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第四章 消えた侍女
第六十四話
しおりを挟むルビーは、いつも通り、市のお茶に眠り薬を盛った。
甘い匂いを漂わせるお茶は、就寝前に必ず市が飲んでいたものだった。湯気を出し、ゆらゆらと揺れる茶色の液体を見つめ、市はこっそりとルビーを盗み見る。彼女は、市が茶を飲むものだと思っているらしく、市のことを見張る様子もない。
美味しくて甘いお茶が、市はいつも楽しみだった。寝る前の、ほっこりとしたひと時に癒され、ルビーの話を聞きながら眠るのが好きだった。それなのに、ルビーの正体がラビアであり、市に毎晩薬を盛っていただなんて。
市の赤い唇が、歪む。枕元に置かれていた花瓶に茶を捨てて、怪しまれないよう、いつも通りに声を掛けた。
「るびー。また面白い話を聞かせてくれ」
「はい」
市の呼びかけに、ルビーはくるりと振り返った。手に持っていた物を置いて、彼女はゆっくりと市のベッドに近付いてくる。
「今晩は、どんなお話を致しましょう……?」
「何でも良い。そなたが話したい事を話せ」
市は、チラッとルビーの背後にあるクローゼットに目を向けた。薄く半開きになったクローゼットから、銀色の瞳が覗いている。市はそっと頷いてみせると、ふわぁと大きな欠伸をした。黒い瞳に生理的な涙を浮かばせて、ルビーの顔を見上げる。
「何だか眠たくなってきたぞ……」
「まぁ。では、お話は無しにして、今晩はもうお休みになられますか?」
「残念だが、そうしよう……」
パチンと電気が消され、ルビーが部屋から退出する。市はまぶたを閉じて、規則正しく呼吸を繰り返し、眠ったふりをした。
晧月の予想では、市が眠って暫くすると、必ずルビーが現われる筈だという。眠る市に対して、ルビーが何をしているのかはわからないが、市を思っての行いではなさそうだ。
しんと静まり返った部屋には、市の小さな呼吸音しか響いていない。シーツをぎゅっと握り、寝返りを打つ。まぶたは固く閉じたまま、市は初めて会った時のラビアを思い出していた。
高揚と期待、希望に満ちた瞳で、市の事を見上げた彼女。エイサフと話していると、心底嬉しそうに……羨ましそうに市を見ていた。エイサフに触れられる市に、ラビアは顔を綻ばせながらも、菫色の瞳には嫉妬の影があった。そのことに、彼女は気付いていただろうか。否、気付いてなどないだろう。彼女はエイサフの為に、自分の気持ちを殺して、市に仕えていたのだから。
ーーあの女も、可哀想に……。
エイサフは、ラビアの淡い想いになど、気付いていなかっただろう。青い王子の燃えるような恋心は、一心に市へと注がれていた。
ルビー扮するラビアは、市に何をしようとしているのだろうか。
市は、薄く目を開いた。薄暗い室内には、人の気配がない。だが、晧月が部屋のクローゼットの中に潜んでいる。彼が、いてくれる……それだけで、市は安心出来るし、心強い。
本来ならば、市は安全な場所に避難し、身代わりの人形を置いておくという作戦であった。しかし、それを否としたのが市だ。彼女は、ルビー扮するラビアに、自分で引導を渡したかった。ただ、晧月に任せっきりで、守られてばかりというのも嫌だった。それに、市がいた方が、ルビーが確実に市を害そうとした現場を抑えられる筈だ。
渋る晧月に、市は決して折れなかった。晧月としては、愛する女性が自ら危険に首を突っ込む真似など、して欲しいわけがなかったのだが……。
ヒタヒタと、何者かが廊下を歩く音が聞こえ、市は目を閉じる。不自然にならないように、穏やかに寝息をたてて、彼女は意識を部屋の外へと集中させた。
ギイと扉が開き、誰かが部屋へと入ってくる。用心深く周囲を窺っているのか、その人物は慎重にゆったりとした足取りで、市の眠るベッドへと近付いてきた。
気配が枕元のそばで止まった時、ギクリと体が硬直する。微かにまぶたが震えた。しかし、その人物は、市の小さな変化には気付かなかったらしい。
カチャリと、何かを手に取ったような音。そして、ひんやりと冷たい手が、市の腕にそっと触れた。思わず、声が出そうになったのを
唇を噛んで堪える。するすると夜着の袖が捲られ、市の腕があらわになった。
ーーこやつ、一体何を……!?
市の肘から上をきつく縛り、侵入者は、何かを手に持ち、それを市の腕へと近付けた。眠ったフリを続ける市は、顔色を青くさせ、未知の恐怖に体を強ばらせる。そんな彼女の様子に、晧月はわなわなと両手を震わせる。もういいだろう。これだけ、言い逃れできない状況を抑えれば、十分だ。晧月はそう結論付けて、クローゼットの扉を勢いよく開けた。
「そこまでだ、シュッタイトの溝鼠め!」
バチンと電気が灯され、部屋が明るくなり、市の腕を掴むルビーの姿がハッキリと現われる。市は飛び起きて、彼女から距離をとり、警戒したように目を細めた。
「イチ様、起きて……?それに、晧月皇子がどうして、ここに……?」
呆然とした様子のルビーは、状況を理解したくないとばかりに、小さく呟く。
「そんな、だって……どうして」
まさか、自分がラビアだと、バレてしまったのだろうか。それとも、毎晩市にしていたことが知られてしまった?
彼女の白い頬に、つぅと一筋の汗が滑り落ちた。
「お前の正体は、ラビアだろう?」
晧月は、突き刺すような眼差しで、ルビー……否、ラビアを睨め付けた。ラビアは、固まったまま、銀色の瞳を見返したが、やがて諦めたかのように自嘲気味の笑みを浮かべる。
「……いつから、気付いていた?」
「割と最初からかな。だってお前……頭の中でエイサフのことばかり考えていたでしょ?」
晧月の言葉に、ラビアがカッと顔を赤く染めた。それは照れなどではなく、怒りによる赤らんだ表情であった。
「やはり、私の心の中を、忌々しいその瞳で覗き込んでいたのだな……!渼帝国のケダモノめ!!」
ラビアが晧月に掴みかかろうとした時、市が彼女の横顔に平手を飛ばした。
バチンという音に、晧月が目を丸くする。ラビアの頬は、真っ赤に腫れ上がっていた。市は、そんな彼女を見下げて、赤い唇に笑みを乗せる。
「かつての主人であった私を差し置いて、喚くでない。無様な……」
「イチ様……」
腫れた頬に手を添えて、ラビアは目を見開いた。
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