように、ジュズはゆっくり語り始めた。

〈九月の真ん中あたりだったかな。俺にもまだ、助手席に乗せる女房がいたころだ。夜中の十二時過ぎ、旅行先から家に帰る途中……〉

 エマは叫んだ。

「おしまい!」

 銃声……

 同時に、巨人は冗談のような炎に包まれた。撃ったエマ本人も刮目している。

「へ?」

 コンクリートの地面を真下から貫いた荷電粒子ビームが、ジュズを直撃したのだ。

 それだけに留まらない。一発、二発、三発……床越しに連射された太い煉獄の矢は、回避するジュズを追い、またたく間にヘリポートへ燃える円を描いた。

 狂喜したのはジュズだ。

〈びっくりするほど正確な狙いだな! だが! こんどは俺も〝正装〟だ! バズーカの反動だってへっちゃらなんだぜ! 出てこい! エージェント・ジェイス!〉 

 スコーピオンが呼ぶのに応じ、ヘリポートは下から爆発した。

 ぶち破った建物の破片をまとい、夜空に跳躍した人影がある。

 全身のブースターから火を噴くジェイスだ。

 片膝をついて着地したジェイスの周囲に、大きく熱波は吹き荒れた。そばで呆然とするエマには振り返りもしない。代わりに、右腕を強く後ろへ引き絞って身構える。発射の準備は完了だ。

 ジェイスの鋭い視線の先、ジュズは高笑いした。

〈タクシーのご到着だ! さあ、どこへ連れてってくれるんだい!?〉

 オーケストラの指揮者のごとく、ジュズは両手を振った。

 それを合図に機敏に配置を変え、ジェイスを大量のドローンが包囲する。いっせいに牙を剥いた光の糸は、縦横斜めからジェイスを射抜いた。いや、そこにあったのはジェイスの形をした炎の残像だけだ。

 どこへ?

 なんという超スピードだろう。

 炎の尾を流しつつ、ジュズの背後でジェイスは答えた。

「地獄だ」

 稲妻の走る響きをあげ、ジュズは輝いた。

 おお、見よ。輪になって集合したドローンたちが、ジュズの正面に障壁のごとく光の網を張り、ジェイスの必殺の手刀を受け止めているではないか。超光学のバリアだ。

 かかとのブースターを全開にして、ジェイスは反転した。強烈な回し蹴りだ。だがこれも、角度を整えたドローンの盾に防がれて届かない。瞬時にバリアが消えるや、ドローンの先端は的確にジェイスを照準している。

 閃光とともに、血の霧をまいてジェイスは吹っ飛んだ。昇降口の壁に激突したジェイスを逃さず、ドローンは熱線を乱れ撃つ。撃つ。撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。

「ジェイス!」

 張り裂けるような悲鳴は、エマのそれだった。見事に切断された壁は、パズルのように解体して瓦礫の山と化している。

 吹きつけた砂塵の中、嘲笑したのはジュズだった。

〈地獄はだって言ってんだろ、ジェイス! おまえごときのハンドルさばきじゃ、俺を案内することはできなかったな……天国へ!〉

 ジュズの指招きに従い、ドローンの群れは本体の近くへ戻った。

 戻ろうとした刹那、ジェイスの消えた残骸は爆発している。高速で飛ぶドローンたちのど真ん中を突破し、さらに素早く疾走したのは一陣の火風だ。バリアを張り巡らせる暇もない。最大加速で放たれたジェイスの右ストレートは、ジュズの顔面を渾身の力で打ち抜いた。攻めと守りが両立できない好事例といえる。

 装甲の破片を撒き散らし、ジュズは屋上の縁まで転がって止まった。

 拳を振り下ろした体勢のまま、さしものジェイスもやや呼吸を乱している。その額から流れるのは、おびただしい量の鮮血だ。光線に焼き切られた手足の裂傷も、点々と地面に赤いまだらを生んでいる。

〈ぎゃはッ!〉

 愉悦の笑いは、だれのものかわかりやすい。

 深い亀裂の走った眉間から漏電と白煙をこぼしつつ、黄金のジュズが身を起こしたではないか。

〈ぎゃーははは! 一瞬ッ! 一瞬だけ宇宙の星々が見えたよ! さすが!〉

 軽々と巨体をしならせ、ジュズは素早く立ち上がった。

 このテロリストは不死身なのか。あてもなく虚空をさ迷うしかなかった無数のドローンも、まるで水を得た魚みたいに規律正しい陣形を取り戻している。

 ドローンの数々は、ふたたびジュズの眼前に集結した。金色の牙どもは、極限まで凝縮した花模様を形成する。のみならず、その狙いは今度こそすべて前方のジェイスを照準した。おまけに、ドローンそれぞれに溜まり始めた光源の熱量は尋常ではない。

 エネルギーを充填して、こっちも威力は最大だ。絶対に避けられない。

「…………」

 ジェイスは黙ったままだった。ただ、静かに構えただけだ。

 体内に貯蓄した荷電粒子の残量が、あとわずかなのは知っている。だから、ふたたび引きつけた右腕に、ジェイスは残った全部のエネルギーを集中させた。それまで薄く漂うばかりだった煙に代わり、ブースターの展開した右肩が、右肘が、握り拳が、凄まじい火炎を吐き始める。

 巻き起こされた地鳴りとともに廃病院そのものは震え、コンクリートの破片は夜空へ逆流した。暗闇に浮かぶ屋上の二点で、光と光はみるみる輝度を強めていく。

 這いずって射程範囲から脱するエマをよそに、スコーピオンは獅子吼した。

〈チキンレースだ! タクシー野郎! 乗るよな!?〉

「…………」

 ドローンが光るのと、ジェイスが地を蹴るのはほぼ同時だった。

 夜空のずっと遠く……政府の戦闘輸送ヘリの中で目を剥いたのは〝ファイア〟課長のネイ・メドーヤだ。

 廃病院の屋上から空へ、光の柱が駆け抜けたではないか。

 ところかわって、黄金のジュズの視界内では……

 広域にわたって溶けた蒸気をくすぶらせる屋上跡に、もはやジェイスの姿はない。超高熱の鉄槌をまともに浴びて、文字どおり消し飛んだのだ。

 いや、違う。

 高集束レーザーの射線を外れた唯一の死角、ジュズの頭上まで高々とジェイスは宙返りしていた。荷電粒子のほとんどの余力を〝かわすこと〟に使ったのだ。

 空中からジュズの頭に掌を当てると、ジェイスは返事した。

「乗らん」

 火の玉と化して、ジェイスは急加速した。

 轟音とともに地面をぶち破るなり、ジュズの背中は一階層下の床へ激突している。なおもジェイスは止まらない。真っ赤に燃える右手でジュズの顔を掴んだまま、天井を突き抜けてさらに下の階へ。下へ、下へ、下へ。連続する途方もない落下の衝撃が、容赦なくジュズの全身を打ち据える。

 大爆発……

 とうとう一階まで到達したジュズの体が、床に突き刺さったのだ。

 業火と濃煙の中、ジュズは最後にひとつ痙攣し、くたりと大の字に伸びている。完全に握り潰したその頭部から手を放すと、ジェイスはひとこと告げた。

「千六百フールだ」

 きびすを返したジェイスのうしろで、ジュズは鮮やかに炎上した。
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