織田信長の妹姫お市は、異世界でも姫になる

猫パンダ

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第四章 消えた侍女

第六十一話

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 昼食後に、晧月は毎回市の元を訪れる。市はその時間が楽しみで仕方がなかった。ルビーと話す時間も楽しいが、やはり好いた男との愛ある時間ほど待ち遠しいものは無い。

 部屋に戻り、市は鏡台の前に立つと、髪型の崩れや、化粧崩れを気にしだした。ルビーはそんな彼女の後ろ姿を、複雑な面持ちで見つめた。こうして、晧月への好意を市から感じる度に、どうにもやるせない思いになる。どうして、と問いたい。どうして、エイサフを選んでくれなかったのか。どうして、エイサフを愛してくれなかったのか。

 好いた男の為に、身嗜みに気を使う市の姿は、とても可愛らしい。頬を薔薇色に染め、満天の星空を閉じ込めたかのような瞳を、きらきらと輝かせるのだ。この姿が、エイサフによるものだったならば、どれだけよかったか。

 「るびー。この髪飾りは、おかしくはないだろうか?」

 「とても、お似合だと思います」

 「そうか、ならばこれにしよう」

 市は、小さな花々が散りばめられた簪を、ルビーに差し出した。ルビーはそれを受け取って、彼女の美しい髪に櫛を通す。小さな頭のてっぺんで纏めてお団子を作り、そこに簪をさした。

 「やはり、良く似合っております」

 市は何を着せても、どんな髪型をしても似合う。ルビーは市のことを、少しだけ羨ましく思った。

 ーーこの方は……誰もが羨む容姿を持っておられる。姫という地位。高貴なる血。人を惹きつけてやまない魅力。その何もかもが、眩しくて、憎らしい……。

 エイサフは、ずっと傍にいたラビアのことすら捨て駒のように扱い、市を欲した。人が変わったかのように、壊れてしまったエイサフを、市は救ってくれなかった。

 ルビーの中で、どろりとした感情が生まれる。

 市に対する負い目が、彼女の中で小さくなっていく。彼女にとって大切なのは、市ではなくエイサフなのだ。

 「イチ様……」

 「るびー?」

 暗い目をしたルビーに、市が怪訝そうな眼差しを返した時だった。フラリと市の体が傾いたのだ。

 「……っ!?」

 立ちくらみがする。市は額を抑えて、苦しそうに眉根を寄せた。そんな市の体を優しく支えながら、ルビーが口元に笑みを乗せる。

 「どうやら、やはり体調が優れないようですね……寝台で横になりましょう」

 ふらつく市の体をベッドに寝かせ、彼女の首元までシーツを被せてやると、ルビーは柔らかく声をかけた。

 「イチ様、医師を呼んで参りますので、お待ち下さい」

 しんどそうな市をしり目に、ルビーは部屋を出る。早足に廊下を歩いていると、見知ったチャイナ服が見えた。遠目からでもわかる見事な銀髪。

 ーー晧月……!

 ルビーの握り拳が、ギリギリと音を立てるかのように震えた。どうしていつも、見計らったかのように、嫌なタイミングで鉢合わせるのか。

 晧月はルビーに気付くと、わざとらしく片眉を吊り上げた。

 「どうかしたのかい?そんなに急いで」

 「イチ様の体調が優れず……医師を呼びに……」

 銀色の瞳に射抜かれると、ルビーの頬に冷や汗が伝う。ダメだ。この男と、二人だけの空間になると、どうも萎縮してしまう。龍のように鋭い眼差しが、苦手だ。後退りたくなる体を押さえ込み、不自然にならないように笑みを作った。

 「晧月皇子が傍にいて下されば、イチ様も安心なさるでしょう。どうか、お傍に行ってさし上げてくださいませ」

 晧月は、唇を固く閉ざして、じっとルビーを見下げる。それはまるで、ルビーの心を見透かすかのような視線だった。居心地が悪い。早くこの場から、離れなくては……と、焦った思いで一杯になる。

 ーーだが、こちらの動揺を、この男に知られてはならない……。私は無害なルビー。イチ様付きの侍女となったばかりの、ちっぽけなルビーなのだから。

 頭を下げたまま、晧月が立ち去るのを待つ。こういう時、身分や上下関係というものが心底面倒だ。下の人間は、目上の者が立ち去るまで待たなくてはならない。先に動くのも、声を掛けるのも、何事も目上の人間が優先される。しかも、晧月は皇子である。深々と頭を下げて見送らねば、不敬にあたるのだ。

 晧月は何も答えないまま、ルビーの横をスっと通り過ぎた。だが、ルビーの後頭部に、彼からの視線が突き刺さったのを感じた。やはり、晧月は自分の事を疑っている。ラビアだとバレたわけではなさそうだが、不審に思われている事は間違いない。

 彼の足音が遠ざかるのを待って、ようやく頭を上げる。

 「……本当に、邪魔な男」

 自分や、敬愛する主君の邪魔をする嫌な男。憎らしい男。我が国の敵。あの方の仇……。

 ーー殺してやりたい。

 疼く衝動を呑み込み、ルビーは再び歩き出した。

 
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