60 / 70
第四章 消えた侍女
第五十九話
しおりを挟むああ、忌々しい。あのケダモノめ!!ルビーは肩で息をしながら、自室の扉を乱暴に閉めた。激しい動悸に、胸を抑えながら、彼女はよろよろと壁にもたれ掛かる。
「あのケダモノは、私の正体に気付いている……?」
そんなまさか。ルビーは、姿見の前に立つ。どこからどう見ても、自分はただのちっぽけなルビーだ。特別なことといえば、青の一族であるが、瞳が菫色をしている事。だがこれも、母親がヘンタドリム大陸出身だと言えば問題ないはずだ。ふと、びっしょりとかいた冷や汗により、オリーブ色の肌が滲んでいることに気付く。
「しまった……!」
どうにかあの皇子には、気付かれていないだろうか。慌てて確認するが、この滲みなら大丈夫そうだ。あのままずっと皇子と居たなら、危なかったかもしれないが……。
ルビーは、布を何重にも巻き付けていた重い服を脱ぎ捨てた。頭にあるターバンを取れば、美しい菫色をした波打つ髪の毛がこぼれ落ちる。彼女はふくよかな頬に手を寄せて、顎からビリビリと皮膚を剥がした。すると、すっきりとしたシャープな輪郭が現れる。彼女の顔は、首から下の色と違い、雪のような白い肌をしていた。ルビーは、鏡越しに大きな瞳を吊り上げる。
「もう一度、念入りに支度をせねば……」
シャワーを浴びれば、首から下のオリーブ色の肌が、みるみるうちに白へと変わっていった。茶色い水が、ゴポゴポと排水溝を流れていく。タオルで髪の毛の水気をとり、体を包み込んだ彼女は、ルビーだった頃の面影などない。
シュッタイト人特有の、透けるような白い肌。波打つ菫色の髪に、アーモンド型をした同色の瞳。シャープな顎。スラリとした四肢。気弱というよりはクールな印象の彼女は、紛れもなく、かつて市付きの侍女だったラビアであった。
「目的の為ならば……私は何だって出来る」
そう自分に言い聞かせて、彼女は肌にクリームを塗り込んでいく。それは美しい白い肌をたちまちオリーブ色に染め上げた。
菫色という、特殊な色を変えることは難しく、髪の毛はターバンで隠すしかない。瞳の色はもはやどうしようもない。それならば、ラビアからかけ離れた体型に化ければ良いと考えた彼女は、太った女性のマスクを手に入れたのだ。そのオリーブ色に染まったマスクを、顔の輪郭に添わせて装着する。装着部分を粉でぼかしながら、眉をいつもより気弱そうに垂れさせた。
「私は……ただの、ちっぽけなルビー」
布を何重にも巻き付けた服を着れば、ポッチャりとした体型の侍女の出来上がりだ。どこからどう見ても、ラビアには見えない。マスクにより、視界が狭まるが、仕方がない。少しでも菫色の瞳を目立たなくするためだ。
ーーすべては……我が主君、エイサフ王子のため。
もう一度、彼に頭を垂れる事が出来るのならば、何でもしよう。
「その為にも、イチ様の部屋へ行かなくては……」
彼女は、新米侍女ルビーの皮を被って、ひっそりと自室を出て行った。
市は、目の前で忙しく動く侍女を見つめて、頬杖をついた。真面目なルビーは、休むことなく働いている。思えば、戦国の世での侍女、マツも生真面目な女であった。いなくなってしまったラビアもそうだ。つくづく自分に付く侍女は、真面目な奴が多いものだと、彼女は唇を尖らせた。
「のぅ、るびー。夕食も終え、湯浴みもした。もう後は寝るだけじゃ」
ネグリジェをつまんで見せた市に、ルビーが手を止めた。
「もう、お休みになられますか?」
「そうではない。ただ、仕事などそのくらいにしておいて、私の話し相手になってもらえぬか?」
「ですが……まだテーブルの上が汚れておりまする」
困った顔をするルビーに、市はムッと唇を曲げた。
「では、その机を拭いたらでよい。私の相手をせよ」
「はい……」
市はベッドに寝転がりながら、ルビーの背中を眺める。せっせとテーブルを磨きあげる丸い背中。市はいつしか、その背中を見つめるのが好きになっていた。ルビーは、市が寝る前に必ず、面白い話をしてくれる。それを待ち構えて、市はいつも彼女の仕事が終わるまで、その背中を見つめて待つのだ。
「お待たせ致しました、イチ様」
「苦しゅうない、そこへ座れ」
待ちわびたと言わんばかりに、椅子をベッドの傍へと寄せた。市が、ルビーの為に用意した椅子だ。ルビーはここの所毎日、その椅子に座って、市の傍で話をする。
「今日は、どのような話を致しましょう」
「何でもよい。そなたの話は、全部面白いから……」
市の眼差しに、ルビーは居心地悪く微笑んだ。彼女の瞳は、まるで姉を見つめる妹のようだ。それだけ、市がルビーを信頼して、懐いてくれているのだろう。ラビアだった頃には、決して向けられなかった瞳。それはきっと、ラビアがいつもエイサフの肩を持っていたことに、市が気付いていたからだ。
「そうですね……。では、私が育った国のおとぎ話をお話しましょう」
ルビーは、ゆっくりと言葉を紡いだ。それは、敵国同士の姫と王子の恋物語であった。姫と王子は、いつも秘密の逢い引きをしていたのだが、それがお互いの両親にバレてしまう。怒った姫の父親が、王子を殺してしまい、姫は嘆いた。美しい黒髪を振り乱し、黒い瞳からとめどなく溢れる涙を零しながら、姫は、王子の死体を抱き締めて自害する。姫の血を浴びた王子は、どういことか、息を吹き返した。
「何故、息を吹き返したかわかりますか?」
ルビーは、市に問いかけた。だが、市は何も答えない。否、答えられなかった。彼女は瞳を閉じて、すうすうと寝息をたてていた。市の寝顔を見つめて、ルビーは薄らと笑みを浮かべた。
0
あなたにおすすめの小説
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
【完結】一番腹黒いのはだあれ?
やまぐちこはる
恋愛
■□■
貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。
三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。
しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。
ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。
せっかく傾国級の美人に生まれたのですから、ホントにやらなきゃ損ですよ?
志波 連
恋愛
病弱な父親とまだ学生の弟を抱えた没落寸前のオースティン伯爵家令嬢であるルシアに縁談が来た。相手は学生時代、一方的に憧れていた上級生であるエルランド伯爵家の嫡男ルイス。
父の看病と伯爵家業務で忙しく、結婚は諦めていたルシアだったが、結婚すれば多額の資金援助を受けられるという条件に、嫁ぐ決意を固める。
多忙を理由に顔合わせにも婚約式にも出てこないルイス。不信感を抱くが、弟のためには絶対に援助が必要だと考えるルシアは、黙って全てを受け入れた。
オースティン伯爵の健康状態を考慮して半年後に結婚式をあげることになり、ルイスが住んでいるエルランド伯爵家のタウンハウスに同居するためにやってきたルシア。
それでも帰ってこない夫に泣くことも怒ることも縋ることもせず、非道な夫を庇い続けるルシアの姿に深く同情した使用人たちは遂に立ち上がる。
この作品は小説家になろう及びpixivでも掲載しています
ホットランキング1位!ありがとうございます!皆様のおかげです!感謝します!
ヒロインに躱されて落ちていく途中で悪役令嬢に転生したのを思い出しました。時遅く断罪・追放されて、冒険者になろうとしたら護衛騎士に馬鹿にされ
古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
第二回ドリコムメディア大賞一次選考通過作品。
ドジな公爵令嬢キャサリンは憎き聖女を王宮の大階段から突き落とそうとして、躱されて、死のダイブをしてしまった。そして、その瞬間、前世の記憶を取り戻したのだ。
そして、黒服の神様にこの異世界小説の世界の中に悪役令嬢として転移させられたことを思い出したのだ。でも、こんな時に思いしてもどうするのよ! しかし、キャサリンは何とか、チートスキルを見つけ出して命だけはなんとか助かるのだ。しかし、それから断罪が始まってはかない抵抗をするも隣国に追放させられてしまう。
「でも、良いわ。私はこのチートスキルで隣国で冒険者として生きて行くのよ」そのキャサリンを白い目で見る護衛騎士との冒険者生活が今始まる。
冒険者がどんなものか全く知らない公爵令嬢とそれに仕方なしに付き合わされる最強騎士の恋愛物語になるはずです。でも、その騎士も訳アリで…。ハッピーエンドはお約束。毎日更新目指して頑張ります。
皆様のお陰でHOTランキング第4位になりました。有難うございます。
小説家になろう、カクヨムでも連載中です。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……
勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!
エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」
華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。
縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。
そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。
よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!!
「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。
ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、
「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」
と何やら焦っていて。
……まあ細かいことはいいでしょう。
なにせ、その腕、その太もも、その背中。
最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!!
女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。
誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート!
※他サイトに投稿したものを、改稿しています。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる