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第51話 最強の重撃

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 イフリータの炎の剣を、ゼアルは空いている右手のひらに浮かべた障壁で防ぐ。

 強大な力で圧縮された魔力同士がぶつかり、周囲に紫電が迸る。

 二柱の存在は、本来とんでもなく強大で、人間の俺なんかが太刀打ちできる存在ではない。そんな俺が二人の戦いに交じるのなら……。

≪光よ≫

 俺はただの光球を生み出して、それをイフリータの顔面に叩きつける。

「くっ」

 ただの光は何のダメージを与える事も出来ないが、彼女の目を焼き、目標を見失わせることぐらいは出来るのだ。

 そしてその隙を見逃すほど、ゼアルは甘くない。

 剣を払って横に流すと、そのままの勢いでイフリータの背後を取る。

 ――もちろん攻撃の準備は整っていた。

≪ソニック・ウォール!≫

 防御用の魔術でありながら、迫りくるゴブリンやオークをミンチにするほどの威力を持った音の壁は、イフリータの体内を揺さぶり内腑をかき乱していく。

 人間ならば間違いなく絶命するはずだ。

 人間ならば。

「ふっ」

 イフリータは何事も無かったかのように振り返り、こちらへ切りつけてくる。

 それをゼアルは再び障壁を纏わせた腕で防ぐ。

 そして状況は再び元へと戻ってしまった。

「来ると分かっていれば、なんてことはない一撃だ。ならば再生すればそれで終わる」

 次々と連撃を繰り出しながら、淡々とイフリータは告げる。

「多少攻撃方法が変わっただけだ。いつもと変わらん。こちらは貴様の攻撃を貫けず、貴様は私を倒しきれない。いや、その人間を庇う分、貴様の方が不利か?」

「そうかぁ? オレにはお前が焦ってるようにも見えるぜ」

 ゼアルが素手で炎の剣を掴むと、不敵に笑う。

 その隙を逃さず、俺は空いている左手でをイフリータの顔面にかざし――。

≪ソニック・スピア≫

 4重フォー・サークルの魔術で頭を打ち砕く。

「……っだだと言っている!」

 イフリータは一瞬だけのけぞると、頭部を再生しながら腕を振るい、炎で正面を薙ぎ払う――が、既にその場に俺たちは居ない。

 頭が潰れた事で生まれた死角、頭上へと舞い上がっていた。

 ニヤリと笑うゼアルの眼前に、ひし形の障壁画生まれる。

「跪けっ!」

 ゼアルが吠えると同時、障壁は強烈な速度でイフリータをへ向けて突撃していく。

 避ける暇などありはしない。

「おおおぉぉっ!」

 イフリータは咄嗟に頭上にかざした両手で障壁を防いだのだが、かかる圧には敗北してしまった。

 イフリータがどれだけ足掻こうとも、己の力以外であらがすべのない空中ではどうしようもない。中空から引きずり降ろされていく。

 そして彼女の押しやられる先には、ゼアルが生んだもう一つ別の障壁が存在していた。

 そこにイフリータの足が触れ、上と下から、二枚の障壁によって彼女は挟み込まれてしまう。

 彼女に待つのは磨り潰される運命――ではない。

「踏ん張るなよ。無駄だから」

 イフリータの横に生まれた新たな障壁の上に俺は降り立つと、左手でスマホを操作しながら右手をイフリータにかざす。

 明らかな狼狽が、彼女の顔に浮かんだ。

 照準――よし。というかゼロ距離で外す訳もない。

 選んだ魔術の属性は氷結。直径が人の丈ほどもある巨大な氷柱を相手に叩きつける7重セブン・サークルの魔術だ。やはり火に一番聞くのは氷で間違いないだろう。

≪アイスバーグ・ラム≫

 無防備なイフリータのどてっぱらに、氷山が突き刺さる。

 それだけでは終わらない。氷柱は俺の魔力を糧にどんどん膨れ上がり、イフリータを障壁の土俵から突き落としていった。

 衝角ラム。船の突撃に匹敵する破壊力のそれは、威力だけならば10重テン・サークルの魔術、ブラスト・レイにも匹敵する。射程距離だの効果範囲だのはブラスト・レイに劣るが、個人が持ちうる最大の火力であった。

 ちなみにこの魔術式はシュナイドが冒険者をやっていた時のものに制御用の術式を書き足した代物だったりする。

「かっ……」

 どんな攻撃であろうと即座に再生してみせたイフリータだったが、相性の悪い氷属性の攻撃ではそうもいかないのだろう。

 肺腑にたまった息を吐き出し、苦悶にあえぐ、が――。

「この程度でっ!」

 イフリータは全身を燃やし、一瞬で氷柱を溶かしつくすと、その炎でもって自身の体を再生し、俺に襲い掛かる。

 今なら与しやすいと、そういうつもりだろうが……間違いだ。俺はそれを読んで既に別の魔術を準備していた。

 フリージング・ヴァイン。

 触れた対象に冷気の蔓を絡みつける、バーニング・エクスプロージョンとは真逆の魔術。もちろん10重テン・サークルだ。

 ただ一つ違う事は――使い方。

 魔術式の重複では威力に限界がある。それならば、魔術そのものを重ねればいい。

「術式強制接続――ってヤツだ」

 画面をタップし、俺はショートムービーを再生する。

 そう、呪文を唱えるのは俺じゃない。

 スマホそのものだ。俺は大量の魔力を、スマホの表示する魔術式に注ぎ込むだけ。その再生速度は五倍速。それをループで流し続ければどうなるか。

「くあぁぁぁぁぁっ!!」

 俺の手元からは、氷で出来た網が連続して射出され、イフリータへと絡みついていく。イフリータが体から炎を噴出して焼き切ろうとしても、その上から覆いかぶさるよう幾重にも幾重にも魔術が重なっていくため、抵抗すらままならない。

「凍り――つけっ!」

 俺は体中の魔力をくみ上げ、スマホに注ぎ込んでいく。

 ついにはイフリータの体から常に噴出していた炎すらもその形に凍り付いてしまうほどの冷気が彼女を包み込み、氷の彫像を創り上げていった。

「くっ……」

 ほんの数秒で20を超える大魔術を連続した代償はとてつもなく大きい。ドルグワント――イリアスの戦闘体――との戦いで消費した総量以上の魔力を、今の一瞬で費やしてしまったのだ。魂の根底からごっそりと魔力が抜けていき、視界が歪むほどの疲労感が俺を襲う。

「まだ終わってねえぞ、起きろ」

 ゼアルの厳しくも温かい声が俺の心を奮い起こす。俺よりも小さな手が腰に回され、細い肩が俺の体重を支えてくれる。

 そうだ、まだ戦いは終わっていない。

 俺は異常に重い手を操り、スマホの画面を操作し始めた。

 まるでそれに呼応したかのように、氷の彫像から炎が蛇の舌のように這い出して来る。それがチロチロと氷を舐め回していくにつれ、イフリータは本来の姿を取り戻していく。

 やがて俺たちが見ている前でイフリータは完全復活を遂げてしまった。

 人間がいくら強力な魔術を仕掛けたところで早々倒しきれるものではないのだろう。ただ強力な一撃を叩き込めば倒せるというのなら、ゼアル達がとっくの昔にカタを着けている。強力な一撃よりも更に強い、存在そのものを圧倒するほどの力でなければ振り切れないという事だ。

「いいのか? 私が回復するのを呑気に待っていて」

「それくらいハンデをやらないと可哀そうだろ」

 なんて、これはただの挑発だ。

 こいつを完全に殺しきる手段など、俺の手札には存在しない。もちろんゼアルにも。だから、見ているしかなかったというのが正しい。

 恐らくはイフリータもそれを感じているからこそ、余裕をもって再生したのだ。

「ふんっ、人間にしてはよくやった方だな。褒めてやろう」

「あいにくアンタに褒めてもらわなくても、俺を褒めたがるお姉ちゃんはアウロラだけで十分だよ」

 減らず口を叩いて気力を振り絞り、ゼアルに体を支えてもらってなんとか立っていられる状態だ。

「アンタが俺を認めてくれるってんなら、これ以上戦う事を止めるってわけにはいかないか?」

「ない」

 分かっていたとはいえ、こうもきっぱり断言されると少々物悲しいものがあった。

「そうか、じゃあお別れだ」

 俺はゼアルに視線で合図を送り、空へと飛び上がってもらう。

 ゆっくりと上昇する俺を、イフリータはただ黙ってじっと見上げている。

 命の遣り取りをした者同士にしか分からない共感とでも言うのだろうか。次の一撃で決着がつく。その事を、この場に居る全員が本能で感じ取っていた。

 無論、どちら共に自身の勝利を信じて疑わなかったのだが。

「ゼアル」

「なんだ?」

 この守護天使には本当に感謝している。

 何も聞かず、俺を戦いに参加させてくれている。本来なら一方的に拒絶しても構わないだろうに。

 今まで負け続けて来た戦いに、俺というスパイスが加わる事で何か劇的な変化が起きる事を望んだ……なんてことはないはずだ。ゼアルはそんな一か八かの賭け事はしない。

 それは、徹夜で共に遊んで何となく掴めていた。

 ではなぜ俺が戦いに参加することを許してくれたのか。単純に俺の事を信用してくれているのだろう。

 なら――その信用には答えなきゃな。

「勝つぞ」

 その一言で全てが伝わるはずだ。

 俺の感謝も、信用も、何もかも。

「おう」

 その短く強い返事は、何よりも安心感を俺に与えてくれた。

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