織田信長の妹姫お市は、異世界でも姫になる

猫パンダ

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第二章 愛を乞う王子

第二十七話

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 紅を多く使った色味の着物は、全体に刺繍が施され、辻が花染をふんだんに使った豪華なものだ。レイムホップに贈られた着物の中でも、一番美しいその着物に着替えて、市はそわそわとした様子で鏡を覗き込んだ。

 白い肌に、薄らと色付いた頬。薄く塗られた口紅は、着物の花の柄と同じ桜色だ。ぱっちりとした瞳は、マスカラたっぷりの睫毛に縁取られている。

 「らび、どこもおかしな所はないか?」

 「もちろんです。イチ様は今日も、お美しゅうございます」

 ぺたぺたと自分の顔に触れる市の背中を見つめて、ラビアは薄く微笑んだ。

 「きっと、かの皇子も……お美しいと仰るでしょう」

 「そ、そうか……」

 愛らしく頬を赤らめさせた市は、微笑ましい。だが、ラビアは複雑な気持ちだった。エイサフの命令通りに動けば、この愛らしく笑う市は消えてしまうだろうか。しかし、ラビアの忠誠を誓った主君はエイサフなのだ。きっと、エイサフが市の笑顔を取り戻してくれるはず。だって、彼は、とても優しく聡明なお方なのだから……。

 「さぁ、イチ様。後ろを向いて下さいませ。御髪を結いましょう」

 市の黒い髪に触れて、クシを通す。サラサラとラビアの指の間を抜けていくそれは、漆黒の川のように豊かで、美しい。艶々と輝く髪は、晧月への恋により一層輝いて見えた。

 「らび、いつもとは違う髪型がよい。出来そうか?」

 「……お任せ下さいませ」

 いつもは後ろで垂らして結っていた髪を、ラビアは三つ編みに編み込み、そこに何本もの白い花を差し込んだ。最後に大振りの白い花を耳の上に飾ることで、市の顔が更に小さく見える。

 「そなた、本当に手先が器用じゃの……」

 「三つ編みには、慣れておりますゆえ」

 ラビアの国では、国民や王族もみんな三つ編みに髪を編み込む。彼女は、せめてもの晧月への抵抗として、市の髪型をシュッタイトの姫君のするものへと結ったのだ。そうとも知らず、市は感心したように鏡を見ていた。

 「らび、ぴくにっくとやらに持っていく食事は、用意できたのか?」

 「はい。イチ様のお好きな、サンドウィッチも沢山用意しております」

 「さんどいっち!」

 市の瞳が丸くなり、やがてキラキラと嬉しそうに輝いた。

 「ありがとう、らび」

 子供のように無邪気な笑顔を向けられ、ラビアの胸が苦しくなる。自分の企みを知らないのだと思うと、心が痛い。

 ーー大丈夫。イチ様を裏切るのも、この一度だけなのだ。きっと、王子がイチ様をいいようにして下さる。私は王子を信じて、イチ様を幸せに出来るよう務めるのだ。

 コンコンと窓を叩く音が聞こえ、市が弾かれるように、席を立った。

 「きっと、若君じゃ!」

 小走りで窓まで走りよる市の、なんと嬉しそうなこと。ラビアはその場に佇んだまま、その後ろ姿を見ていた。

 「おはよう天使ティエンシー。もしかして、昨日はあまり寝られなかったんじゃない?」

 「おはようございまする……どうして、そう思うのです?」

 「楽しみすぎて、眠れなかったんじゃないかと思って」

 「若君!私は子供ではありませぬ!」

 ムッとした市に、晧月は優しく笑った。しかし、少しだけ不満そうに市の髪型を見る。

 「今日の君は、とても素敵だけど……その髪型は……」

 「え?」

 「いや、何でもないよ」

 シュッタイト帝国の姫がする髪型に、晧月は心の中で舌を打った。シュッタイト帝国出身の侍女からの、自分へのささやかな嫌がらせだろうが、気にすることはない。せっかく、市が綺麗に支度を整えて、待ってくれていたのだ。それならば、自分が彼女へ投げかける言葉は一つしかない。

 「その髪型、似合っているよ。可愛いね」

 市の頬が、ほんのりと薔薇色に染まった。その後ろで、ラビアが僅かに表情を崩して、悔しそうな顔をしている。晧月は、にっこりと微笑んだ。

 「さぁ、行こうか」

 市の手を引いて、彼は窓から飛び出した。ラビアは、唖然とその姿を見送るも、慌てて荷物を持って追いかける。ラビアとて、侍女の中でも特別に訓練された優秀な侍女である。主人を守る術も学んだ彼女は、運動神経も磨かれていた。晧月のように何も無いまま、無謀に窓から飛び降りる事は出来ないため、縄を使って、ゆっくりと降りる。ようやく地面に足を着くと、市を横抱きにした晧月が、傍に立っていた。

 「お前も着いてくるの?」

 鷹のような銀色の瞳が、じっとラビアを見つめる。彼女は、その色に呑まれそうになりながらも、口を開いた。

 「も、勿論でございます!私はイチ様の侍女でございますもの!それに、お食事も私が持っているのですから!」

 蛇に睨まれたカエルのような気持ちになりながら、ラビアはサンドウィッチの入ったカゴを持ち上げてみせた。

 「別に、そのカゴくらいなら、この子を抱きながらでも持って行けるけど」

 「イチ様と、カゴを一緒に持とうだなんてとんでもない!無礼なことです!私が責任を持って、お持ちしますので、お構いなく!」

 信じられないとばかりに、大声をあげるラビア。晧月は肩を竦めて、市を見やる。

 「君の侍女って、元気だね」

 「あまり、らびをからかわないであげて下さいませ」

 ラビアは、真っ直ぐで真面目な侍女なのだ。市がラビアを庇うと、晧月は少しだけ面白くない気持ちになり、反対にラビアは嬉しそうな顔をした。しかし、その顔が何故か、曇り顔に変わるものだから、市は思わず声をかける。

 「らび、どうかしたのか?」

 「いぇ……」

 市の声に、ラビアは力なく返事を返した。晴れ渡る空の下で、彼女の白い肌を太陽の光が照らす。そんな清々しい大空を見上げても、ラビアの心は晴れなかった。
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