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第四章 消えた侍女

第六十三話

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 太陽が沈んだ頃、市は目を覚ました。ぼんやりとする視界が徐々に鮮明になると、意識もはっきりとし出す。彼女は、右手を包み込む暖かな何かに気付いた。

 「……晧月様?」

 銀色の髪の毛をあちこちに跳ねさせた頭部が、こてんとベッドに伏せっている。彼の左手は、市の手をぎゅっと握りしめていた。どうやら、眠っているらしい。晧月は、ベッドに寄せた椅子に腰掛けて、市の使っていた枕の傍に頭を預けながら、スヤスヤと寝息を立てていた。

 半日休んだからか、朝よりもすっきりとした市は、唇に笑みを乗せて彼の顔を覗こうと身を寄せる。晧月の寝顔を見るのは、初めてだ。好きな人の、無防備な顔を見てみたい好奇心が、彼女の胸を踊らせた。

 そーっと、彼を起こさないように気をつけながら、顔を隠す銀髪をかき上げる。すると、彼のすだれのように長いまつ毛が、窓から漏れる月光に照らされてキラキラと輝いた。伏せられた彼のまつ毛は、扇のように弧を描いて、生え揃っている。

 ーーまるで、お人形のようじゃ……。

 彼の桜色のふっくらとした唇には、柔らかな笑みが浮かんでいた。その唇に、思わず視線が釘付けになる。自分はついこの間、この唇と口付けたのだ。あの時の感触を思い出すだけで、市の頬が赤らむ。

 「もしかして、寝込みを襲おうとしてる?」

 突然、彼の銀色の瞳がパッチリと開かれ、市は思わず仰け反った。

 「お、起きていらっしゃったのですか……!?」

 「うん。まぁ」

 晧月は大きく伸びをして、あちこちに跳ねた銀髪を撫で付ける。そして、横目で市を見て、悪戯に微笑んだ。

 「寝込みなんて襲わなくても、いつでも歓迎するのに」

 「なっ、破廉恥ですよ!晧月様!」

 真っ赤になって怒る市の姿は、晧月から見れば可愛らしい子猫にしか見えない。

 市は頬を丸く膨らませると、ハッとして眉を下げた。そういえば、自分は倒れて意識を失ったのだ。晧月は、そんな自分の傍に、ずっとついていてくれたのだろう。

 「あの、晧月様……。ご心配お掛けしました」

 申し訳なさそうな顔をした市に、晧月は急に真顔になった。その表情の変わりように、市は目を丸くする。そればかりか晧月は、市の両肩を掴んで、爆弾発言を投げ付けてきた。

 「そうそう、あのルビーっていう侍女。あいつの正体は、ラビアなんだ」

 「え!?」

 「あの姿はどうやら変装によるものらしい。何が目的かはわからないけど、天使ティエンシーの飲み物に、眠り薬を混入させてる。そして、君の体調不良の原因は……あの女にあるんだよ」

 目を見開いて固まる市を、晧月は真顔で見つめ返す。彼の影に潜むは、ハラハラとした思いで、晧月達の会話を聞いていた。こういう重要な話は、だいたい本人には黙っておくものなのでは?そんな疑問が彼の頭の中を駆け巡る。少なくとも、市はショックを受けるはずだ。市が眠り薬入りのお茶を飲んで、深い眠りについている間に、片をつけるものだとばかり思っていた。それなのに何故?

 空気を読めない主君だと思っていたが、ここまでとは……と影は一人頭を抱える。正直に話すのは美徳だが、黙っているのも優しさではないのか。まぁ、そんな細やかな配慮が、晧月に出来るとは思えないが……。

 「そうでございまするか」

 影の予想とは違い、市はサラリと納得したように頷いた。

 「るび呼びを嫌がったことや、あの瞳の色。懐かしい雰囲気……。納得出来まする」

 悲しむでもなく、ショックを受けるでもない市の様子は、晧月も少し驚いた。男二人に驚嘆されている事など知らない市は、マイペースにうんうんと頷く。

 るび呼びを嫌がったのは、市がラビアのことをと呼んでいたからだろう。は響きが似ている。きっと彼女は、少しでも前の自分を連想させることを良しとしなかったのだ。

 何だ……。そうだったのか。彼女は、ラビアだったのだ。市の中で、ストンとパズルのピースがハマった。疑問に思っていた事が、彼女の正体を知り、スッキリとした。そして、自分はまたもや裏切られているやもしれないという事実に、何の動揺もしなかった。こればかりは、慣れているからだ。市の生きた戦国の世では、裏切りなど当たり前。別に珍しくもない。

 裏切りが当然の世界だからこそ、裏切り者を決して許してはならないとは、兄である信長が口を酸っぱくして言っていた言葉だ。

 「兄がよく言っておりました。一度裏切る者は、二度三度と裏切りを繰り返すと……」

 市は、眉を吊り上げて、勝気な目元をスっと細めた。きっと、晧月はラビアを殺すだろう。今度は、庇うつもりは無い。信長だって、裏切り者の首は、即跳ねていたのだ。一度見逃そうとした市を知れば、兄は「甘すぎるぞ、市ぃ」と笑うだろう。

 ほんの少しだけ、傷んだ胸に、市は気付かないふりをした。

 「晧月様、此度のこと……私があの者に情けをかけたが故、私が片をつけまする」

 「……天使ティエンシー?」

 凛とした黒い瞳が、きらりと光る。ここのところ下がり気味であった市の眉は、しっかりと上を向き、引き結ばれた唇からは、芯の強さが窺えた。

 エイサフに攫われてからというもの、市は弱りきってしまい、以前の凛とした雰囲気はなくなってしまったように思えた。だが、今の彼女はどうだろう。以前の彼女よりも、ずっと強かな瞳を持ち、晧月を真っ直ぐに見つめている。これが、困難を乗り越えた彼女の、より強くなった姿なのだろうか。

 「君が……無理をすることなんて、ないのに」

 ポツリと呟いた晧月の言葉に、市は静かに首を振った。

 「無理など……しておりませぬ。あの者の主は私でした。らびの行いを止めるのも、主であった私の役目でございまする」

 決意を固めた市の顔に、晧月は僅かに目を見開くと、やがてポリポリと頭をかいた。

 「君って、ほんと……変わったお姫様だ」

 でも……と、彼は言葉を切って、市の頬をスルリと撫でる。

 「そういうところ、凄い好きだよ」

 甘い蜂蜜のように、彼の銀色が溶ける。その眼差しに市は、照れたように頬を染めて笑った。

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