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第三章 奪還
第四十六話
しおりを挟む晧月の殺気が、皮膚を刺す。懐かしい彼の殺気は、ピリピリとエイサフの肌を刺激した。それが可笑しくて、笑いが零れる。死んだと思っていた男が目の前に現れたのに、エイサフは何故か心躍るような想いで、胸を弾ませた。それは、市の心に住み着いて消えない男を、再びこの手で葬り去ってやることが出来るからなのか……。生かしたまま捕らえてやろうか。牢に入れて、死ぬまで監禁してやってもいい。いずれにせよ、晧月をいたぶってやれることには変わりないのだ。
腕を縛られ、口に布を突っ込まれたまま転がされた市は、怖々とエイサフの大きな背中を見上げた。その視線に気付いたのか、エイサフが振り向いて笑う。
ーー黒真珠の瞳が、不安そうに揺れておる。まるで、小鹿のようだな。
しかし、不安ながらも安堵が窺えるその表情に、エイサフは内心で苛立った。晧月が生きていたと知り、暗かったその表情に光が差したのを、彼は見逃さない。自分では市の顔を暗くさせてしまうばかりだというのに、晧月だと違うらしい。
ーー愛おしくも……憎らしい姫よ。
我が身をこうも狂わせ、切なくさせる。そんな女は、この世にただ一人……市だけだ。ああ、憎い。晧月が、憎い。自分を愛してくれない、愛しい人が憎い。晧月を見て、安堵したその顔を、違う色に染めてやりたい。そうだ。目の前で惨たらしく晧月を殺せば、市はどんな表情をするだろう。あの時は、崖から落ちたため、死体が無かった。だが、晧月の無残な死体を市に見せ付けてやれたなら?市は、どんな顔で嘆く?自分が晧月を殺した事により、どんな風に絶望する?奴の死体のすぐ傍で、市を抱けたなら……?
ーー……なるほど。それも、悪くない。
エイサフは、薄暗い笑みを浮かべた。自分を愛さない市など、いっそのこと壊れてしまえばいい。その暖かいのであろう心を、空っぽにして……そこに、自分が新たに愛を吹き込むのだ。名案だとばかりに、エイサフは笑い声を漏らした。
「気色悪い……。何がおかしいわけ?」
晧月は、眉を寄せた。冷静、冷酷、聡明だと名高いシュッタイト帝国の王子とは、こうも狂ったような目付きをする男だっただろうか。白薔薇宮殿で、対峙した時とはどこか違う。シュッタイト特有の白い肌が青ざめて、少しやつれたように見えた。まぁ、彼の調子など、晧月にとっては関係の無いことであるが。
チラリと市の様子を確認して、内心で息を吐く。どうやら、エイサフにはまだ何もされていないらしい。目の力を使って、エイサフの欲望に満ちた心を覗いた時は、どうしようかと思ったが、間に合って良かった。そう胸を撫で下ろすも、市の衣服ははだけており、真っ白な肌が覗いている。晧月の到着が遅ければ、彼女の無垢な肌に汚らわしい男の欲に染った手が触れていたのかと思うと、胸が鉛のように重くなった。喉の奥で、嫌悪感が塊となってつっかえる。
「どこまで……」
晧月は整った眉を、逆八の字に吊り上げた。
「どこまで、俺を苛立たせたら気が済むんだろうね……お前は」
エイサフの青い瞳は、市の白魚のような肌を見たのだろう。その無粋な手が、柔肌に触れたのだろう。例え、彼女の乙女が無事であっても、その身に触れた男の存在が許せない。
「その憎たらしいぐらいに真っ青な瞳を抉りとって、眼球愛好家に売り付けてやろうか」
可愛らしさのある晧月の顔で、その過激な発言はアンバランスに思えた。しかし、ベビーフェイスな彼のお腹の中は、どす黒い。にっこりと微笑む表情は、女が見たら喜びそうなほど甘いが、彼の体からは、鬼も裸足で逃げ出しそうなほどの殺気が滲み出ていた。
「ほざけ。貴様にそう易々と殺られるほど、私は弱くない」
刃が薄く、遠目から見れば氷のように見える細長い剣を、エイサフは晧月の心臓へと向けた。
「この剣で今度こそ、貴様の心の臓を串刺しにしてやろうぞ」
エイサフの挑発を、晧月は鼻で笑って受け流した。そして、市へと優しく声をかける。
「目を閉じて待っていて、俺の翼」
市は、ハッと目を見張った。久しぶりに見る、彼の微笑があまりにも美しく……愛に満ち溢れていたから。
「すぐに終わらせて、君をこの腕で抱き締めたい」
晧月の声色が、何とも甘美に市の鼓膜を震わせる。蕩けそうなほど熱の篭った眼差しと目が合った時、市の胸の奥がきゅうと締め付けられた。
「君の唇に触れたい……いいよね?」
それは問いかけながらも、否とは言わせない……そんな響きがあった。思わず、彼の整った唇に目を向けてしまう。柔らかそうなそれは、市の兄である信長のものとは違う。乾燥もしておらず、艶がある。唇に触れたいとは……やはり、口付けをしたいと言われているのだろうかと、市の頬がほんのりと色付いた。桜色のふっくらとした唇は、市の反応を見て、弧を描く。
「相変わらず、可愛いね。俺の天使は」
見つめ合って、甘い雰囲気を漂わせる二人に、エイサフは唇を噛み締めた。どう見ても、入り込める隙などない、二人の世界。そんなこと、認めたくない。
ーー壊してやる……何もかも全て……。
もう、どうでもいい。そう思えた。王子である立場だとか。国のこと。世界の掟すら、今やゴミのように思える。どう足掻いたって手に入りそうにない市の心なんて、壊れてしまえ。自分を嫌悪する瞳もいらない。罵倒する舌だって、彼女には必要ないだろう。逆らおうとする腕も。逃げようとする足も、いらないじゃないか。彼女を生きた人形に作り変えて、傍におけば楽になれるのでは……?
そこまで考えて、心の中でストンとわだかまりが消化されたような気持ちになった。久しぶりに、冷静になれたような気さえする。そうだ。どうして気付かなかったのか。どうして、無謀にも……他の男に心奪われた女を、手に入れようと躍起になっていたのか。無駄な努力など、無意味なこと。市の心が自分になくとも、その心を壊し、身を作り変えれば関係ない。自分のことを否定しない市であれば、何の不満もないのだ。ただ……どんな形でも、彼女が自分の傍にいてくれさえすれば……。
エイサフは剣を構えた。不気味なほど、冷たい笑みを浮かべて。
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