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第三話「雪花」
「雪花」(12)
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白衣をはためかせ、ヘリオは操縦室に飛び込んだ。
左右、上下、そして正面。両腕から展開したヘリオの奇怪な銃剣は、機敏に同時二方向へ狙いを定めていく。
なにもいない。ひとりでに揺れるのは、無人コントロールで動く操縦桿だけだ。
素早く銃剣をしまった手をかざし、ヘリオはモニカの視界をさえぎった。
「見ちゃ駄目です、スチュワートさん」
「もう、おしまいよ……」
泣き言をこぼして、モニカは卒倒しかけた。
くずおれる体を、ヘリオの腕は優しく抱き止める。モニカの手が握りしめるのは、鮮やかな色の液体に満たされた注射器だ。
ダリオン対策の毒薬〝青虫〟はこのとおり、一応の完成を見た。おそらく怪物を殺すには効果的なはずだし、人間に打ち込めば体内の寄生体を抑制することもできるだろう。ただ、投与による副作用うんぬんを操縦士たちに説明するには、やや時間が足りなかったらしい。
操縦室は地獄そのものだった。
脱ぎ捨てられた下着のごとく座席にかかるのは、悪臭を放つ胃腸の切れ端だ。なにかを産んで内部から破裂した操縦士たちの腹腔は、白い肋骨を獰猛な牙のように外気へさらしている。激痛からの救いを、あるいは安らかな死を求めて、窓や壁に塗りたくられた赤い手形の数はおびただしい。
発芽の痕跡だった。
がん、と側壁を殴ったのはモニカだ。
「また増えた……これで一体、何匹め? あたしたちの搬送の前、アイホートとマタドールのセンサーで寄生の有無はしっかり調べたのよね? ヘリオ?」
「はい、確実に。結果はすべて〝陰性〟でした」
「ありえない。ダリオンはまた、肉体の構造を遺伝子から変異させた。組織の厳重なセキュリティを突破するために……」
天地が裏返ったのはそのときだった。
かんだかいエンジン音とともに、航空機の機首はあっという間に下を向く。思わず壁にすがりついたモニカの手から、青虫の注射器は虚空へ舞った。回転するそれを、正確にキャッチしたのはヘリオだ。
窓の雪空を見据え、ヘリオはつぶやいた。
「……おかしな揺れでしたね?」
血まみれの制御盤に駆け寄るや、モニカはいぶかしんだ。
「ちょっとこれ、アイホートの高度が落ちてない?」
「気圧も異常です。ほら、耳の奥がキンキンするでしょ?」
それぞれ意味の違う機体の警告音は、しだいに大きな合唱と化していく。
注射器をモニカに返すと、ヘリオの指は制御盤を流れた。キーボードを叩くその迅速さや精密さは、まるでピアノ演奏の名手を思わせる。糸をひく血糊は別としてだ。
次々と切り替わったモニターに、見慣れた情報が現れた。ここアイホートの状態がひと目で診断できる立体図だ。
それを目撃し、モニカは鼻白んだ。
「……ジェットエンジンが故障して止まってるわ。合計四基あるうちの一基が」
「偶然にしてはタチが悪いですね。まあ、あと三基も残ってれば運航に差し支えは……」
巨人の歩いたような震えは、ふたたびアイホートを襲った。
「大変」
モニカは青ざめた。
アイホートの現状を知らせる図面の中、瞬時に、二基めのエンジンが真っ赤に染まったではないか。これも完全な停止を訴えたのだ。
せわしなくパネルを操作しつつ、ヘリオは付け加えた。
「それだけじゃありません。機体の最後尾、貨物室のハッチがなぜか開きっぱなしです」
「そんな。外は肺も凍る極寒よ。出入口をこじ開けて飛び出す馬鹿がどこに……まさか」
「そう、そのまさかです」
ヘリオは天井を見上げた。
モニカも同じ方向に続いている。答えはわかりやすい。機体の上、さらに上、アイホートの屋根を走り回るのはあの寄生生物の群れだ。
モニカは戦慄した。
「まさか、これもダリオンの仕業だって言うの?」
「ええ。私という邪魔者の存在を嫌い、彼らは外側からアイホートを破壊することを選んだようです」
「ここを高度何メートルだと思ってるわけ?」
「平気なんでしょう。アイホートを墜落させ、ダリオンは自由な下界に降り立とうとしています。途中下車の旅とは素敵なことですね。さて」
白衣をひるがえし、ヘリオは踵を返した。頭を抱えるモニカを尻目に、操縦室の外へだ。
「ちょっと行ってきます」
「行ってきますって……イカれてるわね、完璧に。空でも飛べるの、きみ?」
「ここだけの話、じつは私、ヘリコプターに変形することができましてね。飛行型のマタドールである私には、うってつけなミッションです」
「ヘリって……だからヘリ男っていう名前なの? なんて安直なネーミングセンス?」
「傷つきますね。手前味噌ですが、ヘリオはギリシャ語で太陽を意味します」
「英語なら、乱暴者やいたずらっ子ってとこかしら?」
「敵前では、そう振る舞うことになるでしょう」
「待ちなさい」
不安定に傾ぐ操縦室の中、モニカはヘリオを制止した。
「あいつのアレを見た?」
「卵管、ですか?」
「そう。あいつは資格を持ってる。王に進化する資格を。あんなものが無事に地上へ降りて種をばら蒔いたら、今度こそ地球は花盛りになって滅亡だわ」
腰から外したウェストバッグを、モニカはヘリオへ差し出した。手に持っていた注射器も足し合わせ、大量の青虫が満載された箱だ。
「天才の名刺代わりよ。花王のやつを、めいっぱい苦しませて始末して。死んだ大男のぶんまでね。あたしはなんとか、ここで機体を安定させてみる」
「お願いします」
受け取ったバッグを、ヘリオは手際よくじぶんの腰に巻いた。
それからヘリオの掌は、そっとモニカの額に当てられている。すこし冷ためだが、心地よい感触だ。
「まだお熱は冷めてませんね。続きはまた、平和の戻った医務室で」
微笑んで言い残し、ヘリオは操縦室をあとにした。颯爽と遠ざかる白衣の背中は、今度こそ振り返らない。
アイホートの幾層もの構造を貫き、モニカの耳にかすかな雄叫びが聞こえた。吐き気をもよおす花の歌声だ。
天井を睨みつけたまま、モニカは不敵に唇をゆがめた。
「笑ってられるのも今のうちよ、完全生物……頼んだわ、ヘリオ」
左右、上下、そして正面。両腕から展開したヘリオの奇怪な銃剣は、機敏に同時二方向へ狙いを定めていく。
なにもいない。ひとりでに揺れるのは、無人コントロールで動く操縦桿だけだ。
素早く銃剣をしまった手をかざし、ヘリオはモニカの視界をさえぎった。
「見ちゃ駄目です、スチュワートさん」
「もう、おしまいよ……」
泣き言をこぼして、モニカは卒倒しかけた。
くずおれる体を、ヘリオの腕は優しく抱き止める。モニカの手が握りしめるのは、鮮やかな色の液体に満たされた注射器だ。
ダリオン対策の毒薬〝青虫〟はこのとおり、一応の完成を見た。おそらく怪物を殺すには効果的なはずだし、人間に打ち込めば体内の寄生体を抑制することもできるだろう。ただ、投与による副作用うんぬんを操縦士たちに説明するには、やや時間が足りなかったらしい。
操縦室は地獄そのものだった。
脱ぎ捨てられた下着のごとく座席にかかるのは、悪臭を放つ胃腸の切れ端だ。なにかを産んで内部から破裂した操縦士たちの腹腔は、白い肋骨を獰猛な牙のように外気へさらしている。激痛からの救いを、あるいは安らかな死を求めて、窓や壁に塗りたくられた赤い手形の数はおびただしい。
発芽の痕跡だった。
がん、と側壁を殴ったのはモニカだ。
「また増えた……これで一体、何匹め? あたしたちの搬送の前、アイホートとマタドールのセンサーで寄生の有無はしっかり調べたのよね? ヘリオ?」
「はい、確実に。結果はすべて〝陰性〟でした」
「ありえない。ダリオンはまた、肉体の構造を遺伝子から変異させた。組織の厳重なセキュリティを突破するために……」
天地が裏返ったのはそのときだった。
かんだかいエンジン音とともに、航空機の機首はあっという間に下を向く。思わず壁にすがりついたモニカの手から、青虫の注射器は虚空へ舞った。回転するそれを、正確にキャッチしたのはヘリオだ。
窓の雪空を見据え、ヘリオはつぶやいた。
「……おかしな揺れでしたね?」
血まみれの制御盤に駆け寄るや、モニカはいぶかしんだ。
「ちょっとこれ、アイホートの高度が落ちてない?」
「気圧も異常です。ほら、耳の奥がキンキンするでしょ?」
それぞれ意味の違う機体の警告音は、しだいに大きな合唱と化していく。
注射器をモニカに返すと、ヘリオの指は制御盤を流れた。キーボードを叩くその迅速さや精密さは、まるでピアノ演奏の名手を思わせる。糸をひく血糊は別としてだ。
次々と切り替わったモニターに、見慣れた情報が現れた。ここアイホートの状態がひと目で診断できる立体図だ。
それを目撃し、モニカは鼻白んだ。
「……ジェットエンジンが故障して止まってるわ。合計四基あるうちの一基が」
「偶然にしてはタチが悪いですね。まあ、あと三基も残ってれば運航に差し支えは……」
巨人の歩いたような震えは、ふたたびアイホートを襲った。
「大変」
モニカは青ざめた。
アイホートの現状を知らせる図面の中、瞬時に、二基めのエンジンが真っ赤に染まったではないか。これも完全な停止を訴えたのだ。
せわしなくパネルを操作しつつ、ヘリオは付け加えた。
「それだけじゃありません。機体の最後尾、貨物室のハッチがなぜか開きっぱなしです」
「そんな。外は肺も凍る極寒よ。出入口をこじ開けて飛び出す馬鹿がどこに……まさか」
「そう、そのまさかです」
ヘリオは天井を見上げた。
モニカも同じ方向に続いている。答えはわかりやすい。機体の上、さらに上、アイホートの屋根を走り回るのはあの寄生生物の群れだ。
モニカは戦慄した。
「まさか、これもダリオンの仕業だって言うの?」
「ええ。私という邪魔者の存在を嫌い、彼らは外側からアイホートを破壊することを選んだようです」
「ここを高度何メートルだと思ってるわけ?」
「平気なんでしょう。アイホートを墜落させ、ダリオンは自由な下界に降り立とうとしています。途中下車の旅とは素敵なことですね。さて」
白衣をひるがえし、ヘリオは踵を返した。頭を抱えるモニカを尻目に、操縦室の外へだ。
「ちょっと行ってきます」
「行ってきますって……イカれてるわね、完璧に。空でも飛べるの、きみ?」
「ここだけの話、じつは私、ヘリコプターに変形することができましてね。飛行型のマタドールである私には、うってつけなミッションです」
「ヘリって……だからヘリ男っていう名前なの? なんて安直なネーミングセンス?」
「傷つきますね。手前味噌ですが、ヘリオはギリシャ語で太陽を意味します」
「英語なら、乱暴者やいたずらっ子ってとこかしら?」
「敵前では、そう振る舞うことになるでしょう」
「待ちなさい」
不安定に傾ぐ操縦室の中、モニカはヘリオを制止した。
「あいつのアレを見た?」
「卵管、ですか?」
「そう。あいつは資格を持ってる。王に進化する資格を。あんなものが無事に地上へ降りて種をばら蒔いたら、今度こそ地球は花盛りになって滅亡だわ」
腰から外したウェストバッグを、モニカはヘリオへ差し出した。手に持っていた注射器も足し合わせ、大量の青虫が満載された箱だ。
「天才の名刺代わりよ。花王のやつを、めいっぱい苦しませて始末して。死んだ大男のぶんまでね。あたしはなんとか、ここで機体を安定させてみる」
「お願いします」
受け取ったバッグを、ヘリオは手際よくじぶんの腰に巻いた。
それからヘリオの掌は、そっとモニカの額に当てられている。すこし冷ためだが、心地よい感触だ。
「まだお熱は冷めてませんね。続きはまた、平和の戻った医務室で」
微笑んで言い残し、ヘリオは操縦室をあとにした。颯爽と遠ざかる白衣の背中は、今度こそ振り返らない。
アイホートの幾層もの構造を貫き、モニカの耳にかすかな雄叫びが聞こえた。吐き気をもよおす花の歌声だ。
天井を睨みつけたまま、モニカは不敵に唇をゆがめた。
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