結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な高校生だったのに、人外たちに囲まれて世界を救うことになりました~

御崎菟翔

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妖界編

閑話 ―side.璃耀 : 白月の迎え①―

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 大鷲に乗り、真っ直ぐに前を向いて前方を飛ぶ白月に目を向け、璃耀はほっと息を吐く。

 山向こうが少しだけ青白くなってきている。もうすぐ夜明けだ。

 本当に長い夜だった。

 就寝した後の白月は気づいていないようだが、白月が帝位に着いた直後、白月が鬼に捕われた事件があってから、見張りには眠っている間も時折白月の様子を見るように言いつけてあった。

 旅をしていた頃からそうだったが、白月は時折、何かに巻き込まれて姿を消す。理由は様々だが、帝位についてからも既に二回拐かされているのだ。いつまた姿を消すのではと気が気でなかった。

 それに、近頃白月の様子がいつもと違っていることも気になっていた。
 本人は隠しているつもりだろうし、実際、うまく取り繕っているように見えたが、でも確かに、先日烏天狗の山で拐かされて以降、それまでとは様子が異なっていたのだ。

 夜間、突然近衛が飛び込んできて、白月が姿を消したと聞いたときには、全身から血の気が引くような思いがした。

 すぐに、軍も近衛も検非違使も総動員して探し回った。白月を失うような事だけは絶対に避けなくてはならない。

 人界の者がやってきて、白月の居場所と無事を確認出来たときには、早く迎えに行かねばと気が急いた。
 しかし、人界へ向かい、ようやく無事な声を聞けたとほっと胸を撫で下ろしたと思えば、白月は部屋からでてこなかった。

 それどころか、自死を選びかねないほど、精神的に混乱していた。

 白月が妖界に来る前に経験したことを思えば無理も無いが、璃耀は内心ヒヤヒヤしながら白月の説得を行っていたのだ。

 このまま、白月の心が壊れてしまわないか、このまま命の灯を消してしまわないか、今までのような笑顔をみせてくれるのか……

 だからこそ、白月の姿を自分の目で確かめることが出来た時には、ようやく自分達のもとに戻ってきてくれたような気がして、心底安堵したのだった。

「白月様がご無事に戻ってきてくださって本当によかったです。」

 宇柳が璃耀の横を飛びながら、そうこぼす。
 きっと皆、不安を抱えていたのだろう。

 それだけ、今の京に白月の存在は無くてはならないものになっていた。
 結界の保持という意味だけではない。白月の存在が心の支えとなっている者は驚くほど多い。

 幻妖京の英雄であるという側面もあるし、不思議と人を魅了する心柄であるという理由もある。
 白月が居るだけで、常に薄暗い妖界がパッと明るくなるような気さえする。

 おそらくそれは、京だけに留まらない。だからこそ、ずっと朝廷と敵対関係にあった烏天狗までも味方につけることが出来たのだろう。

 璃耀は宇柳の言葉に同意しながらも、表情を引き締める。

「宮中に戻るまで安心はできない。警戒は怠るな。」
「はっ。」

 短く返事をし、宇柳は旋回して周囲の統率と警戒に戻っていく。

 夜明け前。
 翠雨に朝までに戻るといったが、そちらの約束にも間に合いそうだ。

「……あの方が嫌味を言い始めるとしつこいからな。」

 璃耀は黒髪の貴公子を思い出して、溜め息と共にそう吐き出した。


 奏太が学校と呼んでいた場所に辿り着くと、来たときにいた獺が、小さな洞窟の前で待ち構えていた。

「お帰りなさいませ。」

 獺はニコリと笑う。

「わぁ、かわいい! 鼬さん?」

 凪から降り立った白月は無邪気に声を上げた。
 本人はいつもどおりに振る舞っているつもりだろうが、表情は普段より僅かに硬い。

 凪や桔梗がほっとした表情を浮かべているところを見ると、周囲の者にはわからないくらいの変化なのだろう。

 本当にこの御方は、このようなところばかり押し隠すのが上手い。普段、表情をコロコロと変えるから、こういった変化が隠れてしまいやすいのだ。

 まだ少し、様子を見る必要がありそうだ。

「いえいえ、獺です。貴方様が今の大君でしょうか。お会いできて光栄です。」

 獺がペコリと頭を下げると、白月は目を輝かせる素振りを見せる。

「へえ、獺なんだ! よろしくね。獺さんは、朝廷の使いなの? それ、朝廷の使いの印でしょう?ここで何をしてるの? 人界に住んでるの?」

 白月は獺の足首をスッと指差す。

 気丈にいつもどおりに振る舞おうとしているのはわかるが、この調子で話し始めたら、いつまで経っても帰れないだろう。

 璃耀はハアと一つ息を吐く。

「白月様、早く帰らねば、日が昇ってしまいます。」
「あ、そっか。そうだよね。入口はどこ?」
「こちらです。大君。」

 獺は小さな手で、天井の極めて低い洞窟を指し示す。

 四つん這いにならなければ通れないほどの狭さだからだろう。白月はほんの少しだけ顔を曇らせ、分厚い石板でできたような建物の上階に視線を移す。それから、璃耀の顔をチラッと見た。

 ……この学校という場所と御自分の部屋を繋いでこちらへ来たと奏太は言っていたか……

 その場所にもう一度穴を開けて帰れれば早いのに、とでも思ったのだろう。

 ただ、璃耀はできるだけ、白月の手で人界と妖界を繋ぐ穴を開けさせたくないのだ。

 結界の綻びは、兎角良からぬことを考える者に利用されやすい。それはつまり、本人が望むと望まないとに関わらず、自由に開閉できる白月自身を面倒事に巻き込む可能性があるということだ。

 実際、白月はそのような目に既に合っている。主を失うかも知れぬ恐怖を味わうのは、もう沢山だ。

 璃耀が洞窟に向かって白月の背をそっと押すと、白月は小さく、ハアと溜め息をついたあと、コクリと頷いた。

 列になって獺について狭い穴をくぐり抜け、ぽっかり口を開けた灰色の渦を潜る。

 妖界に抜けたあと、白月は白く輝く渦を振り返って首を傾げた。

「それにしても、なんでここだけ入口が開いてるんだろう。」
「大昔、時の大君が密かに人界と妖界を行来するために開けた穴なんですわ。ほら、そこに神代の文字を記してあるでしょう?あれで、結界が塞がらないように固定してあるわけです。」

 獺は、白い渦の両側の壁面を指差す。

「あれ、神代の文字だったんだ……」

 白月はポツリと呟く。
 どこかで見たことがあるのだろうか。

「ねえ、あれで固定してあるって事は、私が力を注いだところで閉じられないんじゃない? むしろ、力業であれをどうにかして消せば、結界は閉じると思うんだけど……」

 白月は璃耀を見上げる。
 確かに、獺の言が確かならば、そういうことになるのだろう。

「宇柳。」
「はっ。」

 璃耀が宇柳の名を呼ぶと、宇柳は兵に指示を出し、岩の文字を検分させる。

 そこへ、獺がおずおずと声をかけてきた。

「あの~……結界を閉じるとおっしゃいました?」
「そうだが?」

 璃耀が短く応えると、獺は顔を青褪めさせる。

「ま、待ってください! 私、千年あの結界を守り続けてるのです! 時の大君との御約束なのです! 御役目を奪わないでください!」
「……千年?」

 璃耀が眉を顰めると、白月も小首をかしげる。

「妖の寿命って五百年じゃないの?」
「ええ、ちょっといろいろありまして、不老不死なんですわ。私。」
「不老不死? そんなの有り得るの?」
「……まあ、全く無い話では無いのでしょうが……」

 家柄から、璃耀は他の者よりも多少知識は多いほうだ。眉唾ではあるが、人魚の肉を食えば、という話も聞いたことがあるし、人が仙人になるなんて話もある。

 ただ、不老不死という話も、結界の開閉と同じで、容易に触れるべき話ではない。欲が絡む分、面倒事を引き起こしやすい。
 白月からは遠ざけておきたい話題だ。

「例え過去の大君からの御役目とはいえ、今はもう忘れ去られた結界の穴など、問題を引き起こしかねぬ。さっさと閉じたほうが良い。」

 不老不死には触れずにきっぱりと言い切ると、獺は

「そんな……確かに、もう誰からも忘れられてしまった場所ですが、私の大事な御役目なのです……」

としょんぼりと眉尻をさげる。

「ねえ、璃耀、ちょっとかわいそうだよ。だって、千年も守ってきたんだよ。」

 白月はまた、無用な同情を見ず知らずの獺にかけようとしている。良くない兆候だ。

「千年も守ったなら、そろそろ役目を終えて隠居してもいい頃では?」
「そんなことを仰らないでください。頂いた朝廷の使いの印を誇りに、大君との御約束を守ることが私の生きがいだったのです……せっかく印がこの手に戻ってきたばかりだというのに……」
「ほら、璃耀。」
「ほら、と言われましても、このまま放置はできないでしょう。」

 そういうと、白月はむぅっと唇を尖らせたあと、小さく息を吐いて獺に向き合い、目線を合わせるようにその場に屈んだ。

「ねえ、獺さん、結界の入口が開いたままだと、妖界にとっても人界にとってもあんまり良い事じゃないの。悪用されることもあるし、変な事件に巻き込まれたら大変でしょう?」

 ……一応、白月自身も理解はしているらしい。

「それはそうですが……」
「それに、誰も通らなくなったこの場所を一人で守るのは寂しいでしょう?」
「……それは……」

 白月は、獺の様子を伺いながら、顔を覗き込むように首を僅かに傾げる。

「じゃあ、新しい御役目を担うのはどう?昔の大君とのお約束はこれで終わりになっちゃうけど、その大君が守った朝廷に仕えて守っていくの。」
「は!?」

 思わず声を上げると、白月は困ったような顔でこちらを見上げる。

「だって、生きがいだったものを奪うだけ奪ってさよならってわけにはいかないでしょう。たった一人、皆から忘れ去られても、この場所で帝に仕えてくれていたわけだし。」

 不老不死などという厄介事の種から引き離そうとしたのに、白月は完全なる善意で不老不死の獺を迎え入れようとし出している。

「しかし、朝廷に仕えさせるならば、課試を受けさせねばなりません。」

 なんとか諦めさせようとそう言ってみたが、白月は首を横に振る。

「ただの配置転換に課試は必要?」
「しかし、そのような得体の知れない者を……」

 だんだん、白月の表情が険しくなっていくのが手に取るようにわかる。
 こうなってくると、こちらが何を言っても聞かないのは経験上よくわかっている。

 白月がいつもの調子に戻ってきつつあるのは結構な事だが、自ら進んで厄介事を抱え込もうとする性質は何とかならないものだろうか。

 璃耀はハアと深く息を吐き出した。
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