奇文修復師の弟子

赤星 治

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二章 作品世界で奔走と迷走と

2 未来都市の絵画(後編)・天才への重圧と苦悩

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 二人は前方に警戒するが、音は次第に大きくなり、やがて通路や建物の中からと、いろんな所から音が響いた。

(この音。奇文の状態……。まさか……)
 デビッドが予想すると気分が悪くなりだした。
 途端、遠くで見える光景が的中を示し、二人は後方に振り返って駆けた。
 走ってさらに気付く。
 前方、建物、通路。ありとあらゆる場所に男女の群衆が現れて走り、迫って来た。

「――し、師匠! なんなんですか、あれ!!」
「見て分かるだろ! 人だ!!」

 分かりきった返答に、モルドは当然の如く、「見たら分かります!」 と返した。
 よく見ると、群衆は衣服や体格で男女の違いは判明できるが、全てにおいて顔には黒い陰りが漂い、顔事態の識別が出来ない。

「さてモルド君、問題だ!」
(こんな時に!?)と思いつつ、デビッドの質問を聞いた。
「この状況、一体何を表しているか。思いつく限り答えたまえ!」妙に楽しそうである。

 くだらない口答えは出来ない。
 なぜなら、謎を解明するには、正確な問題を見つけて答えを導きだすのが鉄則。それは、あらゆる職種におけるものでもあり、壁にぶち当たっとき、これが出来ると出来ないとでは、自身の真価に大きな影響を及ぼすものでもあるからである。

 顔の見えない群衆。二人を追いかけているようにも見えるが、空中通路の群衆は階段を伝って此方へ向かってきていない。
 これだけではなにも導き出せないが、ある一つの仮説だけが浮かんだ。

「師匠! 少し別行動を取らせてください」
「いいだろう! 若者は存分に動き、成果を上げるのだぁぁ!」
 良いようにも聞こえるが、人任せにしている様にも聞こえる。普段の生活ぶりを見ても、後者が濃厚だ。
 モルドはわざと群衆の多い通路へと向かい、紛れた。
 暫く一緒に走ると、傍に逸れて足を止めた。

(やっぱりだ。こいつらは僕たちを狙ってる訳じゃない)

 息を切らせての休憩中、群衆がモルドに触れ、引っ張っては離し、引っ張っては離しを続け、次第に身体が無理矢理人ごみの中へ引きこまれた。
 ”走り続けろ”と、無言で訴えているようである。

 一方、デビッドは通路の階段を上り続け、最上の通路から走り続ける人ごみの様子を伺った。
 すると、走る人ごみは、ある建物からは現れず、近づきもしない事を発見した。
 デビッドはモルドの姿を捉えると、大声で叫び、その建物へ向かうように指示した。



 外の喧騒と打って変わり、誰もいない閑散とした大広間の艶やかな床に倒れ、二人は激しく息を切らせた。
 デビッドは運動不足が祟り、モルドは彼以上に走った息切れである。
 何階建てか分からない程に建物の吹き抜けは高く感じるが、壁沿いに通路と思しきものは存在するのに階段が何処にも無い。
 まるで四角い巨大な煙突の中にいるようである。

「――はぁ、はぁ……ああ~、さてモルド君、何か解決の糸口は判明したかな?」
「はぁ……はぁ、なんとなく」
 若さゆえか、呼吸の整いも早い。
「仮説ですが、『止まらない群衆』は、『流れ』を表していると思います。止まった僕さえも引っ張って流れに引き込むから間違いないかと。顔の見えない群衆は、『作者が意図するものを見いだせていない』そんな気がしました。街並みは絵の表現と思いますが、原因は、階段のすべてを群衆が通らない所にある。そう思えました」
「ほうほう、中々の推論だ。だが詰めが甘い。それじゃあ、もう一度走り回っても解決に至らないだろう」
「じゃあ、師匠は原因が何か?」
「八割程だがな。残りの二割は、あちらの彼に訊いてみようではないか」

 デビッドと同じ方を向くと、虹色の光の揺らめきが漂う、黄金の柱を眺める男性がいた。

「え!? ……さっきまではあんなもの無かったのに」
「君の仮説では足らずの部分が満たされていなかった。しかし俺の仮説があの柱を出現させたのだよ」
「ですが師匠、師匠はまだ何も話してませんよ」
「覚えておくといい。こういった世界では」自分の頭を指でトントンと叩いた。「思考も発言の一つに加えられる」
「じゃあ、いつ?」
「君の推理後、俺の脳内で修正と補足を立てた。するとあれが出現したのだ」
 先にデビッドが立ちあがり、次いでモルドが立ちあがった。
「では、修復の締めくくりに向かおうではないか」

 二人は黄金の柱へ向かった。
 


 二人が絵画に入って一時間が経とうとしていた。
 シャイナは応接室でアンディに紅茶と茶菓子を振る舞い、話し相手をしていた。
 話の内容は他愛も無いが様々で、日常の事、街の事、最近の流行り等々。
 女同士が話し出すと時間の経過は早いものである。

「では、御父様を気晴らしに何処か……そうですねぇ、【ミシェッドの街】へ泊まり込みで行ってみてはどうでしょうか」

 シャイナが提案した街は、木彫りの小物細工や貴金属の装飾品など、主に手作業で職人が丹精込めて作り上げる工芸品が有名である。
 街の随所に石の彫刻を施した壁や柱などが組み込まれている。
 風景も魅力的で、立ち位置や見方を変えれば様々な風景や模様が拝める仕組みの造形物もあるとされる職人の街。

「いいですね。ちょっと心労が祟ってるから、気晴らしに訪れるのもいいかもしれません」
 アンディは紅茶を一口啜ると、――パアァン! と、風船が割れるよりも低めの音が聞こえた。
「帰ってきましたね」

 シャイナがアンディを作業部屋へ案内した。
 応接室には疲れてソファに腰掛けるモルドと、煙管を吸って煙を吐くデビッドの姿があった。

「あの……」
 アンディはなんと訊いていいか分からないでいた。
「ああ、無事に修復は完了したよ」

 アンディとシャイナが絵画を覗き見た。

「まあ、斬新な街の造りなのに勿体ない」シャイナの率直な感想である。
 複数の空中通路、縦長の建造物が描かれた未来都市の絵画が、三か所も切り裂かれていた。
「すごい、本当にあのシミが消えてる!?」
 アンディは、切り裂かれた傷よりも奇文が消えている事に驚いた。

「今回は苦労したよ」煙管を吸い、ゆっくり煙を吐いた。「まず、作者が誰か分からない事が原因だった」
「え? 作者は父と言いましたが……」
「いや、君の父親ではなかったよ。そうと分かる現象が起きたからね」

 説明は省かれた。
 絵画に現れる人の姿が曖昧という事は、作者がその作品に最初から最後まで打ち込めていない事が証拠である。顔が陰る群衆は、それを示唆していた。
「この絵は、君の父親が完成させた。ではなく、本当は半分かそれ以上か、他人の絵を引き継いで父上が描いたのではないかな?」
 アンディは驚いた。別に隠していたのではなく、話しそびれただけの情報が見抜かれたことを。
「この絵に金の柱を眺める君の父親を見たよ」
「父を御存じで!?」
「いんや。顔が君にそっくりというだけだ」

 確かに、アンディは父親似である。

「話したという訳ではなく眺めていた彼を見ただけだ。あちらの世界はさておき、俺が言いたいのは、君の父親が他者の続きで絵画を描き、失望か挫折か……。何かしらの要因で絵画を切り裂いた。その思念が原因でこのような事態が起きた。物理的な切り傷さえも無くした変化に、父親は恐怖したのではないかな?」

 デビッドの推理に当てはまる所が多々あり、もしかすればそれが正解なのだと思い、アンディは驚いた。

 彼女の知っている事は、父親が何を思ってか、自身が心血を注いで熱心に描いた絵画をナイフで切り裂き、二日は絵を描こうとしなかった。
 ふさぎ込んでいた父が再び絵画の置いている部屋へ向かうと、切り裂いた絵画が奇文に塗れ、傷が消えていた事に驚いたのである。

 残念なことにデビッドもモルドも、物理的な傷を修復する技能を持っておらず、絵画の修正を行ってもらえる修復師の場所をアンディに教えた。


 後日、経緯が判明した。
 アンディの父親は、亡き親友の意志を次いで描きかけの絵画を引き受けた。
 しかし、『未来都市』をテーマにした絵画に見合ったものが描けず、彼女の父親は匙を投げてしまった次第である。
 本当の天才を前に、彼女の父親は己の無力さを痛感し、絶望させた。
 あの絵画の中で金の柱を見上げる父親の姿は、その思念の現れ。
 亡き天才に憧れと自分が足元に及ばない絶望を痛感した姿であった。

 さらに後日談だが、アンディはシャイナの助言に及び旅行に出かけ、父親は再びあの未来都市の絵画と向き合える事となった。
 


「けど、よくわかりましたよね師匠。あんな人ごみ、誰だってそこまで気づきはしないですよ」
「それが君の若さだよ。ああいった体力勝負の奇文は、全体を見渡せる場所に立てば容易にいろんな事が発見できる」

 あの時、高所から群衆の波が通らない場所と、群衆の行動範囲、絵画全体の形。
 空中通路すべてを上から眺めると、群衆の動きもなどから切り裂き傷のような跡が見える。
 そこでデビッドは絵画の裂き傷が影響していると判断した。
 奇文は発生するだけでは作品に物理的な切り傷をつけない。つまり、傷のついた作品に奇文が塗れたと分かる。

「あらゆる状況下においても、広い視野で物事を見定めるのはとても重要なことだ。覚えておくといい」

 デビッドは煙管を吸って、ゆっくり煙を吐いた。 
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