56 / 70
第四章 消えた侍女
第五十五話
しおりを挟む市の体が完全に癒えた頃、晧月は彼女を妃として迎えるべく、自国の使者とやり取りをしていた。彼の父と母や妹達は、それはもう大喜びだという。変わり者の晧月が結婚出来るだなんてと、泣き虫な妹は涙を流したそうだ。余計なお世話だと晧月は内心で毒を吐いた。
「では、ここでの仮式を終えたら、国ですぐに式を挙げるから、そのつもりで」
「はっ、しかし……式を挙げるのは、姫君が渼帝国での生活に慣れてからがよいのではと皇帝が……」
「はぁ?俺は早くあの子と結婚したいんだけど。そもそも自分だって、母上を連れて帰ってすぐに結婚式を挙げたそうじゃないか。自分の事を棚に上げるなと父上にお伝えしろ」
「へっ……?へい、いや、でも……」
おどおどと目を泳がせる使者は、暴虐武人、まさに暴君と名高かった晧月の眼光に、ひっと喉から引き攣った音を鳴らした。
「お前は俺と父上、どっちの味方なんだい?」
使者の顔の横に、グサリとクナイが突き刺さる。瞳孔が開き、その研ぎ澄まされた銀色が、使者を睨み付けた時ーー使者は口から泡を吹いた。
「この軟弱者め」
そう言葉を投げかけたのは、晧月ではない。銀色のストレートヘアをサラリと流したチャイナドレスの美少女……メイリンだ。彼女は、ふらりと現れて、情けない姿を晒す使者を見下げた。
「メイリンか。どうした?」
「お兄様、市姫の容態も随分と落ち着いた事です。私は国へ帰らせて頂きますわ」
メイリンは久実と共に、市の様子を気にかけていた。気が強くハッキリとした性格の彼女は、同じようにハッキリとした性格の市を気に入っていた。それは市も同じであった。歳も近く、気の合う友達がメイリンならば、久実は世話焼きなお姉さんのような友達だ。いつも三人で楽しそうに談笑していた姿を知っていた晧月は、残念そうに眉を下げた。
「君が帰ってしまうと、天使は寂しがるだろうね」
「私も、寂しいですわ。ですが、またお会い出来ますもの」
メイリンは気絶した使者の腹を踏み付けて、晧月の傍へと身を寄せた。そして周囲に目を配り、そっと囁く。
「消えたエイサフ王子と、その侍女について聞きました。何だか嫌な予感がします……気を付けて下さいませ」
「大丈夫さ。例えエイサフ王子のゾンビが襲ってこようと、あの侍女が刺客となって現れようと、ぶっ殺すまでさ」
「市姫のこと、頼みましたよ。初めて出来たお友達なのですから……」
「もちろん。あの子に害を成す連中が現れるならば、それもぶっ殺す。俺の得意分野だ」
おどけてみせる晧月に、メイリンは安心したように頷いた。
「ええ。お兄様にお任せすれば、どんな敵も適わないでしょうね。それほど、お強いのですもの」
戦に出れば、破壊の皇子やら、死の飛翔やら、とんでもない呼び名で呼ばれた兄である。その呼び名の通り、彼は化け物並に強いのだ。兄に任せればきっと、市は無事だろう。宮殿には兄だけでなく、怪力のザァブリオもいる。胸の奥にざわめく不安を打ち消して、メイリンは白薔薇宮殿を去った。
見慣れない顔だ。市は、横目に侍女の顔を見た。ターバンで髪の毛を隠し、白い衣に身を包んだ彼女は、ふっくらとした顔立ちに細い瞳をしていた。その瞳を見て、市は思わず息を呑む。侍女の瞳は、美しい菫色をしていた。驚く市に気付かず、侍女はいそいそと食事の準備をしている。
ーーあの色はらびの色じゃ。
まさか、彼女はラビアなのか。そう考えるも、まさかと頭を振った。何故なら、彼女はシュッタイト人特有の雪のような白い肌ではなく、オリーブのような濃い色味の健康的な肌色をしている。それに、シャープな顔立ちだったラビアと違い、彼女の頬は丸い。瞳の大きさも違う。
「……そなた、名は?」
静かな市の呟きに、侍女は一瞬手を止めたかに見えた。しかしそれは、姫君である市に声をかけられて、緊張したからのようだ。侍女は、口を詰まらせながら、しどろもどろに言葉を紡いだ。
「ルビーと申します、姫君」
いつもしゃんとしていたラビアとは異なる、自信なさげな侍女の態度。彼女の声は、ラビアのものより低く、掠れていた。
ーーこの者を、らびと思うなど……とんだ勘違いであったな。
苦笑を滲ませて、市は懐かしい菫色を見つめ返した。
ーー瞳の輝きは、同じだというのに。
「なに、あまり見ない顔であったので、つい声をかけてしまった。そう身を固くするでない」
「お許しを。何分、最近入ったばかりの新参者ゆえ、ついつい肩に力が入ってしまうのです」
素直に答えたルビーに、好感を覚える。市は唇に笑みを乗せて、ぎこちない様子の彼女の名前を呼んだ。
「るび」
市の呼び方に、彼女はほんの少しだけ肩を跳ねさせた。
「誰しも初めから、完璧にこなす者などおらぬ。精進せよ」
「はい、有り難きお言葉……。ですが、失礼を承知で一つだけよろしいでしょうか?」
気の弱そうなルビーの申し出に、市は意外そうに眉を上げた。
「なんじゃ?申してみよ」
「はい。私めの名前は、るびではなく、ルビーと申します。異界からの姫君であるあなた様にとっては、言い難い名前だとわかっておりますが……尊敬するあなた様には、ぜひ本来の呼び名で呼んで頂きたいのでございます」
市はきょとんと、まばたきを繰り返した。本来の呼び名で呼ばれたい等と、それは主君に命令したと勘違いされてもいい申し出だ。もし、サルと呼ばれた羽柴秀吉が、兄である信長に名前で呼んでくれと進言しようものなら、あの者の首は瞬く間に宙を舞うだろう。
「そなた、それは私に命じておるのか?」
怒った訳では無い。だが、側仕えというものは、目上の者に対して意見しないものだ。ましてや、きちんと名前で呼んで欲しいなど……無礼だと、斬り捨てられるとは思わないのだろうか。
「命じるなど、とんでもごさいませぬ!どうしてあなた様に命令することが出来ましょう?これは私めの、ほんの小さな我儘なのです」
「ほう。私に我儘を言うのは無礼ではないと?」
「無礼も承知で、我儘を申し上げました……。あなた様が、こんな些細なことで私めを罰することはないと知った上で……」
気弱そうに見えていたルビーは、芯の強いハッキリとした物言いで、市に告げた。なるほど、なかなか度胸のある女だと感心する。そして、頭も良いらしい。
「わかった。そなたのその芯の強さを評価して、名前をきちんと呼ぶ努力をしよう」
「……ありがとうございます」
「るびではなく、るびぃじゃな?」
「ええ。もう少し最後を伸ばして頂けたなら、完璧でございます」
「……るびー?」
「はい、イチ様!その調子でございます!」
ルビーは初めて、市に向けて笑みをみせた。菫色の瞳が優しげな輝きを宿している。そう、どこか懐かしいような輝きを……。
「のう、るびー。そなた……以前にどこかで会ったことがないか?」
「まさか。私がこの宮殿に務め始めたのは、1週間前のことでございますよ」
笑みを浮かべていたルビーの口元が、ピクリとひくついた。しかし、市はそれに気付くことは出来なかった。ルビーがすぐさま、気弱な侍女の仮面を被ったからだ。
0
あなたにおすすめの小説
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
転生皇女セラフィナ
秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。
目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。
赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。
皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。
前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。
しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。
一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。
「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」
そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。
言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。
それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。
転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。
※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
【本編完結】伯爵令嬢に転生して命拾いしたけどお嬢様に興味ありません!
ななのん
恋愛
早川梅乃、享年25才。お祭りの日に通り魔に刺されて死亡…したはずだった。死後の世界と思いしや目が覚めたらシルキア伯爵の一人娘、クリスティナに転生!きらきら~もふわふわ~もまったく興味がなく本ばかり読んでいるクリスティナだが幼い頃のお茶会での暴走で王子に気に入られ婚約者候補にされてしまう。つまらない生活ということ以外は伯爵令嬢として不自由ない毎日を送っていたが、シルキア家に養女が来た時からクリスティナの知らぬところで運命が動き出す。気がついた時には退学処分、伯爵家追放、婚約者候補からの除外…―― それでもクリスティナはやっと人生が楽しくなってきた!と前を向いて生きていく。
※本編完結してます。たまに番外編などを更新してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる