憑く鬼と天邪鬼

赤星 治

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一幕 天邪鬼を憑かせた男

一 永最、旅立つ

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 その少年、名を庄之助しょうのすけと言う。
 その名も、幼い頃よりお世話になっている寺の住職により、元服を迎えた事で【永最えいさい】の名を授かった。

 十四年前、当時八歳の永最は両親に捨てられた。それは、萬場屋のガキ大将に虐められてから数日後の事であった。

 惨事の後、永最は二日眠り続け、目覚めてからも三日はまともに動けずにいた。その間、萬場屋一家の積み重ねて来た悪行の証拠が将軍様に掴まれ、牢屋に放り込まれた。
 密売、賄賂、偽情報を吹聴したことによる情報操作などにより、商売敵の店を潰していった事が、御触書おふれがきに記された。
 さらに数日後、萬場屋一家と彼らに加担した一部の者は、斬首刑に処され、河川敷にさらし首となる。

 この一連の出来事を、当時の永最は知る由も無かった。なぜなら、彼は動けるようになってすぐ、両親と共に町を出たからであった。

 幼いながら永最は思った。”作物の出来が悪く、生活に影響を及ぼしたから”だと。
 そういった話題はよく聞いており、今度は自分達がそうなったのだと割り切った。

 両親と共に町を出て小一時間、町外れの鬱蒼と茂る森に、雑草に隠れてしまいそうな程に細い道を通り抜けた先、小高い山の周囲をススキに覆われた、不自然であり、穏やかな気持ちにさせる場所へ辿り着いた。
 昼間でも涼しい空気、暑すぎない陽光、和やかな感情がやけに際立つ。

 山の麓の道路から、全体的に黒ずんでおり、天辺の端っこなどが腐敗して崩れている鳥居を境とし、頂上まで流れる石段が一直線に設けられていた。

 その石段の最下段に永最は捨てられた。
 両親はすぐに戻ると嘘を吐き、握り飯を包んだ竹皮の包みと、水の入った竹水筒を置き、その場を去った。

 当時、残された永最は両親が戻ってくると信じ、無邪気にススキ畑を探索して走り回った。
 気の済むまで走り回った頃、人の形をした見たことも無い小奇麗な異国の衣装を纏う、赤銅色の髪が印象的な妖怪と遭遇した。

「さっさと寺に行け。親は来ねぇぞ!」
 妖怪風情に言われる筋合いはない。という思いを、幼いながらも永最は嫌悪な表情を剥き出しに抱いた。
「あっちいけ! 妖怪ぃぃぃ!!」
 ありったけの大声でその妖怪にぶつけ、ススキ畑へと逃げ込み隠れた。


 夕方、異国衣装の妖怪がいない事を確認して階段に戻った永最は、再び両親を待ち続けた。
 両親が戻らない不安と恐怖に苛まれ、とうとう永最は泣き叫んだ。その泣き声は、秋に鳴く虫たちの鳴き声と混ざり、ススキ畑に無情に響くだけであった。

 そんな折、提灯片手に石段を下りて来た住職に永最は拾われた。

 両親が戻ってくる事を信じ、翌日以降も石段で待ち続けていた永最は、寺の手伝いをしつつ、両親を気に掛ける日々を過ごした。
 やがて数日後、自分は捨てられたのだと悟った。

 幼い永最は、”寺の者達の機嫌を損ねると捨てられる”と思い、必死に日々の雑務を熟した。

 やがて修行僧となる。


 月日が経ち、ある初夏の朝、二十二歳になった永最は旅立つ日を迎えた。
 世話になった寺の、八十八段ある階段の一番下から階段の一番上を見上げ、捨てられた日の事を思う出すと、自分にしか見えない存在、”妖怪”に対する嫌悪が増幅された。

 故郷の町では、特別な力が備わった者を嫌う偏見意識が強い。普通でない異常な存在。そういった者を嫌悪した目で見る。

 萬場屋の子供に虐められたのも、妖怪が原因で目を付けられた。
 両親が自分を捨てたのも、この体質が原因で周囲の目が気になって両親が自分を捨てたのだと悟る。
 妖怪のせいで散々な目に遭ってばかりである。

 もう、十年以上も妖怪を嫌い、恨みに似た感情を抱いている。

 旅の目的は『妖怪を滅する術を身に着ける』である。しかし、旅のついでとばかりに、住職であり育ての親でもある【蓬清ほうせい】の遣いも無理やり組み込まれた。


「寺よりはるか東北へ向かうと【三賀嶺みつがね】の国がある。まずはそこを目指せ」

 旅に出る前、蓬清に告げられた命令である。『命令』という程仰々しくもない。親が子を心配しての気遣いである。その証拠が、続く蓬清の言葉にあった。

「どうせ決まった目的地も無いのだろ? 三賀嶺の最初に行く町の役所にこいつを届けてくれ。そこにいる【山本幾蔵やまもといそくら】と言う者にこれを渡してもらえればそれでいい。長い道すがら、名前を忘れても包を開ければ宛名は書いてある」

 どんなに”自分が決めた場所へ向かい、どのような惨事でも請け負う所存です”などと訴えた所で、上手い具合に言い包められるのは昔からの事。さらに、【妖魔祓い】という言葉を加えて説得されると何とも言い返せない。

 妖魔祓いとは、【妖魔】と呼ばれる一般人の目には見えない特殊な生物を祓う術である。
 ある宅配業で寺に立ち寄った男性との出会いが、妖魔祓いを知る切っ掛けであった。

 宅配業とは、旅人が役所に、到着と出立日、次の目的地、そして到達予定日を報告し、その時に運んでもらう荷物、ふみ等を届け先の人物名と一緒に記載し、旅人に目的地となる町の役所に運んでもらう請負仕事である。
 尚、旅人は行き着いた町の役所で報酬を受け取る

 その男性は蓬清の友人であり、永最は妖魔祓いの情報と書物の存在を知る。
 永最は蓬清が預かっていた書物をこっそりと読み漁り、更には重要な呪文を紙に記し、束ねて薄い書物にした。 


「お前の目論見はお見通しだ妖魔祓いの書物を読み漁っていた事もな」呆れ顔で蓬清は告げた。「他人には見えないモノが見えるのであろう?」
 気まずいながらも沈黙で返事する。
「安心せい。とうの昔から知っとった。階段で拾ったあの日から、実の子のように育てたお前に偏見を向けてあしらうつもりも、他人に口外して差別するつもりもない」
「……ですが……不気味では?」

 永最の不安を察しつつ、蓬清は訊いた。

「今もここにいるのか?」

 永最は周囲を見回し、住職の後ろの棚の盆栽の鉢に腰掛にして座っている、小さなトゲトゲした黒い毛玉のダルマが二体、こちらを見て話をしているのを見つけた。

「はい。蓬清様の盆栽に腰かけてます」
 蓬清は盆栽を一瞥し、視線を机へと落としている永最へと向き直った。

「お前はその眼で苦労したであろうが、仕事柄、そう言ったモノが見える者にも相談される。故に別段、奇妙と思ったことは無い。『他人事だから嘘だ』と罵り返したくなるだろうが、まあ、儂もな、お前の見ている世界を見てみたいとも思うておるよ」
「蓬清様!」

 それはあまりに軽率な発言であった。と、永最の権幕を見た蓬清は、茶を一口啜った湯呑みを机の上に置いた。

「すまんすまん。しかし儂の遣いも無駄ではないぞ。儂がお前さんの見えてる世界を知らんように、お前さんも多国の世界を一人で旅をするという事を知らん。いいか、知らぬという事ほど恐ろしいものはない。お前の様な眼を持つ者が見る世界を知らぬが故に傷つけ、怨恨を心に宿させる。さらには心中に燻らせた憎悪なども、他者は露ほども知らぬで済ませる。それはあらゆる惨事を招きかねない。旅も同じ事。未知の世界を何も知らぬまま足を踏み入れれば、必ず”人間”に関する壁に当たる。その問題の対処に、知らぬ存ぜぬでは、周りの見る目も変わり、評価も下がる。それは”人助けを生業とする”を目指すなら尚更、知らぬままでは後悔する羽目にもなる。独り善がりは危ういぞ」
「お言葉を返しますが、その”知らぬ”を知るために旅立つのです。それに、蓬清様の遣いの本題から逸れております」

「……うむ」
 頭を掻いて考えるも、いい言葉が浮かばない。
「……まあ、そう思うだろうな」
 これ以上は何を言っても意味がないと悟った。
「まあよい。騙されたと思って遣いを頼まれてくれ。達成した後に何もないなら『無駄足を踏ませてすまぬ』となるが。まあ頼む」

 何とも切れの悪い遣いのついでである。旅の始まりなんてものはこんなものだ、と、永最は割り切った。


 旅立ちの朝は、朝日が東の山から姿を現さないが空は明るみを滲ませ、周囲の風景の輪郭が伺え始めた頃である。

 森の細い道を通り抜け、田園風景が視界に飛び込むと、ようやく昇った日の光が輝かしく、小動物達の動きが溜め池の水面に揺らめきを起こす。
 その光景に永最は歩みを止め見惚れたが、暫くして畦道の下り坂を進み本道へ向かった。

 本道沿いに進むと、昼過ぎには三体の地蔵が並ぶ場所へと辿り着いた。
 地蔵の傍には横に長い歪な楕円形の岩が二石並んでおり、永最はその一つに腰かけ握り飯二つと漬物七切れを昼食に、休憩した。

 ここに来るまで蛙や蝶ほどの大きさの妖怪はちらほら視界に飛び込んだが、永最はそれを無視し、ひたすら本道を進んだ。
 休憩中も、指程の大きさの細長い紐のようなモノが優雅に漂ったが、まるで見えていないとばかりに、眼球を微塵も動かさなかった。

 昼食が済むと、再び本道を歩き始めた。一刻ほど歩くと、ようやく始めの町へ到着した。

 よく兄弟子達と一緒に遣いへ赴いたことのある町だけあって、特に新鮮ではないが、今は一人きり。
 不安が残る心境を抱きつつも、到着した足で町の宿へと向かった。
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