奇文修復師の弟子

赤星 治

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二章 作品世界で奔走と迷走と

3 夜に響く笛の音(前編)・心地よい笛の音

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 日が昇り、まだ肌寒くある明朝。

「あ、ありがとうモルド君。薪割り早いですね」

 シャイナは薪割りするモルドに感謝の気持ちを告げた。
 ケビンの下にいた時から、明朝の日課の一つとしてモルドの身に染みている。他にも掃除、洗濯、水汲みなど、やる事は色々ある。
 モルドが薪割りをしている間にシャイナが朝食の準備をしており、薪割りが終わる頃には朝食の準備は出来ていた。

「僕、師匠を起こして来ますね」
「よろしくお願いします」

 朝食が整ったテーブル。
 柔らかい陽光が差し仕込む部屋。
 聖女のように見えるシャイナ。一瞬、モルドは見惚れてしまったが、「どうしました?」と訊かれ、我に返った。
 暫くして寝間着姿のデビッドが眠気と気怠さを露わに、のそのそと現れた。

「おはようございますデビッド様」
「ああ、おはよう」
 三人がそれぞれの席に座ると、「いただきます」と言って朝食が始まった。
 デビッドは珈琲を飲みながら新聞を読んでいる。
「あ、そういやぁ……楽器の奇文修復は今日だったか? シャイナ」言いつつ新聞を一枚めくった。
「はい。今日の昼過ぎに依頼人のアルバート様が参られます」
「師匠、楽器の奇文修復って、絵画や小説とかと何か感じが違うんですか?」
「ん? 大まかには同じだぞ。……けどまあ、楽器関係は作った奴か、使用している奴の想いが強いから、運が良ければいい曲聴けたりするかな」

 まだ眠気が残ってるのか、返答の声も小さい。
 朝の弱いデビッドとは別に、モルドは楽器の奇文修復はどんなものか妄想を膨らましていた。
 今まで入って来た数少ない作品の事を妄想材料として思い出すと、ついつい口元に笑みが零れる。その様子を、珈琲を飲みながら新聞を読むデビッドに気づかれてるとも知らず。


 午前十一時。

「予約していた者だが」
 茶色い鞄片手に入口に立つ男性が来訪し、シャイナが対応した。
「アルバート様ですね。お待ちしておりました」

 本日は程よく強めの風が吹き、シャイナの髪を靡かせた。
 空気の匂いも秋を連想させる植物の香りを含み、木々は僅かばかり枯れ葉が目立つ色合いに染まっている。
 情景、空気、風。
 あらゆる条件が、対応するシャイナをより美しく魅せ、アルバートは暫しその美しさに見惚れてしまった。

「……アルバート様?」
 訊かれて我に返ると、妻の事を思い出して正気に戻った。
「あ、ああすまん。お嬢さんが美しいもんでついつい見惚れてしまった」
「あはは。御冗談がお上手で。有難うございます。どうぞ中へ入ってください」

 招かれて玄関へ入ると、今度はモルドが対応を代わった。
 交代の際、シャイナは紅茶の準備をするとモルドに伝えて外れた。

「デビッド=ホークスの弟子のモルドと言います」
 頭を下げて挨拶すると、玄関先であるにも関わらず本題へ入った。
「本日は楽器の奇文修復にと――」
 専門用語を使われても全く分からないアルバートは、鞄を空けて楽器を取り出そうとしたが、煙管片手に現れたデビッドが口を挟んだ。
「アルバート殿、弟子が失礼を」
 何事か気付いていないモルドは、耳元で応接室へ案内していない無礼を指摘された。

 失礼極まりない、玄関での依頼人の対応。
 モルドは恥ずかしさから顔を赤くしてアルバートに謝罪し、応接室へ案内した。
 アルバートがソファに座ると、シャイナが紅茶を運んできて机の上へ置いた。

「では改めまして。デビッド=ホークスといいます。後ろにいるのは弟子のモルドです」

 応接室での対応時、弟子は後ろに立って聞く事が仕来りとなっている。
 アルバートも挨拶を済ませると、用件の説明と、鞄から奇文に塗れた横笛が入った袋を取り出された。

 事の経緯をアルバートは語った。

 十日前、テラス席で友人とワインを嗜みながら会話に花咲かせていた頃。
 突然横笛の演奏が聞こえ、アルバートは友人と聴き入っていた。心地よい夜風と相まって、二人は和やかな時を過ごしたという。
 あまりに笛の演奏が良く、さらに近くで吹いてる印象であったので、奏者を探しに外へ出た。すると、外へ出てからは家の中から聴こえた。
 奏者不明な演奏は奇妙な事に、アルバートと友人以外は聴こえないと後から分かる。
 翌日、アルバートは横笛の練習をしようと笛を箱から出すと、黒い文字が綴られていた。

 清掃用の布で擦っても取れない文字。
 友人と聴いた日から夜中に響き渡る笛の音。
 笛の音は聴き心地が良く、すぐに眠れる。

 奇妙な現象である事に変わりなく、知り合いの伝手でデビッド=ホークスを紹介してもらい、予約した次第である。

 横笛の奇文は、既に笛の大半を文字で埋め尽くしていた。

「他に奇妙な事や身体に異変は?」
「いえ私は特に……ただ友人は、我が家からかなり離れた場所に住んでいるにも関わらず、笛の音が聴こえるそうで。今は怖くなって誰か家にいないといけないと、怯えきってます」
 デビッドはじっと笛を見つつ、紅茶を一口飲むと、徐に立ちあがった。
「一度見てみます。出来れば本日中に解決したいのですが、なにぶん情報が足りませんので。出来る限りの事はしてみます」
「これは、何かの祟りでしょうか?」
 アルバートも既に怯えている。
「それは無いと断言できます。しかし、このままというのもアルバート殿やご友人の身体に何かしらの影響を及ぼしかねませんので」

 デビッドは笛を預かり、モルドと一緒に修復部屋へと向かった。
 アルバートが絨毯の外でシャイナと並んで傍観している中、デビッドは環具で笛を叩き、モルドと共に笛の世界へと向かった。

 眼前の摩訶不思議な現象に驚いたアルバートは、興奮が冷めないままシャイナに応接室へ案内された。
 新しい紅茶と茶菓子を提供したシャイナは、そのまま質問攻めの餌食となった。


 光が消え、作品世界の光景が明らかとなった。

 モルドは夜空に星が散りばめられ、心地よい夜風吹く草原に立っていた。
 風は柔らかで心地よく、気温はそれ程冷たくない。
 現実世界では秋初めであるから肌寒いと覚悟していたが、そうではない。

「横笛の世界というから、どこぞの楽器店か舞台と思いきや、このように清廉とした場所とは」
 デビッドはいの一番に環具を煙管に変えて吸った。
「でも不思議です。風の温度は、もっと冷えてると思ったんですけど」
「それは【墨壺すみつぼ】の影響だ」

 墨壺は巨大絵画の一件で、モルドの正気を取り戻す際に使用された小瓶である。それを朝食後、デビッドに渡され、今もポケットに入れている。
 建前上、デビッドから弟子の証と言われている。しかし本来の目的は、奇文修復完了後、奇文を集める為の道具である。
 墨壺を持って奇文修復をすると、勝手に奇文が小瓶に入る仕組みである。
 小瓶に溜まった奇文は定期的に管理官へ提出し、一度中身を空にする必要がある。その期間は一年から二年であり、この間隔は奇文の質や量が大いに関係してくる。

「俺の環具と同様」煙管をクイッと動かした。「奇文修復用の道具は、作品世界でこういった防護作用が働く。それよりも……」
 デビッドは周囲を見回したが、ただただ広い草原である以外、特に目ぼしいものは見当たらない。
「横笛に奇文が点在してたから、何かを探す。ですよね」
 モルドもあちこち歩いて地面を探してみた。

 デビッドはその場に腰掛け、夜空を眺め、心地よい気分で煙草を吸っては吐き、吸っては吐いた。
 真剣に何かを探していたモルドは、デビッドのその様子に気づき、急いで駆け寄った。

「はぁはぁはぁ……。師匠、なに寛いでるんですか!」
 デビッドは煙管を揺らしながら答えた。
「モルド君見てみなさい。これ程雄大な星空に心地よい風に草原だよ。日々の疲れを癒すための休息の場だと思わんかね? いや、思うべきだよ」
 本気で言ってるのか疑問を抱いた。
「何言ってるんですか! 寛ぐ、のはよくやってるじゃないですか! こんな場所ですけど、今仕事中……」
 説教染みた事を言っているが、ある事に気づいた。
「――まさか師匠! もう解決方法の目星がついたと」
 デビッドは再び一服吸ってから答えた。
「可能性の一つだが……試そうにも、どうしようかと思ってね」
「何ですか? それ程難しいと?」

 デビッドは煙管を器用に指を使って回し、一枚の葉っぱに変えた。広葉樹の葉の形をしている。
 環具の葉を口に当て、息を吹いた。
「ピィィィィィーー……」音は小さいがよく響く草笛の音。

 静寂の中、響いた草笛の音は、微かに鳴った余韻だけを残し、再び静寂へと戻った。

「ご覧の通り、俺は使える笛系統はこれぐらいしか分からん」 
「って事は……つまり?」
 モルドは意図する事がまだ分かっていない。
「アルバート氏の話では、外から笛の音がしたと言っていただろ?」
「はい。外からだと家の中から、とも」
「そして作品世界に入ると、ご覧の通り素敵な夜の草原だ。しかも月も出ていないのに満月の光に照らされた程に周囲の光景ははっきりと分かる。幻想性を際立たせた世界だ。奇妙な現象と現状を照らし合わせても、笛の音を響かせれば何かしらの変化が起きると思ったのだが」

 デビッドは草笛以外の笛が吹けない。
 言わんとする事が分かると、モルドも隣に腰掛けた。

「モルド君は何か笛とかやってたかい?」
「いえ……全く……」
 手も足も出ない中、二人はこの静かで壮大な世界を呆然と眺めた。

「…………一度戻ろう」

 二人は現実世界へ戻った。
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