『歌い手』の私が異世界でアニソンを歌ったら、何故か世紀の歌姫になっちゃいました

駆威命(元・駆逐ライフ)

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第69話 世界は流れて、回る

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 しばらくすると、ハイネ一人が寝所から帰って来た。

 ハイネは口を引き結び、悔しそうな表情をしている。

 おそらくは傍に居続ける事が出来なかったからだろう。

「陛下はよくやったとお声をかけてくださいました。それから……」

 ハイネは私の耳元に口を寄せると、ごくごく小さな声で囁く。

「レコーダーはベッドの頭側に仕掛けたっす。でもすんません。自分が居た方がよっぽど抑止になるっすのに……」

 この様子だとグラジオス本人に追い出されたのだろう。

 何をするつもりなのか分からないが、頼むから無事に出てきてと私は必死に祈りを捧げ続けた。

 それからどれほどの時間が経っただろうか。一秒一秒がひどく長く感じてしまう。たった数分程度の時間しか経っていないはずなのに、私の中の感覚では何時間も経っているような気がしてならなかった。

 隣で立つハイネの吐息すら聞こえる静寂を、扉の開く重い響きが破る。

 寝所からは、グラジオスが姿を現した。

 何も起こっていない事に私は感謝し、安堵のため息を漏らす。

「グラジオス……殿下。お早いお戻りで」

 衛兵の目の前なので一応敬称をくっつけ、皮肉を口にする。

 そんな私を前にしたグラジオスは、何故かさっぱりしたような表情をしていた。

「殿下か……。それはもう必要ないな」

「え?」

 意味が分からず私は思わず聞き返す。

「……俺は、王位継承権を捨てた。父上にもそれを聞き届けていただいた。俺が王になる事は……もうない」

 グラジオスは何かもの凄く大変な事を言っているはずなのに、私の頭はその言葉が全く理解できなかった。

「次の王になれるのは、カシミールだけしかいない」

 ゆっくりゆっくりグラジオスの言葉が私の中に染み込んでいく。

 そして、ようやく私は理解した。

 グラジオスが言っていた『カシミールに理由がない』という言葉の意味を。

 カシミールが欲しいものは何だろう。

 普通に考えたら分かる。王位が欲しいに決まっている。

 それを脅かすのはグラジオスに置いて他はない。

 カシミールが追い詰められていたのも、グラジオスが頭角を現してきたからだ。

 でもそんなグラジオスが自ら継承権を破棄したらどうなるか。

 カシミールが何かをするまでもなく、カシミールは王に成れるのだ。

 確かにそれなら『何も起きるはずがない』。でも……。

「それで、いいの? グラジオス」

「何がだ?」

 グラジオスは笑う。柔らかい表情で笑う。

 多分、今グラジオスは心の底から笑っている。そこに無理だとか嘘は欠片も無かった。

「グラジオス、王族としてやらなきゃならない事を出来るのが嬉しいって……」

 ピーターを助けられたとき、グラジオスは笑っていた。

 私に、道を示してくれてありがとうと言ってくれた。

 王位はグラジオスにとって簡単に捨てられるほど軽いものではなかったはずだ。

 最終的に自分が王になる事などないと理解していても、捨てられるようなものではなかったはずだ。

 人生の半分であり、存在意義でもあったはずなのだから。

「いいんだ。今の俺には歌がある。ちょっと持ちすぎていたから片方下ろしただけだ」

 グラジオスはニカッとらしくない笑顔を浮かべ、私の頭に手を置いた。

「喜んでくれないのか、約束通り音楽の都に行けるんだぞ?」

「それは……嬉しいけどさ……」

「それとも俺が王子じゃなきゃダメだったか?」

「それ本気で言ってんの?」

 むしろ王子でなくなった方が気軽に色んな所に行けるだろうし、変に気負わなくて済むだろうし、音楽だけに時間を使えるし……。あれ、王子じゃない方がいいじゃん。

「分かった。グラジオスが後悔しないなら、いいんじゃない」

 私は頭の上に置かれたグラジオスの手を払いのけてからとりあえず受け入れて置いた。

「というわけでハイネ。これからもよろしく頼む」

 グラジオスがハイネに握手を求める。

 心機一転、新しい自分で友人と向き合うってことだろうか。

「うっす、グラジオス様」

 ハイネは少しグラジオスの手を見つめていたが、音を立てて手を掴むと、ぎゅっと強い力で握りしめた。

「様は要らん。同じ放蕩貴族なんだからな。……いや、むしろ土地も爵位も持っていない俺の方が立場は下か?」

「じゃあ兄貴っすね。自分、兄貴の事尊敬してるんで」

 真剣な顔でそう言い切るハイネに、グラジオスはくすぐったそうに笑うと頬をポリポリと掻く。

 この二人の友情はどんな立場になったって変わる事が無さそうだった。

「あ、そう言えばグラジオスはこれで色々低くなったわけだから、気兼ねなくエマとくっつけるね」

「え゛」

 ……ぴしりと、友情に亀裂が入る音がした。

 ハイネの表情が険しくなり、必要以上に力を籠めて握られたグラジオスの手からはポキポキと嫌な音がし始める。

「は、ハイネ? お、俺は別にエマの事は何とも思って……」

 グラジオスが顔を引きつらせて言い訳めいた事を口にするが、ハイネはそんな事聞いちゃいなかった。

 エマってグラジオスにべた惚れだもんね~。例えグラジオスがホントに意識してなくてもそりゃあ、ねぇ?

「兄貴には負けねっすから」

「手、手が痛いんだが」

「負けねっすから」

「……何やってるんだか」

 私は自分が蒔いた種だというのに横で二人を眺めて笑っていた。

 そんな弛緩した空気の中、もう一度音が響く。

 ガチャリと、地獄の扉が開く音が。

「そこの男を捕まえろっ! 陛下を弑逆しいぎゃくした犯人だっ!!」

 カシミールの言葉と共に詰め所の扉が開き、中から何人もの衛兵たちが続々と出て来る。

 衛兵たちは短槍を構えてこちらをけん制し、私達を包囲しようとじりじりと近づいて来た。

 カシミールは何故かよろめきながら寝所から出て来る。

 よく見れば唇が切れているのか、口の端から一筋の血が流れ出ていた。

「何言ってんのアンタ、馬鹿じゃないの!? グラジオスは王位を捨ててもう関係ないの! 父親を殺す理由がないでしょ!?」

 私とハイネはグラジオスを庇う様に槍襖の前に立ちふさがる。

「ふんっ」

 カシミールは私の言葉を鼻で笑い、顔を憎悪に歪める。

「その男は父上から勘当されたのだ。すると逆上して私を殴りつけて気絶させ、父上の首を絞めて殺害したのだ!」

「だったらこんなところでのんびり私達と話してるはずがないでしょ!」

「大体、兄貴の弱さで殴りつけて気絶させる何て器用な事出来るわけないっす!」

 ……ハイネ、アンタどういう方向で信頼してんのよ。まあいいけどさ。

 というかグラジオス。何してんの? なんで言い返さないの!?

 私は横目でグラジオスの顔を確認して――。

 すごく、痛かった。

 グラジオスは、感情という感情が全て消えてしまったかのような目をしていて……。

 怒りとか、辛いとか、悲しいとか、そんな感情が突き抜けてしまった様にも見える、能面の様な顔をしていた。

 思わず私は自分の胸元に手をやってしまう。

 そうしなければ、生まれた痛みによって胸が張り裂けてしまうと思ってしまったから。

「グラジオス」

 私はグラジオスの手を取って握り締める。

「グラジオスっ」

 もう一度名前を呼びながら、今度は強く引っ張ると、グラジオスの体が、風で折れそうになっている朽木のごとく傾ぐ。

 グラジオスの心は、もう……。

 私は、私は……。

 突然、グイッと強い力で私の体が引っ張られ、世界が反転した。

「ハイネッ、逃げるぞっ!」

「う、うっす!」

 グラジオスの声が聞こえた事で、私は自分がグラジオスに抱えられている事を理解する。

 グラジオスは私を荷物のように小脇に抱えたまま全力で遁走を開始した。

 そのまま十数メートルほど走り、ドアを通り抜けたところで私の体は床に投げ出されてしまう。

「きゃっ」

 勢いのついた私の体は床を何回転かしたところで止まった。

 私は急いで立ち上がると状況を確認する。

 どうやら今はグラジオスとハイネが共に肩を押し当て、扉を抑えて衛兵たちを阻んでいる様だった。

 私は何か役に立つようなものが無いかと辺りを見回したのだが、不幸な事に役に立ちそうなものは何も見つからない。

「二人は逃げろ」

「は?」

 私は少しでも力になればと思い、一緒になって扉を抑える。

 扉は激しい音を立て、時折波打つようにこちらの体を押しのけようとするが、私は歯を食いしばってそれに抗った。

「グラジオスも一緒に逃げなきゃダメだって。殺されちゃうよ!?」

「俺は……」

 グラジオスは何かを言おうとして口を開けたが結局何も言わずに閉じる。再び開いた時、放たれた言葉は私に向かってでは無かった。

「ハイネ、雲母を頼む」

「グラジオスっ!」

「……うっす」

 一瞬の逡巡の後、ハイネは決意と共に頷く。

「ハイネも何言ってんの!? 逃げる時はグラジオスも一緒だからねっ」

 グラジオスの手が私の肩に置かれる。

 その手は、少しだけ、震えていた。

「これは、俺の問題だ。お前達を巻き込むわけにはいかない」

「そんな事ないよっ。仲間でしょ!? 今までずっと一緒にやって来たでしょ!?」

 扉にかかる圧力が段々大きくなっていき、私の体は何度も弾かれそうになった。それでも私は必死になって扉を抑え続ける。

 でなければグラジオスが殺されてしまうと分かっていたから。

「すまない、俺が間違っていた。雲母たちが正しかった。カシミールがこんな事をしでかすとはな」

「間違ってなんか無いよ! グラジオスは間違ってなんかないっ。アイツの性根が腐りきってただけっ」

 グラジオスが王位継承権を放棄した時点で、カシミールは無理に父親とグラジオスを殺す必要は無かったのだ。

 しかもハイネに言葉をかけたり、グラジオスの継承権破棄を認めた感じからすると、カシミールのしたことはバレていないのだ。

 まだやり直せるはずだった。よしんば死んでしまったとしても、あくまでも病死で貫き通せた。

 わざわざ絞殺して、グラジオスにその罪を着せる必要性は皆無なのだ。

 王位を簒奪する必要がないのだから。

 つまり、カシミールはグラジオスを殺すために事を起こしたのだ。

「約束、守れなくてすまない。一緒に行けそうにない」

「馬鹿っ。今言う事じゃないからっ。一緒に逃げればいつかは行けるかもしれないでしょ? 謝るなっ」

「それからありがとう。楽しかった。この二年間は、俺にとって最高の……」

「聞かないっ聞かないっ! 馬鹿っ馬鹿ぁっ!!」

 最期の言葉なんて聞きたくなかった。

 終わりになんてしたくなんて無かった。

 私はグラジオスと一緒に居たかった。ずっと一緒に歌いたかった。

 私の肩口に置かれたグラジオスの手に力が入り、グイッと引っ張られてしまう。

 男の人の強い力に抗えるはずもなく、私は再び廊下を転がった。

「ハイネッ」

「了解っ」

 転んで横になっている私の体が浮かび上がり、大きく揺れながら移動し始める。

 ハイネが扉を抑える事を止め、私を抱えて逃げ出したのだ。

「ハイネ放してっ。グラジオスがっ」

 拘束から抜け出そうと私はもがくのだが、それ以上の力でハイネに押さえつけられてしまう。

「兄貴を助けるにしても今は逃げるっす。このまま捕まったら全員縛り首っす」

「じゃあグラジオスも一緒に逃げないと!」

「誰かが足止めしてくれないと自分らも逃げられないっす」

「準備してたでしょ? それで……」

「確実じゃないっす……」

 ハイネは言葉を切ると、大きく息を吸い、

「兄貴っ! 絶対助けに戻るっすから!!」

 背後に向けて大声を放つ。

「姉御の助けが要るっす。兄貴を助けるのは姉御じゃなきゃ出来ないっす。だから今は逃げるしかないっす」

「…………」

 私は……泣いていた。

 でも同時に唇を噛み締めながら、必死に胸の中で誓っていた。

 絶対助けるから、と。
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