貴方の想い、香りで解決します!~その香り、危険につき~

橘柚葉

文字の大きさ
6 / 27
策士の香り

第一話

しおりを挟む
「また来ましたわね」
「ええ、また来たわね」
 春子と毎日のように文を見て、ため息を零す。ここ数日はそんなことばかりを繰り返していた。
 すでにこれは毎日の恒例行事になりつつある。
 私は、盛大にため息をついた。
 中務卿宮の邸へ行き、三の姫にお香の指南をしたあの日から毎日、敦正様から文が届いているのである。
 それも熱烈な恋文だ。見ているだけで恥ずかしくなる文ばかりで、ある種の拷問のようだ。
 歯が浮くなんてものではない、思わず文を放り出して身を捩ってしまうほどの威力だ。
 恋文というものは、こんなに威力があるものなのだろうか。そして、かつてこんなに熱烈な文を貰ったことがあっただろうか。
 だって、私は敦正様からの文を読んだだけで疲れがどっと出るのだから恋文というものは本当に恐ろしいものだ。
 言霊にも力があると、有名な陰陽師が言っていたことを思いだしたが、もしかしたら文にもそんな力があるのかもしれない。
 いや、きっとある。とんでもない威力があるに違いない。
 これは呪詛に近いかもしれない。それだけの威力があると言い切れる。
 私は、ハァーと大きく息を吐き出して文を放り投げた。
 だが、その行動を見ていた春子に諫められる。春子のお小言も聞き飽きた。
 私は耳を塞いでそっぽを向く。
 ここ数日、毎日送られてくる敦正様からの恋文攻撃で、すっかり私は気が滅入ってしまっている。
 今まで恋文なんてと侮っていたのだが、ここまで神経をすり切らせてしまうものとは知らなかった。恋文、恐るべしである。
 こうなったら、専門職である有名な陰陽師に頼んで力を封印してもらうべきだろうか。
 そう真剣に悩んでしまうほど、敦正様からの恋文に困っているのだ。
「こうも熱烈だと感激を通り越して、怯んでしまいますわね……」
 春子は今まで敦正様が送ってきた恋文を並べて唸った。
 どれも世の中の姫君が喉から手がでるほど欲しいと願っている敦正様からの恋文だ。しかし、私にしてみれば迷惑以外のなにものでもない。
 世の女性にそんなことを言ったら……罰当たりだと罵られることだろうか。
 春子は並べた恋文を眺めながら、私にチラリと視線を向けてきた。
 その視線はとても意地悪なものに感じて、私は怯む。
 春子はニヤニヤと口元を緩めながら、私に進言してくる。
「ここまで熱心なのですもの。もういいかげん勘弁したらどうです?」
「ちょ、ちょっと! 勘弁ってどういうこと? 春子は誰の味方なの? 私は折れないわよ、絶対に!」
 ギョッとして声をあげると、春子は涼しい顔をして恋文を集めて文机に置いた。
「都中の姫君たちが、姫様の発言を聞いたら怒り狂いますよ。たとえ変人と名高い敦正様とはいえ、あれだけ人気のあるお方なのですから」
「そ、それはそうだけど……」
「なんでも今、都では姫さまと敦正様の噂でもちきりだそうですよ」
「な、なんですって!?」
 どこでその情報が漏れたのだ。私は一人慌てふためいたが、春子は冷静なものだ。
「そりゃあすぐにバレるでしょう。敦正様の従者が毎日この邸に文を届けに来るのですもの」
「……」
 本人たちが口を噤んでいても、世間の目はごまかすことはできないということらしい。
 私は項垂れて脇息にもたれかかった。全くドッと疲れが押し寄せてくる。
 周りが騒ごうとも、自分のお付き女房である春子が結婚を勧めたとしても、乗り気でないものはしかたがないであろう。
 そこのところを父様にもわかっていただきたいものである。
 今朝の父様とのやりとりを思い出し、げんなりと肩を落とす。
 敦正様から文が毎日届く様を見て、父様は肩の荷が下りたと言ってはしゃいでいることは知っている。
 理想が高いだの、胸がキュンキュンしないだの、あれこれ文句を言っている娘だが、敦正様なら文句なしで求婚を受けるだろうと思っているのだ。
 残念、父様。私は敦正様からの求婚はお引き受けしないつもりだ。
 だって、この人危険。絶対に危険だと思う。そう、私の勘が叫んでいる。
 だから、父様が「返事を早くだしなさい」と毎日のように私を窘めにくるのには、正直辟易しているのだ。
 この苦境をどう乗り越えればいいのだろうか。
 このままにしていては、下手をすれば中務卿宮と父とで話をつけてしまいそうな勢いだ。
 兄である、清貴(きよたか)兄様の情報だと、中務卿宮はやっと結婚をする気になった我が息子のことを手放しで喜んでいるという話ではないか。
『敦正のあんなに真剣な顔を見たのは、初めてかもしれない』
 嬉しそうにほほ笑む兄様を見て、私が複雑に思ったのは言うまでもない。
 なんせ私は敦正様のことをステキだとも思わないし、心が躍るということもないのだ。
 それなのに、周りだけが騒いでいる状況。どうにかしていただきたい。
 どうして兄様が敦正様の肩を持つのか疑問をいだしていたのだが、なんでも兄様と敦正様は旧知の仲だというのだ。
 そんなことを聞くのは初耳だった私はビックリした。
 私が知らなかっただけで兄様はよく中務卿宮邸に行っていたらしく、敦正様とはお互い親友という間柄だという。
 それを聞いて、あのときの三の姫の態度もやっと腑に落ちた。
 何度も中務卿宮邸に通っている兄様を見たことがあったのだろう。
 兄様は、妹の私から見ればとてもステキな公達だ。
 しかし、世間では厳ついだの、強面だのと言われていることを知っている。
 世間の姫君は、敦正様のような美上丈の男を好み、清貴兄様のような男を敬遠する。
 しかし、私は世の姫君たちに物申したい。
 見かけだけで、何もかもを決めてしまっていいものか、と。
 確かに兄様は、世間一般の美上丈の要素は兼ね備えていないかもしれない。
 しかし、仕事に対してのまじめさ、人柄、男としての包容力。
 それを兼ね備えているのが兵部少輔、清貴なのである。
 下級貴族ながら、手柄をいくつも取り、今までにない大出世をしている我が兄。ああ、なんて素敵な兄様なんでしょう。
 結婚するなら、兄様のような誠実で包容力のある人間が一番だと考える私には、どうも尻軽な雰囲気がある敦正様のことは好きになれない。
 さっさと自分のことは忘れて、もっと美しくて気品あふれる姫のところに通ってほしい。
 そう願う私は、やっぱり変わり者なのだろうか。いやいや、絶対に私は堅実的であるはずだ。
 やっぱり結婚するなら兄様のような方でないとする気にはなれない。
 私は、送られてきた敦正様の文を見て再びため息を零した。
「これって……やっぱり返事するべき?」
 毎日送られてくる文に、私はまだ一度も返事をしたことがない。
 敦正様の従者がそれとなく「文を……」と催促してきているという。
 それなのに、まだ一度も文を出していないのだから宮家としてもプライドが許さないだろう。
 宮家の威光をちらつかせ始めているという今日この頃、さすがに返歌をしない訳にもいかないかもしれない。
 残念ながら世は縦社会。
 相手は変人と名高い公達だが、宮家の人間だ。
 下級貴族の端くれである我が家がたてつくのは体裁的にもよくないだろう。
 ブチブチと文句を垂れる私に、春子は目の色を変えた。
「もちろんですわよ! 敦正様は、清貴様のご親友ですわよ。心証が悪くなって仲たがいにでもなったら……姫様が清貴さまに怒られるのですからね」
「っ!」
 今の春子の言葉はさすがに胸に響いた。
 痛くてズキズキする。さすがはお付き女房だ。私の弱点などお見通しというところだろう。
 しかし、返歌などしたら、敦正さまが図に乗らないだろうか。
 一度返歌をしたことにより、うまく丸め込まれて気が付けば結婚なんて恐ろしい事態になりそうな、そんなイヤな予感させするのだ。
 あまりうかつな事はできないだろう。それが私が出している答えだ。
 だけど、そろそろしびれを切らし、敦正様がなにかしら攻撃をしてきそうで恐ろしい。
 一度会っただけだが、なんとなく敦正様を敵に回さない方がいいと思っている。
 板挟みな状態に、私はもう一度盛大にため息をついた。
 困ったと頭を悩ませていると、衣擦れの音が聞こえてくる。
 そして微かに香るのは大好きな香りだ。
「香、先触れもせずすまない。今、大丈夫だろうか?」
「兄様!」
 春子が止めるのを無視して、御簾から飛び出した私を兄様は困ったように抱きしめてくれた。
 しかし、あとに眉を顰めて私を窘める。
「香。お前も十六だ。いくら兄妹といえど、こうして直接顔を見せるものではない」
「でも、私は兄様のお顔を間近で拝見しとうございます。いいではないですか。二人しかいない兄妹。気軽に顔を合わせることを、誰が咎めましょう」
 私は知っている。こうして目を潤ませて兄様にお願いすれば、大抵のことは許してくれると。
 ズルいとはわかっている。だけど、こうしなければ兄様は私の顔を見てくれない。そんなの寂しすぎる。
 ギュッと兄様に抱きつくと、頭上で息を吐き出した音が聞こえた。
「香は仕方がない子だ」
「兄様」
 困ったように眉を下げ、ゆっくりと私の頭を撫でてくれるのは昔から変わらない。
 やっぱり兄様は、この都で一番のいい男だ。
 それをわからない姫君たちは大馬鹿だ。兄様の良さがわかるのは、私しかいない。
 嬉しくなって兄様に飛びついたのだが、思わず固まった。
「兄様……?」
「ごめん、香。敦正がしつこくて」
 視線の先、簀子を少しだけ開けて敦正様が手を振って立っていた。
 驚きを通り越して呆れてしまった。さすがは変人と名高い敦正様だ。手段を選ばない。
 私がガックリと項垂れていると、春子が突然私の顔を扇で隠した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

喪女だった私が異世界転生した途端に地味枠を脱却して逆転恋愛

タマ マコト
ファンタジー
喪女として誰にも選ばれない人生を終えた佐倉真凛は、異世界の伯爵家三女リーナとして転生する。 しかしそこでも彼女は、美しい姉妹に埋もれた「地味枠」の令嬢だった。 前世の経験から派手さを捨て、魔法地雷や罠といったトラップ魔法を選んだリーナは、目立たず確実に力を磨いていく。 魔法学園で騎士カイにその才能を見抜かれたことで、彼女の止まっていた人生は静かに動き出す。

転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ

karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。 しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

処理中です...