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一幕 天邪鬼を憑かせた男
二 相部屋の青年
しおりを挟む永最は宿に着くと、慣れた足取りで受け付けは向かった。
「あれ、いつもの人ではないのですか?」
受付の初老の女性に訊く。
気に掛けた人物は、夕方前のこの時間帯、まだ受付を行っている筈であった。
「何だい、久しぶりに顔見せに来たと思えば。あんさん、年上女性が好みだったか?」
「そうではありません」間髪入れず本心の返答。
永最がその女性を気に掛けるのは、時折眼が黄色く光るからであった。
眼光は一瞬であり、何度か宿に寄った時、女性から四度ほどその光景を目の当たりにした。
気に掛ける理由は、要するに妙な仲間意識からの心配であった。
「辞められたのですか?」
「いんや。三、四日前に急に冷えた時、体調崩してねぇ。今日は朝だけここにいたんだが、早めに帰ってもらったよ。明日なら会えるよ」
上体を番台から伸ばし、にんまりと笑った顔が、永最がその女性に気があるという誤解が解けていないと伺える。
「そんなんじゃないですよ。それに、私は明日の朝にはここを出ます」
「何だい。急ぎの用事でもあるのかい?」
「それ程急いでないのですが。早く出た方が、次の町まで昼過ぎには着きます」
「そうかい」初老の女性は前かがみに姿勢を戻した。「……で、食事付きなら一部屋、寝るだけの相部屋なら三部屋空いてるよ」
この場合、相部屋のほうが格段安く済む。
「持ち合わせもありませんので、相部屋でお願いします」
「何だい、久しぶりに会っても金を落とさないのは、住職譲りか兄弟子に似たのかい? まあいいや、あんさんの寺には世話になってるから、好で誰と相部屋が良いか選ばせてあげるよ」
一人は優しい顔立ちの色白肌の青年。
一人は眼つきの鋭い侍。
三人目は身だしなみもだらしない口の悪い女性。相部屋になると永最が襲われる危険があると忠告付きである。
「娼婦…遊女ですか?」
「そこまで分かんないよ。まあ、運が良ければ抱けるんじゃないか?」
当然、誰彼構わず関係を持つ気はなく、女性の部屋は却下された。あと、気まずいのも苦手で、侍も却下。
「はい、相部屋証。無くすんじゃないよ」
手の平ほどの大きさの木の板を懐に入れ、宿を出た。
相部屋のあるのは、宿から少し離れた長屋。
元々三列ある長屋には町民が暮らしていたが、町を仕切る役人が代替わりしたため税収を納めない者達を追い出し、宿の相部屋専用の長屋となった。
相部屋証の番号の書かれた部屋に着くと、失礼しますと言って戸を開いた。
中は十畳部屋で、布団を並べて敷くと二人分が限界の狭い部屋であった。
「……どうも」
入口に背を向け、座って何か作業をしている男性が、振り返って小声で挨拶した。
「初めまして。私は永最といいます」
部屋にいた男性は急いで作業を中断し、道具一式を布袋へ入れ始めた。
「すいません。仕事の邪魔を……」
「あ、いえいえ」
男性は半畳ほどの白い紙を折りたたみ、終えると周辺に飛んだ木屑を拾った。
「他愛のない趣味です。暇でしたので、相部屋という事を忘れてました」
永最は草履を脱ぎ、框に上がると、掃除を終えた男性は永最の邪魔にならないように荷物を整理した。
「失礼ながら、変わったお名前ですね。お寺の方か何かですか?」
振り返る男性の顔を見た永最は驚いて言葉が詰まった。
「……私の顔に何か」男性は頬であると気付いた。「……あ、この傷ですか? 昔、木の枝か何かに思い切り引っかけた傷なんですよ」
男性の右こめかみから頬にかけて太い傷跡は刻まれていた。それは、木の枝でつけるなら中々太く鋭利な物。
そんな不自然な枝よりも、もっと例えやすい物があるなら、熊の爪跡が妥当だが、爪痕なら三から四本線の筈。
しかし傷は一本。刀傷と言うことも考えられ、苦い記憶を隠すための言い訳とも思えるが、傷を見た永最は、脳裏に浮かんだ過去の虐めの情景に気をとられていた。
「……あのう」
「……――へ?」男性の呼びかけに、ようやく正気に戻った。
「そんなに珍しかったですか?」
「あ、いえ。申し訳ない。寺からあまり出てない為、そのような傷の御方を拝見する機会が滅多になく。お気を悪くされたのなら……」
「いえいえ。お気になさらず。それよりも、やはりお寺の方でしたか。修行の旅か何かですか?」
傷が相手に抱かせる殺伐感に反し、男性の受け答えは軽快で馴染みやすい。
「あ、ああ~。まあ、そのようなものです。とりあえず、用事もありまして三賀嶺まで向かうところです」
「かなり遠くまで行くんですね……」
男性な無邪気な表情の変化が、一時でも甦った記憶への意識を完全に消した。
「ええ。その後も別の場所へ向かいますので、かなり長い旅になります。……ええ、と」
手振りで名前を望んだ。
「ああ、遅くなりました。波沢幸之助と言います」
「……幸之助殿は何かの旅でしょうか」
「ええっと、少し話すとややこしいので。……とりあえず訳ありの旅という事でよろしいでしょうか」
「え…っと。もし、宜しくない方々が関係してるのでしたら、微力ながらではありますが相談に乗ります」
ヤクザ者か、そういった暴力的な輩関係者が幸之助を脅しているのかと思った。
「いえ。そう言った類の方々とは生まれてこの方縁は無くて。そうでは無く」言いづらそうである。「あ~、とりあえず秘密という事で」
初対面の男性にこれ以上話したくない事を訊くのも無礼と感じ、それ以上は訊かないことにした。
突然、幸之助は何かに気付いたように立ち上がり、部屋を出ようとした。
「あ、なにかお気に障る事を?」
「いえいえ、元々この町に用事がありまして、そろそろ頃合いですので一度部屋を空けます。荷物は置いていきます。大したものは入ってませんので、永最様が部屋を出る時はお気になさらず出てくださいませ」
話すことを話すと、いそいそと部屋を出た。
残された永最は気を使われたと思い、とりあえず自らの荷物の整理と、時間も時間な為、せめてもと思い幸之助の分も一緒に部屋に布団を敷いた。
部屋での用事を済ませると、夕日が山に半分沈んでいた。
食事処へと向かい、一番安い質素で早めの食事をとった。
食事を済ませると宿へ戻り、受付の女性に翌日の握り飯の予約を入れに向かった。
受付の初老の女性は、艶やかな長い黒髪を紐で束ねた女性と話をしていた。
「おお、丁度いいところに。ほれ、お目当てさんだぞ」
「ちょ」
右手を振って否定の合図を示し、小声で言いわけした。
「違いますよ。私は明日の握り飯を頼みに来ただけです」
近寄ると、女性は礼儀正しく挨拶した。
「お久しぶりです。永最様」
僧侶は様付けで呼ばれることがよくあり、永最も様付けで呼ばれることが多い。
「こちらこそ。あ、それと、女将の言ったことは関係ありませんから」
一番の気がかり。女性の眼が黄色いか確認すると、やはり色が変化して自身のこれからの話をしている時に治まった。
この変化は当然一般の人間が知れば大騒ぎだが、誰一人として偏見を持たない。それはつまり、他の者には見えていないという事になる。
「御身体は大丈夫でしょうか」
「ええ。ですが、また迷惑を掛けなければなりません」
永最が訊きかえすと、女将が答えを述べた。
「祝言上げるんだよ。それで明後日から田舎へ帰るのさ。残念だったねぇお前さん」
「――だから違いますって!」
小声で念押しすると目の色の変わる女性へと向いた。
「おめでとうございます。という事は、ここはお辞めに?」
「いいえ。お相手の方はこの宿の親方様ですので。……ですが、働こうにも……」
言い難そうな様子を無視して、またもや女将が述べた。
「腹に、もういるんだよ」つまり赤子である。
「おめでたいこと続きじゃないですか」
また彼女の眼が黄色く光ったのが気になった。
「迷惑なんてない。って何度も言ってんだけどさぁ。何度も謝られて、そんな気じゃ、生まれてくる子にこそ迷惑ってもんだよ。なんも気にせず元気な子を産んでくれさえすりゃ、あたしは孫育てババアに早変わり出来るってのにさぁ」また番台から身を乗り出した。「お婆ちゃん子にしてやるよ」
呟きに女性が、お義母さんったら。と言い返した。
「そういえば、親方は女将の」
「義理だけどね。まあこのご時世、誰が親でも変わりゃしないよ。戦で親無くせば、面倒見た奴が親だ」
妖怪が見えるせいで両親に捨てられた永最は、蓬清を父のように慕った事を思い出した。
「お前さんも息子みたいなもんだ。時々元気な姿見せに来るのがあたしへの孝行だよ」
苦笑いでやり過ごすと、用件を思い出した。
「そうだ。明日の飯代」
「いいよ。お前さん、初一人旅なんだろ。餞別ってことにしてやるよ」
「よろしいのですか?」
「いいよ。しれた料金だ。安すぎる餞別だよ」
深々と礼を述べると、二人の話の邪魔にならないように宿を出て長屋へと戻った。
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