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菊花の香り
第四話
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「折角ですから、そろそろお香を練ってみましょうか」
「ええ、今日はとても楽しみにしていたのよ。香さま、よろしくお願いいたします」
三の姫もやっと本題に入る気になってくれたようだ。
これ以上、私のプライベートにあれこれ言われても困ってしまう。
私は内心ホッとする。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
私は一礼したあと、すぐさまお香の準備にかかる。
季節は秋。ちょうど練り香を作るのにはいい時期である。
湿気のない、この季節は練り香を作るのに適しているからだ。
「では、今日は菊花にしましょうか」
「ええ、この季節にはピッタリのお香ね。楽しみだわ」
三の姫は、さきほどまでの話などすぐに忘れたように大きく頷いた。
その様子を見て安堵しながら、私はひとつずつ説明をしていく。
菊花は、微かに菊の花の香り立つ、さわやかな練り香だ。
中務卿宮邸の庭にも見事な菊の花が咲いている。あの香りに近づけるよう、慎重に合わせていこう。
慣れた動作でお香を練り合わせていると、三の姫がほぅと感嘆を漏らした。
「さすがは香の名手、薫の少納言さまのご息女ね。お噂どおりだわ」
「ありがとうございます」
熱心に私の手元を見つめる三の姫は、感心したように何度も頷いた。それが嬉しくて、私は頬を緩ませる。
あとは壺に入れ、これを土中にいれて熟成させるだけだ。
その壺を三の姫の女房に託し、私は自分が以前作った練り香を差し出した。
「これは先日、私が練って熟成しておいたものです」
「わぁ……これが香さまが作られた練り香なのね」
「ええ。これを焚いてみましょうか」
「まぁ! 嬉しい」
手を叩いて、子供のように喜ぶ三の姫がとてもかわいい。
私より年上の女性にかわいいというのは失礼かもしれないが、とてもかわいらしいのだから仕方がない。
私はキャキャッとはしゃぐ三の姫を見つめて目を細めたあと、後ろに控えていた春子に頼んで練り香を炉にくべた。
すぐに部屋中に菊花の香りが漂う。今回作った菊花も完璧だ。
熟成に時間をかけることがあまりできなかった割には、いい出来だと思う。
「決まった配合で合わせているはずなのに、私にはこんなにステキな香りを出すことができないわ……さすがは香さまね」
友人に自慢できちゃうわ、とコロコロと可愛らしく笑う三の姫にお礼を言った。
目の前でこうして褒めてもらうという機会が今までなかったため、本当に嬉しい。
ありがとうございます、ともう一度お礼を言っていると、ふと外の様子に気が付く。なにやら一気に騒がしくなった気が……
どうしたのかと春子と目配せをして首を傾げていると、三の姫の表情が突然険しいものに変わる。
そして、眉間に皺を寄せて外の様子をうかがっている。
そうかと思えば、三の姫の近くに控えていた女房がスクッと立ち上がった。
急に慌ただしくなる雰囲気に、私も春子も目を丸くする。
一体どうしたというのだろうか。
「姫様。万が一ということもございます。私、見てまいりますわ」
「ええ、お願い」
その女房は、髪を振り乱さんばかりに慌てて出て行ってしまった。
呆気にとられた私と春子は顔を見合わせる。
その間も、他の女房たちがせわしく動き回り部屋を整えていく。
一人の女房は御簾を上げ、三の姫を促した。
深刻そうに頷いたあと、三の姫は慌てて私を手招きした。
「もしかしたらとんでもないことが起こるかもしれません。こちらへどうぞ」
「え?」
「ほら、早く! 香さま。女房殿も一緒に」
三の姫はすぐさま御簾の中に入り、私にもそちらに入るように促してくる。
訳が分からないまま三の姫の言う通りに御簾の中に入ると、辺りがザワザワと探しくなった。
お待ちください、と先ほどの年増の女房の声が響く。しかし、足音はどんどん二の姫の部屋に近づいてきているように思える。
「……まさか来るとは」
チッと宮家の姫様とはとても思えない仕草をしたものだから、私は目を丸くさせた。
舌打ちをしたあと、三の姫は私を振り返り、手を握りしめてきた。
「香さま。今から訪れる者とは口をきいてはなりませんよ」
「え……?」
真剣な顔をして私の顔を見つめる二の姫の迫力に負けた私は、コクコクと小刻みに頷くことしかできない。
そんな私の様子を見て、少しだけ安堵の息を吐き出した二の姫だったが、それと同時にどなたかが部屋に入ってくる。
御簾越しから見て驚いた。そこには一人の公達が立っていた。
見目麗しい公達だった。線は細いが、背は高い。
切れ長な目、スッと筋が通った鼻梁、薄い唇。そして何より華やかな雰囲気に圧倒される。
私が大好きな兄様とは真逆の魅力を持っている人だ。
その公達は、魅惑的な低い声で言う。
「おや、菊花ですか……いい香りだ」
部屋にはさきほど焚いた菊花の香が漂っている。
公達はそれを吸い込み、優し気な笑みを浮かべた。
そして、その公達は御簾の中にいる私たちに声をかけてくる。
「お姫様二人で御簾に隠れるとは、意地が悪い。私には貴女たちの可愛らしい顔を拝見することはできないのでしょうか」
どうやらこの公達は御簾の中に私もいることを知っている様子だ。
その様子を見ていた三の姫は、大きくため息をつき脇息に寄りかかり扇を開いた。
「やっぱりねぇ、大丈夫だったか」
「え?」
再び大きく息を吐いた三の姫は、その公達に向かって言葉を投げかけた。
「お兄様。いくら兄妹とはいえ、先触れもなく突然訪れるというのはいかがなものかしら」
「フフッ、我が妹よ。そんなつれないことばかり言うものではないよ。つい先日まで一緒に遊んだ仲ではないか」
「お兄様の頭、一度医師に診てもらったほうがよろしくなくて? お兄様が元服されたのは、もうだいぶ前のことでしょう」
悪態をつく三の姫の言葉に、公達は肩を竦めて笑っている。
この公達は、三の姫の兄君のようだ。
「ええ、今日はとても楽しみにしていたのよ。香さま、よろしくお願いいたします」
三の姫もやっと本題に入る気になってくれたようだ。
これ以上、私のプライベートにあれこれ言われても困ってしまう。
私は内心ホッとする。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
私は一礼したあと、すぐさまお香の準備にかかる。
季節は秋。ちょうど練り香を作るのにはいい時期である。
湿気のない、この季節は練り香を作るのに適しているからだ。
「では、今日は菊花にしましょうか」
「ええ、この季節にはピッタリのお香ね。楽しみだわ」
三の姫は、さきほどまでの話などすぐに忘れたように大きく頷いた。
その様子を見て安堵しながら、私はひとつずつ説明をしていく。
菊花は、微かに菊の花の香り立つ、さわやかな練り香だ。
中務卿宮邸の庭にも見事な菊の花が咲いている。あの香りに近づけるよう、慎重に合わせていこう。
慣れた動作でお香を練り合わせていると、三の姫がほぅと感嘆を漏らした。
「さすがは香の名手、薫の少納言さまのご息女ね。お噂どおりだわ」
「ありがとうございます」
熱心に私の手元を見つめる三の姫は、感心したように何度も頷いた。それが嬉しくて、私は頬を緩ませる。
あとは壺に入れ、これを土中にいれて熟成させるだけだ。
その壺を三の姫の女房に託し、私は自分が以前作った練り香を差し出した。
「これは先日、私が練って熟成しておいたものです」
「わぁ……これが香さまが作られた練り香なのね」
「ええ。これを焚いてみましょうか」
「まぁ! 嬉しい」
手を叩いて、子供のように喜ぶ三の姫がとてもかわいい。
私より年上の女性にかわいいというのは失礼かもしれないが、とてもかわいらしいのだから仕方がない。
私はキャキャッとはしゃぐ三の姫を見つめて目を細めたあと、後ろに控えていた春子に頼んで練り香を炉にくべた。
すぐに部屋中に菊花の香りが漂う。今回作った菊花も完璧だ。
熟成に時間をかけることがあまりできなかった割には、いい出来だと思う。
「決まった配合で合わせているはずなのに、私にはこんなにステキな香りを出すことができないわ……さすがは香さまね」
友人に自慢できちゃうわ、とコロコロと可愛らしく笑う三の姫にお礼を言った。
目の前でこうして褒めてもらうという機会が今までなかったため、本当に嬉しい。
ありがとうございます、ともう一度お礼を言っていると、ふと外の様子に気が付く。なにやら一気に騒がしくなった気が……
どうしたのかと春子と目配せをして首を傾げていると、三の姫の表情が突然険しいものに変わる。
そして、眉間に皺を寄せて外の様子をうかがっている。
そうかと思えば、三の姫の近くに控えていた女房がスクッと立ち上がった。
急に慌ただしくなる雰囲気に、私も春子も目を丸くする。
一体どうしたというのだろうか。
「姫様。万が一ということもございます。私、見てまいりますわ」
「ええ、お願い」
その女房は、髪を振り乱さんばかりに慌てて出て行ってしまった。
呆気にとられた私と春子は顔を見合わせる。
その間も、他の女房たちがせわしく動き回り部屋を整えていく。
一人の女房は御簾を上げ、三の姫を促した。
深刻そうに頷いたあと、三の姫は慌てて私を手招きした。
「もしかしたらとんでもないことが起こるかもしれません。こちらへどうぞ」
「え?」
「ほら、早く! 香さま。女房殿も一緒に」
三の姫はすぐさま御簾の中に入り、私にもそちらに入るように促してくる。
訳が分からないまま三の姫の言う通りに御簾の中に入ると、辺りがザワザワと探しくなった。
お待ちください、と先ほどの年増の女房の声が響く。しかし、足音はどんどん二の姫の部屋に近づいてきているように思える。
「……まさか来るとは」
チッと宮家の姫様とはとても思えない仕草をしたものだから、私は目を丸くさせた。
舌打ちをしたあと、三の姫は私を振り返り、手を握りしめてきた。
「香さま。今から訪れる者とは口をきいてはなりませんよ」
「え……?」
真剣な顔をして私の顔を見つめる二の姫の迫力に負けた私は、コクコクと小刻みに頷くことしかできない。
そんな私の様子を見て、少しだけ安堵の息を吐き出した二の姫だったが、それと同時にどなたかが部屋に入ってくる。
御簾越しから見て驚いた。そこには一人の公達が立っていた。
見目麗しい公達だった。線は細いが、背は高い。
切れ長な目、スッと筋が通った鼻梁、薄い唇。そして何より華やかな雰囲気に圧倒される。
私が大好きな兄様とは真逆の魅力を持っている人だ。
その公達は、魅惑的な低い声で言う。
「おや、菊花ですか……いい香りだ」
部屋にはさきほど焚いた菊花の香が漂っている。
公達はそれを吸い込み、優し気な笑みを浮かべた。
そして、その公達は御簾の中にいる私たちに声をかけてくる。
「お姫様二人で御簾に隠れるとは、意地が悪い。私には貴女たちの可愛らしい顔を拝見することはできないのでしょうか」
どうやらこの公達は御簾の中に私もいることを知っている様子だ。
その様子を見ていた三の姫は、大きくため息をつき脇息に寄りかかり扇を開いた。
「やっぱりねぇ、大丈夫だったか」
「え?」
再び大きく息を吐いた三の姫は、その公達に向かって言葉を投げかけた。
「お兄様。いくら兄妹とはいえ、先触れもなく突然訪れるというのはいかがなものかしら」
「フフッ、我が妹よ。そんなつれないことばかり言うものではないよ。つい先日まで一緒に遊んだ仲ではないか」
「お兄様の頭、一度医師に診てもらったほうがよろしくなくて? お兄様が元服されたのは、もうだいぶ前のことでしょう」
悪態をつく三の姫の言葉に、公達は肩を竦めて笑っている。
この公達は、三の姫の兄君のようだ。
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