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妖界編
幻妖宮の迎え④
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「……誰か知らないけど帰って。一人にして。」
足音に気付いたのか、部屋の中からハクの声が響く。
「璃耀です。白月様。」
その声に、ハクの反応が少しだけ遅れた。思いもしなかった者からの返答で、戸惑ったのかもしれない。
「……璃耀? ……なんで……」
「お迎えに上がりました。こっそり抜け出されたりなどするから、宮中は今、大騒ぎですよ。」
ハクから返答はない。でも璃耀はじっと、ドアに目を向けたままだ。
「帰りましょう。白月様。」
璃耀はそう静かに向こう側のハクに声をかけた。
しかし、ハクがドアから出てくる気配はない。
代わりに返ってきたのは、小さく呟くようなかすれ声だった。
「……帰るってどこへ……?」
「幻妖宮へ、です。」
また、ハクの言葉が途切れる。
どう返答すべきか迷っているのだろうか。それとも帰ること自体を迷っているのだろうか……
凪と桔梗は不安気に顔を見合わせている。
不意に、迷いを覗かせるようなハクの声が廊下に小さく届いてきた。
「……ねえ、璃耀。」
「はい。」
「……私、わかんなくなっちゃった……自分が誰なのか……結だった頃の記憶があって、短いけど小兎だった頃の記憶もあるの。両方が混じって、白月として過ごした記憶もある。
……私は一体誰で、どこに帰ればいいの?私が行くべきなのは、本当に幻妖宮なの……? ……私は一体、誰なんだろう……?」
……そうか。
何となく、俺には結の記憶しか無いから、ハクは結そのものなのだと思いこんでいた。
でも亘は、箱を開けたら結の姿が消えて、薄銀色の兎が蹲っていたと言っていたのだ。
そうであれば、ハクが言うとおり、ハクは本当は結であり依代にされた兎でもあるのかもしれない。
「……全部思い出せばスッキリすると思ったのに、全然スッキリしなかった。……そりゃそうだよね。そのまま死ぬはずだった結と生贄にされた兎が混じって白月になったんだもん。
白月の存在そのものが歪なのに、スッキリなんてするはず無かった。」
ハクの言葉に、璃耀はずっと難しそうな顔で眉根を寄せている。
「……何で、私、まだ生きてるんだろう……」
ハクの声は震えている。
それに、璃耀がぐっと奥歯を噛み締めたのがわかった。自分を落ち着かせるように一息おき、それから静かに諭すような声をだす。
「貴方が過去何者であったかを私は存じません。ただ、貴方は今、名のない小兎でも、結という名の人でもありません。白月という名の、一人の妖です。それ以外の何者でもありませんし、それは決して歪なことなどではありません。」
「……でも、記憶があるの。こうしている間にも、どんどんどんどん押し寄せてくるの。
人として幸せに過ごして、両親が死んで、結婚の約束をして、鬼に襲われて……
そうかと思えば、野山で兎の家族と仲良く過ごした記憶が出てきて……
体が痛くて苦しくて助けてほしいのに……怖くて寂しくて家族のもとに帰りたいのに……
どっちの記憶も暗くて狭い箱の中に閉じ込められて、出たい、怖い、死にたくない、誰か助けてって……ずっと叫ぶの。
体はひとつなのに、二つの記憶があって、このままだと心が割れてしまいそうで……それが、凄く怖いの……」
ハクの、本当にそのまま消え入ってしまいそうな不安定な声音に、桔梗が小さく、
「……白月様……」
と名を呟くのが聞こえる。
「白月様、貴方は今、御一人ではありません。どこにも行けず、箱に閉じ込められていた時とは違います。今はただ、いろいろな記憶が突然蘇ってきて、御自身を見失われているだけです。貴方は、結でも小兎でもないのです。」
「……でも、怖いの……自分が誰でもないことは、もっと怖い……」
結の記憶が蘇った直後、結ではないと本家の者たちに扱われた。多分、同時かそれより少し遅れて兎の記憶も蘇ってきたのだろう。
ハクは、完全に自分を見失ってしまっている。
誰でもない、なんてことはないのに……
「白月様。貴方は貴方です。妖界で貴方が、成してきたことをお忘れですか?」
「……わ……わかんないよ……そんなの……わかんない……」
ドアから響くハクの声は涙声だ。
「……もう、何も考えたくない……このまま消えたい……とっくに死んでるはずなんだもん……このまま居なくなっても……」
「白月様!」
凪が鋭い声を上げる。
「……凪……? ……ごめん。……でも、もう、グチャグチャでよくわかんないの……何で私はまだ生きてるの……? 何で……」
ハクは、混乱状態なんだ。
少しの間でも、一人にすべきじゃなかった。
できれば、すぐそばに行って落ち着かせてあげたほうがいいんだろうけど……
そう思っていると、璃耀は考えをまとめるように、一度目を瞑り、小さく息を吐き出したあと、再びドアに視線を戻してじっと見据えた。
「では、白月様。貴方がもし、このまま死を選ぼうとなさるのならば、私もそれにお供しましょう。」
不意に発せられた思わぬ言葉にドキリとする。
キッパリと言い切った璃耀に、凪と桔梗も驚いたように目を剥いた。
「り、璃耀様!」
しかし、璃耀はその反応を完全に無視して、じっと扉の向こうに向き合い続けている。
「貴方がそれをお望みなら、私は何処まででもお供いたします。」
「……何で……璃耀まで……」
ハクからも、ほんの少しだけ戸惑いをにじませた呟きが返ってきた。
「お忘れですか? 私は貴方が帝位に就かれる前から、貴方に命を賭してお仕えすると申し上げていたはずですよ。」
「……でも、そんなの……」
「私は貴方に二度も命を救われています。戦の前と、その最中に。貴方が居なければこの命など遠にないのです。それなのに、貴方を先に失って、私が生きていられる道理などありません。」
璃耀はまるでそれが当然であるかのような言い方をする。
「私は、貴方に命をお預けしているのですよ。白月様。」
「……そんなの……私には、重いよ……」
ハクの声は消え入るようなものだったが、璃耀はそれに小さく微笑む。
「重たいでしょう。でも、それが、貴方が妖界で白月という名の妖として、新たな生を受けて成し遂げてきたことなのです。」
「……新たな……?」
「ええ。ご自分が何者かわからぬのなら、白月となって歩んだ日々をよくよく思い返してください。結でも小兎でもなく、貴方が、貴方として生きた日々を、です。」
「……私が……私として……?」
ハクは反芻するようにそう呟いた。
「私は、貴方が貴方として生き、妖界で成し遂げられて来たことをよく存じているつもりです。それは、貴方が御自分の信念に基づいて成し遂げてきたことのはずです。結でも小兎でも、他の誰でもない、貴方自身が考え、行ったことでしょう。」
姿の見えないハクに語りかける璃耀の顔は、今までに見たことがないほどに優しいものだ。
「今や、貴方が白月様として妖界で歩んできた道の中で、貴方に命を賭してお仕えすると決めた者が、私の他にも大勢います。お気づきになっていましたか?」
「……ううん……」
「皆、私と同じです。貴方に出会わなければ、今の生はなかった者たちばかりです。」
璃耀がそう言うと、不意に、一番後方で様子を伺っていた桔梗が声を上げた。
「……あの、白月様。私もです。術もなく鬼界の穴から侵入してくる鬼どもの相手を驟雨様から命じられ、絶望して居たところに来てくださったのは、貴方でした。白月様に生き方を変えていただきました。いつだって、白月様にこの命を捧げるつもりで生きているのです。」
すると、凪も微笑みを浮かべて頷く。
「白月様、私も同じです。」
「既にここに三人。今は外で待機していますが、あの宇柳ですらそうでしょう。幻妖宮に帰れば更に多くの者がいます。その全ての重みが貴方の命にかかっているのです。
……貴方はそれを投げ出すことなどできないでしょう?」
璃耀はドアの向こうのハクにニコリと笑いかける。
「……なんで……そんな狡い言い方するかな……」
ハクは、反応に困ったように一拍おいてから、呟くようにそう言った。
「貴方にお仕えしてから、然程長くはありませんが、濃い時間の中で、どのようにすれば貴方が動いてくださるかはよく心得ているつもりです。」
「……ホント……狡い……」
吐き出すような声に、涙声も交じる。
「貴方は、どうされたいですか?これから。」
「……どうって……」
「貴方が心のままに生きられるよう、私は精一杯力を尽くすとお伝えしたはずです。それは、帝位に就かれた今も変わりません。どうか、貴方の望みをお聞かせください。」
璃耀は、ハクが帝位につく前からずっと支えてきたのだと聞いた。きっと、そうやってハクの生きる道を問い続け、側で導いてきたのだろう。
ハクの返事が途切れたと思うと、しばらくそのまま、無言の時が続く。
「白月様。」
璃耀がハクの名を呼びかける。すると、ようやく、結の部屋の扉がガチャッと音を立てて静かに開いた。
「白月様!」
泣き腫らした目のハクに、璃耀はほっと息を吐いて立ち上がり、凪と桔梗が涙を流しながら駆け寄る。
「……璃耀、私、行きたいところがあるの。」
「どちらへ?」
「結の両親のお墓参り。それに、兎だった頃に住んでいた場所に行きたい。」
そう言うハクの手には、一つの写真立てが握られていた。
足音に気付いたのか、部屋の中からハクの声が響く。
「璃耀です。白月様。」
その声に、ハクの反応が少しだけ遅れた。思いもしなかった者からの返答で、戸惑ったのかもしれない。
「……璃耀? ……なんで……」
「お迎えに上がりました。こっそり抜け出されたりなどするから、宮中は今、大騒ぎですよ。」
ハクから返答はない。でも璃耀はじっと、ドアに目を向けたままだ。
「帰りましょう。白月様。」
璃耀はそう静かに向こう側のハクに声をかけた。
しかし、ハクがドアから出てくる気配はない。
代わりに返ってきたのは、小さく呟くようなかすれ声だった。
「……帰るってどこへ……?」
「幻妖宮へ、です。」
また、ハクの言葉が途切れる。
どう返答すべきか迷っているのだろうか。それとも帰ること自体を迷っているのだろうか……
凪と桔梗は不安気に顔を見合わせている。
不意に、迷いを覗かせるようなハクの声が廊下に小さく届いてきた。
「……ねえ、璃耀。」
「はい。」
「……私、わかんなくなっちゃった……自分が誰なのか……結だった頃の記憶があって、短いけど小兎だった頃の記憶もあるの。両方が混じって、白月として過ごした記憶もある。
……私は一体誰で、どこに帰ればいいの?私が行くべきなのは、本当に幻妖宮なの……? ……私は一体、誰なんだろう……?」
……そうか。
何となく、俺には結の記憶しか無いから、ハクは結そのものなのだと思いこんでいた。
でも亘は、箱を開けたら結の姿が消えて、薄銀色の兎が蹲っていたと言っていたのだ。
そうであれば、ハクが言うとおり、ハクは本当は結であり依代にされた兎でもあるのかもしれない。
「……全部思い出せばスッキリすると思ったのに、全然スッキリしなかった。……そりゃそうだよね。そのまま死ぬはずだった結と生贄にされた兎が混じって白月になったんだもん。
白月の存在そのものが歪なのに、スッキリなんてするはず無かった。」
ハクの言葉に、璃耀はずっと難しそうな顔で眉根を寄せている。
「……何で、私、まだ生きてるんだろう……」
ハクの声は震えている。
それに、璃耀がぐっと奥歯を噛み締めたのがわかった。自分を落ち着かせるように一息おき、それから静かに諭すような声をだす。
「貴方が過去何者であったかを私は存じません。ただ、貴方は今、名のない小兎でも、結という名の人でもありません。白月という名の、一人の妖です。それ以外の何者でもありませんし、それは決して歪なことなどではありません。」
「……でも、記憶があるの。こうしている間にも、どんどんどんどん押し寄せてくるの。
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そうかと思えば、野山で兎の家族と仲良く過ごした記憶が出てきて……
体が痛くて苦しくて助けてほしいのに……怖くて寂しくて家族のもとに帰りたいのに……
どっちの記憶も暗くて狭い箱の中に閉じ込められて、出たい、怖い、死にたくない、誰か助けてって……ずっと叫ぶの。
体はひとつなのに、二つの記憶があって、このままだと心が割れてしまいそうで……それが、凄く怖いの……」
ハクの、本当にそのまま消え入ってしまいそうな不安定な声音に、桔梗が小さく、
「……白月様……」
と名を呟くのが聞こえる。
「白月様、貴方は今、御一人ではありません。どこにも行けず、箱に閉じ込められていた時とは違います。今はただ、いろいろな記憶が突然蘇ってきて、御自身を見失われているだけです。貴方は、結でも小兎でもないのです。」
「……でも、怖いの……自分が誰でもないことは、もっと怖い……」
結の記憶が蘇った直後、結ではないと本家の者たちに扱われた。多分、同時かそれより少し遅れて兎の記憶も蘇ってきたのだろう。
ハクは、完全に自分を見失ってしまっている。
誰でもない、なんてことはないのに……
「白月様。貴方は貴方です。妖界で貴方が、成してきたことをお忘れですか?」
「……わ……わかんないよ……そんなの……わかんない……」
ドアから響くハクの声は涙声だ。
「……もう、何も考えたくない……このまま消えたい……とっくに死んでるはずなんだもん……このまま居なくなっても……」
「白月様!」
凪が鋭い声を上げる。
「……凪……? ……ごめん。……でも、もう、グチャグチャでよくわかんないの……何で私はまだ生きてるの……? 何で……」
ハクは、混乱状態なんだ。
少しの間でも、一人にすべきじゃなかった。
できれば、すぐそばに行って落ち着かせてあげたほうがいいんだろうけど……
そう思っていると、璃耀は考えをまとめるように、一度目を瞑り、小さく息を吐き出したあと、再びドアに視線を戻してじっと見据えた。
「では、白月様。貴方がもし、このまま死を選ぼうとなさるのならば、私もそれにお供しましょう。」
不意に発せられた思わぬ言葉にドキリとする。
キッパリと言い切った璃耀に、凪と桔梗も驚いたように目を剥いた。
「り、璃耀様!」
しかし、璃耀はその反応を完全に無視して、じっと扉の向こうに向き合い続けている。
「貴方がそれをお望みなら、私は何処まででもお供いたします。」
「……何で……璃耀まで……」
ハクからも、ほんの少しだけ戸惑いをにじませた呟きが返ってきた。
「お忘れですか? 私は貴方が帝位に就かれる前から、貴方に命を賭してお仕えすると申し上げていたはずですよ。」
「……でも、そんなの……」
「私は貴方に二度も命を救われています。戦の前と、その最中に。貴方が居なければこの命など遠にないのです。それなのに、貴方を先に失って、私が生きていられる道理などありません。」
璃耀はまるでそれが当然であるかのような言い方をする。
「私は、貴方に命をお預けしているのですよ。白月様。」
「……そんなの……私には、重いよ……」
ハクの声は消え入るようなものだったが、璃耀はそれに小さく微笑む。
「重たいでしょう。でも、それが、貴方が妖界で白月という名の妖として、新たな生を受けて成し遂げてきたことなのです。」
「……新たな……?」
「ええ。ご自分が何者かわからぬのなら、白月となって歩んだ日々をよくよく思い返してください。結でも小兎でもなく、貴方が、貴方として生きた日々を、です。」
「……私が……私として……?」
ハクは反芻するようにそう呟いた。
「私は、貴方が貴方として生き、妖界で成し遂げられて来たことをよく存じているつもりです。それは、貴方が御自分の信念に基づいて成し遂げてきたことのはずです。結でも小兎でも、他の誰でもない、貴方自身が考え、行ったことでしょう。」
姿の見えないハクに語りかける璃耀の顔は、今までに見たことがないほどに優しいものだ。
「今や、貴方が白月様として妖界で歩んできた道の中で、貴方に命を賭してお仕えすると決めた者が、私の他にも大勢います。お気づきになっていましたか?」
「……ううん……」
「皆、私と同じです。貴方に出会わなければ、今の生はなかった者たちばかりです。」
璃耀がそう言うと、不意に、一番後方で様子を伺っていた桔梗が声を上げた。
「……あの、白月様。私もです。術もなく鬼界の穴から侵入してくる鬼どもの相手を驟雨様から命じられ、絶望して居たところに来てくださったのは、貴方でした。白月様に生き方を変えていただきました。いつだって、白月様にこの命を捧げるつもりで生きているのです。」
すると、凪も微笑みを浮かべて頷く。
「白月様、私も同じです。」
「既にここに三人。今は外で待機していますが、あの宇柳ですらそうでしょう。幻妖宮に帰れば更に多くの者がいます。その全ての重みが貴方の命にかかっているのです。
……貴方はそれを投げ出すことなどできないでしょう?」
璃耀はドアの向こうのハクにニコリと笑いかける。
「……なんで……そんな狡い言い方するかな……」
ハクは、反応に困ったように一拍おいてから、呟くようにそう言った。
「貴方にお仕えしてから、然程長くはありませんが、濃い時間の中で、どのようにすれば貴方が動いてくださるかはよく心得ているつもりです。」
「……ホント……狡い……」
吐き出すような声に、涙声も交じる。
「貴方は、どうされたいですか?これから。」
「……どうって……」
「貴方が心のままに生きられるよう、私は精一杯力を尽くすとお伝えしたはずです。それは、帝位に就かれた今も変わりません。どうか、貴方の望みをお聞かせください。」
璃耀は、ハクが帝位につく前からずっと支えてきたのだと聞いた。きっと、そうやってハクの生きる道を問い続け、側で導いてきたのだろう。
ハクの返事が途切れたと思うと、しばらくそのまま、無言の時が続く。
「白月様。」
璃耀がハクの名を呼びかける。すると、ようやく、結の部屋の扉がガチャッと音を立てて静かに開いた。
「白月様!」
泣き腫らした目のハクに、璃耀はほっと息を吐いて立ち上がり、凪と桔梗が涙を流しながら駆け寄る。
「……璃耀、私、行きたいところがあるの。」
「どちらへ?」
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