織田信長の妹姫お市は、異世界でも姫になる

猫パンダ

文字の大きさ
63 / 70
第四章 消えた侍女

第六十二話

しおりを挟む

 晧月が、市の部屋を訪れた時には、彼女はベッドで眠っていた。額には少し脂汗が滲んでいる。

 「市……」

 彼女の汗ばんだ髪の毛を解いてやり、頬を撫でた。そうすると、苦しそうに寄せられていた眉根が、僅かに緩む。

 エイサフに監禁され、弱り切った体がようやく治ってきたかと思えば、これか。晧月は内心で、溜息を漏らす。市には、笑っていて欲しいのに。やはり、こちらの世界での生活に、慣れないのだろうか。元の世界の方が、彼女にとって良いのでは?柄にもなく、そんな事を思ってしまう。

 「失礼致します。医師を連れて参りました」

 ルビーが、慌てた様子で、医師とともに入って来た。その様子が、どうにも態とらしい。市を心底心配そうに見つめる顔が、何とも癇に障る。

 「……どうやら、姫君は貧血のようですね」

 「貧血?」

 晧月は、青白い顔をした市の寝顔を見つめた。

 「どうして、貧血になんか……」

 「きっと、疲れが溜まっていたのでしょう」

 晧月の呟きに、何故か医師ではなくルビーが答えた。彼女は、市の汗を拭いてやりながら、穏やかに表情を緩める。

 「イチ様は、晧月皇子が癒して差し上げれば、きっとすぐに良くなりますわ。だって、イチ様は……あなた様の事がとてもお好きですもの」

 ルビーの声色は、イチを心配しているようで、冷たかった。ルビーと会話する気がない晧月は、黙ったまま医師を睨み付ける。

 「彼女は、大丈夫なのだろうね?」

 「も、勿論でございます!心配ありませんとも!一晩ぐっすり眠り、鉄分の多い食事をとれば、すぐに良くなりますよ!」

晧月の眼光に怯えた医師が、早口で言葉を紡ぐ。

 「そう」

 晧月は医師から目を逸らして、横目でルビーを見やった。彼の視線に気付いているのか、いないのか。彼女は、さも安堵したかのように顔を綻ばせて、「良かった」と呟く。そして、何食わぬ顔で晧月と目を合わせると、ルビーはにこやかに口を開いた。

 「では、私はイチ様のお食事について、シェフと話して参ります」

 「そう」

 短く答えた晧月の態度を気にすることなく、ルビーは部屋を出た。その瞬間、彼女の体をドっと疲労が襲う。汗が吹き出る。彼女は体を小刻みに震わせて、自身の身体を抱き締めた。

 「大丈夫……バレてなどいない。大丈夫……私はまだ、やれる……」

 晧月の鋭く光る銀色が怖い。あの瞳は、特別な力を持ち、人の心を見透かすのだ。彼と接する時は、ひらすら心を無にしてきた。きっと大丈夫だと、ひたすら自分に言い聞かせてきた。もう後戻りなど、出来やしない。しくじるわけには、いかないのだ。全ては、エイサフのため。

 ーー再び、あの御方にお会い出来るのならば、死んだって構わない。

 ルビーは、ゆっくりと息を吐き出した。



 固く目を閉じた市の顔を、晧月はぼんやりと眺めていた。白い頬に長いまつ毛の影が差し、薄らと色付いた唇は、少しだけ開いており、あどけない。そんな市の寝顔に、晧月は頬を緩ませて、そっと囁いた。

 「あまり、心配かけないで」

 滑らかな手触りの彼女の頬は、晧月の体温よりも冷たい。彼の手にすっぽりと収まってしまう小さな顔。自分よりも儚く、小さな市に、胸の奥が締め付けられる。

 「大事にしないと……壊れてしまいそうだ」

 市の唇に、優しく口付けを落とす。まるで、羽が触れるかのような、軽い口付けは、ほんの一瞬だった。下心のない無垢なキスは、傍から見れば、一枚の絵画のように見えたのではないだろうか。

 一瞬だけ感じた市の温もりに、晧月は無意識に唇を指でなぞった。

 「続きは、君が元気になってから……。早く良くなってね、俺のイー

 市のベッドから離れると、椅子に腰掛け、長い足を組む。肘掛に肘を立て、頬杖をつくと、彼は天井を見上げた。

 「影。降りておいで」

 晧月の呼びかけに、黒い霧を纏わせながら、男が降り立つ。相変わらず全身を黒づくめにした影は、晧月の傍で跪いた。

 「で?どうだった?」

 晧月は、テーブルに置かれている菓子を手に取った。それをボリボリと食べながら、ティーポットに入っていたお茶をカップに注ぐ。冷めきったお茶は、市の為に用意されていたものだろうか。晧月はそれを一口含むと、眉を顰めた。

 「皇子。あ奴の正体は、青の一族なんかではございませぬ。あの者は、シュッタイト帝国の人間……それも、元市様付きの侍女、ラビアでございます」

 「……そうだろうと思ったよ」

 ティーポットの中身の匂いを嗅いで、晧月は唇を歪ませた。

 「眠り薬が混入されている。これを、市が毎日飲んでいたのだとしたら……」

 「体が酷く気だるくなり、思考も低下。夜眠る時にも、飲まされていたのだとすれば、その日は市様は起きないでしょうね」

 荒々しくティーポットをテーブルに戻して、晧月はため息を吐いた。

 「あの時、大人しく焼け死ねば良かったのに……油虫のように鬱陶しい女だ」

 「皇子、市様が貧血になられたのも、彼女が原因では……?」

 「うん。天使ティエンシーに何をしているのか知らないけど、現場を抑えなきゃね」

 ーーそして、殺そう。

 晧月は物騒な事を考えながら、笑みを浮かべた。

 あの侍女は、生かしておいたら、必ず市にとって害となる。今回の事でよくわかった。あの女の命を握り潰して、市の為の平穏を手に入れる。そして、結婚だ。誰にも邪魔はさせない。自分と市の、めくるめく結婚生活を脅かす者は、即刻駆除だ。

 「今夜、ケリをつける。いいね?」

 「御意」

 ーーさて、どう料理してやろうか。

 晧月の影に、溶けるように消えていった男……の姿を確認して、彼は頬杖をついて笑った。

しおりを挟む
感想 35

あなたにおすすめの小説

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

【完結】一番腹黒いのはだあれ?

やまぐちこはる
恋愛
■□■ 貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。 三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。 しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。 ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。

せっかく傾国級の美人に生まれたのですから、ホントにやらなきゃ損ですよ?

志波 連
恋愛
病弱な父親とまだ学生の弟を抱えた没落寸前のオースティン伯爵家令嬢であるルシアに縁談が来た。相手は学生時代、一方的に憧れていた上級生であるエルランド伯爵家の嫡男ルイス。 父の看病と伯爵家業務で忙しく、結婚は諦めていたルシアだったが、結婚すれば多額の資金援助を受けられるという条件に、嫁ぐ決意を固める。 多忙を理由に顔合わせにも婚約式にも出てこないルイス。不信感を抱くが、弟のためには絶対に援助が必要だと考えるルシアは、黙って全てを受け入れた。 オースティン伯爵の健康状態を考慮して半年後に結婚式をあげることになり、ルイスが住んでいるエルランド伯爵家のタウンハウスに同居するためにやってきたルシア。 それでも帰ってこない夫に泣くことも怒ることも縋ることもせず、非道な夫を庇い続けるルシアの姿に深く同情した使用人たちは遂に立ち上がる。 この作品は小説家になろう及びpixivでも掲載しています ホットランキング1位!ありがとうございます!皆様のおかげです!感謝します!

ヒロインに躱されて落ちていく途中で悪役令嬢に転生したのを思い出しました。時遅く断罪・追放されて、冒険者になろうとしたら護衛騎士に馬鹿にされ

古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
第二回ドリコムメディア大賞一次選考通過作品。 ドジな公爵令嬢キャサリンは憎き聖女を王宮の大階段から突き落とそうとして、躱されて、死のダイブをしてしまった。そして、その瞬間、前世の記憶を取り戻したのだ。 そして、黒服の神様にこの異世界小説の世界の中に悪役令嬢として転移させられたことを思い出したのだ。でも、こんな時に思いしてもどうするのよ! しかし、キャサリンは何とか、チートスキルを見つけ出して命だけはなんとか助かるのだ。しかし、それから断罪が始まってはかない抵抗をするも隣国に追放させられてしまう。 「でも、良いわ。私はこのチートスキルで隣国で冒険者として生きて行くのよ」そのキャサリンを白い目で見る護衛騎士との冒険者生活が今始まる。 冒険者がどんなものか全く知らない公爵令嬢とそれに仕方なしに付き合わされる最強騎士の恋愛物語になるはずです。でも、その騎士も訳アリで…。ハッピーエンドはお約束。毎日更新目指して頑張ります。 皆様のお陰でHOTランキング第4位になりました。有難うございます。 小説家になろう、カクヨムでも連載中です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!

エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」 華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。 縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。 そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。 よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!! 「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。 ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、 「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」 と何やら焦っていて。 ……まあ細かいことはいいでしょう。 なにせ、その腕、その太もも、その背中。 最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!! 女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。 誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート! ※他サイトに投稿したものを、改稿しています。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

処理中です...