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一幕 天邪鬼を憑かせた男
四 盗み聞き
しおりを挟むまだ日が昇る明朝。
寺での習慣が根付いている永最はこの時間に目を覚ました。
上体を起こし部屋の光景を見るまで、自分が旅に出ていたことを忘れていた。そのため、朝支度をしなくて済むと実感すると少し得をした気になった。
隣で寝ている幸之助を起こさないように旅支度をしようとしたが、もぬけの殻となり雑に掛布団がどけられている様子から、先に外へ出たのだと分かる。
「……早いな」
荷物も無いことから本格的に部屋を空けたと直感した。
長屋の蒲団は折り畳んで片づけなくても、宿の従業員が次の客のために部屋を清掃する。
そのまま放置してもよいのだが、寺での身に染みた習慣が体を動かし、幸之助の分の蒲団もきちんと折り畳んだ。
旅支度を整えると宿の受付へ向かい、予約していた握り飯を受け取った。
宿では朝食の準備で慌ただしい音が遠くから聞こえた。握り飯の予約も永最だけではなく宿の仕事として承っているため、気兼ねすることなく握り飯を受け取ることが出来る。
昼食を受け取り、女将への挨拶を済ませると、ようやく町を出ることとなった。
日がまだ姿を現していないが、空も大地も仄かな蒼色に染まった光景は、提灯で灯りをともすほどの暗さでなく、神経を尖らせて警戒して見回すほどの暗さでもない。
永最は昼間の通路を歩く速さで進んだ。
突如、町を出て暫く歩いた傍の、鬱蒼と茂る竹藪の奥から声が聞こえた。
その声はよく聞くと人間の声で、町を出てから嫌でも視界を通過する小妖怪達が関係しているとは思えなかった。
それを証明するように、小妖怪たちは声と竹藪に対し、気にも留めていなかった。
しかし妖怪風情が関係していないとなるとタチが悪い。野武士、落ち武者、盗人の類が潜んでいるならば、何もしてこない妖怪たちより命の危険が高くなる。
竹藪への警戒を緩めることなく足早に通り過ぎようとすると、
「――るぞ、幸之助――」
前後の言葉はよく聞き取れない。ただ名前だけが妙に声を張っていた。
集中して聞くと、時折聞こえる口調の印象から幸之助に憑いた天邪鬼だと察した。
途端、憑かれている自覚があるか不明の幸之助と、目的不明で憑いている天邪鬼に興味が湧き、自然と足が竹藪へと向いてしまった。
もし見つかった時の言い訳など考えてはいない。
歩道からは見えないほど奥まで行くと、竹も疎らに伸びる場所に到着した。
さらに奥へと進むと、不自然に竹の無い空間へと辿り着く。その広さ、一軒家五件分。地面は枯れた笹が埋め尽くし、その地面だけは竹藪らしく自然に思える。
開けた空間の中央辺りに天邪鬼が木刀を抱え、上空に視線を向けていた。
何かあるのかと思い永最も見上げたが、いよいよ日が昇りだし白んだ空が飛び込んだ。雲は多く、灰色の部分も目に付く。
(なにをしたいのだあいつは?)
藪の離れた所から竹の重なる場所に隠れ覗き見ていたが、なにぶん遠景での尾行のため、行動の詳細が全く分からない。時折歩いているのは分かるが、何か呟いているか言葉が全く不明である。
(いったい……私は何をしてる)思いつつも、なぜか気になってしまい、離れようにも体も意識もその場を離れようとしない。
ギシギシと複数の竹の擦れ、撓り、ぶつかり合う音と、笹が騒めく音が聞こえた。不思議とその騒音は志誠の向き直った前方の彼方から聞こえ、それ以外の竹たちはそれ程揺れていない。
「なんだ……」
声は呟きほどの小声。到底、志誠の場所までは聞こえないが、まるで返事のように叫ばれた。
「そろそろ出て来い! 坊主が盗み聞きってのも感心しねぇぞ」
「ぬ、盗み聞きではない!」ついつい反射的に言い返して姿を現し、志誠の元まで歩み寄った。
「お前、こんなややこしい時になんで来た」
鬱陶しいと言わんばかりの表情を向けた。
「ややこしいって、そんなことは知らん。急にお前の声が聞こえたんで来ただけだ」
声が聞こえたことが志誠を驚かせたのか、感心するような表情を見せた。
「お前はこんなところで何をしているんだ。幸之助殿は無事なんだろうな」
志誠は呆れ顔を表した。
「やけにあいつを気遣うじゃねぇか。法師、僧侶の類は初対面の、一刻も話をしない連中をいちいち気にかける教えでもあるのか?」
「違う。悪霊や妖怪などに憑かれた者を救済するのが仏門を目指す者の使命」
適当な言い訳である。
「さらに、幸之助殿は僅かな会話でも優しさや気遣いを感じられた。あのような善人をいつまでも邪悪な者が憑く身体にしていていいはずがない」
「ほおぅ。お前には幸の奴が善人者に見えたと? まあ、ちょいちょい出る能天気と戦場跡が苦手って点においては善人と言うより臆病、腰抜けだな」
顎を摩って自慢げに言う。
「愚弄するな。それだけでも善人の要素があるではないか」
そろそろ永最の建前に嫌気を指していると表情で分かる。
「本音で語れ。お前は俺たちのような奴が嫌いってだけだろ。幸を口実に言いたい放題なのは結構だが、今はそんな事をしている暇はない。さっきの隠れてた竹の辺りでいい。死にたくなけりゃぁこれを唱えてろ」
見透かされたように図星を付かれ言い返せないまま、肘から手首までの長さの木の短冊が複数枚、連ねて繋ぎ止めた、暖簾のような巻物を渡された。
「なんだこれは」
「時間が無い。さっさと離れてろ」
まるで忠告のように突風が二人目掛けて吹き付け、志誠は堂々と仁王立ちでやり過ごしたが、永最は身体が浮くほどの勢いで飛ばされ地面を三度ほど転がった。
「分かったろ! さっさと引っ込んでろ!」
天邪鬼め。と胸中で嘆を発すると、素直に隠れていた竹の傍まで寄った。
すぐに渡された巻物を唱えないのは、何が起きているのかが気になりすぎてそれどころではなかった気持ちからである。
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