本性は塩対応のスパダリ警察官が私にだけ甘く愛を囁いてきます

橘柚葉

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1巻

1-1

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    プロローグ


 絶対に振り向いてくれない。そんなふうに思っていたのに、人生はどこでどう転ぶかわからない。
 ずっと憧れ、一方通行の恋をしていた彼に組み敷かれている今、そんなことを頭の片隅で考える。
 少し前の愛莉あいりにしてみたら想像もできないことが起きているわけで、どうしたってこれが現実だとは思えない。夢なのではないかと疑ってしまう。
 でも、それはもう仕方がないだろう。
 現実逃避をしないと冷静になれないほど、あり得ない現実が自身に降り注いでいるのだから。
 すっかり身体と心は彼によってとろけてしまい、自分の身体だというのに言うことを全く聞いてくれない。
 それなのに彼の言うことだけを聞こうとするなんて、少し酷くはないだろうか。
 心の中で自分の身体に小言を呟きながら乱れた呼吸を整えようとするのだけれど、次から次に彼によって快楽を植え付けられてしまう。
 そんな状態で落ち着けるはずがない。
 これ以上の快感を味わってしまったら、このあとどうなってしまうのだろう。
 そんな心配をしてしまうぐらい、身体はトロトロにとろけてしまっていた。
 身じろぎをしてシーツが身体に触れるだけで、甘い吐息を零してしまう。
 処女なのに、こんなに感じてしまうのはおかしくないだろうか。
 恥ずかしさが込み上げる中、そんな不安をこっそりと胸に忍ばせる。
 ――私が感じすぎてしまうのは、ぜーんぶたかどのさんのせいだ。そうだ、そうだ!
 そんなふうに責任転嫁をして、自分は悪くはないと無理矢理言い聞かせた。
 だが、すぐに青ざめる。もし、自身の身体が敏感すぎるという訳ではないのなら、堂がこういうことに関して経験値が高いということだ。
 そんな裏付けができてしまい、それはそれでイヤだとまたもや自分勝手なことを考える。
 一人で赤くなったり青くなったりしている愛莉に、彼は優しく命令してきた。

「ほら、愛莉。こっちを見て」
「堂さん……」

 憧れているだけだったあの頃には一度も聞いたことがないほど声が甘い。
 耳元で囁かれ、それだけで胸が幸せで高鳴る。
 やはり、これは壮大な夢なのかもしれない。こんなふうにいつまでも現実だと受け止められないでいるのは、彼のせいでもあるのだ。絶対にそうだ。
 ギャップがありすぎるだろうと強く批難しても許されるほど、塩対応だった頃の彼と今とでは違う。
 粉砂糖と蜂蜜をたっぷりかけて食べるフレンチトーストより、絶対に極甘で濃厚だ。
 彼の大きな手のひらが、愛莉の頬を優しく撫でる。その手つきでさえも優しく甘い。

「もっとキスさせて……愛莉」

 実は、もうキャパオーバーだ。愛莉が恋愛にもセックスにも超初心者だということを、彼は忘れていないだろうか。
 もう無理だと思いながらも、この幸せな時間がもっと続いてほしいと願う愛莉の心はシーソーみたいに揺れている。

「愛莉……」

 ダメだ。そんな甘えた声で堂にお願いされたら、彼にこの心を捧げますと常に挙手をしているも同然の愛莉に断れるはずがない。
 でも、これ以上彼とキスをして、その先もしたとしたら……ますます痴態を見せることにならないだろうか。それが、とても心配だ。
 彼の唇が誘惑してくるのを見て、胸が苦しくなるほどドキドキしてしまう。
 だって、知ってしまった。
 堂の唇に触れると、どうしようもなく幸せな気持ちになるということを。
 その幸せをもう一度味わいたいと身体がうずき、羞恥心を捨てた。
 痴態なんて、すでにいっぱいさらしている。それならば、一つや二つ増えようが変わらないだろう。
 開き直った人が一番強い。まさに今の愛莉だ。

「うん……」

 自分でもビックリするほど甘えた声で返事をすると、彼は目尻を下げてほほ笑んでくる。
 ――あ、好き。大好き!
 格好いい堂が、男性の色気をまとってセクシーになった。
 こんな顔、自分以外の女性の前では絶対にしないで。そんな独占欲が込み上げてくる。
 彼の唇が触れてきた。その感触ですら、とても優しくて魅力的だ。
 やはりこれは夢かもしれない。でも、もし夢だったとしたら覚めないで。
 そんなことを頭の片隅で考えながら、再び彼からのキスに溺れていった。
  




    1


 その日も愛莉は駅までの道を軽快に歩きながら、ショーウィンドウに映る姿をチェックしていた。 
 小柄な愛莉の背中では、焦げ茶色の髪が揺れている。今日も念入りにブローしてきたので艶々だ。
 大人な女性を目指しているのだが、各パーツがどれもかわいらしい印象で、年齢より少し幼く見えてしまうのが愛莉の悩みの一つである。
 長い睫毛が印象的な目はアーモンド型をしていて、好奇心が隠せず溌剌はつらつとしていた。その理由は……
 ――今日も素敵です。眼福であります……っ!
 自宅最寄り駅前、スクランブル交差点の手前には交番がある。
 そこに立つ警察官こそ、愛莉が恋をしている堂だ。
 歩を進めると、彼の姿が遠目に見えてきた。
 スラリと背が高く、足なんてどれだけ長いのだと二度見するほどで、スタイルが完璧である。
 職業柄きちんと身体を鍛えているのだろう。ガッシリとした身体には警察官の制服がよく似合っている。
 短髪の黒髪は艶やかであり、目鼻立ちはすっきりとしていてまさに〝ハンサムというのはこういう人のことを言う〟という見本みたいな人だ。
 遠くにいても、彼の姿がすぐに視界に飛び込んでくる。
 思わず拝み倒したくなるほど、愛莉の目には彼から後光が差しているように見えた。
 ――今日も変わらず格好いい。
 常にスポットライトで照らされているに違いない。
 そんなバカなことを考えてしまうぐらいに、彼はキラキラと輝いている。
 こっそりと心の中で手を合わせながら、ドキドキしている胸に「静まって」とお願いした。
 交番まで、あと五十メートルほど。一歩足を動かすたびに、心臓は高鳴り苦しくなってくる。
 堂の前を小学生数名が歩いていくのが見えた。
 彼らは「おはようございます!」と元気いっぱいな声で堂に挨拶をしている。
 そんな彼らに「おはよう。気をつけて。今日も一日頑張って」と言う。
 声は優しさに満ちていて、聞いているこちらが幸せな気持ちになる。
 小学生たちは「はーい」と元気よく返事をすると、彼の前でピシッと敬礼をした。
 優しい眼差しで彼らを見たあと、堂は彼らに敬礼を返す。
 この交番前ではよく見かけるが、なんともほんわかと幸せな気持ちになる光景だ。

「じゃあね~」

 小学生たちが手を振って去っていく姿を見て、堂も手を振った。
 一分一秒無駄にできない殺伐とした朝の風景が、彼らのやり取りで空気が和んだ。
 周りの人たちも、頬を緩ませている。
 いいものが見られた。一日仕事を頑張れるだろう。思わず足取りも軽くなる。
 先程の小学生とのやり取りを見てもわかるように、堂はとても優しい人だ。
 しかし、そのことを知っているのは、残念ながら愛莉だけではない。
 ここを通る女性は、堂の魅力を知っているはず。誰もが一度は彼に頬を赤く染めたことがあるのではないか。
 そんな疑いを抱いてしまうぐらい、堂は人気があるのだ。
 下は赤ちゃんから、上はご年配のおばあさまたちまでも虜にしている。
 堂が交番前に立つ日は、なぜだか立ち止まって声をかける女性が多いのがその証拠だろう。
 彼の爽やかさに心をときめかせ、彼の低くて魅惑的な声に頬を赤く染める。
 そんな一連の流れを何度も目撃していた。
 ライバルは山のようにいると考えていいだろう。そう考えるとへこたれそうになるが、それでもこの恋心は大事にしたいと思っているし諦めたくないとも思っている。
 少しでも彼の印象に残りますように。心の距離が縮みますように。
 そんなふうに願いながら、歩調を調節する。
 ――頼むから、信号よ。赤になってちょうだい!
 普通なら「信号で止まりたくないから、赤にならないで」と願うことだろう。
 朝の忙しい出勤時などは、誰だってそう思うのが普通だ。一分一秒を無駄にできない。そう考える人が大半なはず。
 しかし、愛莉は違う。どうにかして赤信号に捕まってしまいたい。
 そうすれば交番手前で足を止められて、堂に挨拶ができるからだ。
 毎日、堂が交番前で立っているわけではない。ひと月の中でも数えるほどだ。
 だからこそ堂が立っているときには、何が何でも交番前で立ち止まりたい。
 前回は信号が運悪く青になってしまい、挨拶ができなかった。
 信号が青になれば人の流れが速くなり、交番前まで行けずに横断歩道を渡らなければならなくなる。
 どうにか赤になるタイミングで交番前に行けるように歩調を合わせようとするのだけれど、往来を歩く人もいるのでのんびり歩いていたら邪魔になってしまう。
 それに変な動きをしていたら周りから不審がられる。それは避けたいのだけれど……
 歩調と信号の変わるタイミングを合わせるのが、とにかく難しい。
 さて、今日はうまくいくだろうか。
 歩幅を調整しながら慎重に足を運ぶ。

「ヨシッ」

 小さく呟き、グッと拳を握る手に力が入る。
 今日はうまく信号に捕まることができて、交番前に辿り着いた。
 いつも鏡で練習しているとびっきりの笑顔を準備しつつ、堂の前に立つ。
 少しでもかわいらしく見えますように、と願いながら彼に声をかける。

「おはようございます、堂さん。急に寒くなりましたね」
「おはようございます。ええ、気温が一気に下がりましたから。今日一日かなり冷え込むらしいですよ」

 堂に満面の笑みを向けられ、それだけで心が浮き立ってしまう。
 声が弾んでしまいそうになるのをグッとこらえながら、背の高い彼を見上げる。

「これから忙しい季節に入りますから、大変ですよね」

 現在、十一月初旬。ここから年末にかけて街が賑やかになっていく。
 忘年会シーズンに突入するため夜になれば人出も多くなるし、何より宴会帰りの人たちでごった返す。
 昨今そういった会をやめる動きが出ているところもあるようだけれど、それでも年末に向けてお酒を飲む機会が増えるのは確かだろう。
 人出が増えれば、やはり警察官の仕事も必然的に増えることになる。
 愛莉は身内に警察関係者がいることもあり、年末年始に彼らがとても忙しそうにしているのを何度も見かけていた。
 そういう意味を込めて言ったのだが、堂は少しだけ目を見開いて驚いたあとに目元を緩める。

「それはお互い様でしょう? 日吉ひよしさんも仕事が忙しくなりますよね?」

 確かにその通りだ。現在、入社して二年目の二十四歳。だんだんと任される仕事が増えてきた。
 年末近くになると、帰宅時間が遅くなってしまうことは昨年の教訓でわかっている。
 今年はどうなるのか。考えただけで、恐ろしくなってきてしまう。
 そうだった……、と青ざめながら呟くと、堂はこちらの心が晴れやかになるほど爽やかな笑みを浮かべてきた。

「夜遅くなるときがあるかと思いますが、とにかく人通りのあるところを選んで帰宅してくださいね」
「はい! わかりました……っ!」

 堂の優しい気持ちが伝わってきて、ジーンとしてしまう。
 警察官としての言葉だったとしても嬉しい。今日は朝からラッキー続きだ。
 赤信号で止まることができたし、堂とも挨拶ができた。その上、気遣いまでいただいた愛莉は天にも昇る気持ちだ。
 ゲームでパワーアップアイテムをもらったときのように、現在の愛莉は無敵である。
 嫌味を言うばかりの部長とばったり遭遇したとしても、笑顔で攻撃をかわせる自信ありだ。
 思わずその場でターンでも決めてスキップで駅へと向かっていきたい気持ちを抑えていると、堂が信号を指差した。

「青になりましたよ」
「あ……」

 なんて短い逢瀬なのだろう。ガックリと肩を落としたが、確かにこうしてはいられない。
 朝の一分一秒が無駄にできないのは、愛莉だって同じだ。
 一本電車を遅らせてしまったら、さすがにマズイ。就業開始時間に間に合わなくなってしまう。
 ようやく現実へと意識が向き、堂に会釈をしてその場を離れようとした。
 すると、彼は愛莉に向かって声をかけてくる。

「いってらっしゃい」

 その声を聞いて、勢いよく振り返った。小さく手を振ってくれる堂を見て、幸せのゲージが満タンになったのを感じる。

「はい、いってきますっ!」

 こんなに優しい声で言われたら、誰だって笑顔になるだろう。
 意図せずとも、とびっきりの笑顔になる。もう一度、彼に会釈したあと、すぐに横断歩道を渡った。
 ――今日は、いっぱい話せちゃった!
 とはいえ、時間にしてものの一分だ。これでいっぱいとは言えないかもしれない。
 それでも愛莉にとっては大満足の幸せタイムだった。この感激を噛みしめながら、駅の改札を抜けていく。
 愛莉が堂と会えるのは、彼が勤務中のときのみだ。
 それも向こうは仕事として交番前に立っている。そんな人と長話なんてできるはずがないし、迷惑なんてかけられないだろう。
 だからこそ信号待ちの限られた時間、それも堂が忙しくないときのみしかこんなふうに言葉を交わせられない。
 今朝のように彼と挨拶以外の会話ができる日は結構レアケースだ。

「あぁ、幸せ」

 欲を言えば、もっともっと彼のことを知りたいし話したい。それが本音だ。
 しかし、愛莉にはこれ以外の彼とお近づきになれる方法を知らない。
 だからこそ、こうして高鳴る鼓動を抑えながら挨拶をする。今の自分ができる最大限の努力だ。
 彼に恋心を抱いてから、早七ヶ月。顔見知り程度にはなれたが、なかなか次のステップには進めないのが現状だ。

「堂さんと、もっと話す方法はないかなぁ」

 小さく呟いた声は、通過電車が走る音でかき消される。
 ずっと頭を悩ませているのだが、なかなか妙案は浮かんでこない。
 何しろ彼との接点があまりになさすぎるのだ。そんな状況で彼との距離を縮めるのは難しい。
 共通の友人でもいれば話が早いのだろうけれど、そんな伝はない状況だ。
 唯一残された方法はある。だが、それはかなりハードルが高いのが難点だろう。
 彼に直接誘いをかける。もしくは告白をする。この方法しか残されていない。
 電車が通り過ぎたあとに残ったのは、愛莉の盛大すぎるため息だけだ。
 ――そんなの、絶対に無理だよぉぉぉ……
 なかなか前に進まない恋に打ちのめされている愛莉をよそに、大量の人を乗せた電車がホームへと滑り込んできた。
 電車はゆっくりとホームへと到着して扉が開く。
 車内の様子を見ただけで、うんざりしてしまった。
 残念ながら、降車する人はまばらだ。ギュウギュウ詰めになっている車内へと果敢に挑む。
 なんとか今朝も乗り込めたと安堵している間に、電車は次の駅へと向かって動き出した。
 ガタゴトと揺れる車内でつり革を持ちながら、堂との出会いを思い返す。
 堂が今の交番に配属される、ひと月ほど前。違う駅前交番で愛莉は彼に助けられた。
 それが、彼との初めての出会いである。
 桜の花が散り始めた、四月。大学の友人が結婚することになり、二次会にお呼ばれしたときのことだ。
 当時、愛莉の周りは誰も結婚をしておらず、人生初の結婚式の二次会に参加することになりドレスアップにも力が入っていたのだが……
 それが思わぬ悲劇を招くことになってしまったのだ。


    * * * * *


 ――気合い入れて、こんなにヒールの高いパンプスを履かなければよかったかも。
 普段来ない街で、自分の足下に視線を落とし、小さく息を吐き出す。
 このパンプスは、二次会に出席するために新調したものだ。履き慣れていないため、足先が痛くなってきている。
 せめて何度か履いて慣らしておけばよかった。そんなふうに思っても、あとの祭りである。
 半べそをかきながら、紫色がかった空を見上げた。
 この街に降り立ったときはまだまだ陽は高い位置にあったのだが、今はすっかり地平線の彼方へと落ちようとしている。
 少しずつ暗くなっていく街。その光景を見るたびに心細さが加速していく。
 二次会開始時間は十八時だが、会場最寄り駅には念のために一時間半以上前に到着していた。
 降り立ったことがない駅である上、地図で見ても少しわかりづらい場所に会場があったため早めに家を出てきたのだが……
 やっぱり正解だったのかもしれない。
 現在、絶賛迷子中だ。何度、同じ場所をグルグルと回っているだろうか。
 元々方向音痴だということは自覚していた。だからこそ、早めにやって来たのだが……
 まさか一時間近く経っても会場に辿り着けず、途方に暮れることになるとは思ってもいなかった。

「自分の方向音痴を甘くみていたかも……」

 ため息交じりで呟いた声は、なんだか今にも泣き出してしまいそうなほど頼りない。
 成人を迎えて数年経ち、世間では大人だと言われる年齢だ。それなのに、こんなことで泣いている場合ではないだろう。

「よし、もう一度頑張ろう!」

 スマホの地図アプリだけが頼りだ。
 ――頼むぞ、アプリ!
 そんなことを心の中で呟きながら、辺りをキョロキョロと見渡す。
 先程は目の前の道を歩いてみたが、残念ながら会場を見つけることはできなかった。
 それならば、今度は大通りから一本逸れた道を行こうか。
 歩きスマホは危ないから、とアプリを終了してバッグに突っ込み、一歩を踏み出そうとしたときだ。
 背後から声をかけられた。

「何かお困りですか?」
「え?」

 半泣き状態で振り返ると、そこには一人の警察官が立っていた。
 二十代後半ぐらいの彼は、とても背が高い。思わず見上げ、勝手に緊張してしまう。
 愛莉と目が合うと、警察官の男性は唇に笑みを浮かべた。
 そのほほ笑みを見ていたら、硬直していた身体と心からゆっくりと力が抜けていくのがわかる。
 救世主が現れた! そんな気持ちになったからだろう。安堵感が半端ない。
 すがるような気持ちでいると、彼は柔らかい表情を向けてきた。

「かなり前から交番の前を何度も行き来していますよね?」
「交番……?」
「ええ。交番です」

 彼が指差すところに交番が存在していた。どうして自分の目は交番を見落としていたのだろう。節穴もいいところだ。
 さっさと交番で道を尋ねれば、こんなふうに迷子にならなくてもよかったのにとガックリきてしまう。
 だが、そもそも交番を見つけられなかったのだから、やはり愛莉の目は節穴だということだ。
 盛大に肩を落としていると、警察官の彼はクスクスと楽しげに笑い出した。
 呆気に取られて彼に視線を向けると、「失礼しました」とこれまた優しげな口調で謝ったあと、再度問いかけてくる。

「どこかに向かわれているのですか?」

 これだけ交番の前をグルグルしていれば、自ずと迷子だとわかったのだろう。
 いい大人が迷っていることが知られてしまい恥ずかしい気持ちでいっぱいだが、ここは救世主に助けを求めるのが正解なはず。
 今日の主役である友人から送られてきた二次会の招待状を見せる。

「このお店を探しているんです」

 すると彼は、困ったように眉尻を下げて駅の方面を指差した。

「ここの店でしたら、駅裏になりますね」
「駅裏……」

 ということは、全然見当違いな場所で行ったり来たりしていたというのか。
 愕然としていると、交番から飛び出してきた一人の警察官が声をかけてきた。

「たかどのさん。俺、そろそろ巡回に行ってきます」
「いや、いい。俺が代わりに行ってくる」
「え? いいんですか?」

 驚いた様子の同僚らしき警察官に、彼は小さく頷く。

「この女性、道に迷って困っているみたいなんだ。彼女を送りつつ、巡回を済ませてくるから」

 彼、〝たかどの〟がそう言うと、その警察官は「わかりました」と頷いて交番へと戻っていく。
 その警察官を見送ったあと、彼は愛莉を振り返った。

「では、行きましょうか」
「え……? ええ!? 悪いですよ」

 顔の前で両手を振り、全力で遠慮をする。
 警察官は日々多忙を極めているだろう。そんな人にお願いするのは心苦しい。
 行き方だけ教えてもらえれば一人で行くと主張したのだが、彼は首を横に振る。

「いえ、私が連れていきます。そうしないと、開始時間までに間に合わないかもしれないでしょう?」

 彼は愛莉がどれほどこの辺りで迷子になっていたのか、すべて知っている。
 愛莉を一人で行かせたら、再び迷って二次会開始時間に間に合わなくなるかもしれないと危惧しているのだろう。
 そのことに関しては反論できない。自他共に認める方向音痴は折り紙つきだ。
 チラリと目だけで彼を見上げる。すると、彼と目が合った。
 その瞬間、ドキッと胸が躍ってしまう。一瞬、呼吸をするのを忘れてしまっていた。
 ――格好いい……!
 先程までは余裕が全くなくて気がつかなかったが、この警察官はかなりのイケメンだ。
 それもこんなふうに優しくされてしまったら、勘違いしそうになる。
 しかし、素敵な警察官と歩くのは気が引けてしまう気持ちもある。やっぱり断ろうと思っていると、彼は腰を屈めて視線を合わせてきた。

「ほら、行きましょう。お知り合いの門出です。お祝いしに行くのですよね?」

 先程彼に招待状を見せたので、愛莉が結婚式の二次会へ出席することを察したのだろう。優しく問いかけてくる。
 警察官として市民を助けてくれるつもりで、他意などない。
 それはわかっているが、警察官がこんなに優しく親身になって接してくれるなんて思ってもいなかった。
 今まで警察官には勝手に怖いイメージを持っていたのだが……
 ――おまわりさんって、丁寧で優しいんだ……
 ホッと胸を撫で下ろしながら頷くと、彼と歩いていく。

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