皇太子妃は、王冠を投げ捨てた

猫パンダ

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第二章 始動

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 男という生き物は、女の長い買い物が嫌いである。

 エカチェリーナの父親も、いつも母や妹の買い物に文句を言っていた。だから、この男もきっと、すぐに飽きてどこかへ行ってしまうだろう。そう思っていたのに、目の前の男は楽しそうにドレスを物色している。エカチェリーナは、溜め息を呑み込んだ。

 ーーこのまま、この男と一緒にいても大丈夫かしら?

 信用出来るのか。ただのナンパならまだしも、何か目的があって自分達に近づいて来たのだとしたら……?

 「このドレスも、似合いそう。あ、これも。あれもー」

 男はエカチェリーナにドレスを当てて、店員にポイポイと渡していく。勝手に決めないで欲しい。眉を寄せるものの、男のセンスはなかなか良かった。男が選んだドレスや小物は、どれもエカチェリーナ好みである。まぁ、いいか。イヴァンから貰ったお小遣いは、たんまりとあるのだから。

 「あ、支払いは俺が……」

 ギャア!

 男が何か言いかけたところで、男の肩に止まっていた鳥が大きく鳴いて、彼を鋭い嘴でつついた。

 「いって!お前……何すんだよ!」

 ギャア!

 「はァーー?チッ。わかってるよ。うっぜ!!」

 何やら、また鳥と喋りだした男を尻目に、エカチェリーナはお会計を済ませた。買ったものは、全て城へ送って貰うように手配する。イエティムに、綺麗な髪留めをプレゼントすると、彼女は両手を上げて喜んだ。可愛い。

 店を出ると、男は長い足を駆使して追いかけて来た。鳥とじゃれている間に、トンズラしようと思ったのだが、そう上手くいかないようだ。この人、まだついてくるつもりだろうか。

 「貴方、一体どこまでくっ付いて来るつもり?」

 「いいじゃん。だって、俺ヒマだもーん」

 もんって……。今まで、エカチェリーナの周りにいなかったタイプである。そのため、どうあしらったらいいのかわからない。

 「ちょっと貴方!エカチェリーナ様を困らせないで!」

 イエティムが、ずいっと男の前に出た。腰に手を当てて、ぷりぷりと怒っている。だがその怒りも、彼の綺麗な顔を前にしたら、たちまち萎んでしまったらしい。男の綺麗な満月の瞳を見つめて、イエティムは両頬に手を当てた。

 「もう……。そんなに、私の事が気になっちゃうの?しょうがないわねぇ……」

 「何言ってんの?」

 「数多の男を魅了してしまう、この美貌が恐ろしい……。ねぇ……私の事、小悪魔って呼んでもいいよ」

 コインのような目玉を半目にして、流し目を送るイエティム。ソーセージのような唇が、アピールするかのように、やたらツヤツヤと輝いている。

 「何このイカレゴリラ」
 
 「イカしたコアラ?やだぁ……!そんな事言われたの、初めてぇ!」

 「褒めてねーよ。乏してんだよ」

 頬を染めて、くねくねするイエティムに、男は珍獣でも見るかのような眼差しを向けた。まるで漫才でも見ている気分だ。エカチェリーナは、城ではあまり味わう事の無い緩い空気に、クスリと笑みを零した。すると、男が瞳を真ん丸にするものだから、本当に満月が二つ並んでいるみたいに見えてしまう。

 「……何か?」
 
 こちらを凝視する男に、首を傾げる。男は、ハッとしたように視線を逸らした。

 「別に……笑った顔、初めて見たと思って。かわいーね」

 裏のないストレートな男の言葉に、エカチェリーナは思わず口をつぐむ。この男といると、調子が狂う。

 「何が目的なんです……」

 じとりと自分を見上げるエカチェリーナに、男はニンマリと笑う。

 「別にィ?」

 男の肩に止まっている鳥が、ギャアと鳴いた。黒々とした翼を行儀良く折り畳み、つぶらな瞳でエカチェリーナを見つめている。よく見たら、目の周りに黄色い模様がある。嘴は、それよりも濃いオレンジ色で、大変可愛らしいのだが、目付きが嫌に鋭い。主人の傍にいる人間を、観察しているのだろうが……動物らしからぬ、値踏みするかのような眼差しに、違和感を感じた。

 「その鳥は、貴方のペット?」

 「ペット……ぶはっ!お前ペットだってよ!」

 男がアハハと声を上げて笑い、鳥が怒ったように翼を広げる。黒い羽が、数枚宙を舞った。先程から、男は鳥に対して、人間を相手にしているかのような態度をとる。余程のペット愛好家なのか、変人なのか……。鳥の方も、こちらの言葉を理解しているかのようで、日々の男の話しかけが功を成しているらしい。

 「こいつはねー……俺の大事なペットの、九官鳥。名前は、ヘンリー」

 ギャア!

 ペットと紹介されたヘンリーが、嘴で男の頭をつつく。ペット呼ばわりは心外だと言いたいらしい。

 「いってェ……!テメェ、マジでふざけんなよ。フライドチキンにすんぞ」

 男は、ヘンリーの首を鷲掴みにした。ヘンリーが抗議するかのように、ギャアギャアと鳴くが、男は素知らぬ顔だ。

 「可哀想だから、離してあげて」

 エカチェリーナは、ヘンリーを絞める男の腕を、やんわりと掴んだ。暴れるあまり、黒い羽がぶわりと散っている。そのうち禿げてしまいそうだ。

 男は、自分の腕に触れるエカチェリーナを見下ろすと、大人しくヘンリーを解放した。男の薄い唇が、三日月の形につり上がる。

 「へェ。優しいんだね」

 「貴方のペット……いえ、お友達なんでしょう?大事にしないと」

 羽が抜け落ちて涙目のヘンリーの頭を、よしよしと撫でると、男の表情がスゥと抜け落ちた。先程まで笑っていた顔が、いきなり能面のような顔になるものだから、エカチェリーナは思わず驚いてしまう。

 「な、何……?」

 「そいつ、オスなんだけど。鼻の下伸ばしてるから、手ぇ離して」

 男の大きな手が、エカチェリーナの小さな手に重なる。イヴァン以外の男の肌の感触に、エカチェリーナはパッと手を離した。

 イヴァンよりも、大きい手。長い指。温かい体温。どうしてか、ソワソワとした気持ちになり、エカチェリーナの目元が、恥じらうように赤らむ。男から漂う蜂蜜レモンの香りを思い出し、気恥しさを誤魔化すように唇を開いた。

 「ずっと気になっていたのだけれど、貴方、どこのメーカーの香水をつけているんですか?わたくしの、好きな香りだわ」

 「香水なんてつけてねーけど……」

 男は首を傾げて、やがて合点がいったのか、「あ、そういうこと」と嬉しそうに声を弾ませた。

 「どんな匂いがする?」

 「蜂蜜レモンの匂いです。もしかして、お洋服にこぼしちゃった?」

 「あは、まさかァ。そんなんじゃないよ。蜂蜜レモン好きなんでしょ?てことは、やっぱりアレじゃね?俺のってこと」

 「え……?」

 男の整った顔が、ぐっと近付いた。妖しげに煌めく満月のような瞳に、思わず魅入ってしまう。

 「ちなみに俺は、君からとてつもなく甘い匂いを感じるよ。凄く美味しそうな香りで……堪んないね」

 薄い唇から、ちらりと赤い舌と鋭利な歯が覗く。男の瞳は、捕食者のそれだった。
 
 
 
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