織田信長の妹姫お市は、異世界でも姫になる

猫パンダ

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第四章 消えた侍女

第六十話

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 何故だか、最近体がだるい。

 頭も痛く、気分も優れない。市は、最悪の目覚めを感じながら、ゆっくりと体を起こした。思考がぼーっとして、纏まらない。

 「水……」

 傍に置いてあった水差しで、コップに水を注ぎ、一口飲み込む。喉が潤され、ようやく意識がハッキリとしてきた。だが、頭が痛く、フラフラするのには変わりない。

 ーーここの所、調子が悪いな。

 風邪でもひいてしまったのだろうか。自分は、病気など滅多にしないと思っていたのに、この世界に来て弱くなってしまったらしい。

 ーー慣れない環境のせいか……だが、じきに慣れるだろう。

 もうすぐしたら、ルビーが起こしに来る。それまで市は、ぼーっとベッドの上に寝そべっていた。



 あれ、と晧月は首を傾げた。何だか今日の市は、とても体調が悪そうだ。白い肌が、青くさえ見える。ルビーという侍女と散歩をしている市に、晧月はズカズカと近付いた。晧月の接近に気付いたルビーが、さっと頭を下げる。彼はそんな彼女に一瞬だけ目を向けると、やがて興味無さそうに視線を逸らし、心底心配そうな眼差しで市を見つめた。市も彼に軽く会釈して、挨拶の言葉を口にする。

 「おはようございまする。晧月様」

 「おはよう。何だかしんどそうだけど、大丈夫かい?」

 晧月は、市の変化には敏感だ。彼女が少しでもいつもと違う様子を見せると、心配になるし、気になって仕方がない。市はそんな彼の心情を感じ取って、嬉しそうに頬を緩めた。

 「心配して下さり、ありがとうございます。私は、大丈夫でございまする」

 にっこりと微笑んだ市。晧月は、彼女の顔を見つめて、眉を下げた。銀色の瞳が、優しげな淡い光を宿して、彼女を案じている。市は彼の瞳に見つめられるだけで、疲れなど吹っ飛び、元気になれそうな気がした。そんな不思議な力が、彼の瞳にはあるような……そういった錯覚に陥る。それは、彼女が彼に恋をするが故の、乙女ならば誰もが体験する現象であった。

 「本当に大丈夫?もし、しんどいなら医師を呼ぼう」

 「そこまでして頂く程では、ございませぬ。それに……市は貴方様にお会い出来ただけで、元気になれるのです」

 市からの意図せぬ可愛い言葉が、晧月の胸を貫いた。ズキューンという効果音が彼の耳元を木霊し、心臓がバクバクと鼓動する。彼は無意識に、左胸を抑えた。

 「君って……」

 どうして、そんなに可愛いんだ……とか。愛しすぎる、だとか。愛らしい。いじらしい。ほんとに可愛い。抱き締めたい。好きすぎる。そういった感情が、晧月の頭の中をひしめき合いながら、通り過ぎる。もういっそ、このまま彼女の可愛い唇に、食らいついてやろうか。

 そんな晧月の不穏な気配を感じ取ったのだろう。ルビーの眼光が、晧月の左頬に突き刺さった。彼は、それを煩わしいと感じながら、左頬をさする。ちくちくと突いてくる、侍女の視線が鬱陶しい。そもそも、たかが侍女に、そんな目を向けられる意味がわからない。自分は皇子だし、市とは婚約も結んでいる。つまりこの侍女は、己の主人である市の婚約者を、鋭い眼光で睨んでいるのだ。

 ーー何のつもりだよ。

 生意気な女。晧月は、ルビーの評価を二つほど下げた。元より、胡散臭い女だとも思っていたのだ。晧月は、意地悪く唇を釣り上げて、ルビーを見下げた。

 「君、その目付きって不敬罪だと思わないの?」

 晧月の言葉に、ルビーは戸惑ったような顔をする。

 ーーわざとらしい。

 先程まで、気の強そうな顔をしていたのに、途端に気弱そうな表情になった。

 「も、申し訳ございませぬ。晧月皇子に不快な思いをさせてしまったのならば、お許しください……。目にゴミが入ってしまい、誤解されるような目付きになってしまったようです……」

 しどろもどろに言いながら、ルビーは目を擦ってみせた。白目が赤らんだところを見れば、ルビーの言っていることは本当なのだろう。晧月は眉をひそめるも、市は彼女を信じた。

 「晧月様、あまりるびーを虐めないで下さいませ」

 ルビーを庇うように前に出た市。これではまるで自分が悪者のようだと、晧月は内心でボヤいた。市の後ろから、ひょっこりとルビーが顔を覗かせて、弓なりに瞳を細める。まるで、笑っているかのようなルビーの瞳に、晧月は苛立ちを覚えた。だが、市が彼女を庇っている手前、あまりルビーに突っかかることも出来ない。

 「君の侍女を、虐めたりなんかしないさ」

 晧月は、内心で暴言をルビーへとぶちまけながら、市に向かって微笑んだ。その微笑みに、市は安心したかのように笑みを返す。

 「じゃあね、天使ティエンシー。また後で君の部屋に行くよ」

 「はい。お待ちしておりまする」

 晧月は、笑みを浮かべたまま、市達に背を向けた。ゆっくりとした足取りで角を曲がりーーその唇から笑みを消す。

 「影」

 晧月の呼びかけに、一人の男が現れた。黒い霧を纏う男は、全身黒づくめの装束を着た、名前の通り、晧月のである。影は晧月の足元にそっと膝まづいた。

 「お前、あの侍女について調べろ……。どうにも、あの女はきな臭い……」

 「御意」

 再び、ブワッと黒い霧が散る。晧月の銀髪がふわりと靡き、まだたきをした後には、彼の目線の先には、もう誰も居なかった。
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