本性は塩対応のスパダリ警察官が私にだけ甘く愛を囁いてきます

橘柚葉

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1巻

1-2

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 この街にやって来たのは初めてだったことを話すと、彼は納得したように頷いた。

「北口と南口を勘違いして駅を出てきてしまう人は結構たくさんいるんですよ。ちょっとわかりづらいですからね」
「そうなんですね」

 愛莉のように迷う人がいると聞いて、少し安心した。だが、〝たかどの〟は少しだけ意地悪っぽく笑う。

「でも、一時間近く粘って一人で目的地に行こうと頑張っていたのを見たのは貴女あなたが初めてです」
「っ!」

 恥ずかしくて顔を真っ赤にさせていると、急に彼は駅の構内にあるベンチを指差した。

「そこに座っていてください」
「え?」

 それだけ言うと、なぜかドラッグストアへと走っていってしまう。
 どうしたのかとオロオロしながら待っていると、彼はレジ袋を持って戻ってきた。
 そして、中身を取り出すと差し出してくる。

「これ、使ってください」
「え?」

 靴ずれを防止するためのパッドだった。驚いて目を瞬かせていると、彼は開封して手渡してくる。

「足、辛くないですか?」
「あ……」

 おろしたてのパンプスで歩き回ったせいだろう。
 最初は足先だけが痛かったのだけれど、少し前からはかかとも擦れて痛みが走り出していた。
 左足を庇うような動きをしていたので、気がつかれてしまったのかもしれない。
 彼は心配そうに腰を屈め、愛莉を見つめてくる。

「自分は使ったことはないのですが、妹が靴ずれしたときに使っていて痛みが軽減したと言っていたので」

 ビックリした。まさかこんなにも気遣ってくれるとは思っていなかったからだ。
 道案内までさせてしまっているのに、こうして足の心配までしてくれる。本当に優しい人だ。
 感激して何も言えずにいると、急に彼は慌てふためき出す。

「あ、申し訳ない。ちょっとおかん気質があるみたいで……。妹たちにも引かれることがあるから気をつけていたのですが」

 確かに、こういう行動を咄嗟に取るのは難しい。
 普通なかなか気がつかないはずだ。
 恐らく、常日頃から妹たちの世話をしている、面倒見のいいお兄さんなのだろう。
 そういうところがお母さんみたいだと言われてしまう所以なのかもしれないが、別に引かない。
 むしろ尊敬の眼差しで見つめてしまう。
 自分が大雑把で気配りというものができない無頓着な性格だからだ。
 愛莉が尊敬の念を抱いているのに、彼はそのことに気がついていない様子である。
 少し頬を赤らめ、必死になって取りつくろおうとしているのが見て取れた。
 ――なんだか、かわいらしい人だな。
 最初は警察官というだけで、なんとなく近寄りがたいと思っていた。しかし、今は〝たかどの〟に対してそんなふうに思わない。
 彼から靴ずれを防止するパッドを受け取り、心を込めて感謝を伝える。

「ありがとうございます。嬉しいです」

 表情からも伝わるよう、とびっきりの笑顔を向けることも忘れない。

「引くなんてあり得ないです。私、がさつで心配りとか全然できないから……尊敬しちゃいます」

 ありがとうございます、ともう一度お礼を言ったあと、ベンチに座ったままでパンプスを脱ぐ。
 彼にもらったパッドをパンプスのかかと部分に貼り付けたあと、恐る恐るパンプスを履いて立ち上がる。
 ゆっくりその場で足踏みをしたけれど、先程からの痛みは軽減されていた。パッドのおかげで靴が直接肌に当たらなくなったからだろう。
 ホッと胸を撫で下ろしたあと、堂を見上げる。
 なぜか呆けた表情をしている彼を不思議に思いながらも、ペコッと勢いよく頭を下げた。

「本当にありがとうございます。痛みがなくなりました!」

 これから二次会へと向かうところだし、会が終われば帰宅しなければならない。
 まだまだ歩くので、これ以上靴ずれが悪化してしまったら歩けなくなるところだった。
「〝たかどの〟さんのおかげですね」と言うと、彼は不思議そうに首を捻る。

「名前……」
「あぁ、先程同僚の方がおっしゃっていたから……違いましたか?」
「いえ、合っています」
「よかった。どんな字を書かれるのですか?」

〝たかどの〟という名字は今まで聞いたことがなく、想像がつかない。
 すると彼は「とりあえず向かいましょうか」とうながしてくる。
 確かに二次会開始まで、あまり時間がない。急いだ方がいいだろう。
 痛みが取れた足は動きも軽い。速く歩くことができそうだ。
 しかし、彼の歩調はゆっくりだ。足が長い彼ならば、本来はもっと速く歩けるはず。
 それをしないのは、愛莉を気遣って歩調を緩めてくれているからだろう。
 彼が〝おかん気質〟と言われるのは、こうして人の気持ちを汲み取るのがうまくて優しいからに違いない。
 彼の妹たちが羨ましい。こんなお兄さんが欲しい。
 そんなふうに思いながら、横を歩く彼を見上げる。

「寺院などの本堂の〝堂〟の字ってわかりますか?」
「はい」
「〝堂〟一文字で〝たかどの〟と読みます」
「へぇ……」

 堂の字にそんな読み方があるなんて知らなかった。漢字は奥深いなぁと感心しながら、思いついたことをそのまま口にする。

「もしかして、ご実家はお寺ですか?」
「ははは、よく聞かれます」

 やはり短絡的だったか。苦く笑うと、彼は首を横に振った。
 うちはごく普通の家ですよ、と笑みを浮かべると、彼は前方のレストランを指差す。

貴女あなたが探していたレストランは、あそこです」

 彼の指差した先を見ると、確かにドレスアップした人たちが店の中に入っていくのが見えた。
 店先まで来ると、小さな黒板に『本日貸し切り』の文字が書かれてある。このレストランで間違いなさそうだ。

「本当に真逆を探していたんですね……私」

 一時間近くさまよっていても、見つからないはずである。
 改めて自分の方向音痴さ、そして地図の見方が下手であることが露見されて項垂うなだれてしまう。
 肩を落としていると、堂は笑って慰めてくれた。

「今度はなるべく早めに人に聞いた方がいいですね。交番が近くにあるようでしたら、聞いてくだされば警官は答えられますから」

 肝心の交番が見つからなかった愛莉にはなかなかハードルが高そうだが、それが迷子にならないための秘訣だろう。

「はい、そうします……」

 素直に返事をしたあと、堂に頭を下げた。

「ここまで送っていただきましてありがとうございました」
「いえいえ、これも仕事の内ですから。お気になさらないでください」

 では、と背中を向けて歩き出そうとする彼に慌てて声をかける。

「待ってください、堂さん!」
「え?」

 振り返った彼を見ながら、バッグの中をガサゴソと探り出して財布を取り出した。

「靴ずれ防止パッドのお金、支払います。いくらでしたか?」
「いえ、いりません。私が勝手に購入したものですから。お気になさらないでください」
「いえいえ、そんな訳には――」

 いかないです、と続けようとしたが、彼は首を横に振る。

「職務ではなく、ただ私が世話を焼きたくなっただけですから」

 お構いなく、それだけ言うと、颯爽とその場をあとにしていく。
 本当にいいのだろうか。そんな気持ちで見送っていると、彼は急に立ち止まった。
 どうしたのかと不思議に思っていると、彼は振り返って言ってくる。

「帰りは、ご友人と一緒に帰ることをおすすめします。では」

 それだけ言うと、彼は駅へと向かって歩き出す。
 彼の姿が見えなくなるまで見送ったあと「素敵な警察官さんだったな」と人の優しさを噛みしめながら会場へと入っていく。
 懐かしい面々が、あちらこちらにいる。愛莉の姿を見て、友人たちが手を振ってきた。

「久しぶり、愛莉! ちゃんと辿り着けて偉いじゃん!」
「……一年ぶりに会った友人に対して、第一声がそれ?」

 不貞腐れながら椅子に腰かけると、友人たちは口々に言ってくる。

「だって、愛莉の方向音痴は有名だもの。私たち、ずっと心配していたのよ?」

 彼女らは顔を見合わせて、うんうんと深々と頷く。

「大学入って一年経ったあとも、構内で迷子になっていたじゃない」
「そうそう! それに就職試験の最終面接だって、試験会場になかなか辿り着けなくて青ざめて電話をかけてきたのは誰だったかな?」
「そう言えば、迷子失恋事件もあったわね……」
「あれは、あの男が酷いのよ」
「サイテーな男だったわよね。迷子になったって連絡入れてるのに、最終的に待ち合わせの場所に一時間遅れたからって別れを切り出してくるなんて」
「愛莉が迷子気質だって知って、より別れを意識したって何様のつもり?」
「心が狭い男だったから、縁が切れてよかったのよ」

 顔が引きってしまう。だが、友人たちが言っていることはすべて本当のことだ。

「愛莉の迷子伝説を語らせたら、半日はかかるわよね」

 面々は再び深く頷く。残念ながら愛莉も思わず頷いてしまった。
 こうして今までの迷子による黒歴史を並べると、散々なことばかりだ。なんだか自分が可哀想になってくる。
 しみじみとこれまでの迷子の歴史に苦い思いを抱いていると、友人たちはなぜか晴れやかな表情へと変化した。

「でも、こうして時間内に辿り着いたってことは、迷子にならなかったってことでしょう?」

 よかったわねぇ、と口々に言う友人たちを見て、ばつが悪くなりえへへと力なく笑う。

「残念。一時間ほど迷子になっておりました……」

 この発言を聞いて、皆が「はぁ!?」と大声を上げる。そして、一斉に愛莉を見てため息を零した。

「さっさと連絡を寄越してきなさいよ」
「そうよ。そうすれば迎えに行ったのに」
「私なんて愛莉からSOSが来るかと思って、スマホをずっと握りしめていたのよ」
「あ、私も!」

 どうやら皆に心配をかけていたようだ。それも仕方がない。学生時代、彼女らは愛莉の迷子の歴史を目の当たりにしていたのだから。
 心配するなという方が無理というものだろう。
 散々お小言を言われたあと、どうやってここまで辿り着いたのかと聞かれたので素直に答えた。

「なるほど。警察官に聞くのが一番だよね」
「聞くっていうか……。私が同じ場所を行ったり来たりしていたのを見て、心配して声をかけてくれたっていうか」

 自分で話していて情けなくなってくる。肩を落としていると、彼女らは口を揃えて言い出した。

「でも、声をかけてきたのが警察官でよかったじゃない」
「え?」
「柄の悪い男とか、ナンパ目的だったりしたら質が悪かったわよ」

 確かにその通りだ。変な人に絡まれなくてよかった、と胸を撫で下ろす。すると、友人は優しい言葉をかけてくれる。

「でも、無事辿り着いてよかったよ」
「うん、ありがとう。警察官の人、めちゃくちゃいい人だったんだよ。人の温かみを感じたよ」

 堂を思い浮かべ手を合わせて拝み出す愛莉を見て、友人たちはニンマリと意味深な笑みを浮かべた。

「お? 恋に発展しそう?」
「はぁ!?」

 今度は愛莉が声を上げてしまう。会場内は賑やかだったため目立つことはなかったが、慌てて口を手で押さえる。

「何を言っているのよ!」
「えー、だってあの心の狭い男と付き合ったのが最後でしょう?」
「……うん」

 早々に破局を迎えたため、付き合ったと言っていいものかどうかわからないが、その通りだ。
 あのときも一方的に言い寄られ、押され気味で付き合うことになった。
 それなのに、結局すぐに相手は熱が冷めてしまい振られることになってしまったのである。なんとも苦い思い出だ。
 その後、誰とも付き合っていないし、恋に発展するような出会いもしていない。
 社会人になり、色々な人と関わってきた。しかし、運命の出会いは今のところ皆無だ。
 だからと言って、さすがにこれだけで恋には落ちないだろう。
 ――でも、堂さん。優しいし、格好良かったなぁ。
 ある意味、恋に落ちる要素はあった。だが、さすがにない。首を横に振って否定する。

「恋って難しいよねぇ。どうやったら恋ってできるの? どういうのが恋なの?」

 生まれてこの方、恋らしきものに遭遇したことがない。
 皆は「そんなに難しく考えなくてもいい」とは言ってくれるが、イマイチ恋するラインがわからずにいるのだ。
 人によって恋する基準は様々だとは思う。
 一緒にいて居心地がいいという人と付き合うこともあるだろうし、劇的な出会いで恋に落ちる人もいるだろう。
 だが、ピンと来ない。だからこそ、焦る部分があるのも確かだ。
 そんな愛莉を見て、皆が「いつかわかる日が来るって」と慰めてくれる。でも、そんな日が本当に来るのだろうか。
 兆候が全くない今、慰めの言葉を聞いても心に響いてはこない。だけれど――
 ――いつか来るといいなぁ。
 そんな淡い期待を抱くだけに止めておいた。
 恋ができなかったとき、悲しすぎるからだ。
 少々不貞腐れ気味な愛莉だったが、この二次会の後に「これは運命だ!」と思えることが起きるなんて、このときは微塵にも感じていなかった。 




    2


 二次会はつつがなく終わりを迎え、新郎新婦に見送られながら店を出る。
 このあと友人たちは三次会へと向かうようだが、愛莉は帰ることにした。
 明日は早めに家を出て、セミナーに参加することが決まっているからだ。
 入社して二年目の社員は全員参加が義務づけられているため、どうしても出席しなければならない。
 そのため今日は早めに帰って、しっかりと寝なければ。セミナーの途中で居眠りなんて御法度だ。
「一人で帰る」と言うと、友人たちは駅まで付き添ってくれると言ってくれた。
 だが、それを丁重に遠慮した。

「大丈夫だよ。だって駅は目と鼻の先だし」

 ふと堂の言葉――『ご友人と帰ることをおすすめします』と言われたことを思い出したが、さすがに大丈夫だろう。
 ここから駅まではほとんど一本道なので、今度は迷いようがないはずだ。
 友人たちにそう言うと「確かに」と納得してくれた。
「それでも迷子になって困ったら連絡ちょうだいね」という優しい言葉をかけてもらい、彼女らを見送ったあとに駅への道をのんびりと歩き出す。
 少しだけお酒を飲んだためか。それとも友人の幸せそうな顔を見たからか。
 幸せ気分で駅までの道を歩いていく。
 慣れないパンプスではあるけれど、堂に買ってもらったパッドのおかげで痛くはない。
 そのことに、ホッと胸を撫で下ろす。
 もし、あのとき堂が気を回してパッドをくれなかったら、あのまま痛い足を無理に動かして二次会会場まで歩いただろう。
 そんなことをしていれば、今頃痛みで歩けなくなっていたはずだ。

「堂さんに感謝だよね」

 彼は〝おかん気質〟ではないか、引いてはいないか。そんな心配をしていたが、全くそんなふうには思わなかった。
 そのことを、もっとしっかり伝えておけばよかったと後悔する。
 彼が勤務している交番の場所は知っているが、わざわざそのことだけを伝えにいくのも気が引けた。
 そう考えると、今後この地域で何か愛莉の身の上に問題が起きない限り、堂と会うことはないのだろう。
 ちょっぴり寂しい気持ちを抱きつつ、だけれど優しい人に出会えたことに感謝する。
 心がほんわかと温かい。そんな幸せ気分に浸っていると、背後から誰かに肩を掴まれた。
 突然のことで驚きのあまり身体がビクッと震えてしまう。

「待って、愛莉ちゃん」
「え?」

 驚いて振り向くと、そこには二次会に出席していた男性がいた。
 二次会の司会をしていたその男性は、高木たかぎと呼ばれていたはずだ。
 司会進行という立場で、出席者に満遍まんべんなく話しかけていたのは覚えている。
 当然、愛莉とも挨拶程度だが話す機会があった。とはいえ、それだけの関係だ。
 それなのに突然名前呼びをされて、ビックリしてしまった。
 目を大きく見開いて驚いていると、高木は頬を赤く染めてこちらを見つめてくる。

「急に、ごめんね。それも名前呼びしちゃって。君の名字がわからなくて、名前で呼んじゃった」
「い、いえ……」

 新婦を含め、周りの友達は皆が〝愛莉〟と名前呼びをしていた。
 披露宴なら席次表が配られるところだが、二次会なのでそういった個人を特定できるようなものはない。
 だからこそ周りが言っていた名前を覚えていて、声をかけてきたのだろう。
 そのことに関しては理解できたが、どうして彼は愛莉を引き留めてきたのだろうか。
 三次会に参加する面々は、次の会場へと向かっていくのを見送っている。
 当然二次会の取りまとめをしていた彼は、三次会にも出席するものだとばかり思っていた。
 それなのに、どうしてここにいるのだろうか。

「何かご用ですか? それに三次会は出席しないんですか?」
「うん、僕も君と同じで明日の朝早いから。三次会は欠席させてもらったんだ。愛莉ちゃんも帰るって聞いたから、駅まで一緒にどうかなと思って」
「は、はぁ……」

 送ってくれるつもりなのだろう。だが、彼とはほとんど初対面だ。
 これといった接点がないので、急に言われても困ってしまう。
 彼にしてみたら厚意のつもりなのだろう。女性一人での夜道は危ないからと思って声をかけてくれたに違いない。
 それならば、と思ってOKの返事を出そうとした。だが、高木がニンマリと笑ったのを見て言葉を咄嗟に呑み込む。

「なぁんてね。それは口実」
「……口実?」
「そう。僕、愛莉ちゃんのことが気に入っちゃったんだ。だから、連絡先を教えてくれない?」
「え? えっと……」

 馴れ馴れしく近づいてくる彼に恐怖を覚えているのだけれど、高木は愛莉が怯えていることに気がついていない様子だ。
 ベタベタと身体に触れてきて、スマホを差し出してくる。

「ねぇ、教えてよ? 俺と真剣に付き合ってみない?」

〝僕〟から〝俺〟に変わっている。
 愛莉に近づくために本性を隠して好青年を演じていた様子だが、少しずつそのメッキががれてきているのだろう。
 だんだん怖くなってきて、彼を振り切って逃げようとした。
 しかし、腕を掴まれてしまい逃げられなくなってしまう。

「逃げるなんて酷くねぇ? 別に取って食おうなんて思っていないからさぁ。連絡先を教えてよ」
「止めてください! 私、一人で帰ります」

 彼を振り切ろうとするのだけれど、強い力で腕を掴まれてしまって身動きが取れない。

「別に減るもんじゃねぇし、いいだろう? ん? もしかして俺の気を引こうとして、か弱い振りをしているのかなぁ? かーわいいー!」

 どうしたらそんな考えに辿り着くのか。呆気に取られていると、彼は強引に手を引っ張ってくる。

「これから二人で飲もうよ。俺、いい店を知っているんだ」
「ヤダ! 離してくださいっ!」

 必死になって抗おうとするのだけれど、やはり男性の力は強い。逃げ出せなくて途方に暮れる。
 辺りを見回して助けを求めようとするのだけれど、誰もが我関せずの姿勢を保ったままだ。
 視界がぼやけてくる。このままでは、この男によってどこかに連れ込まれてしまう。
 この街の地理は全くわからないし、方向音痴なために断言はできない。
 だが、駅への道とは違う方向に進んでいると思う。
 ――誰か助けて。
 心の中で叫んだときだった。愛莉を強引に引っ張っていた高木の動きがピタリと止まる。

「その子の手を離しなさい」

 低く迫力のある声だった。だが、その声に聞き覚えがあり、愛莉は咄嗟に視線を上げる。

「堂さん……っ!」

 二次会会場へと送ってくれたときは、警察官の制服姿だった。
 だが、今は私服姿だ。きっと勤務が終わり、帰る途中なのだろう。制服姿のときとは違った魅力を放っていた。
 堂は威圧的な空気をまといながら、高木を冷酷な目で見つめる。
 背が高くガッシリとした体型な上、整った顔の彼が鋭い目をしていると迫力がすごい。
 背筋が凍るとは、こういう状態を言うのだろう。堂の迫力に愛莉は息を呑む。
 だが、堂の雰囲気に圧倒されていたのは愛莉だけではなかったようだ。
 高木もまた、彼の纏う空気感に圧倒されていた。
 高木は、震えながら愛莉の腕を離す。すでに、彼は逃げ腰だ。

「で? その子に何か用でもあるのか?」
「ひ、ひぇ……っ」

 高木が情けない声を出す。だが、それも仕方がないだろう。堂の様子があまりに怖くて、誰だって恐れをなすはずだ。

「何か問題があるようなら、交番にでも行きましょうか?」

 堂は駅の方面を指差して、高木を見下ろした。
 堂の声は、ますます低くなっていく。そのたびに周りの温度が下がっていく気がした。
 高木はすっかり怯えてしまっていて、反論などできない様子だ。
 堂が一歩距離を縮める。それを見て、高木は転がるように逃げ出した。
 あまりの逃げ足の速さに呆気に取られていると、堂は心配そうに顔を覗き込んでくる。
 先程までの威圧的な雰囲気から一変、すっかり優しげな警察官の眼差しに変わっていた。
 ドキッと心臓が今までにないほど高鳴り、なんだか苦しくなってくる。
 切ないとか痛いとか、そういう苦しみではない。強いて言うならば……今までに体感したことがない類いのものだ。

「大丈夫ですか?」

 彼の優しい声を聞いて、我慢していた涙が零れ落ちてしまう。
 ポロポロと涙を流すと、堂はポケットティッシュを差し出してきた。

「すみません、こんなものしかありませんが」
「い、いえ……。ありがとうございます」

 ヒックヒックとしゃくり上げながら、彼が手渡してくれたポケットティッシュを受け取る。
 一枚取り出して涙を拭きながら、彼を見上げた。

「助かりました。本当にありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げると、彼は眉間に皺を寄せる。そして、高木が逃げ去った方面を見つめた。

「先程の男は知り合いですか?」
「知り合いというか……。二次会に出席していた方です」
「……ほとんど初対面ということですね」

 コクンと小さく頷くと、彼はため息を零す。

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