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第一章 異界からの姫君
第十話
しおりを挟むその日ラビアはとても、機嫌が良かった。無表情な彼女にしては珍しく、頬が上気して鼻歌まで歌っている。冷たげな瞳はキラキラと輝き、足取りも、ステップを踏むかのように軽やかだ。両手に、透けそうなほど繊細な衣を抱えて、彼女は扉をノックした。
「イチ様。ラビアでございます」
「入れ」
主人の許しを得て、扉を開ける。部屋に入ると、朝食をとり終えた市が、ぼんやりとした様子で椅子に座っていた。
昨日、ザァブリオと顔合わせをしてから、市の様子がおかしい。ぼーっとして、宙を眺めていることが多いのだ。もしや、ザァブリオの事が気に入ったのだろうか?だが、彼女はザァブリオの腫れた唇を見て、可笑しそうに笑ってはいたが、ときめいた様子はなかったはず。それに、何故ザァブリオは、あんな事になってしまったのか。ラビアは滞り無く完璧に、茶会の準備を終わらせたというのに。まぁ、ラビアからしてみれば、ザァブリオの唇が腫れ上がろうが、削げ落ちようが、どうだっていいことなのだが。
「イチ様。本日の顔合わせは、シュッタイト帝国のエイサフ王子とでございます!」
ラビアは、嬉々とした様子で告げた。彼女の機嫌の良い理由はこれにある。自国の王子である、エイサフの番が来たのだ。シュッタイト産の美しい衣を、市の傍に置く。それは、エイサフが市のために用意したものだった。
「しゅーたいと、とやらは……そなたの祖国であったか」
「シュッタイトでございます、イチ様。ええ、ラビアめの故郷です」
メイクを済ませた市のネグリジェを脱がせて、繊細な衣を纏わせる。薄らと肌色が透けて、体の線が見えてしまいそうだ。腰で留める金細工のベルトには、青の宝石が嵌め込まれている。そこに、ラビアはエイサフの独占欲を見た。さりげく自分の色彩の宝石を選ぶあたり、かの王子はやはり市のことを気に入っているようだ。腕に嵌める金の腕輪。首元を飾る大ぶりのサファイアが、白い肌にはえてキラキラと輝く。市の黒髪を後ろで三つ編みにし、頭に金細工のティアラを被らせた。
「なんと……我が国の衣装のよく似合うこと」
そして、我が国の化粧によって、何とも艶やかさが増している……!頭の中で賛辞の嵐を起こしながら、ラビアは市の足にサンダルを履かせた。姿見に映る姿は、完璧なシュッタイトの姫の姿そのもの。
市は、眉を顰めた。目尻をはね上げるように描かれた青いアイライン。唇を色付ける薄いピンク色の紅。ブロリンド王国の時と違って、随分と大人っぽさを感じさせる化粧だ。何より、気に入らないのが、薄く頼り無い衣だった。二の腕は丸出しの上、鎖骨まで大胆に見えてしまっている。足元は隠れているが、衣の素材が薄すぎて、体の線がはっきりとわかってしまう。胸の形から、お腹のくびれ、ふっくらと盛り上がったお尻の形まで。それに、よく見れば胸の先の薄らと色付いた部分まで、透けているではないか。
ーーなんと、破廉恥な!
市のいた戦国の世では、肌を見せるのは夫の前でだけだ。二の腕や胸元を見せるなんて、ありえない。身分が姫であれば、なおのこと。手首ですら、慎ましやかに隠すものだ。こんな、丸裸同然の衣装は、市にとっては娼婦のような格好だった。彼女の白い肌が、全身真っ赤に染まる。怒りからか、恥ずかしさからか……頬が熱い。
「らび!この衣装はまことに、姫のする格好なのか?私には娼婦の姿にしか見えぬ!」
「娼婦など!とんでもありません!御身の身に纏う衣は正しく、我がシュッタイトの姫のものにございます!」
ラビアの必死な様子に、嘘は見られない。では、これが本当にシュッタイト帝国での姫君のする恰好なのだ。市は、頭痛がした。とてもじゃないが、こんな格好で人に会う気にはなれない。
「らび、他に着物はないのか」
「ございませぬ。どうか、王子からのご好意を、無下になさらないで下さい」
そうは言われても。市は、両手で胸元を隠した。こんな破廉恥な姿、信長やマツが見たらなんと言うだろう。普段からお淑やかとはいえない市でさえ、驚いたのだ。きっとマツに限っては、腰を抜かしてしまうに違いない。
「今まで生きてきて……こんなに肌を晒したことは無い」
「とても、お似合いでございます」
「だが……らび、私は恥ずかしくてたまらぬ」
「それが、我が国の衣装でございます。腹を括って下さりませ」
「無理じゃ!」
「イチ様!顔合わせには、王子からの贈り物であるドレスを着るのが、習わしでございます!」
ぴしゃりと言い切られて、市はムッと唇をへの字に曲げた。習わしなど、知ったことではない。だが、ラビアは厳しい眼差しを市に向ける。その顔を見て、いつも市を叱り付け、世話を焼いてくれた侍女……マツの顔が頭に浮かんだ。途端に、市は言い返せなくなる。昔から頭が上がらなかったマツの影をラビアに見たからだ。大人しくなった市に、ラビアはニッコリと頷いた。
テーブルの上に用意されたのは、果実酒と、カットフルーツだ。ラビアは昨日よりも念入りに、テーブルセットを済ませていた。コンコンと扉がノックされ、エイサフの低い声が響く。
「エイサフ・ヘットゥシリだ」
「はい。お待ち下さいませ!」
ラビアが小走りで扉に向かうのを、市はソワソワとしながら見送った。結局、着替えるのを許してもらえず、薄い衣姿のままだ。部屋に入って来たエイサフに、市は胸元を隠しながら会釈した。
「おお。なんと美しい。我がシュッタイトの衣装が良く似合う」
エイサフは頬を上気させて、市の姿を目に焼き付ける。華奢ながらも、女性らしい曲線美が艶めかしい。市の体を美しく飾るのは、北の大陸から取り寄せたサファイアだ。
ーー自分の色で、好ましいと想う女性を飾ることは……こんなにも心躍るものだったのだな……。
青色のなんと似合うことか。白い肌に黄金もはえて、まるで女神のようだ。エイサフの胸の中で、熱い炎が揺らめく。それは激しさを増し、いっそう膨れ上がり、胸を焦がした。メラメラと燃える炎は、彼の瞳の奥にも宿る。
ーー私は、この姫が欲しい!心の底から!
冷たいと言われるその瞳は、一人の女を欲する情熱により、熱っぽく赤らんでいた。そんなエイサフの眼差しに気付かず、市は胸元を隠すのに気を取られている。そのしぐさがまた、恥ずかしそうにするものだから、エイサフはときめきを覚えるばかり。
二人は席につき、その傍でラビアが見守るように控えていた。水色に輝くぶどうを齧りながら、エイサフは市を熱っぽく見つめる。
「姫よ。このメロンも食べてみよ。甘くて瑞々しいぞ」
「ありがとうございまする、若君」
エイサフが手ずから取り分けたメロンを、市は素直に受け取った。見たことも聞いたことも無い果物を、彼女は恐る恐る口に入れる。
「とても、美味でございます」
紫色の果肉をしたメロンは、エイサフの言った通りに、甘くて瑞々しかった。パァと明るくなる市の表情に、エイサフは小さく笑いを零す。
「そなたは、本当に美味しそうに食べるのだな」
「だって、この、めろんなるもの……本当に美味しいのです」
すかさずメロンをおかわりした市の姿は、大人っぽい装いをしていても、どこか幼い。
「そなたは、可愛らしいな」
エイサフは、正直に市を口説き始めた。キョトンとした市の、唇についた果肉を手で取ってやる。
「子供のように無邪気だが、色っぽく艶もある」
「若君?」
「私の妃となれ。姫よ」
「え……」
ガタリと立ち上がり、エイサフは市の手を取った。その甲に唇を寄せる。彼の唇は、氷のように冷たく、固い。市は手を引っ込めようとしたが、エイサフがそれを許さない。いつの間にか、市の腰に彼の手が回っていた。ぐっと腰を掴まれて引き寄せられる。
「そなたを、私の妃としたい」
「若君、離して下さいませ」
「離さぬ。私を見ろ、姫……」
くっと顎を持ち上げられ、市の黒い瞳にエイサフが映った。ラビアがそっと、部屋を退出する。密室に二人ーー。エイサフは、微笑を浮かべて市に迫った。
「困ります、若君。離して下さい、離して……」
市にとって、裸も同然の姿なのに、こうも接近されてはたまらない。だが、エイサフは離れようとはしなかった。これには、市もだんだんと腹が立ってくる。
「離れよ!若君!」
可憐な瞳が、修羅のように吊り上がる。もともと市は信長に似て、気が短かった。
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