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菊花の香り
第三話
しおりを挟む私の噂は、都に二つほど流れている。
一つは、お香の名手の娘で、その娘もなかなかな腕前だと噂されていること。
そしてもう一つというのが、三の姫が言ったように誰からの求婚にも返事をしないということだ。
所謂適齢期ということで、結婚をしなければならない時期が刻々と近づいていることはわかっているのだけど……
一応、見栄を張らせていただくと、こんな私にだって、文の一つや二つ届いている。
しかし、私はどの恋文にも興味をまったく持てず、父様もほとほと困っている現状である。
私だって困っている。本当に困っているのだ。
私が思い描いていた人生設計によれば、すでに結婚しているはずだったのに……
理想の殿方から熱烈な求愛の文が届き、心ときめかせながら何度かやりとりをする。
そして、頃良きころに結婚が決まり、ドキドキの初夜……!!!
あああー! 想像しただけでぶっ倒れてしましそう。やだ、恥ずかしい。
そんな未来が確実に来ているはずだと思っていたのだけど、その予感すらない。
これはかなりやばいんじゃないだろうか。
何度でも言うけど、私は結婚したいのだ。それなのに、今の今まで何もないなんて一大事だ。
行き遅れ……その言葉が私の脳裏を巡る。
いやいや、まだ大丈夫。今年一年で何が何でも素敵な殿方をゲットすればいいだけ。それだけだ。
しかし、毎日求愛の文が届いているが、どれも私の胸に響かない。
それなのに返歌なんて書けるかぁぁぁ! と、そんなふうに叫ぶ日々を送っている。
なんといっても、私の理想はとってもとっても高いのだ。そう簡単に私の理想の殿方が現れるとは思えない。
理想の男性が目の前に現れれば、返歌だろうが何だろうが何でもしてやるってものだ。
いやでも……この悲惨な状況を見て、少しだけ理想を落とそうかと思案し始めている。
でも、一生を決める大事な選択になる。ここで妥協したら、後々後悔することにならないだろうか。
二つの思いに揺れているが、ここは一つ慎重に事を運ぼう。
やっぱり心響くような求愛をしてくる殿方が現れない限りは結婚しない。そうしよう。
そんなふうに言い切る私を見て、父様は今日も胃の調子が悪そうだった。
それでも父様には「どれか一つでも返歌を!」と泣きながら促されているわけだが、一度たりとも筆を手に取っていないのだから、父様が嘆きぼやくのは仕方がないことだろう。
そんな訳で、結構良いところの家の息子からとかから文は届いているのだが、端から全部無視をしている。
巷ではすでに色々な意味で伝説になっている、と春子は以前言っていたことを思い出す。
しかし、どの文も悪徳商法じゃなけど、胡散臭いものばかり。
それで返歌をしろだなんて、父様も酷なことを言う。
うちは弱小貴族といえど、私のお香の技術はそれなりのものだと自負している。
まだまだ父様のようにはできないが、それでも特技だと自信を持って言えるだろう。
それゆえに、その技術だけをほしがる貴族が後を絶たないのだ。
お香の名手と誉れ高い父様の娘であるということも、注目される所以であろう。
要するに、私が持つお香の知識がほしいだけで、個人はどうでもいいということだ。
私自身に興味があるわけではなく、ただお香に興味があるだけ。
好かれて、愛されてほしいと言われているのではないということだ。
父様と母様はおしどり夫婦で有名な二人で有名である。
そんな二人を見ていると、自分もいずれと夢を抱くのは当たり前のことだ。
だけど、付属品に目が眩んでいる男と結婚したとして、はたして幸せになれるだろうか。
そう考えると、このまま独身を貫き通すというのもいいのではないか、とチラリと私は考えた。
兄様は、一生結婚しなくても生活をみてやれるからと言ってくれている。
それに甘えるのもよし、髪を下ろして尼寺に行くもよし、どこかの貴族に奉公に出るのもよし。
いやでも、やっぱり私は幸せな結婚がしたい。
これは早々に婚活をしなければならないだろうか。女性側はすべて受け身では、素敵な縁も結べやしない。
待つだけ待って下手に求愛を受けてしまい、その後の人生が奈落の底に落ちるようなことになれば悔やんでも悔やみきれないだろう。
ああ、もう! 結婚したいのにできないなんて。誰か助けてほしいものだ。
興味深々の様子で自分を見つめている三の姫に視線を向けた。
「私はすぐにでも結婚したいんです!」
「あ、あら……そうなの?」
「ええ。でも、できないだけなんです」
「でも、噂では香様の元には求愛の文が届いているということを聞いたのだけど?」
不思議そうに口元を扇で隠して首を傾げている三の姫を見て、小さく頷く。
姫様、と後ろに下がった春子が小さく声をあげたが、それを無視した。
私のお付き女房である春子は、私に早く幸せな結婚をして落ち着いてほしいと願っている。
それはわかっているし、私だってできたら結婚をしたい。そう、心から思っている。
だけど、結婚したいと思える殿方が現れないのだからしょうがないじゃないか。
私は三の姫をジッと見つめる。
「父と母のように、幸せな結婚ができるのは一握りの世の中でございますし、誰しもが幸せな結婚生活を送れるとは思えません」
「香さまのご両親は、仲がよいと有名ですものね」
コロコロとにこやかに笑う三の姫を見て、私は大きく頷いた。
父様は仕事の面ではうだつが上がらないが、愛妻家と巷では有名である。
このご時世、相思相愛になる確率は極めて低い。
それも仕方がない。貴族の姫君は、基本男性と顔を合わしてはいけないことになっているからだ。
その上、声も聞かれてはマズイということで、代筆ならぬ代返をするのが常識。
その中で、相思相愛になるにはよほどの強運の持ち主でなければ無理であろう。
愛もない結婚などしたくないし、もし万が一愛が芽生えたとしても、いつその愛が冷めてしまうかはわからない。
夜枯れなんて寂しいことになるぐらいなら、最初から結婚などしなければいいと思う。
そうじゃなくても、私の場合は香姫本人に興味があるわけではなく、お香の腕に興味があるだけだ。
それがここ最近、痛いほどよくわかってきた。それなら、もう諦めるしかないだろうか。
「あちこちで聞くのは、結婚生活への嘆きばかり。だからこそ結婚には慎重になりたいのです」
「愛に満ちた家庭でお過ごしの香さまならではのお考えですわね」
私は三の姫さまを見つめて、グッと拳を握りしめて熱弁をする。
「それに、私の理想はとても高いのです」
「まぁ! どんな殿方が理想なの?」
目をキラキラと輝かせている三の姫に、私はにっこりとほほ笑んだ。
「私の兄です」
「え?」
「私の兄です。兄よりステキな殿方が現れたなら、私は喜んで結婚します。そういう殿方、三の姫様はご存じじゃありません?」
ほほほ、と笑っている三の姫は、香が冗談を言ったのだと思っているようだ。しかし、私は本気だ。
自分の兄よりステキな公達が現れない限り結婚はない、とそれだけは心に固く決意している。
「香さまのお兄様といえば、清貴さまよね?」
「ええ、そうです。兄は、お香も素晴らしいですし、なによりカッコいいのですよ」
「……」
「背も高いし、身体もとても鍛えておりますからガッチリしておりますし。お顔も凛々しいですもの!」
姫さま、と春子が香の衣をひっぱって止めようとしているが止まらない。
一度、兄様のことを話し出すと私は止まらないのだ。
私は頬を赤く染めて兄様を褒め称えているが、世間では野獣だと言われるほどに厳つい容姿をしていると言われている。
私はその評価に真っ向から対抗したいと思っている。
あんなに素敵な殿方は、なかなかいない。何もわかっていない人たちが私の兄様を侮辱したり、とやかく言うことは許さない。
きっと三の姫も色々な噂を聞いて、兄様のことを悪く想像しているこのだろう。
ただ困ったようにほほ笑むだけしかできない様子だ。
「香さまの理想に合う殿方が現れるといいですわね」
「ええ。そうしたらすぐにでも結婚します! というか、さっさとしたいです。結婚したいぃぃぃ!」
姫さま!、と大きな声で私を止めようとする春子の声が聞こえ、さすがにこれ以上語ると春子が怒り出すと思って止めておく。
興味深々の三の姫さまには悪いが、今日ここに私が来たのは香の指南をするためだった。
私は扇を置いたあと、少し気持ちを落ち着かせてから後ろに控えている春子に声をかけた。
「お道具箱をここに」
「はい、畏まりました」
さすがに三の姫の御前だ。さすがに落ち着かなければならないだろう。
フゥと息を小さく吐きだした後、私は三の姫にゆっくりとほほ笑んだ。
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