皇太子妃は、王冠を投げ捨てた

猫パンダ

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第二章 始動

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 イヴァンに、お強請りをすれば、充分過ぎるほどのお小遣いを貰うことが出来た。エカチェリーナは、ほくほく顔で帝都を歩く。彼女は、皇太子妃である身分を隠し、良い所の令嬢といった装いをしていた。もともと地味なドレスしか持っていない彼女は、紺色のドレスを身に纏っている。

 しかし、彼女は妖精のように可憐で、淡い花弁のように愛らしかった。いくら地味な格好をしていても、その美しさを隠す事など出来ない。それがわかっていたイヴァンは、こっそりと騎士に後を追わせた。美しい彼女に、野蛮な事をする輩が現れたら、斬ってよしと言い付けてある。帰って来たら、一から十までの報告もさせるつもりだ。イヴァンの執着は、ボンドのようにしつこかった。

 街ゆく人が、エカチェリーナを見て頬を染め、その隣を歩くイエティムの姿にギョッと目を見張るのだが、イエティムは自信満々に胸を張って歩いていた。

 張り切って、フリフリの赤いワンピースを着ているものだから、目立つ目立つ。護衛を命じられた騎士からすれば、目印になって丁度良かった。あれなら、見失うことも無い。

 「わぁ、エカチェリーナ様!帝都って、本当に何でもあるんですね!色んなお店が沢山!」

 「ふふ。わたくしも、あまり来た事がなかったから、新鮮だわ。今日は、楽しみましょう」

 頬を染めて、キョロキョロと周りを見渡すイエティムは、子供のようで可愛い。ちょこっと個性的な顔も、愛嬌がある。エカチェリーナは、にっこりと微笑んだ。

 「行ってみたいお店があるの。えっとね……」

 エカチェリーナが足を止めたところで、甘い匂いが鼻先を掠める。それは、彼女が大好きな蜂蜜レモンの香りと似ていた。それなのに、その香りは食欲ではなく、何故か胸の奥がキュンとなる甘さを含んでおり、戸惑ってしまう。近くに、食べ物屋さんがある訳でもないのに……。

 「なに……この香り」
 
 「香り?何か匂います?」

 イエティムが、くんくんと鼻をひくつかせた。どうやら、彼女にはわからないらしい。

 「甘い蜂蜜レモンの香りがするの。なんだか……匂いがどんどん強くなってるみたい。近付いてきてるような……?」

 エカチェリーナが、ぼうっと目を細めると同時に、彼女の体にドンと何かがぶつかった。その瞬間、ぶわりと匂いが強くなる。

 「あ、ごめん。ぶつかっちゃったァ」

 低い声。

 そのベルベットボイスが、鼓膜の奥を震わせて、ぞくりと背筋に何かが走るような感覚。

 ーーなに、これ。

 固い感触。これは、胸板?

 エカチェリーナは、ぶつかった相手の胸元に頬を寄せる形になっていた。思わずバッと離れると、その相手が背の高い男だった事に気付く。

 首が痛くなりそうなほど、男の頭は高い位置にあった。腰の位置も、エカチェリーナよりも随分と上にあり、足もスラリと長い。

 ベルジェ人程白くはないが、綺麗なクリーム色の肌。外国の人だろうか。紺色のマントを被っている為髪色はわからないが、随分と整った顔をしている。

 甘いマスクのイヴァンとはまた違う、神々の最高傑作のような美しい顔。全てのパーツが、バランス良く小さな顔に収まっている。尖った顎。シャープな頬のライン。男らしく上がった眉。スっと通った鼻筋。薄い唇。キュッとつり上がった瞳には、暗い空に浮かぶ満月のような黄金が鈍く輝いていた。それを囲うけぶるような睫毛が茶色ということは、この人の髪色は茶色なのだろうか。

 すんと鼻で息を吸い込めば、再び蜂蜜レモンのような香りがぶわりと広がる。

 ーーこの香りは、この人から……?

 「あは、やっと会えた」

 「え……」

 男の唇が笑みを描きながら、薄らと開かれる。淡い色味の柔らかそうな唇から覗く歯は、エカチェリーナのそれよりも鋭利に見えた。

 男がエカチェリーナに触れる寸前に、バサバサっと翼をはばたかせて、黒い鳥が彼の腕に止まる。男は、元々上がり気味である眉をグニャリと下げて、唇を曲げた。

 「何?あー、ハイハイ。わかってるって。うるせーな……チッ」

 エカチェリーナとイエティムは、顔を見合せた。この男、鳥と喋っている?いや、まさか。

 「俺、小言嫌いなんだよねー。もう、黙れよ」

 男がそう宣うと、鳥はギャアと鳴いて、翼を広げた。それを鬱陶しそうに見やって、男はエカチェリーナをじっと見下ろす。

 「ぶつかって、ごめん。怪我とか、してない?」

 「あ、はい。大丈夫です」

 鳥とお喋りなんて、やべー男だ。エカチェリーナは、笑みを浮かべながらも、この場を去ろうと足を進めた。右手にはイエティムの腕をがっしりと、掴んでいる。

 「そ。良かったァ。で、どこ行くの?」

 男は、にこにこと人懐っこい笑みを浮かべてついてきた。エカチェリーナは、ギョッとする。

 「何かご用ですか?」

 「別にぃ?」

 「用がないなら、ついて来ないでください」

 「ナニソレ。用があるならオッケーてこと?なら、用あるってことで」

 「はぁ?」

 丸い満月のような瞳を弓形に細めて、男はエカチェリーナの隣に並んだ。やはり、この男……背が高い。175cmのイヴァンよりも、ずっと。見たところ、190cmはありそうだ。

 「エカチェリーナ様、ごめんなさい……きっとこの方、私に気があるんだと思います」

 「はー?何お前、ゴリラの獣人?」

 イエティムの、トンチンカンな発言に男は眉を寄せた。イエティムはコインのような目玉を半目にして、男に流し目を送る。

 「コアラの獣人だなんて……私ってそんなに愛らしい?」

 「何こいつ。耳イカレてんの?」
 
 「エカチェリーナ様!私の美貌に吸い寄せられてきたこの方を、許して上げて下さい。連れて行けば、美しい私達の虫除けに使えるのでは……?」

 イエティムは、チラッチラッと男を見上げつつ、とんでもない事を言い出した。男はそんなイエティムに舌を出しながらも、イエティムの言葉に乗っかり出す。

 「そうそう。ゴリラの獣人はともかく、そっちのアンタは美人だし。俺、虫除けになってあげてもいーよ」

 男は、笑うと美しい顔立ちが柔らかくなり、つり上がった目尻が少し下がるらしい。にっこりと笑う彼は、なかなかに可愛らしかった。だが、不審者であることに変わりはない。街でぶつかった、鳥と喋る変な男。それも、自分達についてくるだなんて……怪しいと思うのも、仕方がない。

 エカチェリーナは、そろりと男を見上げた。アメジストの瞳と、男の満月が交わる。

 「女の買い物は長いの。貴方に耐えられますか?」

 「もちろん。俺の国って、レディファーストだから」

 男は、嬉しそうに唇の端に笑みを乗せた。




 「何者なんだ、あの男は……」

 彼女達の様子を見守っていた騎士は、不審な男を訝しげに見つめていた。主人であるイヴァンからは、何人たりともエカチェリーナに近付けてはならないと命じられている。

 ーーエカチェリーナ様を守らねば……。

 彼が一歩前へ出た瞬間ーー鳥が真っ黒な翼をはばたかせて、彼の視界を遮った。

 「な、何だこの鳥……!?」

 バサバサバサッ

 鳥の羽が邪魔をして、前が見えない。彼は手を振り回して、鳥を追い払うと、鳥はギャアと一声鳴いて、飛び立っていった。

 黒い羽根が、辺りに散らばっている。

 「やれやれ……やっと、いなくなったか」

 乱れた前髪を払い除けて、彼は視線を戻した。そこにはもう、エカチェリーナ達の姿はなかった。慌てて辺りを見渡すも、イエティムの目立つ赤いワンピースは、どこにも見当たらない。

 「うそだろ、イヴァン様に叱られる……」

 彼の顔が真っ青に染まった。

 
 


 

 
 
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