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第90話 言の葉に乗せられた愛を
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いやだ。そんなのダメだ。
私のせいでそんな事になるなんて絶対受け入れられない。
さっきのエマの顔を思い出して。
あんな顔にさせちゃいけない。
私が居なくなれば。
私が消えちゃえば。
そう思いながら私は走る。
煩わしいスカートの裾をたくし上げ、邪魔な靴を脱ぎ、放り捨てて。
長い廊下を走り、階段を駆け上がり、走って、走って。
ドアを守る衛兵二人の静止も聞かず、私は進み、たどり着いた。
荘厳な部屋の中に居た人たちは、唐突に飛び込んで来た私に目を丸くしている。
いや、そうじゃない人が、一人。
その人はいつもの様に優雅な微笑みを浮かべ、私に向かって挨拶をしてくる。
でも私はそれに返答する気分じゃなかった。
一分一秒でも、私はここを離れなければならなかったから。
この――アルザルド王国を。
「ルドルフさま」
「うん?」
私は激しく息を切らせながらその人の名前を呼んだ。
今この場で唯一、私に安らぎを与えてくれる人。私はルドルフさまに頼る為に走って来たのだ。
「私を帝国に連れて行ってください、今すぐ!」
その言葉に、グラジオスが、ハイネが、オーギュスト伯爵にこの国の大臣、それからルドルフさまに付き従って来た名も知らない誰かが。
ルドルフさまを除いたすべての人々が、言葉を失っていた。
「いいよ」
軽く、ルドルフさまが頷いてくれる。
私はそれに、安堵を覚えて――。
「待て、雲母!」
グラジオスが叫びながら席を立つ。
ハイネやオーギュスト伯爵も同様に困惑しながら立ち上がり、私の方へ近づいてくる。
今は朝食が終わってティータイムといったところだろうか。
各々の目の前にはケーキとティーカップが並べられている。当然そんな、もてなす側のほとんどの人間がゲストを無視するような行為など、あっていいはずがない。
もっとも、無礼を言うなら私の方がよっぽどだろうけど。
「来ないで。グラジオス、来ないで」
私がそう言っただけで、立ち上がった全ての人の動きが止まる。
でも、彼らの視線は私に集まり突き刺さった。
「雲母、どういうことだ」
こんな事を言ったというのに、グラジオスはひどく穏やかな声で私に問いかける。その声は本当に静かで、怒りだとかそういう感情がほとんど感じられず、ただ確認したいだけに聞こえた。
もっと怒られると思っていたのに。
こんな無茶苦茶な事を仕出かして、何をやっているんだと叱責されると思っていたのに。
なんで……なんで優しくするのよぉ、ばかぁ。
「帝国に、行きたい、の」
「……その後どうするつもりだ?」
やはりグラジオスも分かっているのだろう。
私が一時的に帝国へと行きたいのではなく……帝国へ逃げたいのだと。
「……帝国に、ずっと居させてもらう」
怒鳴られる。私はそれを覚悟して身をすくめた。
こんなバカな事をしているのだからそうされて当然だ。
そう思って待ち構えていたのに……。
「そうか」
グラジオスから返って来たのはその一言だけだった。
それで私は全てを理解した。
エマの言っていた事は嘘だったんだって。
私を踏みとどまらせるために、その場で作られた即興の物語。何度も舞台という場数を踏んだエマがついた優しい嘘。
でも……だからこそ、私の心は少しだけ軽くなる。
エマはまだ告白何てしていないし、振られてもいない。
私がこの国を出て行けば、きっとすべてが丸く収まるんだって……。
「ルドルフ殿」
グラジオスは歩を進め、テーブルをぐるりと回ってルドルフさまの、そして私の方へと近づいてくる。
「何かな?」
「雲母をよろしくお願いします――」
そんな事言われるまでもないだろう。
ルドルフさまは私の欲しいものを用意して、私の歌だけを愛してくれるはずだから。
そう考えていた。
安直に。
私は、グラジオスの事を全然分かっていなかった。
グラジオスは、私が思っていたよりもずっと――。
「それから、私もお仕えさせていただけますか。雲母と共に」
世界が凍り付いた。今度はルドルフさまも。
返すべき言葉を失い、グラジオスの事をただ茫然と見ている事しか出来ないでいた。
グラジオスはそんなルドルフさまの前に跪くと、臣下の礼を取る。
まだ戴冠式を済ませてはいないとはいえ、この国で最も高い地位に居るグラジオスが。
「何やってるの、グラジオス。あなたこの国の王様なんだよ!? その意味が分かって……」
「王じゃない」
グラジオスは立ち上がると、私に向かって一歩踏み出した。
私はそれに合わせて一歩後退る。
「俺は、王じゃない。この国に王はいない」
「で、でも王位継承権第一位はグラジオスでしょ? なら自動的に……」
グラジオスは無言で首を横に振った。
「父上には継承権の放棄を申し入れたからな。単に成れる人が居ないから俺が代理で処理を行っているだけに過ぎない。今妥当なのは……叔父上の三つになる息子だろうな」
俺にとっては従弟か、なんて苦笑している。
でも、これはそんな問題じゃない。
グラジオス以上に王位にふさわしい人は居ないし、国民だってそれを望んでいる。
その意思があったからこそ、グラジオスは今ここにこうして居られるのだ。
それを放棄するという事は、国民みんなを裏切るという事を意味しているのに。
「雲母。俺はお前について行く。俺はお前の傍に居る」
「な……んで……」
私はなんとかそれだけは絞り出した。
きっと今、私の顔はぐちゃぐちゃだ。
昨夜あれほど泣いたというのに、枯れる事を知らないかのようにまだ涙が溢れてくる。
「俺はお前の傍に居たい。何よりも大切なお前の傍に」
やめて……やだ……。
後ろによろめいた私を、グラジオスの腕が捕まえる。
そして、強い力で引っ張られ、抱きしめられた。
抵抗しないといけないのに、心がすくんで体が動かなかった。
胸元に私の耳朶がフレ、グラジオスの鼓動を拾い上げる。
ドキン、ドキンと、力強い音が私を揺らす。
聞いた事は無かったけれど、多分何時もより断然に早いだろう。
「みんなには悪いが、俺はこの国よりお前ひとりの方が大事だ」
――愛してる。
その言葉を囁かれた時、私の中で何かが崩れ去った。
必死に認めない様にしてきたのに。
絶対にそんな感情存在しないって自分を騙し続けてたのに。
私は――私は――グラジオスが大好きだ。
好き――好き――好き。何よりも、誰よりも好き。
今すぐこの言葉を正直にぶつけてしまいたかった。
ぶつけて、グラジオスに抱き着いて何度も何度もこの気持ちを確かめたかった。
でも――それは出来ない。やっちゃいけない。
もう、私のせいで傷つく人を作っちゃいけないから。
だから私は――。
「――だいきらい」
拒絶した。
「わたしは、グラジオスなんかきらい」
力ない拳でグラジオスの胸を打つ。何度も。何度も。
「はなしてよぉ……」
グラジオスの胸元に顔をこすりつけ、涙を拭いて、顔を上げる。グラジオスの顔を、見上げる。
グラジオスの青い瞳を覗き込んで、彼の頬に手を添えて、懇願する。
「おねがい……」
グラジオスの手に更に力が籠り、私を痛いぐらいに抱きしめる。
体の奥底から吹き出してしまいそうな何かを必死に堪えている様な、そんな何とも言えない切なげな表情で私を見ながら、グラジオスは私の手に頬を寄せる。
「やめてぇ……」
かすれた声で、私は乞い願う。
その願いは――。
「離れなさい」
聞き届けられた。
いつの間にか回り込んだルドルフさまが、私の肩を掴んでグラジオスを突き飛ばしていた。
ルドルフさまの瞳は今まで見たことも無いような怒りの炎に彩られており、ただ見ているだけの私ですら一瞬で心が冷え上がってしまうほどの威圧感を放っている。
「キララが言っていただろう。聞こえなかったのかい」
私の肩に置かれたルドルフさまの手に力が籠り、少しだけ痛みが走る。
私は抗議しようとしたのだが、舌が震えていう事を聞かない。
「聞こえていましたよ。ですが、私には違う声も聞こえておりました」
グラジオスがルドルフさまに気圧されることなく相対する。
こちらは驚くほど静かで冷静な瞳をしており、私と目が合った瞬間僅かにだが微笑み返してくれるほど余裕があるように見えた。
「関係ないよ。キララはハッキリと言葉にしたはずだ。それなのに強引に自分のものにしようなんて、レディの扱いを分かっていない様だね」
「失礼。私は雲母だけを愛しているので、それ以外の女性には見向きもしていなかったので扱い方が分からないのですよ」
当事者である私は蚊帳の外に置かれたまま、グラジオスとルドルフさまは険悪な視線を交わす。
私は慌てて二人を宥めようとしたのだが、まるで言葉を忘れてしまったかのように唇が震えて意味のある言葉を紡ぎだせなかった。
「お二人共、そこまでにされてはいかがですかな。キララ殿を困らせるのはお二人の望むところではありますまい」
そんな私に代わって、二人の間に割り込んだのはオーギュスト伯爵だった。
さすがは年の功と褒めたくなるような言い回しで二人を仲裁する。
「キララ殿も朝食がまだでしょう。まずは体に何か入れてから話されてはどうですかな? 空腹ではろくな考えになりませんからな」
そう話を振られた私はとりあえず何度も首を縦に振った。
では、とオーギュスト伯爵が私を案内し、椅子に座らせてくれる。そこはグラジオスの隣で、ルドルフさまの真正面だった。
逆隣の席は空席で、その席の向こう側にハイネが座っている。
私が視線を向けると、ハイネが何故かガッツポーズを返してくれて、いつも通りのハイネに少しだけ安心した。
「そういえばエマ殿がキララ殿を呼びに行ったのですが、一緒には来られなかったのですな」
あ、と私は思い出す。
私はここに来る途中、邪魔な靴を脱いで、適当な方向に投げ捨てていた。
それでエマが惑ってしまったのかもしれない。
私が慌てて席を立とうとすると、それをオーギュスト伯爵が優しく押しとどめてくれる。
「誰か人をやった方が早いでしょうな。キララ殿はここでルドルフ殿下のお相手をしてくだされ」
私はそれにはい、と返事をしようとして――気付いた。
――はい。
――――はい。
――――――分かりました、ありがとうございます。
私は、それらを声に出そうとしたのだ。
実際口を開いて唇を動かした。なのに……なのに……。
私の様子がおかしい事に、私の事を見ていた全員が気付く。
私は何度も声を出そうと試みたのだが、ひゅうひゅうと音を立てる以外何の音も喉からは出てこず、唇は虚しく大気をかき混ぜた。
「……もしかしてキララ――」
「声が、出ないのか?」
ルドルフさまとグラジオスの言う通り、私は声を、歌を、失ってしまった。
私のせいでそんな事になるなんて絶対受け入れられない。
さっきのエマの顔を思い出して。
あんな顔にさせちゃいけない。
私が居なくなれば。
私が消えちゃえば。
そう思いながら私は走る。
煩わしいスカートの裾をたくし上げ、邪魔な靴を脱ぎ、放り捨てて。
長い廊下を走り、階段を駆け上がり、走って、走って。
ドアを守る衛兵二人の静止も聞かず、私は進み、たどり着いた。
荘厳な部屋の中に居た人たちは、唐突に飛び込んで来た私に目を丸くしている。
いや、そうじゃない人が、一人。
その人はいつもの様に優雅な微笑みを浮かべ、私に向かって挨拶をしてくる。
でも私はそれに返答する気分じゃなかった。
一分一秒でも、私はここを離れなければならなかったから。
この――アルザルド王国を。
「ルドルフさま」
「うん?」
私は激しく息を切らせながらその人の名前を呼んだ。
今この場で唯一、私に安らぎを与えてくれる人。私はルドルフさまに頼る為に走って来たのだ。
「私を帝国に連れて行ってください、今すぐ!」
その言葉に、グラジオスが、ハイネが、オーギュスト伯爵にこの国の大臣、それからルドルフさまに付き従って来た名も知らない誰かが。
ルドルフさまを除いたすべての人々が、言葉を失っていた。
「いいよ」
軽く、ルドルフさまが頷いてくれる。
私はそれに、安堵を覚えて――。
「待て、雲母!」
グラジオスが叫びながら席を立つ。
ハイネやオーギュスト伯爵も同様に困惑しながら立ち上がり、私の方へ近づいてくる。
今は朝食が終わってティータイムといったところだろうか。
各々の目の前にはケーキとティーカップが並べられている。当然そんな、もてなす側のほとんどの人間がゲストを無視するような行為など、あっていいはずがない。
もっとも、無礼を言うなら私の方がよっぽどだろうけど。
「来ないで。グラジオス、来ないで」
私がそう言っただけで、立ち上がった全ての人の動きが止まる。
でも、彼らの視線は私に集まり突き刺さった。
「雲母、どういうことだ」
こんな事を言ったというのに、グラジオスはひどく穏やかな声で私に問いかける。その声は本当に静かで、怒りだとかそういう感情がほとんど感じられず、ただ確認したいだけに聞こえた。
もっと怒られると思っていたのに。
こんな無茶苦茶な事を仕出かして、何をやっているんだと叱責されると思っていたのに。
なんで……なんで優しくするのよぉ、ばかぁ。
「帝国に、行きたい、の」
「……その後どうするつもりだ?」
やはりグラジオスも分かっているのだろう。
私が一時的に帝国へと行きたいのではなく……帝国へ逃げたいのだと。
「……帝国に、ずっと居させてもらう」
怒鳴られる。私はそれを覚悟して身をすくめた。
こんなバカな事をしているのだからそうされて当然だ。
そう思って待ち構えていたのに……。
「そうか」
グラジオスから返って来たのはその一言だけだった。
それで私は全てを理解した。
エマの言っていた事は嘘だったんだって。
私を踏みとどまらせるために、その場で作られた即興の物語。何度も舞台という場数を踏んだエマがついた優しい嘘。
でも……だからこそ、私の心は少しだけ軽くなる。
エマはまだ告白何てしていないし、振られてもいない。
私がこの国を出て行けば、きっとすべてが丸く収まるんだって……。
「ルドルフ殿」
グラジオスは歩を進め、テーブルをぐるりと回ってルドルフさまの、そして私の方へと近づいてくる。
「何かな?」
「雲母をよろしくお願いします――」
そんな事言われるまでもないだろう。
ルドルフさまは私の欲しいものを用意して、私の歌だけを愛してくれるはずだから。
そう考えていた。
安直に。
私は、グラジオスの事を全然分かっていなかった。
グラジオスは、私が思っていたよりもずっと――。
「それから、私もお仕えさせていただけますか。雲母と共に」
世界が凍り付いた。今度はルドルフさまも。
返すべき言葉を失い、グラジオスの事をただ茫然と見ている事しか出来ないでいた。
グラジオスはそんなルドルフさまの前に跪くと、臣下の礼を取る。
まだ戴冠式を済ませてはいないとはいえ、この国で最も高い地位に居るグラジオスが。
「何やってるの、グラジオス。あなたこの国の王様なんだよ!? その意味が分かって……」
「王じゃない」
グラジオスは立ち上がると、私に向かって一歩踏み出した。
私はそれに合わせて一歩後退る。
「俺は、王じゃない。この国に王はいない」
「で、でも王位継承権第一位はグラジオスでしょ? なら自動的に……」
グラジオスは無言で首を横に振った。
「父上には継承権の放棄を申し入れたからな。単に成れる人が居ないから俺が代理で処理を行っているだけに過ぎない。今妥当なのは……叔父上の三つになる息子だろうな」
俺にとっては従弟か、なんて苦笑している。
でも、これはそんな問題じゃない。
グラジオス以上に王位にふさわしい人は居ないし、国民だってそれを望んでいる。
その意思があったからこそ、グラジオスは今ここにこうして居られるのだ。
それを放棄するという事は、国民みんなを裏切るという事を意味しているのに。
「雲母。俺はお前について行く。俺はお前の傍に居る」
「な……んで……」
私はなんとかそれだけは絞り出した。
きっと今、私の顔はぐちゃぐちゃだ。
昨夜あれほど泣いたというのに、枯れる事を知らないかのようにまだ涙が溢れてくる。
「俺はお前の傍に居たい。何よりも大切なお前の傍に」
やめて……やだ……。
後ろによろめいた私を、グラジオスの腕が捕まえる。
そして、強い力で引っ張られ、抱きしめられた。
抵抗しないといけないのに、心がすくんで体が動かなかった。
胸元に私の耳朶がフレ、グラジオスの鼓動を拾い上げる。
ドキン、ドキンと、力強い音が私を揺らす。
聞いた事は無かったけれど、多分何時もより断然に早いだろう。
「みんなには悪いが、俺はこの国よりお前ひとりの方が大事だ」
――愛してる。
その言葉を囁かれた時、私の中で何かが崩れ去った。
必死に認めない様にしてきたのに。
絶対にそんな感情存在しないって自分を騙し続けてたのに。
私は――私は――グラジオスが大好きだ。
好き――好き――好き。何よりも、誰よりも好き。
今すぐこの言葉を正直にぶつけてしまいたかった。
ぶつけて、グラジオスに抱き着いて何度も何度もこの気持ちを確かめたかった。
でも――それは出来ない。やっちゃいけない。
もう、私のせいで傷つく人を作っちゃいけないから。
だから私は――。
「――だいきらい」
拒絶した。
「わたしは、グラジオスなんかきらい」
力ない拳でグラジオスの胸を打つ。何度も。何度も。
「はなしてよぉ……」
グラジオスの胸元に顔をこすりつけ、涙を拭いて、顔を上げる。グラジオスの顔を、見上げる。
グラジオスの青い瞳を覗き込んで、彼の頬に手を添えて、懇願する。
「おねがい……」
グラジオスの手に更に力が籠り、私を痛いぐらいに抱きしめる。
体の奥底から吹き出してしまいそうな何かを必死に堪えている様な、そんな何とも言えない切なげな表情で私を見ながら、グラジオスは私の手に頬を寄せる。
「やめてぇ……」
かすれた声で、私は乞い願う。
その願いは――。
「離れなさい」
聞き届けられた。
いつの間にか回り込んだルドルフさまが、私の肩を掴んでグラジオスを突き飛ばしていた。
ルドルフさまの瞳は今まで見たことも無いような怒りの炎に彩られており、ただ見ているだけの私ですら一瞬で心が冷え上がってしまうほどの威圧感を放っている。
「キララが言っていただろう。聞こえなかったのかい」
私の肩に置かれたルドルフさまの手に力が籠り、少しだけ痛みが走る。
私は抗議しようとしたのだが、舌が震えていう事を聞かない。
「聞こえていましたよ。ですが、私には違う声も聞こえておりました」
グラジオスがルドルフさまに気圧されることなく相対する。
こちらは驚くほど静かで冷静な瞳をしており、私と目が合った瞬間僅かにだが微笑み返してくれるほど余裕があるように見えた。
「関係ないよ。キララはハッキリと言葉にしたはずだ。それなのに強引に自分のものにしようなんて、レディの扱いを分かっていない様だね」
「失礼。私は雲母だけを愛しているので、それ以外の女性には見向きもしていなかったので扱い方が分からないのですよ」
当事者である私は蚊帳の外に置かれたまま、グラジオスとルドルフさまは険悪な視線を交わす。
私は慌てて二人を宥めようとしたのだが、まるで言葉を忘れてしまったかのように唇が震えて意味のある言葉を紡ぎだせなかった。
「お二人共、そこまでにされてはいかがですかな。キララ殿を困らせるのはお二人の望むところではありますまい」
そんな私に代わって、二人の間に割り込んだのはオーギュスト伯爵だった。
さすがは年の功と褒めたくなるような言い回しで二人を仲裁する。
「キララ殿も朝食がまだでしょう。まずは体に何か入れてから話されてはどうですかな? 空腹ではろくな考えになりませんからな」
そう話を振られた私はとりあえず何度も首を縦に振った。
では、とオーギュスト伯爵が私を案内し、椅子に座らせてくれる。そこはグラジオスの隣で、ルドルフさまの真正面だった。
逆隣の席は空席で、その席の向こう側にハイネが座っている。
私が視線を向けると、ハイネが何故かガッツポーズを返してくれて、いつも通りのハイネに少しだけ安心した。
「そういえばエマ殿がキララ殿を呼びに行ったのですが、一緒には来られなかったのですな」
あ、と私は思い出す。
私はここに来る途中、邪魔な靴を脱いで、適当な方向に投げ捨てていた。
それでエマが惑ってしまったのかもしれない。
私が慌てて席を立とうとすると、それをオーギュスト伯爵が優しく押しとどめてくれる。
「誰か人をやった方が早いでしょうな。キララ殿はここでルドルフ殿下のお相手をしてくだされ」
私はそれにはい、と返事をしようとして――気付いた。
――はい。
――――はい。
――――――分かりました、ありがとうございます。
私は、それらを声に出そうとしたのだ。
実際口を開いて唇を動かした。なのに……なのに……。
私の様子がおかしい事に、私の事を見ていた全員が気付く。
私は何度も声を出そうと試みたのだが、ひゅうひゅうと音を立てる以外何の音も喉からは出てこず、唇は虚しく大気をかき混ぜた。
「……もしかしてキララ――」
「声が、出ないのか?」
ルドルフさまとグラジオスの言う通り、私は声を、歌を、失ってしまった。
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