Notre-Dame

みたらい

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前章

プロローグ

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本日晴天、雲ひとつない空から太陽が、今日も平等に街を照らす。その照らされたひとつ、レムスという都市では、齢7になる少女の人生の狂う瞬間が、刻一刻と近づいていた。

「お母様、私はどのような能力を賜るのでしょうか」

クレマチス・アルデーニュが柔らかな薄茶色の髪を小
さく揺らしながら尋ねると、半歩前を歩くクレマチスの母親がそっけなく返した。

「それは儀式が終われば司祭が教えてくださることです」

レムスの子供は必ず7歳になると教会へ赴き、洗礼の儀式を受ける。すると正式に信者となり、神から不思議な能力をひとつ授けられるのだそうだ。なぜ2人が儀式の話をしているのかというと、今日がクレマチスの7歳の誕生日であり、クレマチスと母親は今まさに儀式のために教会へ向かっている途中だからである。

「お母様、どうして儀式をしないと能力が得られないのでしょうか」

無駄口を叩くなと言いたげな母親のなおざりな態度に気づかないふりを貫いてクレマチスが再び尋ねると、母親は先ほど同様視線をこちらに向けぬまま、しかし先ほどより強い口調で語り出す。

「儀式を受けずとも神は我々に能力を与えてくださります。しかし、教会の方が持つ『天啓』の能力無しではどのような能力を得たのかも、どのようにして操れば良いのかも分かりません。つまり神の恵みを十分に理解するために儀式は存在するのです。あなたが教会を苦手としているのは知っていますが、儀式のときくらいは我慢なさい。そもそも大司教の娘が教会嫌いだなんて…云々…」

いつの間にやら話が脱線している。クレマチスは不服を顔に貼り付けて母親を見つめたが、母親は一切気付く様子なく話し続ける。こちらに向けて話しながらもこちらへの興味は皆無な自分の母親を見て、クレマチスはため息混じりにそれ以上の対抗を諦めた。さすがに信心深い母のことだから教会に着けば終わらせてくれるだろう。そんな予想に一縷の望みをかけて、一問一答におまけして九つ返ってくる母親の小言に思わず目を伏せつつも、真面目にも最後まで耳を傾け続けることにしたのだった。

神前ともなればそうネチネチ人を貶せまいというクレマチスの予想は見事的中し、教会の門が見えた途端母親の小言はそれらしい言葉で締めくくられた。

「うんぬん…かんぬん…と、今日はこのくらいにしておきましょう。さあ、教会に着きましたよ。アルデーニュ家の名に恥じぬ振る舞いを心がけなさい」

常日頃言われ慣れている言葉であったが、どうも今日は虫の居所が悪かったのか、途端にクレマチスの喉に苦味が広がる。少し反撃してやりたい気持ちに駆られ、クレマチスは自分達以外に礼拝者の姿があるか確認した。しかし不幸にもここはブランブレ教の教会の中で最大規模の教会であり、四六時中人がいる。

「行ってまいります。『アンデルロセの名の下に、神に祈りを レムスに繁栄を』」

結局クレマチスは母親の期待どおり優雅な所作で返し、そのまま門の前で母親と別れた。家のことばかり話す母親に反骨精神が沸き立つ程度に幼いながらも、人前で親に反抗して世間から傲慢不羈な娘と思われることが自分にも不利益であると理解できてしまうほどには、彼女は世知に長けていたのだ。

母親を背に教会に入ろうとした瞬間、横から出てきた大きな影がクレマチスを覆った。神父見習いの少年だ。ここからは私が案内させていただきます、とだけ言うと少年はクレマチスの先を歩き始める。クレマチスもすかさずその後に続き、長い廊下にコツコツと小さな足音を響かせながら歩き出した。
儀式が執り行われる部屋までの道中、一定の速度を正確に保って歩き続ける少年に対して、クレマチスの歩調は少しずつ早くなっていった。決して少年の歩きが早くてクレマチスが追いつこうとしている訳ではない。クレマチスの逸る気持ちが無意識に表に出ていたのである。もう少しの辛抱だ。この儀式が終われば、―――母よりも強くて価値のある能力を得ることが出来れば―――晴れて私は、あの忌まわしき母の呪縛から逃れることができる。まだなんの能力も持たないからと、女だからと私を軽んじてきたあの女を黙らせることができる。そうしてクレマチスは自分の望み通りの能力を授かると信じて疑わなかった。

「着きました」

ずっと黙っていた少年が再び口を開いたのは、目的地に着いたときだった。
廊下突き当たりの大聖堂の大扉を右に曲がり、廊下に沿ってずっと進むと左手に大きな渡り廊下が見える。その渡り廊下の先にあるのが儀式を執り行う部屋、洗礼室である。少年は無言で扉を開き、クレマチスが中に入るのを確認すると自分も中に入り扉を閉めた。
部屋の中央まで行ってみたが、司祭の姿はまだどこにもない。不思議に思い扉の側に立つ少年の方を見るが、少年は視線に気づいても一礼して直ぐにまた正面を向き直ってしまった。意地でも喋りたくないらしい。
特に沈黙を嫌う性質たちでもなかったので黙って待っていると、予定よりも一刻ほど遅れて司祭が現れた。のんびりした国なので遅刻は友人間でよくあることだが、司祭が儀式に遅刻するものだろうか。今日はミサは無いはずだし、同じ建物の中にいて一刻も遅れる用事とはこれ如何に。
クレマチスは不満を噯にも出さず礼儀正しく挨拶する。

「お久しゅうございます、司祭様。ご機嫌はいかがですか?」

なぜ遅れたのかを暗に聞いているのだ。

「これはどうも、クレマチス嬢。お待たせして大変申し訳ない!いやはや、本日は告赦がありまして…すると今日来た民の告白の長いこと!」

私の表情が崩れないのを確認すると、大げさに困ったような顔をしながら司祭は続けてこう言ったた。

「しかし神に仕える身として、罪を悔いる者を止めるわけには参りませんでしたので、最後まで聴き届けることにしたのです。もちろん結果としてクレマチス嬢をお待たせしてしまいましたこと、重く受け止めております。処分はなんなりとお申し付けくださいませ」

司祭はさも自分が権力に立ち向かう聖者であるかのように、慇懃無礼な態度で私に跪き処分を求める。おそらく演技だろうと、クレマチスは僅かに眉を寄せた。
告赦はその瞬間が来るまで、どんな罪が告白されるか、どれくらいで話し終わるかは本人以外の誰にも分からない。そのためレムスでは告赦も儀式と同じく事前に申し入れが必要で、教会がスケジュールを調整する。また、儀式は形式だっていて後の予定に影響が出にくいため、かかる時間に個人差がある告赦はその後に設けられるのが普通だ。それをわざわざ入れ替えるということは、意図があると言っているも同然なのだ。そしてその意図は、司祭の態度を見ればよく分かる。
この状況で罰を下せば、信者達にはこう伝わるだろう。赦しを与えるために儀式に遅刻してでも罪の告白を最後まで聞き届けた司祭を、大司教の娘が処罰した。これでは余りにもこちらの分が悪い。しかしここで許すと、司祭は大司教の娘を待たせることができる、という確たる証拠を作ってしまう。そうして動いた上下関係を覆すことは難しい。つまりおそらくこの男はなんとしても「大司教の娘」ひいては「大司教」の株を堕としたいのだ。この卑劣な男に司祭が務まるとは、教会というのはなんと卑怯者に都合のいい場所だろう。
目の前に恭しく跪く男に辟易しながら、どう返すのが正解かクレマチスはその小さな頭を使って考えた。

「司祭様、貴方は何か勘違いをされているのでは?私は信者ではありませんよ。」

ほんの数秒の沈黙の末に放たれた一言に、その場が凍りついた。大司教の娘が神の目の前で信者ではないと言い切ったのだから当然だ。

「あら、どうかされました?私は正式な信者ではないのは本当のことでしょう?私は今日、それになりに来たのですから」

司祭が返す言葉を見つける間もなくクレマチスは続ける。

「司祭とは神に仕えるもの。洗礼を受けた正式な信者を優先するのは司祭として当然の務めでしょう。処罰など要りません。大司教が娘、クレマチス・アルデーニュの名において、私は貴方を正当に評価いたしましょう!」

そう言ってクレマチスはこれ以上ないほどの慈悲深い笑みを浮かべ、跪く司祭の前に立ちはだかった。
自分がまだ信者ではないことを理由にすれば、司祭が私を待たせた実績は私が洗礼を受け正式な信者になった後には通用しない。それが7歳の少女が絞り出した精一杯の答えだった。
司祭は一瞬酷く不快そうに口を震わせたものの、今回は断念したのか深追いすることなく感謝を述べ、ようやく儀式は始まった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

はじめに全身を水に浸し清め、クレマチスは正式に信者となった。次は祝福の祈りだ。私と司祭と少年の3人だけの空間に、司祭の低く厳格な声が響き渡る。

『天にまします我らの父よ、森羅万象の真理の源よ
我は誤りなき聖なる主が我らに教え給える全てをことごとく信じ奉る
彼の者は光の息吹を賜れば 宿る実りを教え給え 彼の者を導き給え』

この男が執り行う儀式を見る機会はなかったので知らなかったが、意外にも司祭らしい。その厳然たる態度から先ほどの陋劣な男はとてと想起できそうにない。などと失礼極まりないことを考えるクレマチスの正面で、司祭の祈りは間もなく終わりを迎えようとしていた。

『偉大なる先達にならい 我が実りを以って天啓をここに記す 汝の聖名は ーーー、


瞬間、司祭の顔が明らかに強張った。


マリア』

その名を呼びたくないことが、いつにもまして低く、くぐもった声に乗ってクレマチスにまでひしひしと伝わってくる。忌み嫌うクレマチスの洗礼後の名が聖母マリアと同じなのが許せないのだろう。しかし名を呼び終わって間もなく、司祭の顔に再び困惑の色が浮かぶ。まだ何かあるのだろうか。様子を伺うクレマチスに気づくと司祭はすぐに表情を戻し、儀式を終了させた。

「儀式は以上です。…マリア嬢、我らの主は貴方に最も稀有な能力を授けられました。」

「それは光栄なことですね、一体どのような能力ですか?」

なるほど先程の過剰な動揺はこの事のようである。この男を動揺させる程に稀有な能力とはどんなものかと、クレマチスの心は期待で膨れ上がっていたが、あくまで平静を装う。そんなことはつゆ知らず、落ち着いた様子のクレマチスに一方的に恨みを募らせながら司祭は説明を始めた。

「マリア嬢に授けられたのは、千里眼の能力です。」

「千里眼、というと、あの遠見ができる能力ですか?」

千里眼を持つ者は少ないが、大抵軍の偵察くらいにしか使わない。街中で平穏に暮らす女性には必要のない能力だ。なんだ、稀有と言ってもこの程度かと、クレマチスは少し落胆した。

「ええ、しかし遠見といってもいくつか種類がありまして、マリア嬢の千里眼は魂を遠見するもので、歴史上そのような能力を得たものはマリア嬢の他におりません。」

魂を遠見するとは一体どういうことだろう。疑問が顔に出ていたのか、クレマチスが口を開くより早くに司祭が答えた。

「相手の心を読むことから始まり、生き物の魂が持つ記憶、あるいは大地の魂が持つ記憶を読み取ることもできる能力です。といっても私も実際に見たことは無いのでよくわかっておりませんがね。力の制御の仕方はこの紙をみればわかりますよ。それでは私は、これで。これからまた告赦があるのです」

紙を受け取り、司祭がそそくさと部屋から去っていったのを確認すると、クレマチスは先程までの司祭の言葉を反芻した。

『…最も稀有な能力…』

『…人の心を読むことから始まり…』

静まり返る洗礼室の中、立ちすくむクレマチスの頭の中は文字通りのお祭り騒ぎであった。
ああ、これで、これで…!!喜びは理性とワルツを踊り、焦りは楽観性とアヴェ・マリアを熱唱する。母親への嫌悪感も、司祭への侮蔑の眼も、この世へのありとあらゆる懐疑心の尽くが鴎とともに水平線の彼方へ飛んでいった。狂喜乱舞とはまさにこのことだ。かろうじて取り止めた表情筋と羞恥心と、そして何故か未だ部屋に残る案内の少年の存在が、なんとか彼女の外面を保っていた。

かくしてクレマチス・アルデーニュ改めマリア・クレマチス・アルデーニュとなったマリアは、当初の望み通り母より強・く・価・値・の・高・い・能・力・を手に入れ、能力制御の特訓に勤しむこととなったのだった。
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