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六章 あの子をお願いします
1 それぞれの再会
しおりを挟むギドが三人に正体を現した時、街に蔓延っていた奇文は、次第に増殖し始めていた。
「おやおや、そうそう焦るものでもないぞ」
街の外に黒い人の形をした奇文の集合体が、呟きつつ奇文の書かれた外壁に触れた。
奇文の集合体が触れた部分から、赤紫色の光を発する奇文が発生して広がった。
「……ほう? ……ああ、そういう展開か……。”彼”を取り込ませんよ」
集合体は自身の発した奇文を更に増強させて広がらせた。
赤紫色の光を発する奇文が役所まで勢力を広げると、集合体は壁から手を離し、役所まで向かった。
◇◇◇◇◇
デビッド達に正体を打ち明けたギドがシャイナの傍まで歩み寄ると、そのまま命令を下した。
「力を分ける。家族を取り戻すんだ」言ってシャイナの肩に手を乗せた。
シャイナは身体を小刻みに震わせ、身体の奥底から沸き上がる力を感じていた。
「シャイナさんをどうする気だ! それに、ハーネックはどうした!」モルドが叫んだ。
「どうもこうもない。未成熟な生贄を完全なものにしようとしているだけだ」
それを聞いて、デビッドは合点がいった。
「お前、やはり初めから裏で手を引いていたな」
ギドが不敵に笑み、ダイクはその言葉に反応した。
「先生、初めから知ってたんですか!?」
「確証は無い。今の今まで曖昧な仮説だけだ。ただ、全ての儀式に奴がいて、ハーネックが全うに儀式を成立させていなかった事実からの疑念のみでしかなかった」
「お前達の推理大会に興じる気はない。娘と共に生贄となれ」
シャイナを中心に風が吹きつけ、三人は立つのがやっとだった。
「あなたの目的は何だ! 師匠もハーネックも関係してないなら、どうしてこんな事を!」
モルドは立つのに必死でも、それが気になっていた。
「大した事ではない。俺は奇文を快く思っていない。この世から消すことを望んでいる。それだけだ」
反論はデビッドがした。
「娘を人柱としてもお前の願いは叶わんぞ! 奇文は世界中に蔓延している!」
「だろうな。俺の成そうとすることなど些細な小事だろう。だがこの行動が、世に存在する奇文そのものの在り方に影響を及ぼし、瓦解した構造はやがて奇文を滅ぼすだろう」
「机上の空論もいい所だ。ハーネックといいお前といい、突拍子もない事をなぜ行う!」
「俺はハーネックが人から奇文集合体へ変貌した時、驚愕と共に悟った。奇文は”人間を犠牲にすれば人知を超える禁忌すら行える”と。それからは奇文消滅を意識して行動したよ」
「行き着いた先が人柱の横取りか」
「苦労はしたさ。だが、あのような壊れた師も俺に最高の希望を与えてくれた。人生をかけて成しえるだけの価値はある大義だ」
力を満たしたシャイナは呆然とした表情で両手を三人へ向けた。
「仲よく飲まれろ」
(――彼を取り込ませんよ)突然、ギドの頭の中に声が響いた。
それは、あまりにも理解出来ない事態だった。いきなりモルドの足元から暴風が真上へ吹き荒び、暫くして奇文が赤紫色の光を発する奇文が風に混ざって上った。
「――?! なんだ!」
把握と理解より先に、モルドは遙か後方へ飛ばされた。
事態に驚くデビッドとダイクを他所に、シャイナは両手に黒い奇文を集合させた塊を増幅させ終えていた。
「早く……来て」陶酔したような笑みを浮かべ、奇文を放出した。
咄嗟にダイクは、懐にある自分用の墨壺の蓋を開けて前方に翳した。すると、翳した手を通り越してシャイナの放った奇文が後ろへ流れた。
「――ダイク!!」
「これは俺の失態です! 必ずあの人を救ってください!!」
ダイクは自分の環具をデビッドのポケットの中へ入れて、腹部に手を当てた。
「――やめろっ!!」
何かを呟き終えたダイクの手から淡い光が発生し、瞬く間に光がデビッドを包んで消えた。
間もなく目的を果たしたダイクはシャイナの奇文に飲まれた。
「やれやれ、力の増幅に時間が掛かるのは難点だな。管理官長一人だけとは」
奇文を放出したシャイナは力尽きて地面に倒れた。
傍らにはダイクが倒れている。
二人は粘膜のような奇文の塊がベットリと全身に張り付いていた。
「…………シャ……………さん………」
消えゆく意識の中、霞む視界に捉えたシャイナの手を、ダイクは力を振り絞って握った。間もなくダイクは気を失った。
「見事な執念だ。若くして管理官長に昇り詰めるだけはあるな」
ギドは地面に手を当て、奇文に塗れた世界を更に黒く、奇文で染めた。
◇◇◇◇◇
モルドとダイクがエメリアの世界へ向かうのを見送ったマージとヘンリーは、その突然の変化に驚いた。
エメリアの身体が瞬く間に奇文に包まれ、しばらくしてから奇文の塊が地面を這って駆ける様に管理官長室へと向かったのだ。
台座にはエメリアの身体が無くなっている。
何事か分からないが、二人は急いでその奇文の後を追った。
管理官長室へ到着すると、部屋の中央で奇文の塊は人一人を飲みこめそうなほどの大きな球体へ姿を変えると、やがて小刻みに震え、そして弾けた。
「――え、モルド君?!」
マージは、球体から現れて倒れた、気を失ったモルドの傍へ寄った。
マージがモルドを看て、ヘンリーは離れた所で様子を伺った。これは、警戒する行動であり、けしてヘンリーは恐れているのではない。こういった事は管理官試験においても試される当然の行動である。
マージがモルドの頬を軽く叩くと、表情に変化があった。
「――モルド君、しっかり。何があったの?」
何度か頬を叩かれ、身体を揺さぶられ、ようやくモルドは目を覚ました。
「……あ、れ? ……マージさん? ……え? ここって」
どうやらモルドは奇文に侵されてはいない。そう判断すると、マージは左手を上げてヘンリーに無事の合図を送った。
「モルド君、管理官長は?」歩み寄って来たヘンリーが訊いた。
モルドが思い出すも、驚きの連続で何が何やら状況が把握できない。ただ、シャイナはハーネックに捕まったのではないことははっきりしていた。
「……ダイクさんは……分かりません。僕は突然、変な奇文に纏わりつかれて飛ばされて。……ただ、シャイナさんを攫ったのがハーネックではありませんでした」
管理官二人は、すぐに誰かと訊いた。
「ギドって人です。師匠の兄弟子の……」
「そして私の弟子だよ」
入口から聞こえる声に反応し、三人は向いた。
そこに立っていた人物に、一同驚愕した。だが、それぞれ漏らした言葉がさらに混乱を招いた。
「リック……」モルドが言った。
「姉さん?!」マージが言った。
「アルバート!」ヘンリーが言った。
三人はそれぞれの顔を見合った。
「え? どういう事?」マージが先に口にした。
この事態をモルドは経験済みであり、その人物が誰かを心の中で呟いた。
(……ハーネック)
入口に立っていた人物は、笑顔のまま入室した。
「さすがは若いと一度経験すればすぐ気づく。顔を見て分かるよ私が誰か分かっているのだろ?」
「ふざけるな。どうして三人で見え方が違う」
「私は知性ある奇文だ。人に憑かなければこの通り。密度の濃い奇文が蔓延した場所では、見た者が一番親しい人物に見えてしまう。奇文が反応して見せてるとも言えるがね。以前、君がリックと言った時、何も気づいてないから面白かったがね」
ならどうして前回、デビッドはすぐにハーネックと気づいたのか。それをモルドは訊いた。
「デビッドとは人間時に師弟関係だ。ギド同様、何故か私を人間時の姿で認識させてしまうのだよ。それより酷いじゃないか、君を助けた私の力を”変な奇文に纏わりつかれた”などと」
気分は悪いが、どうやらハーネックにモルドは助けられたという事だ。
「うるさい。それより、その姿をどうにか出来ないのか」
「そうよ。姉さんが貴方になってるみたいで嫌よ」
「私も同意見だ」
三者とも、意見は同じ。
「やれやれ、此方もけして嫌がらせをしている訳ではないのだがね。どうにか出来るかは分からないが、手はある」
モルドが手段を訊いた。
「君に渡した紫の墨壺を返してくれたまえ」
どういう意図かは分からないがモルドは墨壺を取り出し、少しの間、返して良いか迷ったが、意を決して投げ渡した。
ハーネックは墨壺を受け取ると、光に翳して中身を確認した。
「これくらいなら大丈夫かな?」
言ってから蓋を開け、中身を自分の口の中へ入れて飲み込んだ。量にして、スプーン一杯ほどの黒い水滴であった。
間もなく、ハーネックを中心に風が巻き起こり、すぐに止むと三人共知らない男性の姿に変わった。
「この墨壺は元々私が使用していたものでね。私の質に色濃く染まっていたのだよ。この姿では御初かな? 改めまして、私がハーネックだ」
礼儀正しく一礼の所作を披露するハーネックから、先ほどには感じなかった威圧のようなモノを三人は感じた。
◇◇◇◇◇
デビッドは一人、時計塔の絵画の前に姿を現した。
とても静かで、作業部屋の時計の針が時を刻む音が、妙にはっきりと聞こえる。
シャイナがいない。
モルドがいない。
ダイクを置き去りにした。
罪悪感強めの心情に反し、長閑で薄暗く穏やかな昼下がりの静寂。微々たるものだがデビッドには不快であった。
壁に凭れて座り、窓の向こうの景色を見ると、自らの無力さを痛感し、手の打ちようがない事態を考えるのを苦しくさせた。
(………デビッド)
ふと、とても遠くから、微かな音で呼ばれている気がした。
デビッドは気堕落に立ちあがり、声がしたと思われる場所を探した。すると、何故か身体は作業部屋へ無意識に入っていった。
机の上に置いている本は、時計塔の絵画に入る前に床に落ちたのを自分が乗せた物である。
奇文に塗れた本を手に取ると、外から小鳥の鳴き声が聞こえた。
窓の方を向くと窓が開いており、レースのカーテンが揺らめいている。
泥棒が入ったのなら、窓際の台の置き物が邪魔で入れないし、出て行くときに隠蔽工作で整えたとは考えづらい。
その行為が困難なほど、窓の外は小さな崖状になっているので入りづらく、出にくい。
窓の冊子に乗っかって整理など、手が届かず困難だ。
窓は開けてなかった筈だが、その心地よい風が、些細で無意味な推理すら払拭させた。
(窓開けましょうよ。今日は風が気持ちいいんだから)
昔、妻のエメリアが仕事に疲れてソファで寝ているデビッドに向かってかけた言葉を思い出した。
窓から奇文塗れの小説を見たデビッドは、そのタイトルにまた思い出が甦った。
小説のタイトル『湖の畔の魔女』
エメリアに薦められて呼んだことがあった。
魔女と銘うつから幻想小説と思われるが、魔法関係の力は無く、ある不思議な雰囲気を醸し出す女性を主人公の少年が魔女と言った小説である。
群像劇が多いその小説を見ると、不思議とその作品世界へ行きたい衝動にかられた。
デビッドは奇文塗れの頁を開き、作業机の上に置いた。
環具を取り出すと、また柔らかな風が窓から吹き込み、中に入ることを促されている錯覚を覚えた。
デビッドは不思議と心地よい気分のまま、小説を環具で叩いた。
作品世界は、どこかの家の一室。
壁も床も白を基調とした色に塗られているが、すべて木の板で造られた部屋だ。
デビッドの前方の壁には、レースのカーテンをかけた開かれた窓があり、心地よい風がカーテンを揺らめかせている。
窓の向こうの風景は浜辺の光景。天気は晴れ。
窓の前にはテーブルと二脚の椅子が向かい合わせに備えられている。
「……エメ……リア」
椅子の一つに腰掛けていた、上下白い服装の、シャイナに似た、肩まで届かない髪の透き通るような青い目の女。エメリア=ホークスは立ち上がってデビッドに笑みを零した。
「久しぶりね、デビッド」
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