36 / 52
第二章 始動
36
しおりを挟むイヴァンに、お強請りをすれば、充分過ぎるほどのお小遣いを貰うことが出来た。エカチェリーナは、ほくほく顔で帝都を歩く。彼女は、皇太子妃である身分を隠し、良い所の令嬢といった装いをしていた。もともと地味なドレスしか持っていない彼女は、紺色のドレスを身に纏っている。
しかし、彼女は妖精のように可憐で、淡い花弁のように愛らしかった。いくら地味な格好をしていても、その美しさを隠す事など出来ない。それがわかっていたイヴァンは、こっそりと騎士に後を追わせた。美しい彼女に、野蛮な事をする輩が現れたら、斬ってよしと言い付けてある。帰って来たら、一から十までの報告もさせるつもりだ。イヴァンの執着は、ボンドのようにしつこかった。
街ゆく人が、エカチェリーナを見て頬を染め、その隣を歩くイエティムの姿にギョッと目を見張るのだが、イエティムは自信満々に胸を張って歩いていた。
張り切って、フリフリの赤いワンピースを着ているものだから、目立つ目立つ。護衛を命じられた騎士からすれば、目印になって丁度良かった。あれなら、見失うことも無い。
「わぁ、エカチェリーナ様!帝都って、本当に何でもあるんですね!色んなお店が沢山!」
「ふふ。わたくしも、あまり来た事がなかったから、新鮮だわ。今日は、楽しみましょう」
頬を染めて、キョロキョロと周りを見渡すイエティムは、子供のようで可愛い。ちょこっと個性的な顔も、愛嬌がある。エカチェリーナは、にっこりと微笑んだ。
「行ってみたいお店があるの。えっとね……」
エカチェリーナが足を止めたところで、甘い匂いが鼻先を掠める。それは、彼女が大好きな蜂蜜レモンの香りと似ていた。それなのに、その香りは食欲ではなく、何故か胸の奥がキュンとなる甘さを含んでおり、戸惑ってしまう。近くに、食べ物屋さんがある訳でもないのに……。
「なに……この香り」
「香り?何か匂います?」
イエティムが、くんくんと鼻をひくつかせた。どうやら、彼女にはわからないらしい。
「甘い蜂蜜レモンの香りがするの。なんだか……匂いがどんどん強くなってるみたい。近付いてきてるような……?」
エカチェリーナが、ぼうっと目を細めると同時に、彼女の体にドンと何かがぶつかった。その瞬間、ぶわりと匂いが強くなる。
「あ、ごめん。ぶつかっちゃったァ」
低い声。
そのベルベットボイスが、鼓膜の奥を震わせて、ぞくりと背筋に何かが走るような感覚。
ーーなに、これ。
固い感触。これは、胸板?
エカチェリーナは、ぶつかった相手の胸元に頬を寄せる形になっていた。思わずバッと離れると、その相手が背の高い男だった事に気付く。
首が痛くなりそうなほど、男の頭は高い位置にあった。腰の位置も、エカチェリーナよりも随分と上にあり、足もスラリと長い。
ベルジェ人程白くはないが、綺麗なクリーム色の肌。外国の人だろうか。紺色のマントを被っている為髪色はわからないが、随分と整った顔をしている。
甘いマスクのイヴァンとはまた違う、神々の最高傑作のような美しい顔。全てのパーツが、バランス良く小さな顔に収まっている。尖った顎。シャープな頬のライン。男らしく上がった眉。スっと通った鼻筋。薄い唇。キュッとつり上がった瞳には、暗い空に浮かぶ満月のような黄金が鈍く輝いていた。それを囲うけぶるような睫毛が茶色ということは、この人の髪色は茶色なのだろうか。
すんと鼻で息を吸い込めば、再び蜂蜜レモンのような香りがぶわりと広がる。
ーーこの香りは、この人から……?
「あは、やっと会えた」
「え……」
男の唇が笑みを描きながら、薄らと開かれる。淡い色味の柔らかそうな唇から覗く歯は、エカチェリーナのそれよりも鋭利に見えた。
男がエカチェリーナに触れる寸前に、バサバサっと翼をはばたかせて、黒い鳥が彼の腕に止まる。男は、元々上がり気味である眉をグニャリと下げて、唇を曲げた。
「何?あー、ハイハイ。わかってるって。うるせーな……チッ」
エカチェリーナとイエティムは、顔を見合せた。この男、鳥と喋っている?いや、まさか。
「俺、小言嫌いなんだよねー。もう、黙れよ」
男がそう宣うと、鳥はギャアと鳴いて、翼を広げた。それを鬱陶しそうに見やって、男はエカチェリーナをじっと見下ろす。
「ぶつかって、ごめん。怪我とか、してない?」
「あ、はい。大丈夫です」
鳥とお喋りなんて、やべー男だ。エカチェリーナは、笑みを浮かべながらも、この場を去ろうと足を進めた。右手にはイエティムの腕をがっしりと、掴んでいる。
「そ。良かったァ。で、どこ行くの?」
男は、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべてついてきた。エカチェリーナは、ギョッとする。
「何かご用ですか?」
「別にぃ?」
「用がないなら、ついて来ないでください」
「ナニソレ。用があるならオッケーてこと?なら、用あるってことで」
「はぁ?」
丸い満月のような瞳を弓形に細めて、男はエカチェリーナの隣に並んだ。やはり、この男……背が高い。175cmのイヴァンよりも、ずっと。見たところ、190cmはありそうだ。
「エカチェリーナ様、ごめんなさい……きっとこの方、私に気があるんだと思います」
「はー?何お前、ゴリラの獣人?」
イエティムの、トンチンカンな発言に男は眉を寄せた。イエティムはコインのような目玉を半目にして、男に流し目を送る。
「コアラの獣人だなんて……私ってそんなに愛らしい?」
「何こいつ。耳イカレてんの?」
「エカチェリーナ様!私の美貌に吸い寄せられてきたこの方を、許して上げて下さい。連れて行けば、美しい私達の虫除けに使えるのでは……?」
イエティムは、チラッチラッと男を見上げつつ、とんでもない事を言い出した。男はそんなイエティムに舌を出しながらも、イエティムの言葉に乗っかり出す。
「そうそう。ゴリラの獣人はともかく、そっちのアンタは美人だし。俺、虫除けになってあげてもいーよ」
男は、笑うと美しい顔立ちが柔らかくなり、つり上がった目尻が少し下がるらしい。にっこりと笑う彼は、なかなかに可愛らしかった。だが、不審者であることに変わりはない。街でぶつかった、鳥と喋る変な男。それも、自分達についてくるだなんて……怪しいと思うのも、仕方がない。
エカチェリーナは、そろりと男を見上げた。アメジストの瞳と、男の満月が交わる。
「女の買い物は長いの。貴方に耐えられますか?」
「もちろん。俺の国って、レディファーストだから」
男は、嬉しそうに唇の端に笑みを乗せた。
「何者なんだ、あの男は……」
彼女達の様子を見守っていた騎士は、不審な男を訝しげに見つめていた。主人であるイヴァンからは、何人たりともエカチェリーナに近付けてはならないと命じられている。
ーーエカチェリーナ様を守らねば……。
彼が一歩前へ出た瞬間ーー鳥が真っ黒な翼をはばたかせて、彼の視界を遮った。
「な、何だこの鳥……!?」
バサバサバサッ
鳥の羽が邪魔をして、前が見えない。彼は手を振り回して、鳥を追い払うと、鳥はギャアと一声鳴いて、飛び立っていった。
黒い羽根が、辺りに散らばっている。
「やれやれ……やっと、いなくなったか」
乱れた前髪を払い除けて、彼は視線を戻した。そこにはもう、エカチェリーナ達の姿はなかった。慌てて辺りを見渡すも、イエティムの目立つ赤いワンピースは、どこにも見当たらない。
「うそだろ、イヴァン様に叱られる……」
彼の顔が真っ青に染まった。
1
あなたにおすすめの小説
私が消えたその後で(完結)
毛蟹
恋愛
シビルは、代々聖女を輩出しているヘンウッド家の娘だ。
シビルは生まれながらに不吉な外見をしていたために、幼少期は辺境で生活することになる。
皇太子との婚約のために家族から呼び戻されることになる。
シビルの王都での生活は地獄そのものだった。
なぜなら、ヘンウッド家の血縁そのものの外見をした異母妹のルシンダが、家族としてそこに溶け込んでいたから。
家族はルシンダ可愛さに、シビルを身代わりにしたのだ。
勝手にしろと言ったのに、流刑地で愛人と子供たちと幸せスローライフを送ることに、なにか問題が?
赤羽夕夜
恋愛
アエノール・リンダークネッシュは新婚一日目にして、夫のエリオット・リンダークネッシュにより、リンダークネッシュ家の領地であり、滞在人の流刑地である孤島に送られることになる。
その理由が、平民の愛人であるエディットと真実の愛に満ちた生活を送る為。アエノールは二人の体裁を守る為に嫁に迎えられた駒に過ぎなかった。
――それから10年後。アエノールのことも忘れ、愛人との幸せな日々を過ごしていたエリオットの元に、アエノールによる離婚状と慰謝料の請求の紙が送られてくる。
王室と裁判所が正式に受理したことを示す紋章。事態を把握するために、アエノールが暮らしている流刑地に向かうと。
絶海孤島だった流刑地は、ひとつの島として栄えていた。10年以上前は、たしかになにもない島だったはずなのに、いつの間にか一つの町を形成していて領主屋敷と呼ばれる建物も建てられていた。
エリオットが尋ねると、その庭園部分では、十年前、追い出したはずのアエノールと、愛する人と一緒になる為に婚約者を晒し者にして国王の怒りを買って流刑地に送られた悪役王子――エドが幼い子を抱いて幸せに笑い合う姿が――。
※気が向いたら物語の補填となるような短めなお話を追加していこうかなと思うので、気長にお待ちいただければ幸いです。
酒の席での戯言ですのよ。
ぽんぽこ狸
恋愛
成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。
何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。
そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。
2度目の結婚は貴方と
朧霧
恋愛
前世では冷たい夫と結婚してしまい子供を幸せにしたい一心で結婚生活を耐えていた私。気がついたときには異世界で「リオナ」という女性に生まれ変わっていた。6歳で記憶が蘇り悲惨な結婚生活を思い出すと今世では結婚願望すらなくなってしまうが騎士団長のレオナードに出会うことで運命が変わっていく。過去のトラウマを乗り越えて無事にリオナは前世から数えて2度目の結婚をすることになるのか?
魔法、魔術、妖精など全くありません。基本的に日常感溢れるほのぼの系作品になります。
重複投稿作品です。(小説家になろう)
酷いことをしたのはあなたの方です
風見ゆうみ
恋愛
※「謝られたって、私は高みの見物しかしませんよ?」の続編です。
あれから約1年後、私、エアリス・ノラベルはエドワード・カイジス公爵の婚約者となり、結婚も控え、幸せな生活を送っていた。
ある日、親友のビアラから、ロンバートが出所したこと、オルザベート達が軟禁していた家から引っ越す事になったという話を聞く。
聞いた時には深く考えていなかった私だったけれど、オルザベートが私を諦めていないことを思い知らされる事になる。
※細かい設定が気になられる方は前作をお読みいただいた方が良いかと思われます。
※恋愛ものですので甘い展開もありますが、サスペンス色も多いのでご注意下さい。ざまぁも必要以上に過激ではありません。
※史実とは関係ない、独特の世界観であり、設定はゆるゆるで、ご都合主義です。魔法が存在する世界です。
愛を語れない関係【完結】
迷い人
恋愛
婚約者の魔導師ウィル・グランビルは愛すべき義妹メアリーのために、私ソフィラの全てを奪おうとした。 家族が私のために作ってくれた魔道具まで……。
そして、時が戻った。
だから、もう、何も渡すものか……そう決意した。
悪役令嬢は死んで生き返ってついでに中身も入れ替えました
蒼黒せい
恋愛
侯爵令嬢ミリアはその性格の悪さと家の権威散らし、散財から学園内では大層嫌われていた。しかし、突如不治の病にかかった彼女は5年という長い年月苦しみ続け、そして治療の甲斐もなく亡くなってしまう。しかし、直後に彼女は息を吹き返す。病を克服して。
だが、その中身は全くの別人であった。かつて『日本人』として生きていた女性は、異世界という新たな世界で二度目の生を謳歌する… ※同名アカウントでなろう・カクヨムにも投稿しています
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】
星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる