三体満足

北川イサミ

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(第8話)届かない手紙

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タイトル:『届かない手紙』

 

玄関の引き戸を開け放つと、夏の光が一気に差し込んだ。裸足に近いサンダルの足元が、木の床に落ちた陽の筋を踏んで鳴る。瑠奈は両腕を大きく開いた。義手の関節が微かに軋む音が、蝉の声に紛れて消えていった。

 

リビングには、アマゾンの箱が天井まで積まれていた。「またやったな」と、心の中で呟く。全部、自分が頼んだものだ。もはや中身を覚えていない。日用品、USBケーブル、ノート、試してみたかったプロテイン、気まぐれでポチった観葉植物の鉢カバー……無意識の孤独が、クリックひとつで形を持つ。



「荷物が届くって、希望じゃん?」

 

笑って言ったのは、半年前に去った恋人だった。彼が去った翌週から、部屋に段ボールが増えはじめた。買い物依存、なんて言葉でまとめるには軽すぎる。瑠奈にとってそれは「繋がり」だった。画面越しの誰かが、自分の欲しいものを手に入れる手助けをしてくれる、その事実だけで少しだけ救われる気がした。

 

だが今日、彼女はそれを終わらせようとしていた。

 

午前中、区役所の窓口で届けを出した。「障害者差別解消法に基づく補助申請ですか?」と聞かれ、笑って首を振った。「いえ、ただの、断捨離です」と答えた。窓口の女性は目をしばたたいたが、すぐに書類を処理し始めた。

 

彼女の義手は最新の筋電型で、指の一本一本が自分の意思で動く。けれど、なにかを“つかむ”ということが、どうしてもできなかった。いや、ものは掴める。だが、誰かの手を取ることができない。心に触れることができない。愛に、届かない。

 

「そろそろ、返さなきゃな」

 

山のような箱の中から、ひときわ古びた段ボールを取り出す。それは彼が最後に残していった荷物だった。宛名には、もう存在しないアパートの住所。転送も届かず、瑠奈のもとに戻ってきた。それを今、再び送ることにしたのだ。

 

箱の上に、手紙を一通そっと乗せる。そこにはこう記した。

 

「やっと、あなたがいない日々に慣れてきました。ありがとう。そして、さよなら。」

 

箱を抱えて、義手がきしむ。でも今回は、その痛みが、少しだけ誇らしかった。玄関を出たとき、陽射しの中に立ち上がった影は、もう“彼の影”ではなかった。瑠奈自身の影だった。

 

郵便局までは歩いて七分。風鈴の音を聞きながら、瑠奈は一歩を踏み出す。夏の終わりの、静かな旅立ちだった。
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