結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な高校生だったのに、人外たちに囲まれて世界を救うことになりました~

御崎菟翔

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妖界編

路線バスの悲劇②

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「ほう。人界のガキにもそのような知識があるのか?」

 男は心底バカにしたような言い方をする。

「人界の者共は鬼も知らず随分平和呆けしているものだと思っていたが。」

 そう言いながら、嫌な笑みを浮かべつつ、額から二本の角を生やす。
 それに、車内の半数が息を呑み、もう半数は半信半疑といった様子で鬼を見た。

 正気を取り戻したように怒声を上げたのは、最初に運転手に詰め寄ったおじさんだった。

「お……鬼だと? ふざけたことを言うな。そんなものいるわけが無いだろう! 悪ふざけはやめろ!!」

 おじさんはそう言いながら、鬼と、倒れている運転手とお兄さん、それから俺たちに目を向ける。

 すると、おじさんが二の句を告げる前に、鬼はヒュッと手を軽く振り、おじさんの喉に長く鋭い爪を突き立てた。

「信じようが信じなかろうがどちらでも良いが、いちいち騒がれては敵わぬ。」

 おじさんはグッと声を漏らしたあと、みるみるうちに血で真っ赤に濡れていく手で喉を押さえながら、崩れるようにその場に膝をつく。

「何度も言わせるなよ。騒ぐな。黙れ。今殺したところで食いきれぬから死期を伸ばしてやろうと言っているのだ。面倒な奴らは今殺して腐らせたところで一向に構わぬのだぞ。どうせ人などまた直ぐに手に入るだろうからな。」

 鬼の言葉に、その場がしんと静まり返る。

「……本当に鬼なのか……?」

 聡が聞こえるか聞こえないかというくらい小さな声で呟く。
 それにハッとしたように、潤也が前の座席に隠れながら、ヒソヒソと声を潜めた。

「……奏太、あれ、どうにか出来ないのか?」
「……どうにかって言われても……少なくとも、もうちょっと近づかないと無理だ。」

 鬼の様子から目を離さず、殆ど口を動かさないようにしながらそれに応じる。

 俺達が座っているのは最後尾だ。鬼に近づくには距離がありすぎる。
 ただ、お兄さんや運転手、おじさんのことを考えると、急いで鬼を始末して救急車を呼んだほうがいい。

 急に飛び出して、変に暴れられないといいけど……

 そう思っていると、不意に、二つ前の席に座る男性が座席に隠れ、震える手でスマホを取り出した。

「も……もしもし、警察ですか? 今……」

 ただ、それを見逃すような鬼ではない。

「余計な事をするなと言ったはずだぞ。」

 鬼は、悠然と男性の座る席まで歩み寄る。
 小さなステップを登り、前の座席に片手をかけながらピタリと男性の前で立ち止まると、長い爪を振りかざした。

「奏太!」

 見かねた聡が声を張り上げた。

 それを聞くか聞かないかのうちに、俺はバッと立ち上がり、パンと手を打ち鳴らす。
 鬼は完全に射程圏内。そこから先はいつもの通りだ。
 頭に浮かぶ言葉を声に出して唱えていき、鬼に掌を向ける。間もなく白いキラキラが俺の掌から溢れ、それが鬼の方へ吸い込まれるように向かっていく。

 他の乗客から見れば、完全な奇行だろうが、この事態に対処できる者が自分しかいない以上仕方がない。どう考えたって、殺されて鬼の食料にされるよりはマシだ。

 白い光が届いた鬼は、余裕の笑みを消して瞬時に顔色を変えた。

「やめろ! 貴様!」

 ジュッと皮膚が焼ける音と共にうめき声と怒声が響く。
 このまま陽の気を注いでいけば……そう思った。

 しかし、鬼もタダではやられてくれない。スマホを持ったままの男性客を無理矢理引っ張り上げるように立たせて盾にし始めたのだ。

 鬼の皮膚を焼く光に慄いてはいるものの、男性客は人だ。当たり前だが、陽の気に焼かれることはない。
 そして、その男性の体が陽の気を受け止めているおかげで、真正面から鬼に光が当たらない。

 鬼は険しい表情のまま、何が何だかわからない様子の男性を押しながら、ぐいぐいこちらにやって来ようとしている。

 奥歯を食いしばりつつ陽の気を放出し続け、何とか鬼に当ててそれを食い止めようとしたものの、焼け石に水だ。
 確実に一部が焼け焦げているのに、鬼はその足を止めない。

 鬼はもう目の前だ。ここから、どう対処すれば……と思ったところで、不意に、ヒュっと耳元で風を切る音が聞こえた。

 瞬間、グッと長い鬼の爪が、俺の隣りにいた潤也の首筋に当てられるのが目に入った。

「やめろと言っている。お前の目の前で、コイツの喉を切裂いてやっても良いのだぞ。」

 鬼の脅しにゾッとする。
 運転席付近に倒れているおじさんやお兄さんの姿が嫌でも思い浮かぶ。

 いつも一緒にいる友人が眼の前でそんな目に合うところなど、絶対に見たくない。

 そう思った瞬間、

「ダメだ、奏太!」

という声が、鬼に爪を突きつけられた本人から響いてきた。
 潤也は鬼を見据えながら、俺の腕をグッと握る。

「お前がやめたら、この場にいる全員が殺される。真っ先に殺られるのはお前だぞ!」

 潤也の目は真剣そのものだ。

「ほう。勇ましいものだな。」

 鬼はそう言うと、更に爪をグッと潤也の首に押し付ける。首筋からツウと血が流れ、ウゥッといううめき声が隣から漏れる。

「潤也!」

 動揺して声を上げると、絶対に痛くて怖いはずなのに、潤也は強がるようにニッと笑ってみせた。

「大丈夫だ。止めるな。」

 そう言うと、潤也は直ぐに両手で自分に突きつけられている鬼の爪をグッと掴んだ。
 爪がさらに刺さったのだろう。潤也は苦痛に顔をゆがめる。
 しかし直ぐに、

「聡! その人、退けろ!」

 
と声を張り上げた。

 ずっと様子を伺っていたのだろう。それに呼応するように、聡が横から、盾にされていた男性をグイッと引っ張り、馬乗りになるように下に押し付ける。

 障害がなくなったおかげで、陽の気が再び、真っ直ぐに鬼に吸い込まれるように向かっていく。
 防ぐ術を失った鬼は、そのままその場に蹲るようにして身を守り始めた。

 でも、陽の気の放出を止めるつもりはない。
 恐らく運転手もこいつに何かされたのだとすれば、三人が大怪我を負い、友人が命の危険に晒されたのだ。
 このまま手を緩めて逃がすようなことになってはいけない。

 鬼の体が赤く発光し、黒く焼け焦げていく。


「もう大丈夫だ。前に、力を使いすぎると動けなくなるって言ってただろ。」

と潤也に腕を掴まれ止められるまで、俺はただただ無心で陽の気を注ぎ続けた。

 黒く焦げた鬼の体は、俺が陽の気の放出を止めると灰のように形をサラサラと崩し、黒い影のように床に広がった。

 ハアと息を吐きつつ、ドサッと座席に腰を下ろす。
 ふと顔をあげると、車内に残った者たちが、シンと静まり返ったまま、唖然とした顔でこちらを見詰めていた。

 ……そりゃそうだよな……

「あ、あの! 誰か救急車を!」

 俺たちから皆の意識を反らそうとしたのか、聡が慌ててそう声を上げると、ハッとしたように、車内の皆が一斉に前方に目を向け、運転席付近まで駆け寄り、電話をかけ始めた。

 俺はほっと息を吐いて潤也に目を向ける。

「やったな。」

 潤也もまた、俺と聡を見て、ホッとしたように表情を緩めてそう言った。
 でも、爪が刺さっていた首の傷は、既に紫色に変色し始めていた。
 今は大丈夫でも、きっと直ぐに蛙のときの聡のように毒が回ってしまうだろう。

「尾定さんに連絡しよう。あの人達もそうだけど、普通の病院じゃダメだ。」

 俺がそう言うと、潤也はいたずらっぽくニヤリと笑う。
 それから、突然ゴソゴソと荷物の中を漁り始めた。
 出てきたのは、緑色の葉っぱがいっぱい詰まったタッパーだった。

「どうせ変なことに巻き込まれるだろうと思って、尾定さんから薬を預かって来た。」

 何だか妙に用意がいい。というか、どうせ変なことに巻き込まれるって、俺はそれをどう受け取れば良いのだろうか……

 俺が微妙な顔をしていることに気付いたのだろう。潤也は少しばかり決まりの悪そうな顔をした。

「別に、奏太のせいってわけじゃないさ。ただ、何となく悪い予感がしただけだよ。」

 俺はそれに、もう一度深く息を吐く。

「良いよ。駅に着いたときに、俺も何か嫌な予感がしたんだ。貸せよ。自分じゃ出来ないだろ。」

 そう言いつつ、潤也の手からタッパーを奪い取る。蓋を開けると、中にはガーゼと包帯も一緒に入っていた。本当に準備がいい。

 俺は、いつも尾定がやっているように、薬草を揉み崩して、ペタペタ潤也の首に貼り付け、包帯で巻いていく。
 聡にもやり方を見せ、三人で車内前方に向かう。同じように、おじさんとお兄さんの手当をしなければ。

 ただ、俺達が近づくと、皆が一歩下がって距離を置こうとするのがわかった。最初の頃の潤也と同じく、得体のしれない俺が怖いのだろう。
 目を覚ましていた、お兄さんと一緒にいた女性だけがお兄さんを守ろうと覆いかぶさったが、聡が、

「応急処置をするだけですから。」

と穏やかに説得して、お兄さんから女性を離した。

 二人の傷口は、だいぶ時間が経っていたせいか、紫色が広範囲に広がりつつあった。
 謎の薬草に胡散臭そうな顔をする乗客達を尻目に手当てを行い、意識が朦朧としている三人の口に、タッパーに一緒に入っていた蓮花を含ませる。

 ある程度手当てを終えると、聡がこっそり、

「警察とか救急車が来る前に逃げよう。」

と俺と潤也に声をかけた。

「お前、皆の前で鬼退治したんだぞ。どう説明するつもりだよ。」

 ……確かに。

 皆が、手当ての終わった者達に視線を向けている間に、俺達は後退りするように、開け放たれたままのバスの扉からコッソリと外に出た。
 そして、山の木々の中に隠れるように、ダッシュで駆け込んだのだった。
 
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