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第91話 私の喪失
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パニックに陥った私を、みんなは必死に宥めてくれた。
それから急遽呼ばれた医師が気の病と判断した事もあって、私は一人、優しい陽の光が差し込むテラスで日向ぼっこをしている。
声が出ない私は、当然歌を歌う事も出来ない。
何の価値もなくなった私は捨てられると恐怖したと同時に、少しだけ安心できた。
これで私はグラジオスに愛してもらう理由がなくなったし、ルドルフさまに守ってもらう必要もなくなったから。
そう思ったのに、二人はまだ私の事を宝物の様に扱ってくれている。
もう割れて壊れてしまったというのに。
――温かい。
テラスの真ん中に置かれたベンチに座り、全身で陽の光を浴びる。
真っ青な空から降り注ぐ天の恵みは、言葉通り私を心の奥底から温めてくれた。
私がそうしていると……。
「うい~っす、姉御。自分ならいいだろうって言われたんで来たっす」
なんて気の抜ける挨拶と共にハイネがやって来た。
ついでにお盆とティーセットのような物を手にしている。
私の視線に気づいたのか、ハイネは肩をすくめながら私にそれらが見える様にしてくれた。
「ああ、これっすか? 医者が気の休まるハーブ茶だって言うんで持ってきたっす。正直変な匂いで……自分は飲みたくもないっすけど」
と言いつつ私の顔の前に持ってくる。
……うっ、確かに変な匂い。これはちょっと飲みたくないかも。
ハイネの飲むっすか? という無言の問いかけに、私は首を振ってお断りする。
「一応置いとくっす」
そう言ってハイネはベンチにお盆事置くと、自分はその反対側に腰掛けた。
「いや~、でも凄いっすねぇ姉御。兄貴と帝国の皇太子に見初められて取り合われて。もう傾国の女って感じじゃないっすか」
そこは美女って言わないの? とジト目で視線を送ってみるが、ハイネは気になどしなかった。
ハイネってそういうとこ鈍感というかおおざっぱな感じだよね。
「二、三か月前は国をひっくり返したっすし、その前は世界中を熱狂させたっすからねぇ……。姉御も大変っすね」
何その他人事って感じの言い方。自分も当事者だったくせに。
ハイネはそうやってずっと一人で語り続ける。
私の事を、私の代わりに。
正直ちょっとだけくすぐったかった。
私はちょんちょんと肘でハイネの脇腹をつっつく。そしてハイネに、私なんて全然すごくないよって気持ちを込めて頭《かぶり》を振った。
「自分、ひたすら突き進んでいく姉御の背中に憧れたっす。追いつくのは到底無理だと思ってて、めちゃくちゃ強い人なんだって思ってたっすけど……」
ハイネの目が、急に柔らかくなる。
それは私の事を姉御と呼んでいる時の目ではなくて、まるで近所の優しいお兄さんが子どもを見守っている時の様な目をしていて……。
やっぱり私よりも三つ年上で、貴族で、責任ある立場の人なんだなって。勝手に、好き自由に生きて来た私とは、やっぱり違う地に足が付いた人なんだなって気付いてしまった。
「姉御も普通の人みたいなところがあったんすね」
……ちょっと訂正。やっぱりハイネって近所のいたずら小僧だわ。
何その言い方。
私の事なんだと思ってるの? 前も私が化け物みたいな事言ってたけどさ。
失礼過ぎない?
「姉御は多分、一生分を走り抜けたっす。ここから一生怠けてても、誰も悪口言わないっすよ」
――……なにそれ。
私は口の動きで自分の意思をハイネに伝える。
長い文章はさすがに理解してもらえないけれど、短い単語とかなら十分理解してもらえるはずだ。
案の定、ハイネは大きく頷いた。
「……やっぱそういうとこ姉御っすね。まだ足りないって思ってるっすよね。歌い足りないって」
それは……思ってるけど。
「あ~、じゃあやっぱり自分が心配する必要なんてなかったみたいっすね。姉御は姉御っす」
そう言うと、ハイネはうんうんと頷き、何故か一人で納得してしまった。
よく分からないけれど、やっぱりハイネは私の事を過大に見過ぎてる感じがする。
私もただの女の子……って歳じゃないか、十九歳って。ただの淑女なんだからね。
「……最後に一つだけ、自分が思った事言っていいっすか?」
本当は医者からこういう事言うなって止められてるんすけど、なんてハイネらしい言い方で前置きをされた後、ハイネは話し始める。
それは確かに前置きが必要なくらい今の私には痛い話だった。
「誰かを選んだなら、必ず選ばれない誰かが生まれるっす」
その言葉で、私の体は冷や水を浴びせられたように強張ってしまう。
暑くもないのに脂汗が噴き出て頬を伝った。
私は思わず自らの体を抱きしめる。
「でもそれが原因で誰かを嫌いに何てなったりしないっす。……嫉妬くらいはするっすけど」
それが、怖いのに。
エマのあの痛々しい笑顔を、ずっと傍で見続けないといけないなんて辛すぎる。
ずっとエマにあんな笑顔をさせ続けるなんて絶対に嫌だ。
エマを不幸に何てしたくない。
「エマさんも、姉御を嫌いになったりなんてしないっすよ」
そんな私の頭の上に、ポンっと手が置かれた。
多分、ハイネの手だ。
ずっとドラムを叩き続けたせいで、手のひらのあちこちに豆が出来て、ごつごつした手。
私の歌をずっと支えてくれていた手だ。
私はこの手になんのお返しもできていない。ずっと頼りっぱなしだった。
今回も、私はこの手に頼る事しかできなくて……。
何で姉御なんだろ。これじゃあ、逆だよ……。
そうやって私が自己嫌悪に陥っている間もハイネの言葉は続く。
声を出せない私は、感謝を伝える事すら出来なかった。
「……姉御ってこんなに恋愛下手だったんすねぇ。それ以外の事はなんつーかすっげぇっすのに」
凄くないよ。
凄いのはハイネだよ。
いつだってマイペースに自分の路を進んで。私みたいに情けない人を姉御なんて呼んで尊敬してくれて。
そんな価値ないのに。
私は何かハイネに想いを伝えたくて、ゆっくり体を起こすとハイネの手に自分の手を重ねてハイネを見つめる。
「――どういたしましてっす」
私がありがとうと口を動かす前に、ハイネがそう返してくれる。
本当に……ありがとう。
満足そうに頷いたハイネは立ち上がるともう一度私を覗き込む。
「じゃ、自分は行くっすけど、姉御は休んでてください。あ、何か知りたい事ってあるっすか?」
知りたい事と言われて咄嗟に思い浮かんだのは、あの二人の事だ。
城内へ走らせた目線の動きでそれを察したのだろう。ハイネは苦笑しながら教えてくれる。
「あの二人は姉御の事が心配でいがみ合ってる暇なんてなさそうっすよ。なんかルドルフ殿下は色々部下に指示を出してるっすから、交流とかそういう事やってる暇無さそうっす」
という事は今日のパーティーはどうなるんだろう。
さすがにおひらきってことは無いと思うけど……。
そうなったらやだな。私のせいでみんなに迷惑かけちゃう。
私はハイネに口の動きで聞いてみると、パーティーはきちんと開かれると教えてくれた。
「ん? 姉御……出るんすか? いや、それはさすがに……」
渋るハイネに私は頼み込む。
歌えなくても最低限の事はしたかったのだ。
「……相談してからっす。自分からは何とも言えないっすね」
ありがとう。
「後はいいっすか?」
うん、大丈夫。ありがと。
こくんと頷いた後、もう一度口の動きだけで感謝の言葉を伝える。
ハイネはそれに照れ臭そうに笑うと手を振りながらテラスから去っていった。
残された私はそのままベンチで日向ぼっこをしながら空を見上げていた。
それから急遽呼ばれた医師が気の病と判断した事もあって、私は一人、優しい陽の光が差し込むテラスで日向ぼっこをしている。
声が出ない私は、当然歌を歌う事も出来ない。
何の価値もなくなった私は捨てられると恐怖したと同時に、少しだけ安心できた。
これで私はグラジオスに愛してもらう理由がなくなったし、ルドルフさまに守ってもらう必要もなくなったから。
そう思ったのに、二人はまだ私の事を宝物の様に扱ってくれている。
もう割れて壊れてしまったというのに。
――温かい。
テラスの真ん中に置かれたベンチに座り、全身で陽の光を浴びる。
真っ青な空から降り注ぐ天の恵みは、言葉通り私を心の奥底から温めてくれた。
私がそうしていると……。
「うい~っす、姉御。自分ならいいだろうって言われたんで来たっす」
なんて気の抜ける挨拶と共にハイネがやって来た。
ついでにお盆とティーセットのような物を手にしている。
私の視線に気づいたのか、ハイネは肩をすくめながら私にそれらが見える様にしてくれた。
「ああ、これっすか? 医者が気の休まるハーブ茶だって言うんで持ってきたっす。正直変な匂いで……自分は飲みたくもないっすけど」
と言いつつ私の顔の前に持ってくる。
……うっ、確かに変な匂い。これはちょっと飲みたくないかも。
ハイネの飲むっすか? という無言の問いかけに、私は首を振ってお断りする。
「一応置いとくっす」
そう言ってハイネはベンチにお盆事置くと、自分はその反対側に腰掛けた。
「いや~、でも凄いっすねぇ姉御。兄貴と帝国の皇太子に見初められて取り合われて。もう傾国の女って感じじゃないっすか」
そこは美女って言わないの? とジト目で視線を送ってみるが、ハイネは気になどしなかった。
ハイネってそういうとこ鈍感というかおおざっぱな感じだよね。
「二、三か月前は国をひっくり返したっすし、その前は世界中を熱狂させたっすからねぇ……。姉御も大変っすね」
何その他人事って感じの言い方。自分も当事者だったくせに。
ハイネはそうやってずっと一人で語り続ける。
私の事を、私の代わりに。
正直ちょっとだけくすぐったかった。
私はちょんちょんと肘でハイネの脇腹をつっつく。そしてハイネに、私なんて全然すごくないよって気持ちを込めて頭《かぶり》を振った。
「自分、ひたすら突き進んでいく姉御の背中に憧れたっす。追いつくのは到底無理だと思ってて、めちゃくちゃ強い人なんだって思ってたっすけど……」
ハイネの目が、急に柔らかくなる。
それは私の事を姉御と呼んでいる時の目ではなくて、まるで近所の優しいお兄さんが子どもを見守っている時の様な目をしていて……。
やっぱり私よりも三つ年上で、貴族で、責任ある立場の人なんだなって。勝手に、好き自由に生きて来た私とは、やっぱり違う地に足が付いた人なんだなって気付いてしまった。
「姉御も普通の人みたいなところがあったんすね」
……ちょっと訂正。やっぱりハイネって近所のいたずら小僧だわ。
何その言い方。
私の事なんだと思ってるの? 前も私が化け物みたいな事言ってたけどさ。
失礼過ぎない?
「姉御は多分、一生分を走り抜けたっす。ここから一生怠けてても、誰も悪口言わないっすよ」
――……なにそれ。
私は口の動きで自分の意思をハイネに伝える。
長い文章はさすがに理解してもらえないけれど、短い単語とかなら十分理解してもらえるはずだ。
案の定、ハイネは大きく頷いた。
「……やっぱそういうとこ姉御っすね。まだ足りないって思ってるっすよね。歌い足りないって」
それは……思ってるけど。
「あ~、じゃあやっぱり自分が心配する必要なんてなかったみたいっすね。姉御は姉御っす」
そう言うと、ハイネはうんうんと頷き、何故か一人で納得してしまった。
よく分からないけれど、やっぱりハイネは私の事を過大に見過ぎてる感じがする。
私もただの女の子……って歳じゃないか、十九歳って。ただの淑女なんだからね。
「……最後に一つだけ、自分が思った事言っていいっすか?」
本当は医者からこういう事言うなって止められてるんすけど、なんてハイネらしい言い方で前置きをされた後、ハイネは話し始める。
それは確かに前置きが必要なくらい今の私には痛い話だった。
「誰かを選んだなら、必ず選ばれない誰かが生まれるっす」
その言葉で、私の体は冷や水を浴びせられたように強張ってしまう。
暑くもないのに脂汗が噴き出て頬を伝った。
私は思わず自らの体を抱きしめる。
「でもそれが原因で誰かを嫌いに何てなったりしないっす。……嫉妬くらいはするっすけど」
それが、怖いのに。
エマのあの痛々しい笑顔を、ずっと傍で見続けないといけないなんて辛すぎる。
ずっとエマにあんな笑顔をさせ続けるなんて絶対に嫌だ。
エマを不幸に何てしたくない。
「エマさんも、姉御を嫌いになったりなんてしないっすよ」
そんな私の頭の上に、ポンっと手が置かれた。
多分、ハイネの手だ。
ずっとドラムを叩き続けたせいで、手のひらのあちこちに豆が出来て、ごつごつした手。
私の歌をずっと支えてくれていた手だ。
私はこの手になんのお返しもできていない。ずっと頼りっぱなしだった。
今回も、私はこの手に頼る事しかできなくて……。
何で姉御なんだろ。これじゃあ、逆だよ……。
そうやって私が自己嫌悪に陥っている間もハイネの言葉は続く。
声を出せない私は、感謝を伝える事すら出来なかった。
「……姉御ってこんなに恋愛下手だったんすねぇ。それ以外の事はなんつーかすっげぇっすのに」
凄くないよ。
凄いのはハイネだよ。
いつだってマイペースに自分の路を進んで。私みたいに情けない人を姉御なんて呼んで尊敬してくれて。
そんな価値ないのに。
私は何かハイネに想いを伝えたくて、ゆっくり体を起こすとハイネの手に自分の手を重ねてハイネを見つめる。
「――どういたしましてっす」
私がありがとうと口を動かす前に、ハイネがそう返してくれる。
本当に……ありがとう。
満足そうに頷いたハイネは立ち上がるともう一度私を覗き込む。
「じゃ、自分は行くっすけど、姉御は休んでてください。あ、何か知りたい事ってあるっすか?」
知りたい事と言われて咄嗟に思い浮かんだのは、あの二人の事だ。
城内へ走らせた目線の動きでそれを察したのだろう。ハイネは苦笑しながら教えてくれる。
「あの二人は姉御の事が心配でいがみ合ってる暇なんてなさそうっすよ。なんかルドルフ殿下は色々部下に指示を出してるっすから、交流とかそういう事やってる暇無さそうっす」
という事は今日のパーティーはどうなるんだろう。
さすがにおひらきってことは無いと思うけど……。
そうなったらやだな。私のせいでみんなに迷惑かけちゃう。
私はハイネに口の動きで聞いてみると、パーティーはきちんと開かれると教えてくれた。
「ん? 姉御……出るんすか? いや、それはさすがに……」
渋るハイネに私は頼み込む。
歌えなくても最低限の事はしたかったのだ。
「……相談してからっす。自分からは何とも言えないっすね」
ありがとう。
「後はいいっすか?」
うん、大丈夫。ありがと。
こくんと頷いた後、もう一度口の動きだけで感謝の言葉を伝える。
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