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木蓮屋敷6
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鎌倉での日々はとにかく非日常だった。鎌倉まで延伸された汽車での旅など初めてのこと尽くしだったがそれ以上にあそこで過ごした一ヶ月は夢のようで、けして忘れることはできないだろう。この木蓮屋敷に漂う堅苦しさがあそこにはない。なんせ使用人の数が違う。管理を頼んでいた地元の人が雑用を引き受けてくれた以外はほぼわたしと綾さまと山口先生で担ったのだ。水仕事や料理はほぼわたしの仕事だった。三人分なので苦にはならない。とはいえ、綾さまが変わったものを作らせたがるのには閉口した。失敗してもいいからと雑誌からあれやこれやと試したがる。先生も面白がって材料を揃えてくれたのでわたしは嫌とは言えない。うまくできたと思えたのはライスカレーくらいであとは口にあわなかったのだけど、ライスカレーは何度も作ることになった。ピリピリした風味と強い香りが今でもどこかに残っているような気がする。あとは煮豆も何度も煮た。出掛けた時に色とりどりの豆が並んだ乾物屋を見かけて大喜びした綾さまがあれもこれもと買い込んだので、頻繁に作る羽目になったのだ。
少し前から綾さまはおかっぱから髪を伸ばしていて結えるようにはなっていた。山口先生が取り寄せてくれた婦人雑誌に掲載されている髪型を試すことに熱心で、自分の髪が足りない場合はマガレイトやその他いろんな髪型をわたしで試された。綾さまは器用だった。綾さまももうちょっと伸びたらできますよと言うと嬉しそうに微笑まれた。
別荘には写真館で撮った写真帳があり綾さまはわたしに家族を写真で教えてくれた。わたしはろくにご家族の顔を見たことがないのだ。総一朗様や勇一郎様の顔は写真で覚えた。綾さまの亡くなられた母上の写真もあった。綾さまにどことなく似た綺麗な人だった。他に、親戚の写真も何枚か。ただ野崎家の親族は多くなく出入りもほぼないのだけど。別荘では本を読んだり双六で遊んだり、山口先生と勉強をしたり、平和な時間だった。
鎌倉で山口先生は医者の手配をして有名なドイツ帰りの先生が綾さまを診察した。その先生いわく二度の診察のうえでなんの問題もないと、日光をあびて変異の症状はみられないという診断を下し、かなり自由に散策できるようになった。それでも日差しの強い昼間は避けて、庭で草花を摘んだり近くの景色がいい場所まで歩いていって写生をしたり。綾さまがあまりに草花を愛でるので先生は注意をした。
「手が荒れますよ。白魚のように綺麗な手をなさっているのに」
「いいの。綺麗な手なんていらないの」
そう言って悪びれる様子もなく、夢中で花を摘んだ。夏の草花を。
そして、絵を描いた。先生がとりよせた舶来の水絵の具を使って写生するのだ。綾さまはとてもお上手だった。わたしはまるで絵心がなくて、たまに綾さまにからかわれた。でもそんな時間も幸せだった。二人で夏の鎌倉を水絵で描いたのだけど、綾さまが描きかけにした一枚で途中で反故にしたものをこっそり拾ってわたしの荷物にしまってある。
この日々が永遠に続けばよいのにとわたしが強く思っていたのは、終わりがちかいことがわかっていたからだ。不安もないまま幸せな環境にいることができる人たちならばきっとこんな風には感じないのだろう。でもわたしは違う。今までの暮らしと全く違う夏をここで過ごして、これがいつまでも続かないことはわかっていたからこそ、この夏を鮮やかな記憶として残したかった。わたしの人生で、こんな幸せな時期はそんなに続かないだろうし、二度と来ないかもしれないのだから。鎌倉に来るたびに、もう次の夏はないかもしれないと、鎌倉で過ごすのは今年が最後かもしれないと、そう感じていた。それほど、ここの日々が、わたしにとって宝物だったのだ。
少し前から綾さまはおかっぱから髪を伸ばしていて結えるようにはなっていた。山口先生が取り寄せてくれた婦人雑誌に掲載されている髪型を試すことに熱心で、自分の髪が足りない場合はマガレイトやその他いろんな髪型をわたしで試された。綾さまは器用だった。綾さまももうちょっと伸びたらできますよと言うと嬉しそうに微笑まれた。
別荘には写真館で撮った写真帳があり綾さまはわたしに家族を写真で教えてくれた。わたしはろくにご家族の顔を見たことがないのだ。総一朗様や勇一郎様の顔は写真で覚えた。綾さまの亡くなられた母上の写真もあった。綾さまにどことなく似た綺麗な人だった。他に、親戚の写真も何枚か。ただ野崎家の親族は多くなく出入りもほぼないのだけど。別荘では本を読んだり双六で遊んだり、山口先生と勉強をしたり、平和な時間だった。
鎌倉で山口先生は医者の手配をして有名なドイツ帰りの先生が綾さまを診察した。その先生いわく二度の診察のうえでなんの問題もないと、日光をあびて変異の症状はみられないという診断を下し、かなり自由に散策できるようになった。それでも日差しの強い昼間は避けて、庭で草花を摘んだり近くの景色がいい場所まで歩いていって写生をしたり。綾さまがあまりに草花を愛でるので先生は注意をした。
「手が荒れますよ。白魚のように綺麗な手をなさっているのに」
「いいの。綺麗な手なんていらないの」
そう言って悪びれる様子もなく、夢中で花を摘んだ。夏の草花を。
そして、絵を描いた。先生がとりよせた舶来の水絵の具を使って写生するのだ。綾さまはとてもお上手だった。わたしはまるで絵心がなくて、たまに綾さまにからかわれた。でもそんな時間も幸せだった。二人で夏の鎌倉を水絵で描いたのだけど、綾さまが描きかけにした一枚で途中で反故にしたものをこっそり拾ってわたしの荷物にしまってある。
この日々が永遠に続けばよいのにとわたしが強く思っていたのは、終わりがちかいことがわかっていたからだ。不安もないまま幸せな環境にいることができる人たちならばきっとこんな風には感じないのだろう。でもわたしは違う。今までの暮らしと全く違う夏をここで過ごして、これがいつまでも続かないことはわかっていたからこそ、この夏を鮮やかな記憶として残したかった。わたしの人生で、こんな幸せな時期はそんなに続かないだろうし、二度と来ないかもしれないのだから。鎌倉に来るたびに、もう次の夏はないかもしれないと、鎌倉で過ごすのは今年が最後かもしれないと、そう感じていた。それほど、ここの日々が、わたしにとって宝物だったのだ。
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