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人界編
閑話 ーside.亘:儀式の間ー
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亘が儀式の間に入ったのは数年ぶり。もう二度と入ることはないと思っていた。
一度燃やされ建て替えられたはずの日向の本家。しかし、その部屋の造りはあの時と全く同じ。もともと、土の地面に無機質な壁、祭壇しかなかった場所だ。建て替えられたところで壁が少しばかりきれいになっているだけで代わり映えなんてするわけがない。
奏太をあちらに送らなくても良い、そうは分かっていても、その部屋に足を踏み入れるには相当な勇気が必要だった。亘の隣を歩く汐も同じだったのだろう。いつも以上に表情が硬く強張っている。
深く掘り返された穴。その中にある人ひとり動物一匹を入れるための箱。それを見るだけで、胸がギリリと引き絞られるような感覚に苛まれた。嫌でもあの方の声が耳に蘇る。
『……ここから出して……お願い……汐……亘……』
伸ばされた手を取らず、箱に蓋をし、自らの手でこの穴に埋めた。敬愛していたあの方を。すべてが闇に呑まれるような絶望感を思い出す。
亘はこびりついて離れないその声を振り払う様に、ぎゅっと一度目を瞑って頭を振った。
しかし、あの日のことをどうにか頭の隅に追いやっても、今度は別の事柄が浮かび上がってくる。数日前、恐怖と懇願の色を瞳に宿した鬼の目を。
……あの方を、二度も殺すことになってしまった……この手で……
数年前にここで聞き続けたあの方の声と、数日前のあの方の目が重なる。どちらも助けを乞うものだった。しかし、亘はどちらにも応えず、あの方の手を取ることはなかった。片や助けを求める声を無視し、片や己の手で斬り捨てた。
護るべき者を護るために、二度と失いたく無かった者をこの手にかけたのだ。
自分の根幹にあったものが崩れそうになる。足元が酷く不安定で、土台が揺らいで折れそうになる。
亘は残された今の主を護るのだという使命になんとか縋ることで、それに必死に堪えていた。
それでも、こうしてこの場を目の当たりにすると、償う方法などないあの方への罪の重さと絶望に膝を折りたくなってくる。
じっと穴の方を見つめて考え事をしていると、不意に、こちらを気遣うような声音が聞こえた。
「二人とも、辛いなら隣の部屋に戻ってていいよ」
奏太の声に、亘はハッと意識が現実に引き戻される。
「いえ。大丈夫です」
反射的にそう答えると、横で汐もコクリと頷いた。
「お側におります」
それでも、奏太は心配そうにこちらをじっと見つめている。前の主を害した我が身に向けられる、純粋に自分達を想う眼差しに、何だか胸が苦しくなる。
言葉に詰まっていると、隣にいた汐が奏太に小さく微笑んで見せた。
「大丈夫です、奏太様。こちらの事はお気になさらず、これから先の確認を柊士様となさってください。お話できる機会は、しばらくなくなるでしょうから」
汐の言葉に、奏太は疑わしそうな目で亘と汐を見る。しかし、しばらくこちらを観察したあと、奏太は軽く息を吐いた。
「わかった。でも、無理しなくていいから。辛かったらちゃんと言えよ」
そう言い残して奏太は柊士達との話に戻っていく。
亘達から離れたのは、ほんの僅かな距離。それなのに、その背を見ていると漠然とした不安が湧いてくる。
転換の儀。
里の上位者達は、奏太をあちらに送るつもりはない。あれは柊士の芝居で、今もただ偽装のためにここに居るだけだ。
それでも、
『……ごめんな』
そう、諦めとともに転換の儀を受け入れた奏太の声を思い出し、恐怖に身が竦む。唯一残されたはずの者が二度と自分の手の届く場所に戻って来ないような、そんな感覚に。
再び転換の儀で主を失うかもしれない、その宣告を受けた時、自分を何とか立たせていた支えが奪われ、底のない闇に引きずりこまれるような感覚に陥った。
実際、柊士が部屋に来て湊を欺くための偽装だったと聞かされるのがもう少し遅かったら、そのまま全てが闇に呑まれていたかもしれない。
絶望のままに、自分が自分であることも忘れて暴れていたかもしれない。誰を敵に回そうとも、仲間と自分の血でその身を濡らそうとも、奏太がいくら反対しようとも、徹底的に。
もう、失いたくない。たとえ全てを敵に回しても、邪魔をする者全てを消し去っても、この身が明日を迎えられなくとも。
……もう、二度と……何があっても、この方だけは……
亘が必死に縋り付くそれは、願いか、誓いか、それとも……
もう決して信念とは呼べなくなった、呪いめいたそれが、心の底で暗く重く渦巻いていた。
一度燃やされ建て替えられたはずの日向の本家。しかし、その部屋の造りはあの時と全く同じ。もともと、土の地面に無機質な壁、祭壇しかなかった場所だ。建て替えられたところで壁が少しばかりきれいになっているだけで代わり映えなんてするわけがない。
奏太をあちらに送らなくても良い、そうは分かっていても、その部屋に足を踏み入れるには相当な勇気が必要だった。亘の隣を歩く汐も同じだったのだろう。いつも以上に表情が硬く強張っている。
深く掘り返された穴。その中にある人ひとり動物一匹を入れるための箱。それを見るだけで、胸がギリリと引き絞られるような感覚に苛まれた。嫌でもあの方の声が耳に蘇る。
『……ここから出して……お願い……汐……亘……』
伸ばされた手を取らず、箱に蓋をし、自らの手でこの穴に埋めた。敬愛していたあの方を。すべてが闇に呑まれるような絶望感を思い出す。
亘はこびりついて離れないその声を振り払う様に、ぎゅっと一度目を瞑って頭を振った。
しかし、あの日のことをどうにか頭の隅に追いやっても、今度は別の事柄が浮かび上がってくる。数日前、恐怖と懇願の色を瞳に宿した鬼の目を。
……あの方を、二度も殺すことになってしまった……この手で……
数年前にここで聞き続けたあの方の声と、数日前のあの方の目が重なる。どちらも助けを乞うものだった。しかし、亘はどちらにも応えず、あの方の手を取ることはなかった。片や助けを求める声を無視し、片や己の手で斬り捨てた。
護るべき者を護るために、二度と失いたく無かった者をこの手にかけたのだ。
自分の根幹にあったものが崩れそうになる。足元が酷く不安定で、土台が揺らいで折れそうになる。
亘は残された今の主を護るのだという使命になんとか縋ることで、それに必死に堪えていた。
それでも、こうしてこの場を目の当たりにすると、償う方法などないあの方への罪の重さと絶望に膝を折りたくなってくる。
じっと穴の方を見つめて考え事をしていると、不意に、こちらを気遣うような声音が聞こえた。
「二人とも、辛いなら隣の部屋に戻ってていいよ」
奏太の声に、亘はハッと意識が現実に引き戻される。
「いえ。大丈夫です」
反射的にそう答えると、横で汐もコクリと頷いた。
「お側におります」
それでも、奏太は心配そうにこちらをじっと見つめている。前の主を害した我が身に向けられる、純粋に自分達を想う眼差しに、何だか胸が苦しくなる。
言葉に詰まっていると、隣にいた汐が奏太に小さく微笑んで見せた。
「大丈夫です、奏太様。こちらの事はお気になさらず、これから先の確認を柊士様となさってください。お話できる機会は、しばらくなくなるでしょうから」
汐の言葉に、奏太は疑わしそうな目で亘と汐を見る。しかし、しばらくこちらを観察したあと、奏太は軽く息を吐いた。
「わかった。でも、無理しなくていいから。辛かったらちゃんと言えよ」
そう言い残して奏太は柊士達との話に戻っていく。
亘達から離れたのは、ほんの僅かな距離。それなのに、その背を見ていると漠然とした不安が湧いてくる。
転換の儀。
里の上位者達は、奏太をあちらに送るつもりはない。あれは柊士の芝居で、今もただ偽装のためにここに居るだけだ。
それでも、
『……ごめんな』
そう、諦めとともに転換の儀を受け入れた奏太の声を思い出し、恐怖に身が竦む。唯一残されたはずの者が二度と自分の手の届く場所に戻って来ないような、そんな感覚に。
再び転換の儀で主を失うかもしれない、その宣告を受けた時、自分を何とか立たせていた支えが奪われ、底のない闇に引きずりこまれるような感覚に陥った。
実際、柊士が部屋に来て湊を欺くための偽装だったと聞かされるのがもう少し遅かったら、そのまま全てが闇に呑まれていたかもしれない。
絶望のままに、自分が自分であることも忘れて暴れていたかもしれない。誰を敵に回そうとも、仲間と自分の血でその身を濡らそうとも、奏太がいくら反対しようとも、徹底的に。
もう、失いたくない。たとえ全てを敵に回しても、邪魔をする者全てを消し去っても、この身が明日を迎えられなくとも。
……もう、二度と……何があっても、この方だけは……
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