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1巻
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しおりを挟む「美玖。僕のことは心配無用だ。親戚一同にそう言っておいてくれ」
「私じゃなくて、新くんが親戚一同に言えばいいでしょ?」
美玖さんがピシャリと言いのけると、先生は黙り込み、再びビールを口にし始めた。
そんな様子の彼を見て美玖さんはあからさまにため息をつき、私に向き直る。
「で、こちらは私と同じ会社で働いている渋谷遙、二十七歳」
「渋谷……遙?」
先ほどまで私には無関心で目も合わさなかった先生だったが、美玖さんが私の名前を言った途端、驚いたように目を見開き、私をジッと見つめる。そして、どこか探るみたいに問いかけてきた。
「失礼。渋谷さん、君は滝本キヌさんというおばあちゃんを知っていますか?」
「え……は、はい。スポーツジムが一緒なもので。でも、どうして滝本さんのことを?」
滝本さんというのは、私が通っているジムで知り合った人だ。
御年七十五の元気なおばあちゃんで、一緒にプールで泳いでいる。
滝本さんと私は、サスペンスドラマが好きなことで意気投合した。ジムで会ったときに、その週に放映されたサスペンスドラマの批評をするのを密かな楽しみにしている。
それにしても、どうして先生は滝本さんのことを知っているのだろう。また、なぜ滝本さんを知っているのかと私に問いかけてきたのか。
意味がわからず首を傾げるものの、彼は答えてくれない。だが、その時を境に態度をガラリと変えてきた。
先ほどまで私のことは無視に近かったし、明らかに付き合いたくないというオーラを放っていた。
しかし、今はどうだろう。
私の顔に何かついていますか? と聞きたくなるほど私を見つめている。しかも、どことなくキラキラした目で。
その視線の熱さに、戸惑ってしまう。
私が困惑していると、美玖さんはニヤニヤと意味深に笑う。
「それじゃあ遙のプロフィールは本人に聞いてくれるかな、新くん」
そう言うと、美玖さんが突然立ち上がった。
私はそのことにビックリして声を上げる。
「美玖さん! どこ行くの?」
「あとは二人でどうぞ」
「二人でどうぞって! 美玖さん!」
美玖さんはさっさとハイヒールを履いて、手を振りながら個室を出て行ってしまった。
残された私は気まずいなんてものじゃない。
美玖さんのバカ。どうして初対面の二人を置いて帰っちゃうかなぁ。
明日、会社で絶対に抗議してやる。
でも、まずはこの局面を乗り切ることを考えなくちゃ。
とにかく最後の最後まで気を抜かず、自分を偽ろう。
元気すぎるいつもの私じゃなく、優柔不断で媚びを売る女を演じて、少しでも早く席を立つのだ。
心の中で改めて決意をし、目の前に座っている先生をチラリと見る。
すると、彼が未だに私を見つめ続けていたため視線が合いそうになり、焦って逸らした。
彼の視線を身体中に感じ、居心地が悪いなんてものじゃない。
さて、どんな理由をつけて席を立とうか。
そんなことを頭で考えながら、先生の様子をもう一度チラリと窺う。私と視線が合うと、先生はニッコリとほほ笑んだ。
その瞬間、ドキッと胸が高鳴って慌てて俯く。
(本当に、さっきまでの不機嫌はどこにいっちゃったの!?)
あまりのギャップに驚いたものの、落ち着いてくるに従い、どんどん可笑しくなってくる。
最初は肩を震わせるだけにとどめておいたのだ。だけど……
「プッ……あはは」
とうとう声を出して笑ってしまった。クスクス笑い続ける私に、先生は驚いたように目を見開く。
驚いたのはこちらですよ、と心の中で呟きながら、私は先生に言う。
「黒瀬先生はぁ、早く帰りたいんですよねぇ? 先ほどご自分でおっしゃっていましたしぃ」
「っ」
ぶりっこキャラを意識しつつ伝えると、先生は言葉に詰まったみたいだ。
「私と付き合いたくないっていうのがぁ、丸わかりでしたよぉ」
「渋谷さん」
困ったようにほほ笑む先生はとても可愛らしかった。
私より年上の男性に可愛らしいなんて言ったら、怒られるかもしれない。
だけど、そう思ってしまったのだから仕方がないだろう。
私はフフッと笑いつつ、先生にネタばらしをすることにした。
「実は私、先生の本当の姿を知っているんですぅ。なので、キャラクターを偽っても無駄ですよぉ」
「え?」
再び目をまん丸くする先生が可笑しくて、また声を出して笑う。
「年末、居酒屋で一人の男性を助けられたこと。覚えていますか?」
「年末? ……ああ!!」
課長が倒れてしまったときのことを思い出してくれたみたいだ。
先生は再び私の顔をジッと見たあと、ばつが悪そうな表情をする。そして困ったように眉を下げて、髪をかき上げた。先生の柔らかそうな髪が、サラサラと揺れる。
「渋谷さんはその場にいたということですよね? スミマセン、覚えていなくて」
しかも、貴方に腕を掴まれました。そう話したら先生はもっと驚くだろう。
だけど、それは口にせずに首を横に振った。
「仕方がないことだと思いますよぉ。あんな状況でたまたま居合わせた人間の顔を覚えているなんて無理ですもの」
何しろ緊急事態だったのだ。あの状態で私の顔を覚えていたなんて言われたら、どれだけ物覚えがいいのかと驚いてしまう。
恐縮し続ける先生に、私はほほ笑みかけた。
「ここで先生を見たとき、すぐにあのときのお医者様だってわかったんです~。だからぁ、一生懸命にキャラを作っている先生が可笑しくて噴き出しちゃったんですよぉ」
「そうですか」
そうですよ~、と甘えたように返したが、私の方は自分の素を隠しきれただろうか。
ドキドキする胸の辺りをギュッと握りしめる。
チラリと先生の顔色を窺ったが、特に変化はない。私にこれといって違和感を覚えていない様子だ。
ホッと胸を撫で下ろしつつも、自分の性格を偽ることがこんなにも難しいことなのだと今さらながらに実感する。
私が必死に動揺を隠そうしていると、先生は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「僕が性格を偽っていたこと、渋谷さんには初めからバレてしまっていたのですね」
「ええ、バレバレでしたよぉ。無理しているのがヒシヒシと伝わってきましたもの」
優しい性格は隠しきれるものじゃないようだ。
人のことをああだこうだと言える立場じゃないけど、わかりやすかったですよ、黒瀬先生。
相変わらず恥ずかしがっている先生が可愛くて、思わず頬を緩めてしまいそうになったが、気を引き締めて堪える。
私だけは最後まで演技を続けなければ。
この場さえ乗り切れば、こんな苦痛とはおさらばのはず。あと少しの辛抱だ。
決意を新たにした私の前で、先生はハハッと声を上げて笑った。
「そうですか。まぁ……従姉妹の美玖に何も聞かされず無理矢理連れてこられたもので。この場に腰を下ろしたときに今日のことを詳しく聞きました」
「ええ!? そうなんですかぁ?」
わざとらしく大きなジェスチャーをつけて驚く私に、先生は小さく頷く。
「ええ。とにかく会うだけ会ってくれと美玖が言うものですから……」
「仕方なく会うことにしたというわけなんですね?」
その通りです、と先生は深く頷いた。
「でもぉ、それってすごく悲しいですぅ」
そう言って科を作ると、先生は意味深にほほ笑んだ。
「それはすみません……今から店に来る女性は、朗らかで優しい男性が好みだと美玖から聞きましてね。その真逆を演じれば……貴女の方から断ってくれるかと思ったんです」
ここにも私と同じことを考え、実行に移した人がいた。
同志ですね、と声を上げて喜びたくなったが、我慢我慢。
代わりに、自分も望んで来たわけじゃないことを説明する。
「私も黒瀬先生と同じなんですよぉ。美玖さんに半ば脅されて来たんです。しかも、今日は合コンだって聞いていたのに、蓋を開けたら全然違っていてぇ」
「僕一人だけだった、というわけですね」
そうなんです、と頷いたあと、私は無理をしてビールを飲む。
(うわぁ、苦い。やっぱりビールは苦手だなぁ)
ついさっき、自分じゃ何も決めることができない優柔不断な女を演じようと考えた私は、咄嗟にビールを注文してしまった。
だけど、この調子では飲みきれそうにない。
しかし、飲まないと先生に不審がられてしまうだろう。
そう思って再び口を付けたが、苦いものは苦い。
困ったなぁ、とビールを見つめていると、先生が「失礼、メールが来たようなのでチェックしてもいいですか」と断りをいれてきた。
「いいですよぉ、どうぞ。うふふ」
私は語尾にハートマークが見えそうなくらい、甘えた系女子っぽく答えた。
自分で演じておいてなんだが、やっぱりこういうふうにぶりっこするのは疲れる。慣れないことをするもんじゃない。
一方、先生はキャラクターを偽ることをやめたのか、大人の対応をしてくれている。
年末の対応も格好よかったが、今の先生もステキだ。
彼に嫌われるために演技をしているとはいえ、人として嫌われたくないなぁ、と思う。
だが、だからと言って今さら演技をやめるつもりはない。
せっかくステキな男性と知り合いになれたのだから仲良くなりたいかも、と頭の片隅で考えないでもなかったけれど、やっぱり私に恋は無理だ。
特に眼鏡男子とは恋に落ちたくないし、そもそも男運が皆無の私では碌なことにならないだろう。
私がそう考えている間にメールチェックを終えたようで、先生は「ありがとうございます、終わりました」と温和な表情で礼を言った。
それに「いいえ~、大丈夫ですぅ」と甘えた演技をする。表面上は平然と答えたけど、内心はドキドキしていた。
先生の笑顔がとてもステキで、見惚れてしまったのだ。そんなこと口が裂けても言えないけど。
ドギマギしている私をよそに、先生は店員を呼び、私にメニューを差し出した。
「渋谷さんは何を召し上がりますか」
だが、私はメニューを受け取らずに首を横に振った。
「美味しそうなものばかりで一人じゃ決められないんです~。先生が決めてくれませんかぁ?」
自分で言っておいてなんだけど、甘ったれているにもほどがある。なんだかイライラしてきた。
こんな私にも、先生は優しく笑いかけてくれる。
ああ、もう、心苦しいです。
そんなに優しくほほ笑みかけないで。嘘をついている罪悪感で今すぐ逃げ出したくなるから。
ますます演技をするのが辛くなってきた私に、先生はほんわかとした雰囲気で尋ねる。
「わかりました。私が決めてもいいんですね?」
「……」
黙りこくって頷くと、先生は次々に料理を頼んでいく。
その内容は、女性が好みそうなものが多かった。
それも私の好きなものばかり。私の好物を知っているんですか? と聞きたくなるほどだ。
不思議に思いつつ、ビールに口をつける。
心苦しさを隠しながら口にするビールは、やっぱり苦い。
ビールに抵抗を感じ、テーブルにグラスを置く。だが、手持ち無沙汰になるのがイヤでビールのグラスに再び触れる。
すると、手が伸びてきてグラスを取られてしまった。ハッとして顔を上げると、何故か私のグラスを、先生が持っている。
あ然としている私に、先生は甘ったるい笑みを浮かべた。
「ちょっと待っていてください」
「え?」
どういうことかと驚いていたら、先ほど注文を受けていた店員がオレンジジュースを片手にやってきた。
「ご注文いただきました、オレンジジュースです」
「ありがとう」
先生は店員からグラスを受け取り、私の前に置く。
「渋谷さん、どうぞ」
「え?」
訳がわからず、私は目を白黒させる。
私の表情が面白かったのか、先生はクスッと笑った。
「ビールは私が飲みますから。渋谷さんはオレンジジュースをどうぞ」
「どうして……?」
目を見開く私に、先生は見惚れるような笑みで答える。
「本当はビール苦手なんでしょう?」
顔が一気に熱くなった。必死に演技していたことがバレている。
でも、すべて演技だと気付かれたわけではないはず。それに一度偽りの自分を見せた以上、貫き通すしかない。
動揺していることを悟られないよう細心の注意を払いながら、ぶりっこ再開だ。
「えー、そんなことありませんよ?」
先生が私から取り上げたグラスに手を伸ばしたところ、手首を掴まれる。
ハッとして先生を見ると、彼は真剣な顔をして首を横に振った。
「やめておきなさい」
「黒瀬先生」
「ビールが苦手なことはわかっていますから。こんなところで意地を張らなくていいですよ」
「っ!」
そんなに顔に出てしまっていたのだろうか。
まさか、ビールのことだけではなく、キャラクターを偽っているのもバレてしまっている……?
内心慌てていると、先生はスマホを手にばつが悪そうに笑った。
「美玖にメールをして貴女の食べ物の好みを聞いたんです。ビールは嫌い、好きな飲み物はオレンジジュース」
「えっ!」
「大根のサラダが好きで、焼き鳥はつくねが好き。お魚は焼き魚と煮魚、どちらも好物なんですよね」
「あ、えっと、その」
「お酒はあまり飲まないから、つまみとなる料理と一緒にご飯物も食べたくて、デザートは欠かせない」
「……」
どうやら、さっきのメールの相手は美玖さんだったらしい。ということは、私の演技がすべてバレたわけではないみたいだ。よかった。
「美玖情報ですから、間違ってはいないですよね?」
その通りです。思わず頭を垂れる。
美玖さんは一体どれほどの個人情報を先生に流したのだろう。
あとで絶対に抗議しなくては。そう心に誓いながら、どんどん運ばれてくる料理に目を向けた。
美味しそうな香りと湯気に誘われ、「いただきます!」とご機嫌に箸を付けたくなる自分を抑える。
今は穏やかに先生と食事を楽しんでいる場合じゃない。とにかく嫌われて帰らなくてはならないのだ。
美玖さんにも男性と付き合う気は更々ないと伝えているし、「無理強いはしない」という言質をとってある。
先生はとてもステキな男性だ。このまま一緒にいたら恋をしてしまうかもしれない。
だからこそ長い間一緒にいることは危険なのだ。手遅れになる前にさっさと帰った方が賢明だろう。
それに、先生にも裏の顔があるかもしれない。
これだけ格好いい男性なら美玖さんや親戚の目を盗んで、女の人を侍らしている可能性だって充分にある。
金銭感覚がなくて、私に金銭をたかってくる可能性だってないとは言い切れない。
危ない、危ない。早く逃げなくちゃ。
先生のほんわかした雰囲気にすっかり呑まれるところだった。ゆっくり食事を楽しんでいる場合じゃないはずだ。
失礼極まりないことばかり考えている自覚はある。でも、やっぱり眼鏡男子は信用できない。
それに、先生だって私と付き合いたくなくて、先ほどまで冷たい対応をしていたのだ。
お互い望んでいることは一緒だし、利害は一致しているはず。
それなら早急に話をつけて、この場はお開きにした方がお互いのためだ。
「さぁ、渋谷さん。食べましょうか」
そう言って小皿を差し出した先生に、私は首を横に振ってみせた。
「せっかくお料理を頼んでもらったのに、ごめんなさぁい。私はもう帰ろうと思います。でもぉ、黒瀬先生だって帰りたいと思っていたから、先ほどまで横柄な態度をしていたんでしょう?」
「……」
私の言葉に、先生は何も反論しない。
「先生が言ったんですよぉ? 誰とも付き合う気はないって」
「そうですね」
素直に頷く先生を見て、なぜか胸の奥がツクンと痛んだ。
それをごまかすように私は小さくため息をつく。
「美玖さんの顔を立てて来ましたけどぉ、私も断るつもりでここに来たので――」
これでお開きということで、と言いかけた私に、先生はどこか妖しげな笑みを浮かべた。
横柄で不機嫌な顔と、爽やかな笑みという両極端な表情を見てきたが、こんな笑みは初めて見た。
警戒心マックスで後ずさると、彼はフフッと意味深な笑いを零す。
「渋谷さんが先ほど言った通り、僕は誰とも付き合う気がなかったので断るつもりでいました」
「それなら、早くお開きにしましょう」
そう口にして腰を上げようとした途端、先生は真剣な口調で言った。
「ですが、相手が渋谷遙さんだとわかった以上、お断りする理由はありませんね」
「へ……?」
何を言い出したのかしら、この人は。
先生は、女性と付き合う気はないと言っていたはずだ。それなのに、今頃何故……?
頭の中が真っ白になった私の視線の先で、先生の眉が優しく弧を描いた。
「実は貴女に興味が湧いたのです。どうでしょう、まずはお試しで付き合ってみませんか?」
「無理です!!」
演技をしていることをすっかり忘れ、素の自分で叫んでいた。
演技なんて今は無理だ。とにかく発言を撤回してもらわなくちゃ。
間髪容れずに断ると、先生は人のよさそうなほほ笑みを浮かべる。
「どうして?」
「どうしてって……どうしてもです!」
こんな状況になるなんて夢にも思わなかったから、対応の仕方がわからない。
戸惑う私に、先生はもう一度「どうして?」と穏やかに聞いてきた。
その声に促されるように答える。
「私……眼鏡をかけている男性が苦手なんです」
「眼鏡、ですか?」
驚いた様子の先生に、私は小さく頷いた。
「はい。眼鏡をかけた男性との思い出はすべて最悪なんです……スミマセン」
「そうですか」
あまりにあっさりとした返事に拍子抜けしてしまう。
もっと、こう……畳みかけてくるかなぁと身構えていたのに。そこまでして付き合いたいと思っているわけではないみたいだ。
確かに先ほどまで先生の好みとは真逆の女性を演じていたし、嫌われても仕方がない態度をとってきたつもりでいる。
だけど、自分に魅力がないと言われたようで、チクンと胸の奥が痛む。
でも、いい。私は先生と付き合う気はない。ううん、男の人と恋をするつもりはないのだから、これでいい。これでいいんだ。
自分に言い聞かせるみたいに、何度も内心で呟きながら小さく頷く。
諦めてくれてよかった。もう、先生と会うこともないだろう。
これで、性格を偽るのは今日限りで済む。
やっぱり私には、こんなふうに優柔不断で甘えた態度をとるのは性に合わない。
……これでよかったんだよね。なぜか納得できていない自分にもう一度言い聞かせて俯く。
すると、正面から声がかけられた。
「他に理由はありますか?」
「え?」
顔を上げると、先生がニコニコと人のよさそうな笑みを浮かべている。
毒気を抜かれた私は、またしても演技をすることを忘れてしまった。
しかも、とっさに出てきたのは、あまり人に知られたくない内容だった。
「私、壊滅的に料理はできないし、掃除をすればかえって汚しちゃうし、洗濯だってまともにできたためしがないんです。こんな女、付き合うのもイヤでしょう?」
これまで付き合ってきた男性は二人。それも一週間以内に別れたので、女子力が低すぎることがバレることはなかった。
だけど万が一、先生とお付き合いする運びになり、順調に交際が続いたとする――
そうすれば、いずれ料理をしてほしい、なんて言われることもあるだろう。
そのときに幻滅されるのが手に取るようにわかる。
それぐらいなら最初に申告をして、「女子力が足りない子は、ちょっと……」と尻込みしてもらった方が私的には助かる。……すごく傷つくけど。
こんな現実を突きつけられれば、さすがに私と付き合いたいなどと思う訳がない。
だからこそ恥を忍んでコンプレックスをぶちまけたのだ。
ああ、これでこの話は終わった。
さぁ、帰ろう。そう思っていると、先生はカバンから手帳を取り出して何かを書き始めた。
不思議に思って見つめていたところ、先生は手帳を一枚ちぎり、こちらに差し出す。
「どうぞ」
「えっと……え?」
思わず受け取ってしまったが、これは一体?
まじまじとその紙を見ると、携帯の電話番号やメールアドレスが書かれている。
「受け取ってください」
「う、受け取る理由がありませんが」
紙を突っ返そうとしたけれど、一向に受け取ってくれる気配はない。
どうして先生と付き合うことができないのか、きちんと理由を言ったはずだ。
それなのにどうして連絡先を私に渡したのだろう。
混乱している私に、先生は見惚れるほど爽やかな笑みを向けた。
「さぁ、せっかくの料理が冷めてしまいますよ。食べましょう」
「いや、え……ちょ、ちょっと」
止める間もなく、先生はお皿に料理を取り分けていく。
次々に料理が小皿に盛られていく様を呆然と見つめていた私は、やっと我に返って苦い顔で言った。
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